一秒一秒と過ぎ去りゆく時間、と言うものを意識したのは、何年ぶりのことだろう。いちいち指折り数えてみる気にもならないほどに、昔のことのような気がする。
限りある命を持つ人の子らがもし、このことを聞いたら。彼らは、怒るのだろうか。笑うのだろうか。
「イルドゥン」
後方から、聞き慣れた声と共に、ふわり、煎れ立ての紅茶の香りが風に乗って運ばれてくる。少し遅れて、芳しい薔薇の芳香をはらんだ、気品ある気配がテラスを満たした。遠いところへ持って行った意識をもとのこの場所に戻すのは億劫な作業だったが、声の主に名前を呼ばれて振り向かないわけにもいかず、素早く立ち上がりざまにイルドゥンはかたちだけは畏まった礼を返し、
「…お気遣い有り難く存じ上げます」
一つのティーポットに二つの空のティーカップの載った、銀製のトレイを持って立ち尽くす白薔薇を敬うのだった。無言で彼女が持つトレイをさらい音もなくテーブルに置くその一連の動作を、白薔薇姫は明らかな憂いを含んだ面持ちで眺め、微かに場に沈黙が降りたのを見計らってから、彼にやっと控えめな苦言を呈した。
「イルドゥン、あなたは、私が、あなたと私が頂くための紅茶を運び、机に置くくらいのことも出来ないか弱き私だと」
呼吸と共に、一拍。
「…そう思っているのですか」
控えめながらもはっきり抗議とわかる白薔薇の物言いに、イルドゥンは一瞬身を堅くし、その後で何とも言い難くほろ苦い気持ちに襲われた。か弱き私―――だなどとは、始めて出会った日のあの時が最初で最後、その一度きりにしか思ったことはない、と。
「主君なき今、私は最早寵姫ではないのです。ただの妖魔です」
白薔薇はイルドゥンの思いを知ってか知らずか、なおも硬い口調で告げた。少しだけ、ほんの少しだけそれを滑稽だと感じつつ、イルドゥンはそれに応える。
「…私が最早ただの妖魔であるのと同じように、ですか」
「そうですわ、だから、あまりそう畏まられると、悲しくなります」
言いながら白薔薇は、憂いに眉をひそめたまま、多少大袈裟に肩を上方に引っ張っておどけてみせた。
「努力はします。が、かなりの時間を要すと思われますが、宜しいのでしょうか」
見上げたイルドゥンの表情が曇り切っているのに気付き、白薔薇はそこでやっと、それこそ花のような笑顔を浮かべた。
「そんなに真剣に受け止めないで。…ただちょっと、言ってみただけですわ。だからそう、眉間にしわを作らないで下さい」
「………」
思わず眉間に意識が行った。
「…冷めてしまいますから、頂きましょう」
何となく申し訳なさそうにそっぽを向くイルドゥンを横目に、白薔薇は彼が先ほどまでそうしていたのと同じように、二つあるベンチの片方に浅く腰掛ける。
曇りのない硝子に、血の気の失われた青白い顔が歪みなく映った。
「イルドゥン、冷めてしまいますわ」
硝子ごしに呼び掛けると、イルドゥンはまだ先程の問答を引きずった渋い面持ちのまま、鈍い足取りで彼女の向かいに腰掛けた。
「どうやら私は、余計なことを言いましたね」
「…、…はい?」
「重すぎる課題を」
「はあ」
「貴方は一旦考えごとをしだすと、一日中でもずうっと考えてしまう方なのに」
イルドゥンはしばらく考えるしぐさのあとで、いっそう暗い声音で言った。
「……つまり、要領が悪いと」
「そうとも言うかもしれませんね」
「…申し訳ありません」
「いいのですよ」
白薔薇はそう言ってほほ笑んだきり、彼の見つめていた先にあるのと同じところへと視線を投げた。
生憎雲が立ちこめ陰鬱とした空の下の遠く、限られた命を持つ者、人間たちのための四角い墓標がそこに点在している。
色とりどりの花に囲まれた懐かしい名前を、幾つか目にした。
何をもっても代え難い、いまだ鮮烈に思い描けるあの日々の、忘れようもない記憶そのものの名もまた、そこには、ある。
追憶
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