鬼畜魔王ランス伝


   第139話 「歩み往く者達」

 暗い、暗い地を歩く者達がいる。
 数はおよそ百。
 異形の者もいれば、身体のどこかが欠損した者もいる。
 そして、僅かな例外を除いて皆が疲れ切っていた。
 その僅かな例外である者も疲れている事には変わりが無い。
「おい、しっかりしろ! こんなとこで死ぬな! せっかく、せっかく門が開いたままになってるんだ! こんなチャンス二度と無いぞ!」
 しかし、誰一人として膝を着く者はいない。
 眉目秀麗な悪ガキとでも称するのが相応しい若者の激に微かな希望を燃え立たせ、前へ前へと己の身体を狩り立てている。
 厚く垂れ込めた雲の下、彼等はか細い蜘蛛の糸を手繰るが如く必死に歩いていた。
 普段は決して開く事が無い、その門を目指して。



 魔王領。
 魔王の直接統治下にあるという名目の此の地には、今その主がいなかった。
 旧ヘルマン帝国の首都であり、今もヘルマン地域の行政の中心地であるラング・バウの一角で開催している人材選抜公募試験の主席審査員をやる為に留守をしているのだ。
 だからと言って弛緩した雰囲気は無い。
 魔人筆頭として魔王領を預かるホーネットが元々お堅い人間の為、ランスがいる時よりも余程規律がしっかりしてるぐらいである。
 それに魔物達にも弛緩していられない理由がある。
 其れは、出来得る限り己を鍛え上げ、魔王ランスの目に留まって使徒に引き立てて貰うというものだ。
 普段も熱心に鍛えてる彼等が今この時に鍛錬を増やしてるのには訳がある。
 魔王ランスが2週間かけて千を超える人間から血を吸い、力を集めてるという確度の高い情報が飛び込んで来たからであった。
 死なない程度…もしかしたらレベルダウンしない程度まで抑制されてるであろう経験値吸収は、一人分だけを見れば確かに大した事は無いかもしれない。
 しかし、仮にも千人分もしくは其れ以上である。
 それは恐らく使徒を数体生み出してもなお余るぐらいに膨大な量である事、そして当代の魔王ランスがそれを自身のレベルアップよりも自身の剣である魔人シィルを介して使徒を作る事に好んで使用していると知られていた事から、ランスがオーディションを終えて帰還してきた時がアピールの狙い目だと奮起していたのだ。
 実際、能力の底上げを思いっきりやらかさなければ百人ぐらいの人間から死なない程度に吸った生気で使徒を1体増やすのは魔王ランスと魔剣シィルならば可能である。
 それゆえの当然の帰結として、皆が仕事はきっちりとこなしながらも己を鍛えるのに余念が無いという、ある意味理想的な状態が形成されていたのだ。
 既に魔人や使徒になっている者にとっても決して人事では無い。
 魔王軍は基本的に力による上下関係を背景にした秩序で統率されているので、実力が低い上官では部下を纏め切れなくなりかねないのだ。
 其の為に魔人や使徒にも、いざと言う時の為に備えて士官教育や定期的な軍事教練が魔王ランスの命令により義務付けられていた。
 だが部下達の向上心著しい昨今では義務的に課されている訓練だけで実力上位を維持するのは困難であり、それが自主鍛錬を増加させていた。
 明らかな内務向き……つまりは普通ならば前線に配備されない者達を除いて。
 その内務向きの者達とて別に怠けてはいない。
 自らの戦闘力を向上させるよりも、日々の職務に精励する事で魔王領をより良いところにしようと努力する方を優先させているだけなのだ。
 斯様に魔王領は魔王不在の間も赫々たる威容を保ち、AL教やゼス王国を始めとする敵対陣営を無言で圧迫し続けていたのだった。


 
 一方、そのゼス王国…の南の外れに位置する森の中にあるアイスフレーム新本部…と称するのも物悲しい急造の掘っ立て小屋では……
「それでは今回援助を申し出て下さった篤志家の方に不審な点は見当たらなかったのですね?」
 白衣を着た筋肉質の禿頭の老爺の横にいる車椅子に座った金髪の女性の問いに、軽めの装備に身を固めた白髪の美青年が答えていた。
「ええ。僕の調査では何も出てきませんでした。他にも慈善団体や孤児院や診療所など数箇所に寄付をしてるそうですから、僕等が金を受け取っても問題は無いと思いますよ。」
 ニコニコとした笑顔を顔面に貼り付けながらの説明だが、それが仮面だと分かってる人間は実はアイスフレーム内では眼前の禿頭の老爺…ダニエル一人である。
 その彼にしても仮面の裏側で何を考えてるかまでは読み切れないので、提出された報告書類と彼独自で集めた情報を吟味して読み取らねばならないのだ。
 目の前の青年…いや、自分の父親であるアベルトが何を考えてアイスフレームが篤志家からの援助金10万Goldを受け取るよう話を誘導しているのか、を。
「どう思う、ダニエル?」
「受け取らなければアイスフレームは早晩瓦解か、さもなくば更なる人員の切り捨てを断行せねばならん。」
 しかし現状で彼が独自に集めた情報を加えて吟味しても怪しさの影すら見当たらない為に、素っ気無い態度を見せて厳しい現実を直視させる事にしたダニエル。
 アベルトの意図は不明だが、援助金を受け取らねば遠からずアイスフレームは潰えてしまう事を考えると少々怪しくとも其れに乗らざるを得ないのも紛れもない現実なのだ。
「そう…ね。分かりました。先方の御厚意に甘えて寄付をお受けする事にします。」
 その状況については既に理解している車椅子の少女…ウルザが決定を口にすると、一瞬だけ空気がピンと張り詰める。
「では僕は先方に連絡してきます。」
 だが、それにも顔色一つ変える事無く白髪の美青年は本部を辞去したのだった。



 ラング・バウで開催されている魔王主催の人員募集オーディションも、はや10日目。
 1週間目を過ぎた辺りで手当たり次第のやり放題だけでは選考が中々捗らない事に遅れ馳せながら気が付いたランスは、情報管理に優れた種族であるバトルノートのレミカを秘書代わりにして参加者のランク分けに乗り出していた。
 容姿に関しては候補者全員が充分ランスの審美眼に適うレベルなので、実務能力と肉体の相性、そして協調性などの性格面での評点を総合した物にランスなりの匙加減を加えて5段階の評価を弾き出しているのだ。
 ちなみに内訳は、Sランクが採用内定済み、Aランクが採用確実、Bランクが採用を検討、Cランクが別枠での採用を検討、Dランクが採用見合わせである。
 もっとも、ちょっとした仕草や気遣いを見せたおかげでランスの評点が上下する余地はまだまだ残されているので、腐っている暇も奢っている余裕も無い。
 何せ未だ審査は終了していないのだ。
 既に内定を貰っている少数派はともかく、その他の面々は合格確実と評されていたとしても全く油断できない状況が継続中なのだから。


 アーヤ・藤の宮は今まさに充実した日々を送っていた。
「ゲンフルエンザの〜〜治療薬の処方は〜〜〜これで良いんですか〜〜〜?」
 魔王ランスの為の女性限定人材募集オーディションの為に集められた医療スタッフとしての仕事も充分に遣り甲斐がある上、スタッフの人間と魔物との間で推奨されている交流でも想定外の成果を現在進行形で得ているからだ。
「うむ。人間用じゃとそっちの粉薬の混ぜ具合で効き目を調節するんじゃが、加減を間違えると強い副作用が出るので注意するのじゃぞ。」
 確かに魔王城に起居していると噂される命の聖女モンスターのウェンリーナーが有しているとされる治療能力は現代医学とは隔絶したレベルを誇っている。
 しかし、アーヤは寧ろウェンリーナーが生み出した『クスシ族』と『はりまおー族』と出会えた事の方を神……いや、魔王に感謝していた。
「頼まれた鍼灸図作っといたぞ。ま、無難なツボだけだけどな。」
 その理由は『クスシ族』と『はりまおー族』が生まれながらに体得している医療技術がウェンリーナーが持つ圧倒的な治癒の“能力”と違って、あくまでも“技術”である為に人間であるアーヤ達でも努力と才能次第で充分に習得が可能な物だったからである。
「助かります〜〜。贅沢を〜言えば〜、もっと〜知りたい所〜〜なんですが〜〜〜。」
「其れに記してないツボは間違え易いんだ。最低でも其れ全部に間違えず鍼が打てる腕前の奴にしか教えられないね。」
「分〜かりました〜〜〜。精進しますね〜〜。」
 とはいえ、アーヤ達人間側が一方的に教えられている訳では無い。
 モンスター側の医術関係者が高度な個人技を礎とした短期集中治療を得意としているのに対し、人間側は様々な専門技術の持ち主を的確に協力させて行う集団治療体制やリハビリテーションなどの息の長い治療に関して豊富なノウハウを持っており、其れについての手解きを行う事で返礼代わりとしているのだ。
 自主研修と休息や食事などの合間に行われるのが、彼女等が呼ばれた本来の目的の一つであるオーディション関係者への医療活動である。
 今まさに参加真っ最中の1510人(諸般の事情で開始当初から少し減っている)への各種ケアに加え、誰言うともなく隔離病棟と呼ばれている一画に入院している怪我人や病人…オーディション最初の医療検査で発見された者達とオーディションの途中で入院する事になった者…231人、そしてオーディションを支えるスタッフのうち生身の者が1万5千人あまり。
 実にこれだけに及ぶ人々(もっともスタッフの大半は女の子モンスターであるが)に対して医療班は看護婦を含めても500人しかいなかった。
 普通ならば少々足りないほどだ。
 しかし、ランスがホーネットに絆されて推進する事になった人魔協調政策が医師不足を感じさせない要因へと結びついた。
 ……入院患者の回復が普通では考えられないぐらいに早いのだ。
 10日も経った今では、体質的な慢性疾患や深刻な麻薬中毒などの完治させるのが死人を蘇生させるのと同等以上に難しいレベルの病気を抱えていた17人を除き、すっかり健康を取り戻してしまうぐらいに。
 しかも其れには人類側の既存医療技術では不治の病とされていた病気(ちなみに恋の病は此れに含まれていない)も含まれていた。
 だが、無償の善意などというものが魔王に有ると期待するのは間違いだ。
 ランスは時折気まぐれで其れに近い事をしてしまう時もあったが、今回は違う。
 オーディション参加者の病気の検査を念入りに行わせたのは普通の病気には縁の無い自分が他の女の子に病気をうつす媒介になってしまうのを恐れた為だし、金も取らずに全員を治療した訳は……
「がははははは、お前等喜べ! 俺様が直々に補欠試験をやってやる!」
 病気を治してやる事で女の子達に恩を売り、好き放題に身体を堪能する為である。
「「「「「「はいっ!」」」」」」
 女の子達の方は女の子達の方で、最初から募集要項の解り易過ぎる行間を読んで覚悟を決めてきている娘ばかりであったから今更否と言い出す者は一人もいなかった。
 いや、何人かはせっかく病気が治ったんだから参加を取り止めようかと迷いはしたのだが、この期に及んでゴネて治療費を請求されたら拙いとか病気を治してくれた恩義に報いたいなどの理由で結局居残る事に決めた為に脱落者が出なかったのだ。
 ちなみに妊娠を隠して何やら企んでいたのがバレて不合格になったソルニアを含む32人は此処にいないが、これは彼女等がランスの近侍としては不適格と見做された為だ。
 自主的に自らの妊娠を申告したら一応は審査に参加できるよう配慮されており、それを利用した女性もいたのを考えると、下手な小細工が仇となったと言えよう。
「早速向こうの部屋に10人ずつ来い、順番にな。がははははは!」
 何はともあれ、朗らかな高笑いを残して大部屋を出て行くランスの背に数多の熱っぽい視線の矢がプスプスと突き刺さったのは確かだった。



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 長らくお待ちになっていた方々には大変申し訳ありません。ようやく何とか公表できるレベルまで漕ぎ着けられましたですよ。今回は何時にも増して難航していたのですが、最近お邪魔しているチャットの方々に助言をいただいたおかげで何とかできました。お二方とも本当にありがとうございました。
 また今までと同様に支援して下さっている、きのとはじめさんと難でも家さんにも此の場を借りて感謝を述べさせていただきます。本当に有難うございます。
 そして何より、こんな遅筆投稿者に掲載場所を提供して下さってる【ラグナロック】さん、有難うございます。

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