福音という名の魔薬

 第拾九話「漢の戦い」

「冬月、例の計画はどうだ?」
 ネルフ本部・司令公務室。
「ウチの技術部が開発したフローティングマインと重装防護服は製造工場をジオフロントの地下に建設中、警備装甲車と特務警備艇の納入は来週以降からの予定だ。……最終工程はどの道ウチでやる事になるがね。補充人員の確保も目処がついている。」
 この陰気でだだっ広い部屋で、2人の男がまたもや密談を行なっていた。
「パペット計画については?」
 冬月が雑誌片手に打つ詰め将棋の音に紛れて。
「組み立て工場が数日中には稼動を開始できる見込みだ。部品の納入さえ間に合えば、期日までに相当数が建造できるだろう。」
 ゼーレの幹部にすら言えない事をつらつらと並べてゆく。
「で、こんな派手な事をして本当に大丈夫なんだろうな?」
 今度は冬月からの質問。
「問題ない。資材は以前の使徒侵入の時の損害修復の名目だし、対人装備の強化は委員会も承認してる。肝心な所さえ伏せておけば良い。」
 それに、ゲンドウはいつものポーズを全く崩さず答える。
「それに御老人方は、今、互いの懐を探るのに忙しい。こっちを探ろうとすると真っ先に疑われる…いや、下手をすると濡れ衣を着せられかねない状況らしい。今の内にできる限り準備を進めておけ。」
 ゲンドウが探り出したゼーレの赤裸々な内情を聞かされ、頷く冬月。
「なるほどな……。で、“リリン計画”の方はどうなっている?」
 更に冬月の声が潜められる。
「順調だ。」
 ゲンドウの返答は短いが、誤解のしようもないほどハッキリしていた。
「そうか……老人達の“計画”については何か分かったか?」
 しかし、この質問を耳にして、落ち着いた態度はイラつきに変じた。
「“槍”への細工、使徒殲滅の容認、量産パペットの再設計、新たなエヴァの研究……分かってるのは、それぐらいだ。」
 正確な意図までは分からないが、ゼーレの老人達がゲンドウ達を信じずに独自の手段を用意しているのは分かり過ぎるほど分かる。
 もっとも、それを見越してるからこそ、こうして対抗手段を用意しているのだが。
「そうか……。」
 先程と同じ…しかし、遥かに重苦しい口調で冬月は呟く。
「我々は我々に出来る事をするしかあるまい。」
 いつしか駒を打つ音すら消え去っていた部屋に、男達の決意が響く。
「そうだな。…………人類の……子供達の未来の為に。」
 小さく、しかし、ハッキリと。
 己が拠って立つ理想を。



 ケンスケのヤツは新横須賀へ戦艦のおっかけ。
 センセもどっか行ってしもた。
 せやから、今の教室はワイ以外全員女や。
 ホンマ、居心地悪うてしゃあないで。
 何でこうも女ばっかが残ったんやろなぁ、このクラスは。
 誰ぞが何か企んでるんやろか?
 ……まさかな。そんな事したかて、何の得にもならへんやろ。
 ワイは其処で考えるんを止めた。
 ……本当に誰ぞが企んだ事の結果だと気付かぬままに。



 にわかに発令所が騒然とし、
「消滅!? 確かに第2支部が消滅したんだな!?」
 司令公務室に居る冬月に青葉からの緊急連絡が入る。
「はい。全て確認しました。消滅です。」
 この非常事態にも、ゲンドウは顔色一つ変えなかった。

 北アメリカ・ネバダにあるネルフ第2支部の消滅により、調合途中だったエヴァンゲリオン四号機と関連施設、更には数千人の命が失われた。
 精製中だった四号機が暴走して周囲の事物をディラックの海に飲み込んだとのリツコの推測に基き、カティーとチカゲを現場の調査の為に派遣する事が決まり、残った参号機は米国から本部に移管される事に決定した。半ば以上押し付けられるカタチで……。

「起動実験は松代で行なうわ。参号機パペットと一緒にね。」
 気の滅入る会議の帰り、エスカレーターの途中で白衣姿の美少女とネルフの高級士官用の赤い制服に身を包んだ美女が深刻な話題を投げ合っていた。
「参号機と四号機は向こうが建造権を主張して強引に調合してたんじゃないの。今更危ないとこだけウチに押しつけるなんて……虫の良い話だわ。」
 苦々しく吐き捨てるミサトに、
「あの惨劇の後じゃ誰だって弱気になるわよ。」
 リツコがアメリカ支部を弁護する。
「で、起動実験の被験者……いえ、パイロットは誰にするの? 使徒能力者みたいにシンちゃんのガールフレンドから選ぶの?」
 これ以上言っても仕方ないと悟って話題の切り口を変えたのだが、
「それは決まってないわ。参号機のデータが来次第、選定作業を開始するわ。」
 返事は芳しいモノでは無かった。
「そう……。」
 しかし、別に隠し事をされてる訳では無い。
 対使徒決戦用人体強化薬エヴァンゲリオンは、元々が適性を持たない人間にとっては猛毒以上の劇物なのだから、選定作業は慎重にも慎重を期す必要があるのだ。
「それより、私とあなた…それにマヤの松代出張は本決まりよ。参号機の受け取りと起動実験で一週間は帰って来られないわ。」
 心底嫌そうに言うリツコの台詞に、ミサトの顔も苦々しく歪む。
「それは厳しいわね……。そだ、今日帰ったらシンちゃんに甘えてみない?」
「良いの? 今夜はあなたの番でしょう?」
 親友の申し出に胸を高鳴らせつつも、遠慮するリツコだが……
「良いのよ。マヤも呼んであげてね、可哀想だから。」
 重ねて言われては遠慮の必要など銀河系の彼方へと吹き飛んだ。
「ええ、任せて。」
 好意に甘えつつも、御主人様と褥を共にできるかもしれないと言う期待でスカートの中を早くも濡らし始めるリツコであった……。



 極東の要塞都市を形作る摩天楼が血の色をした夕映えに染め上げられている頃、陽を遮る厚い黒雲が生み出した陰鬱な暗がりに屹立する石造りの古城の地下に、暗天すら霞むほどの腹黒さをそのまま具象化したかの如き12個の黒い直方体が円陣を組んでいた。
 見えない円卓を囲むかのように。
「今回の“事故”は、はなはだ残念であった。」
 そのウチのどれかが声を発すると、
「さよう。あれが成功していれば、我々の“計画”は大きく前進していた。」
 黒い長石は口々に己が意見を話し始めた。
「とはいえ、エヴァ零号機と弐号機の効能を併せ持つ最強のエヴァンゲリオンの調合に成功する可能性は極めて低いものだった。失敗は予測の範囲内だよ。」
 それは、黒い墓石たちが墓地の片隅の暗がりに寄り集まって、地獄から洩れ聞こえる如き悪辣な相談を交しているかのような非現実的な光景。
「幸い…精製過程のデータだけは手に入った。これで“四天使”シリーズの建造に取りかかれるというものだ。」
 そんな見た目に違わず、交される会話の内容も相応しい黒さを内包していた。
「13機のエヴァ・パペットの上に立つ、熾天使の名を冠したエヴァ・パペットか。」
 自分達の計画が失敗した事で犠牲になった数千の人命など、こいつらにとっては議論する価値すら無いのだ。
「碇の元に送った小娘の研究データも役に立つ。ネルフ第2支部と四号機の消失の穴を埋めて余りあるかもしれん。」
「碇か……ヤツは信用できるのか? 第3新東京市は第七次建設を終え、偽装迎撃要塞都市としてはほぼ完成している。これで地下施設の復旧まで終われば通常戦力で手出しをするのは難しくなるぞ。」
 目の前の同志達も信頼してない男が、それを口調に表さず問題提起する。
「対人要撃設備の強化、実働兵力の確保……厄介な事、この上無い。」
「しかし、テロ対策の必要も確かだ。その意味ではヤツの動き、一概に非難できん。」
 毎月の様にテロリストやスパイが検挙され、テロや情報漏洩が未然に潰されている現状を考えると、保安部の強化に対して文句を言う事もできないのだ。
「それに今のところ人類補完計画を最も適切に推進しているのもヤツだ。残念だが、ヤツでなければ“計画”はここまで推進できなかった。」
「多額の予算を使ってな。」
「それも理想値よりも多いと言うだけの事。ネルフ本部の現在までの支出は、かなり楽観的な予測の範囲内の数値に収まっている。」
「全ては、あのサードチルドレンのおかげだろう?」
「いや、あの男でなくてはサードチルドレン……エヴァ初号機の効能をここまで引き出す事ができたとは思えん。」
「あそこまで徹底して自分の息子を傷つける事ができる覚悟……驚嘆に値するよ。」
「全くだ。あの男が我等を裏切らぬ事を祈るよ。」
 発言とは裏腹に欠片もゲンドウを信じてない…いや、隙を見せたら咽喉笛に噛みついて来ると信じている男の呟きが、ゲンドウに関する考察を途切れさせる。
 どの道、今の時点・今の状況で解任する訳にもいかないのだから……。
「後は……」
 喧々諤々の討議も
「“槍”と“メシア”、それが鍵となるだろう。」
 議長役と思われる男の発言で終結し、
「全ては、我等“ゼーレ”のシナリオ通りに。」
 いつもの台詞で会議は締め括られた。



 第3新東京市の地下に広がるジオフロント……直径6qの円形の空洞に武器・弾薬・交換部品・建設資材・食料品・医薬品など……戦闘の準備を整え、継続していくのに必要なあらゆる物資が、リニアトレインで今日も続々と運び込まれていた。
 ネルフ本部の各種物資を集積する倉庫は、地上に小さめのモノが5箇所、地下に大きめのモノが3箇所ある。
 その内の一箇所、地下第2物資集積所に搬入される物資の概要を調べた加持は、ネルフ本部内の休憩コーナーに何食わぬ顔で向かっていた。
『ここだけでも、下手したら半年は戦える物資を貯め込んでるな。……司令達は本気で戦争を始める気か?』
 先程探り出した情報を頭の中で整理しながら。
『あれは……今のうちにお近付きになっておいた方が良いかな?』
 自動販売機の前に設けられているベンチに座る先客を見つけ、加持は足を速めた。
「よ、休憩かい?」
 情報を探り出す為、そして新たな人生の伴侶を探す為に。
 ……もっとも、このネルフ本部では後者の方は難易度が馬鹿高くなってきてはいるが。

 5分後、加持は栗色の髪の女性…バルタザール主任オペレーターの阿賀野カエデ…と親しく話をするのに成功していた。
「せっかくここの迎撃システムが完成するのに、祝賀パーティーの一つも予定されていないとは……ネルフってお堅い組織だね。」
 心底残念そうに水を向けられると、
「碇司令がああですもの。」
 カエデもついつい乗せられて答えてしまう。
「君はどうなのかな?」
 そんな態度で緊張がほぐれてきたと判断して、ゆっくり距離を詰めてくる加持に、
「良いんですか、加持さん。赤木博士や葛城さんに言っちゃいますよ。」
 カエデは身を堅くしつつ警告する。
 確かに彼女が言えば2人とも聞く耳を持ってくれるだろう。
「その前にその口を塞ぐ。」
 ……彼女が言う気になれば。
 ガタタンッ!
 目蓋をキツク閉じてますます身を堅くするカエデの唇を奪おうと顔を近づけていく加持を止めたのは、何かが落ちて立てたらしき音だった。
 加持が音がした背後の方を振り返ると、其処にいた少年が自販機から缶コーヒーを取り出していた。
「……シンジ君か(気配を感じなかった? 俺とした事が…勘が鈍ったかな?)。」
「シンジ君……。」
 タイミングを外されてあからさまにホッとしているように聞こえるカエデの口調に、加持は分の悪さをヒシヒシと感じ取った。
「ありがとう。そろそろ打ち合せがあるから、今度お礼するわね。」
 滲み始めていた涙を右手で拭い、カエデは早足でその場を立ち去る。
『……上手くいくと思ったんだけどな。調べた限りではシンジ君と未だ付き合っていないはずだったし。……まだまだ俺も修業が足りないかな。』
 彼女の背を見送りつつ、加持は自分の未熟を噛み締めていた。
 その思いが言わせたのだろうか、
「たまにはどうだ、お茶でも。」
 加持の口から自然とそんな誘いの言葉が漏れる。
「僕……男ですよ。」
 憮然としたシンジの答えに、思わず噴き出しそうになってしまった加持であった。

 場所をジオフロント内に設けられている公園のベンチに移し、2人の男は缶コーヒーを黙って啜っていた。
「加持さんって、もっと真面目な人だと思ってました。」
 何とも言い難い…居心地が良いのか悪いのか判断がつきかねる沈黙を破ったのは、シンジのそんな一言だった。
「安心してる相手だと遠慮が無いな、碇シンジ君。」
 苦笑しながらの指摘に、
「あ、す、すみません。」
 慌てて恐縮して謝るシンジ。
「いや、こっちこそすまない。厭味のつもりは無いんだ……。」
 過剰反応気味なほどの謝罪に、加持も丁寧に謝罪を返す。
「そうだ、一つ良い物を君に見せよう。」
 そして、お詫び他の諸々を兼ねてシンジに“ある物”を見せることを思い立った。
 彼にとっての“宝”を。
 それは……。
「スイカ…ですか?」
 ジオフロントの一角にあるスイカ畑だった。
「可愛いだろう? 俺の趣味さ。……みんなには内緒だけどな。」
 ちなみに、この畑は……実は本部からそう遠くない位置にあるのだが、周囲の森林が視界を遮っているので本部から所在を掴むのは難しい。
「何かを作る、何かを育てるのは良いぞ。色んな事が見えてくるし、分かってくる。楽しい事とかな。」
 ジョウロで水をやりながら言う加持に、
「辛い事もでしょ。」
 シンジは問いかける。
 しばしの沈黙を無言の肯定に代え、加持は逆に質問する。
「辛いのは嫌いか?」
「好きじゃないです。」
 これは、ほぼ即答だった。
「楽しい事見つけたかい?」
 しかし、こちらの質問に答えるまでの間は、とても長かった。
「分からないんです。それが辛いのか、楽しいのか。」
 そして、ハッキリとした答えでは無かった。
「……そうか、それもいいさ。けど、辛い事を知ってる人間の方が、それだけ人に優しくできる。それは弱さとは違うからな。」
 噛み締める如き口調に、シンジの眉間に浮かんでいた皺も緩んで消える。
 男性で、ここまでシンジに親身になってくれる人間など珍しいのだ。
 ……女性なら割りと珍しくもないのだが。
「ちょっと訊いても良いですか?」
「ああ、なんだい。」
 だからかもしれない。
「僕の父さんってどんな人ですか?」
 こんな質問をしたのは。
「こりゃまた唐突だな。葛城の話かと思ってたよ。」
 本気で意外そうな表情を少しだけ覗かせた加持は、すぐに穏やかな表情を回復する。
「加持さん、ずっと一緒にいるみたいだし。」
「一緒にいるのは副司令さ。君は自分の父親の事を聞いて回ってるのかい?」
「ずっと…一緒にいなかったから……」
「知らないのか。」
「でも、この頃分かってきたんです。父さんの事、色々と。仕事の事とか、母さんの事とか……でも……」
「でも?」
「……また、分からなくなって。色んなこと……たくさん。」
「人は他人を完全には理解できない。自分自身だって怪しいものさ。100%理解し合うのは不可能なんだよ。まあ、だからこそ人は自分を…他人を知ろうと努力する。……だから、面白いんだな……人生は。」
 心底辛そうなシンジの告白を聞き、加持は自分の人生観を伝える。
「それに、僕の傍にいてくれる人達の事も……本当に僕で良いのか、内心別の事を考えてたらどうしようって……怖くて……。」
 しかし、加持が考えているよりも、シンジの精神は遥かに微妙なバランスで綱渡りをしていたらしい。
「彼女というのは遥か彼方の女と書く。女性は向こう岸の存在だよ、我々にとってはね。男と女の間には、海よりも広くて深い河があるって事さ。」
 だから、気休めかもしれない事を言っておく。
「それって、理解できなくて当然ってことなんでしょうか。」
「あまり気に病まない方が良いって言ってるのさ。彼女らが望んだ関係なんだろう?」
 この運命重き少年が、抱えた荷物で潰れてしまわないように。
「それにシンジ君は良くやっているらしいじゃないか。上手くいってるんだろう?」
 人の行く末を担う灯が消えてしまわないように。
「はい。僕も、こうまで揉め事が起こらないなんて信じられないんですけど……」
「なら良いじゃないか。人には人の…シンジ君にはシンジ君のやり方があるって事で。」
 自らの思うところを可能な限り言葉のカタチに翻訳し、加持は伝えようとする。
「……ありがとうございます。」
 この礼儀正しい、優しく傷付き易い少年に。
「なに、礼には及ばないさ。俺達は君に随分借りを作ってるからな。」
 精一杯の誠意で。




「……これか?」
 ネルフ本部・司令公務室。
 執務机にいつもの格好で座すゲンドウの前に、
「はい。マギの計算によれば、エヴァンゲリオン参号機の適性が現候補者の中で最も高い人物です。」
 ファイルバインダー片手の白衣の少女が毅然と直立し、淡々と報告を並べていた。
 ちなみに、その選定データの中にはシンジと同じ学級の子供達だけではなく、世界各地からゲンドウによって集められたパイロット候補……挙句の果てには、この要塞都市に住まう“全ての”人間のデータすらも入っていたりする。
 その人物の適性は、その中の誰よりも高かったのだ。
「次点は?」
「こちらは、起動確率が30%未満、生存確率も50%を切ります。」
 ……これでもシンジが初号機を飲まされた時の数値よりは、かなりマシであるのだが。
「そうか。では、ただちに第1候補者の説得に向かえ。」
 手を口の前で組むいつもの独特のポーズを崩さず命令を下すと、
「はっ。」
 赤木リツコは事務的な態度を崩さず、それを苦にもしてない様子で退出した。
 かつての情人……そして、今では愛しの御主人様の父君の前から。
 その人物が校長室に呼び出されたのは、この1時間後……対象の人物が最も楽しみにしている昼食の時間…昼休みのことであった。



 ちょうどその頃、国連軍の巨大な全翼機が巨大な十字架に拘束された状態のエヴァンゲリオン・パペット参号機と偏執的なまでに厳重に封印されたエヴァンゲリオン参号機を積んで北米大陸を飛び立った。
 不足の離陸推力を固体燃料ロケットの使い捨てブースター8基で強引に補って。
 蒼黒く沈む地上から、朱に染まる西の空を目指して。



 夕刻、第2支部跡に調査へ行くカティーとチカゲ、松代へ参号機の受領と起動実験の為に赴くミサトとリツコとマヤ、そして彼女らを見送ろうとしてコンフォートの玄関口まで出て来たシンジの行く手を塞ぐように一人の人物が現れた。
「こんばんは! 今日は葛城二佐とジーベック少佐にお願いに上がりました。」
 深々と頭を下げる眼鏡をかけた少年。
「自分を、自分をエヴァンゲリオン参号機のパイロットにして下さい!!」
 その少年の名は……
「お願いします!!」
 相田ケンスケ。
 英雄志願のミリタリーヲタクである。
 しかし、彼の願いは、
「それはできないわ(この子の参号機との相性は…確か絶望的な値だったわね。)。」
 あっさりきっぱり身も蓋も無くリツコに1秒で却下された。
「今更だな(その気があるならチルドレン候補生を目指せば良かっただろうに。)。」
 そして、カティーにも素気無く退けられた。
「ごめんね。参号機パイロットはもう決まってるのよ。」
 更に、最後の頼みの綱のミサトにも拒絶されてしまった。
「え? それって誰?」
 そう訊いたのは、失われた四季の…暦の上だと真っ最中の冬の寒風に吹き曝されたかの如く硬直して動かなくなったケンスケではなく、彼女らの主であり恋人であり伴侶である少年の方だった。
「ごめん、シンちゃん。口止めされてるのよ、起動実験が成功するまではってね。」
 マズったな〜と苦い顔をして拝みながら説明というか言い訳に苦慮するミサトの姿に、シンジも苦笑を隠せない。
「良いですよ……無理に言わなくても。」
 あっさりと矛を納め、そして、
「みんな、いってらっしゃい。」
 今できる最高の笑顔で皆を送り出そうと努力する。
「「「「「いってきます。」」」」」
 綺麗にハモった5人の女性の挨拶。
『『『『『こいつさえいなきゃ、お別れのキスぐらいはしてもらえたのに!』』』』』
 そして、綺麗にハモった内心。
 元々決して高くは無かった相田ケンスケの評価が暴落を始める、今がまさにその転機であった。



 技術部の重鎮で、今やハッキリとシンジに好意的な派閥に属している二人…赤木リツコと伊吹マヤが出かけたのを見計らい、碇ゲンドウはいずこかへと電話をかけていた。
「私だ。例の手筈で。」
 天井と床にセフィロトの樹が描かれた、司令公務室で。
「承知致しましたわ。」
 指示も短ければ、いらえも短い。
 ただそれだけの遣り取りを終えたゲンドウの表情は、邪さを感じさせる笑みのカタチに歪んで見えたのだった。



 5人を見送ったシンジに寂しさに耽るなどという事は許されていなかった。
 まあ、そもそも寂しさを感じる必要も無いのではあるが。
 彼の傍にいる種々様々な花々が瞬く間に穴を埋め、心と身体を慰めるべく力を尽くしてくれること……そして、それに応える事に忙殺されて、一抹の寂しさなど儚く押し流されてしまったのだった。
 そんな日常の忙しさにかまけて参号機への…フォース・チルドレンが誰であるかという懸念も、何時の間にか何処かに追いやられてしまっていたのだった……。



 いつもは炎天下の松代支部。
 その近くに急遽建設された仮設滑走路から少々離れた待機所とは名ばかりの空き地。
 延々田舎道を走ってきたエヴァ・パペット輸送用トレーラーは、ここで参号機の到着を待っていたのだが……
「遅れること2時間、ようやくおでましか。私をここまで待たせた男は初めてね。」
 ようやく参号機をぶら下げた巨人機が上空に姿を現したのを見て、ミサトが鬱憤混じりに吐き捨てた。
「デートの時は待たずにさっさと帰ってたんでしょ?」
「加持のぶぁかの時はね。シンちゃん時はんな事ないわよ。」
 リツコのツッコミに、何事かを思い出したのか頬を染めて呟くミサト。
 ……具体的に何を思い出したのかは置いておく。
「マヤが羨ましいわ。やる事が無いのがこんなに苦痛だったなんて……」
 ポツリとぼやくリツコの目は、先程食べ尽くした差し入れの弁当に向く。
 シンジ手製のモノと比べ物にならない出来合いの弁当であったが、それでも綺麗に残さず食い尽くされていたのは二人ともがセカンドインパクトの辛酸を味わった世代だからだろうか。
 とにかく、立場上というか礼儀上、ここで出迎えとして待つ必要がある2人にできる事はあまりにも限られていたのだ。
 参号機の受け入れ準備で忙しく立ち働いているマヤとは違って。
 その待機時間もようやく終わる。
 待ち人というか、待っていたモノがようやく滑走路に降りて来たことで……。



 参号機が松代に無事到着した頃、ネルフ本部にも到着したものがあった。
 いや、いた……と言い直しても良い。
「司令自ら御出迎えとは光栄ですわ。けど、ネルフの本部ってそんなに暇なんですの?」
 ネルフでは連絡機として使われているVTOL機から降り立ったのは、頑丈そうな大きなトランクを両手で提げた成長期を脱し切ってない少女であった。
「問題無い。」
 少女如きの厭味の矢では総司令のぶ厚い面の皮には毛ほどの傷もつかず、ゲンドウは何事も無かったように踵を返して先導する。
「ど、どこに行くんですの?」
 亜麻色の長髪を翻して慌ててゲンドウの後を追う少女は、彼女のことを良く知らない人間の目で見ると、どう見ても20歳に達していない外見と私服姿なことからネルフ本部の雰囲気にそぐわぬ様に見えたかもしれない。
 しかし、決してそんな事は無い。
 彼女こそロストナンバー・チルドレンの一人、マリィ・ビンセンスなのだから。

 地下の穴倉の一角、暗く広く威圧的な部屋の中にまで来て、ゲンドウはようやく後ろを振り返った。
 律儀につかず離れずついて来たマリィの後ろで扉が閉まる。
「あ……」
 彼女の退路を断つかの如くに。
「黙っていては分かりませんわよ。早くお話を始めて欲しいですわ。」
 ゲンドウの双眸が向けられた瞬間、本能が金切り声を上げ始めたマリィは、ここまで付いて来た自分を呪いながら、それでも慇懃に話を促す。
「例の物はできているか?」
 短い問いは、それでも彼女の理解の範囲内に収まっていた。
「ええ。でも、完璧とは言い難いのが口惜しいですわ。」
 マリィが持参したトランクを開けると、中には青色を基調としたプラグスーツが綺麗に折り畳まれて納められていた。
「後は……こちらにあると言う装置と接続して微調整すれば、動かすだけなら何時でもできるようになりますわ。」
 互いに無駄口は叩かない。
「よかろう。すぐに作業にかかれ。」
 密室だと言うのに艶っぽい話も無い。
「承知致しましたわ。」
 マリィは、この部屋に最初に入った時にゲンドウから感じた威圧感というか身の危険を気のせいだとして頭の片隅に片付けた。
 だが、後々思い知る事になる。
 あの時感じたアレは、間違って無かったのだと。



「と言う事で、私としては実験中止を推奨致します。」
 被験者が到着するまでの時間を利用して行なわれた参号機の成分検査。
 それを実施・監督した赤木博士から本部への通信の内容は、起動実験の中止を求めるものであった。
「根拠は?」
「参号機の精製過程のデータが綺麗過ぎる事。後は……勘です。」
 しかも、ミサトが口にするならともかくリツコが“勘”である。
 発令所に詰めている要員は、激しい違和感に襲われた。
「それだけでは中止はできん。データに改竄の跡は無いのだろう?」
 常識的なゲンドウの回答に、
「……はい。」
 見た目は15歳の白衣の少女が苦々しげに呟く。
 リツコも裏死海文書の一端を知っているものの、ゲンドウや冬月ほどでは無い。
「委員会の判断を仰ぐ。その回答が得られるまでは起動実験は凍結する(それに、アレの準備が終わるまで待たせておいた方が良いかもしれん。)。」
 だからリツコは事前に気付く事ができなかった。
 自分が感じた嫌な予感の正体を。



 昼下がりの教室。
「トウジのヤツいないな……もしかして、参号機のパイロットってトウジなのかな……」
 ぶつぶつと独り言を呟くケンスケは、シンジ以外の全員から注目を集めていた。
 勿論、賞賛や敬意の視線ではない。
『こいつさえココに居なければ、直ぐにでもHな特別授業を始められるのに……』
 と言った敵意の視線であった。
 ……学校の女教師まで、そんな姿勢で良いのか、おい。
 邪魔者と認識された彼に対する風当たりは、早くも強くなり始めていた。
 シンジの意志とは関係無しに。
 ケンスケの願いとは正反対の方向へと。
 とにもかくにも、今、この場でのケンスケの存在は、2年A組を辛うじて常識的な範疇に留める楔として機能していたのであった。
 ケンスケ本人の意志とは全く関係無しに……。



 北アメリカ大陸の西側にある荒れた大地。
「ここか?」
 その真っ只中の位置を至極当然の如く占拠する半径89qの巨大な半球状の穴。
「はっ!」
 ネイビーブルーのネルフ士官服に身を固めた硬質な美貌の女性とネルフの一般職員用の制服を着た影の薄い女の子の2人連れがジープで案内されたのは、そこだった。
 ……ここがネルフ第2支部が“あった”場所なのだ。
「では、これより調査を始める。何が起こっても半径50q以内に近付くな。」
 士官服を着ている方…ネルフ本部戦術作戦部長、カティー・ジーベック少佐が案内してきたネルフ職員達にハッキリと言い渡す。
「そ、それは困ります。他にも調査の予定が入っておりますので……」
 それに少尉の襟章を付けたアメリカ第1支部の青年士官が口答えしたのだが、
「死にたくなければ余計な事はしない方が良い。」
 それへのカティーの返事は素っ気無いというより脅迫にしか聞こえなかった。
 車から降りた美女と美少女が穴の縁へと向かうのを呆然と見送った2人のネルフ職員たちは、忽然と穴を満たした黒い水面の様に見えるモノに2人が飲み込まれる……いや、自ら足を踏み入れて沈んでゆく一部始終を見届けた。
 虫ピンで止められたように動かす事ができなくなった視線で。



 松代支部にある第2実験場、
 その地下仮設ケイジ。
「初期コンタクト問題無し。第二次コンタクトへの移行、確認。」
 搬入されたばかりのエヴァ・パペット参号機と地上の管制統御車両群の管理の下で、エヴァ参号機の起動実験が行なわれていた。
「絶対境界線、突破します。」
 それは、エヴァが“力”を発揮する瞬間。
 大いなる力が解放される瞬間。
 その瞬間……光が、溢れた。
「くっ!」
 地下に設けられた檻を突き破って天を貫く光は、
「まさか、使徒!」
 巨大な火柱となりて爆発した。

 その事態は、
「松代にて爆発事故発生。」
 当然ながら
「被害、不明。」
 時を置かずネルフ本部の知るところとなった。
「救助及び第3部隊をただちに派遣。戦自が介入する前に全て処理せよ!」
 素早く対応の指示が出されるが、
「事故現場に未確認移動物体を発見。」
 青葉の報告が、尋常の救助活動だけでは不足な可能性を暗示する。
「パターン・オレンジ。使徒とは確認できません。」
 日向が告げるマギの分析結果では、未だ可能性の段階ではあったが。
「第1種戦闘配置。」
 それでも、ゲンドウは使徒迎撃体勢を取るよう命じた。
 もし使徒であるならば、見過ごすのは危険過ぎるのだ。
「総員、第1種戦闘配置!」
 その命令に従い、ネルフ本部要員は使徒迎撃へと動き始める。
「地…対地戦用意!」
 人類存続の為、
「エヴァ・パイロット全員、エヴァ・パペット全機発進! 迎撃地点へ緊急配置!」
 自分達が生き残る為に。
「空輸開始は20(ふたまる)を予定。」
 自らがなすべき事を。



 携帯電話で呼び出されて行ったエヴァ・チルドレン3名を、
「おっ、非常招集か? って、ことは…また使徒が出たってことだよな。う〜、1回で良いから俺もやってみたいなぁ。」
 またもや教室の自分の席から見送る立場になったケンスケは、
「やる気なら俺が一番なのにな……どうして俺にやらせてくれないんだろ……。」
 知らず知らずの内に口に出して愚痴っていた。
「いいなぁ……碇達が羨ましいよ……。」
 周囲の人間に聞こえるように。
 ……ほどなく鳴り響いたサイレンが、教室に残る皆に避難するよう告げるまで。



 長野県の山梨県との境付近にある高原……野辺山。
「松代で事故! じゃあ、ミサトさんやリツコさんやマヤさんは?」
 招集からここに到着するまで僅か30分という緊急展開の為、ロクな説明も無く連れて来られていたシンジが、レイから簡単な説明を受けていた。
「まだ連絡取れない。」
 レイは巨大な人型の鎧…零号機に乗っているので、ほとんど生身のシンジ達よりかは情報が集め易いのだ。
「そんな…どうしよう……。」
 心配で心乱すシンジに、
「何、愚図愚図言ってんの。アイツらがどうにかなるようなタマだと思ってんの?」
 アスカがともすれば喧嘩腰に聞こえるほど強い語調で言い聞かせる。
 しかし、シンジの心配は彼女らの身の安全だけでは無かった。
「でも…使徒相手に僕らだけで……」
 使徒戦の指揮を執るべきミサトとカティーの両者が、今は不在なのだ。
「今は碇司令が直接指揮を執ってるわ。」
 レイが今回の指揮者の名を告げると、
「父さんが……」
 シンジは何とも言い難い気分になって口をつぐんだ。


「野辺山で映像を捉えました。主モニターに回します。」
 青葉の操作によって発令所のメインスクリーンに映し出された、佐久甲州街道をのし歩く“それ”は…
「やはりコレか。」
 エヴァンゲリオン・パペット参号機…その姿を見て、冬月が苦り切った声を上げる。
「活動停止信号発信、エントリープラグを強制射出。」
 素早く的確な指示を下すゲンドウ。
「駄目です。停止信号、及びプラグ排出コード、認識しません。」
 しかし青葉の操作にも関らず、パペット背部に挿入されているエントリープラグは灰白色の粘糸の網でガッチリ固定されて離れない。
「パイロットは。」
「呼吸、心拍の反応はありますが、恐らく……」
 ゲンドウの問いに語尾を濁す日向。
 今、反応が読み取れると言う事は、この場にいると言う事なのだ。
 恐らくは、参号機パペットと共に……。
「エヴァンゲリオン参号機は現時刻をもって破棄。目標を第13使徒として識別する。」
 松代から30分に渡って自力歩行してきた事。
 自らの単独行動可能時間を大幅に上回って歩いてきたこと。
 ただのロボットであるエヴァンゲリオン・パペットには不可能なこと。
 それこそが、証拠。
「しかし……」
 そうなれば、パイロットの安全は二の次になる。
 抗議をしようと司令席を振り返った日向はゲンドウの眼光の鋭さに押し黙らされる。
「予定通り野辺山で戦線を展開、目標を撃破しろ。」
 サングラスと口の前で組んだ両手で表情を隠し、命を下すゲンドウ。
「目標接近。」
 青葉が作戦参加している全員に注意を促し、
「全機、地上戦用意。」
 結局ゲンドウに屈した日向が指示を出す。
「え? まさか、使徒? ……これが使徒ですか?」
 山の影から姿を現した“それ”を初めて見たシンジの呟きを聞きつけ、
「そうだ、目標だ。」
 ゲンドウが駄目押しに補足する。
 アレが、使徒…殲滅すべき“敵”なのだと。
「目標って、これは……エヴァ・パペットじゃないか。」
 しかし、そう言われた所でシンジがにわかに納得できるはずも無い。
「そんな…使徒に乗っ取られるなんて……」
 幼い頃から戦闘訓練を重ねているアスカも動揺を隠せない。
「やっぱり人が乗ってるのかな……。」
「にしたって、やらなきゃやられるだけよ!」
 シンジの独り言に答え、アスカは手のソニックグレイブを構え直す。
『これ以上取り分減らしてなるもんかっ!』
 夕陽に紅く染まる田園風景を闊歩して来る参号機パペットに向かいダッシュしつつ、両手で大上段に振り上げたソニックグレイブにATフィールドを集束し、放つ。
 電源車と電源ケーブルで繋がれている弐号機パペットが構えていた連装バズーカというかロケットランチャーからロケット弾が間髪入れずに放たれる。
 どう見ても手加減抜きの…殺す気の連携攻撃だ。
 その標的、両手をだらんと下げて心持ち前傾気味に歩いて来る参号機パペットは、衝撃波が命中する寸前、忽然と視界から消え去った。
 次いで炸裂した榴弾の激しい爆発の光と音と煙が、見失ってしまった参号機を再び捕捉するのを妨げた。
 ……致命的な、その刻まで。
「な! きゃああ!」
 悲鳴だけを残して途切れた通信の直後、参号機パペットは何事も無かった様に歩く。
「エヴァ弐号機、完全に沈黙!」
「回収班、向かいます。」
 放り投げられ山肌にめり込み動かなくなった弐号機パペットと、全高40mのボディにまともに押し潰されて気絶させられてしまったセカンドチルドレンを後に残して。
「目標、移動。零号機へ。」
 目標…参号機パペット…は、相互に援護するには遠過ぎる距離に配置されていた零号機の方へとズンズンと進んで行く。
「レイ、近接戦闘は避け、目標を足止めしろ。今、初号機パペットを回す。」
 使徒の進路から山を影にして隠れ、待ち構える零号機。
「了解。」
 パレットガンの照準が無防備な参号機パペットの背中にロックオンされる。
「いない? ……アレは脱け殻?」
 レイが“それ”に違和感を感じた時には既に遅く、増援となる筈だった紫の機鬼がレイの死角から飛び出した何者かによって真っ二つに腰斬されてしまった。
「初号機パペット大破!」
 目の前で……
「囮? ……本体は何処?」
 そう判断してしまったのが間違いだったのかもしれない。
 非常脱出装置で射出された初号機パペットのエントリープラグの行方に僅かなりとも気を取られたのがいけなかったのかもしれない。
 あるいは、レイが持つ使徒の本体の在り処を見分ける能力が無い方が却って惑わされずに済んだかもしれない。
 参号機パペットが身を捩り、両手両足を広げ尻を高く上げた世にも奇妙な姿勢で飛び上がったのだ。……恐らくはATフィールドの力で。
「はっ?」
 参号機パペットは人間には不可能なトリッキーな動きで零号機の背後に回り、首根っこをふん掴まえて背中から馬乗りに抑えつける。
「零号機左腕に使徒侵入!」
 さらに自らの左腕からドロドロした液状の成分…自らの細胞を滴らせ、零号機の左腕をまるで血管が浮き出るようなカタチで侵蝕していく。
「左腕部を切断! 急げ!」
 ゲンドウの苛烈な命令が飛ぶ。
「しかし、シンクロを解除しないと……」
 その苛烈さに耐えかねて日向が口答えしようとするが、
「切断だ!」
 重ねて命令され、やむなく従った。
 ……零号機を救い得る手を他に考え付かないと言う事もあって。
「零号機、中破!」
 左腕が爆破切断され、悶えるレイと零号機。
 戦闘力の殆どを喪失した零号機を打ち捨て、参号機パペットは再び歩き出す。
 離れた位置にいる、碇シンジを目指して。
「いか…せない。」
 倒れ悶え苦しみながら、レイは思わず掴んでいた左腕の付け根から右腕を渾身の力で引き剥がし、傍らにある無人の電源車を握り締める。
 チャンスは一度きり。
「くうっ!」
 激痛を堪えて投げたクルマは参号機パペットの背中に見事にヒットし、電源車に積まれていた大量の燃料油に引火して爆発した。
 それを見届けた後、レイは昏睡の泥沼へと引きずり込まれた。
 苦悶に抗う気力を使い果たして。
「アスカ…綾波……ねえ、みんなぁ!」
 答える者はいない。
 咽喉も裂けよと戦友の名を呼ぶシンジに。
 刈り入れが済んで黒々とした水面を覗かせている水田の中を貫いて、シンジの元へと続くあぜ道。
 その道の上を両手をだらんと下げて前傾姿勢で歩いて来る人影。
 参号機パペットとお揃いの黒く塗られたプラグスーツ。
 近付いて来るにつれてハッキリと見分けられるようになる容姿。
「……え?」
 シンジよりも少し大柄でガッチリとした身体。
 何とか見分けられる厚めの胸板。
「なんで?」
 全然くびれていない腰回り。
 素肌に密着するプラグスーツが際立たせる、それなりに鍛えられた筋肉。
「どうして?」
 角刈りにされた短い黒髪。
 そして、角張ったゴツイ顔の輪郭と造作。
「どうしてトウジがここにいるんだよ!?」
 思う様にならない表情筋を何とか動かして、シンジに向かって苦笑を見せる黒いプラグスーツ姿の少年。
「ワイでもセンセの手伝いができる思うたんや。話が来た時にはビックリしたで。」
 ──鈴原トウジ。
 疑う余地も無く顔が判別できる距離、おおよそ3mほどの距離をおいて、トウジは歩みをひとまず止めた。
「なんで言ってくれなかったんだよ。」
「すまんのう、センセに心配かけとうなかったんや。もし起動できへんでも生き残れる確率は100%近いと白衣のねーちゃんが保証してくれたんでな。実験に成功してから言おう思うてたんや。」
 そう返すトウジの身体はぶるぶると震え、今にも当人の意志を無視してシンジに襲いかかってしまいそうだ。
 ……殺意をこめて。
「どうした、シンジ。何故戦わない?」
 一向にATフィールドを張ろうとしないシンジを通信越しにゲンドウが問い詰める。
「だって、相手はトウジなんだよ!」
「構わん。そいつは使徒だ! 我々の敵だ!」
 棒立ちで叫ぶシンジに、冷たく言い切るゲンドウ。
「すまん、センセ! 早う逃げてくれ! もう抑えられへん!」
 そして、必死の形相で右腕を左手で抑えつけてるトウジ。
「いいから、やれ!」
 ゲンドウの声が引金になったかの如きタイミングで、トウジの右腕が左手を振り払ってシンジとの間の3mの距離を0にした。
 腕が、伸びたのだ。
 止めようとしていたはずの左手も、同じくシンジへと伸ばされ………首を、絞めた。
「すまん、センセ、すまん。……身体が言う事聞きやがらないんや。」
 ギュウギュウ絞められ、ドンドン青くなるシンジの顔色。
「どうした、そのままではお前が死ぬぞ!!」
 答えは無い。
 首を絞められ、声が出せないのだ。
『男同士なんて……それに、トウジは親友なんだ、たった一人の。』
 頑強な両腕の閂から抜け出そうと足掻くが、シンジの腕力は元々トウジに及ばない。
 しかも、トウジは初号機パペットを一撃粉砕できるほどの使徒の力を身に帯びている。
 シンジの首の骨が未だ折れていないのは、トウジの精神が使徒の殺戮本能を辛うじて抑えてるおかげなのだ。
 だが、その努力も……
 こうして首を絞め続けていれば、もうじき無と化す。
 窒息して息絶える。
 発令所から状況を見て取った男…碇ゲンドウ…は、普段はマヤが座るオペレータ席に着いている女…マリィ・ビンセンス…に命令を下した。
「ダミープラグを起動しろ!」
 起死回生の一手を。
「了解致しましたわ。」
 ついさっき調整が終わったばかりで試運転すらしていないシステムを、マリィはゲンドウの命令一下速やかに起動させる。
 すると、
「システム解放、攻撃開始。」
 トウジの腕を必死に外そうとしていたシンジの両腕はだらんとぶら下げられ、
「擬似コア、支配率逆転。フィールド顕現します。」
 計測器を振り切るほどの超強力なATフィールドが発生した。
「何したんだよ、父さん!」
 一度はぶら下がったシンジの両腕が再び持ち上げられ、今度は前へと伸びる。
 トウジの両の頬へと。
 何時の間にか力を失った首への絞め付けすら利して、シンジの身体はシンジの意志を完膚なきまでに無視してトウジの唇を自らの唇へと導いていった。
『次に来る使徒は、裏死海文書に“天使”でも“御使い”でもなく……ただ“男”とだけ記されていた。これが、それを指すのだとしたら……許せ、シンジ。』
 司令席からそのシーンを見届け、流石のゲンドウにも一抹の慙愧の念が棚上げしていた筈の良心から零れ落ちてきた。だが、歯を食いしばって押し殺す。
 今更後戻りする訳にはいかないのだ。
 彼も、人類も。
 サイは既に投げられてしまっているのだから。

 アカン、アカンて。
 このままやとセンセを殺してまう。
 ワイは勝手に動きやがる自分の両手をセンセの首から外そとするが、中々離れようとしてくれへん。
 それどころか、じりじりと握力を増してく始末や。
 こんなんならいっそ自分で自分の首絞めた方がなんぼかマシや。
 そんな時や。
 ワイの脳天から爪先までビリビリなんかが走りくさったのは。
 首絞めよって頑張って言うこと聞かなかった腕に、いきなり力が入らなくなったのは。
 いや、腕だけやない。
 膝も笑ってるし、腰ももうガクガクや。
 って、おい、センセ。ワイにそんな趣味はないで!
 内心叫ぶが、全然声になってくれへん。
 ワイの頬にセンセの手が添えられると、そこからワイの身体の隅々に何かあったかいモンが流れ込んで来おった。
 そいつが、ワイの身体の中に……あんクソ不味い薬を飲んだ時から暴れくさってる熱いナニカを益々猛り狂わせて、ワイを身体の中から灼き尽くそうとするのや。
 しっかし、何故かは知らんのやが、気分は悪うない。
 センセの顔が近付いて来る。
 綺麗な顔やな。オナゴどもが騒ぐのも無理も無い。
 なんせ、男のワイでさえこんなにドキドキしてるんやさかいな。
 センセの唇の感触がワイの唇で感じられた瞬間、
 ワイは自分が弾けて溶けたんやないかっちゅう衝撃に揺さぶられてもうた。
 身体の芯はゴキゴキと音高く耳鳴りをさせ、
──トウジの骨格は、骨太の男のモノから明らかに華奢な作りに変じた。
 あちこちに肉が、それも脂がつき、
──角張っていた輪郭や体付きは柔らかな丸みを帯びた。
 ただでさえ厚かった胸板は、異質な膨らみを得て更なる厚みを増し、
──2つのたわわな釣鐘型の膨らみは、紛れもなく乳房であった。
 引き換えの如く腰回りはスリムに引き締まり、
──しかし、臀部から続く自然な丸みは維持しつつ。
 手入れも怠りがちの角刈りだった髪は、一挙にその長さを増した。
──腰まで届く長さへと変貌した艶やかな黒髪には、天使の輪すらあった。
 あ〜、頭が重うなってもうたで。
 って、え?
 おかしいで。
 センセの顔がマトモに見られへん。
 せやのに、見ると何だか胸が熱うなる。
 不快やない……いや、何時までも見ていたいような不思議な気持ちや。
 センセの周りのオナゴどもも、こげな気持ちでセンセを見てたのかもな。
 あ、あう……センセがワイの尻の肉を掴んできよったで。
 揉まれる度に小刻みに電気みたいな痺れが走りよる。
 こ、こんなん、ワイの身体やないで!
 いったいどうなってもうたんや、ワイの身体は!
 そんな疑問も、股の間でくちゅりと粘っこい水音がした途端に押し流されてもうた。
 もっと欲しいなんて、ワイが思ったんやないで。
 そんな女みたいな…こと。
 恥ずかしゅうて言える訳無いやんか。
 しかし、そんなこと直ぐにどうでも良くなってもうた。
 ケダモノと化してしもたセンセがワイを地べたに押し倒す。
 ワイの上にのしかかって両足の間に身体をねじ込んできよるが、なんか知らんが上手くいってないみたいや。
 何でや?
 センセの顔に似合わず立派なもんはスーツの生地を押し上げて隆々とそそり立っとる。
 なんでなんや?
 センセは目を血走らせてワイのプラグスーツを破こうとしてるみたいやが、まるで歯が立ってへん。
 なんやろ……このウズウズするというか、欲しいもんに手が届かへん感じは?
 上手く働いてくれへん脳味噌が、ようやっと上手くいかへん原因らしいのを思いついてくれよった。
 そうか、スーツを脱げばええんやな。
 さっきまでようけ身体が動かなかったのが嘘の様に、凄く簡単に左手首のスイッチに手が伸びた。
 プシュウゥゥゥゥゥ…
 音を立てて密着しとったスーツの生地が弛んでく。
 そしたら、思った以上に胸とか尻とか締め付けられてたんがワイにも分かった。
 どうなってもうたんや、ワイは。
 スーツのフィットを解いたら、瞬く間に脱がされてもうた。
 ワイの男のシンボルが綺麗さっぱり無くなってて、代わりに割れ目の線になっとった。
 どうなってしまったんや、ワイは。
 認めとうない答えだけが厳然としてあるが、無視や。
 改めて自分の今の身体を確認して呆然としとった間に、ナニか熱くて凄いモンがワイの身体を引き裂いて侵入してきた。
 ものごっつう、痛い。
 じゅぽっ、じゅぽっ、じゅぽっ、じゅぽっ、じゅぽっ、じゅぽっ、じゅぽっ…
 痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。
 じゅぽっ、じゅぽっ、じゅぽっ、じゅぽっ、じゅぽっ、じゅぽっ…
 ……やけど、半端やなく気持ちええ。
 じゅぽっ、じゅぽっ、じゅぽっ、じゅぽっ、じゅぽっ…
 なんやこれ? 自分でやってた時と……いや、ワイが男やった時と気持ち良いのレベルが比べ物にならんぐらい段違いや。
 じゅぽっ、じゅぽっ、じゅぽっ、じゅぽっ…
 オナゴの身体って、こんなスケベやのか?
 じゅぽっ、じゅぽっ、じゅぽっ…
 って、み、認めてしもた。ワイ…自分がオナゴやと認めてしもた。
 その瞬間、ワイの腹に勝手に力が入ってセンセのモノを肉襞で絞めてしごきだす。
 ずにゅっ、ずにゅっ、ずにゅっ、ずにゅっ…
 あかん、刺激が強すぎや。
 ワ、ワイ…もう我慢できん!
 ずにゅっ、ずにゅっ、ずにゅっ…
 白い光が頭ん中で煌く。
 身体が隅々まで溶けていく。
 ずにゅっ、ずにゅっ…
 センセ……
 ずぬちゃっ!
 もう、何がどうでもええ。
 どぴゅぴゅぴゅぴゅ…
 何かがワイの中で弾けた感触で、ワイの意識は闇に堕ちてったんや。
 抗う術も、抗う気も根こそぎにして……な。

「ダミーシステム停止!」
 戦場に、
「やめてって、言おうとしたのに……」
『もう、終わったんか?』
 少年の啜り泣きが響く。
「パターン青、健在!」
『胸に穴、開いとるみたいに風が哭いとるのにな……』
 発令所に重い沈黙が垂れこめる。
「それさえ、それさえ言わせてもらえなかった……」
『んなに、ワイを抱くのが嫌やったんか? ショックやわ。』
 少年の胸にあった砕けて散った擬似コア。
「嫌だったのに…トウジだから……たった一人の親友だったから、嫌だったのに……」
『なんだ。そうか、それでか。……アホやな、センセ。ホンマのアホや。』
 歪な作り物の上に半端な状態のコアは、ダミープラグの強制力と少年の意志のぶつかり合いに耐え切れず砕けてしまったのだ。
「トウジをこんな身体にしちゃったのは、女の子にしちゃったのは僕のせいだ。」
『ワイがそないなぐらいでセンセを嫌うかいな。見損なうなや。』
 作り物の機械に操られて肉の器を重ねただけで絆は生まれない。
 現に使徒殲滅が成っていないのが、その証拠であろう。
「僕なんかと出会わなきゃ、僕の友達になってくれたんじゃなきゃ、こういう風にはならなかったのに……酷いよ……酷いよ、父さん……。」
 つい三十分前までは男だった女性の胸を涙で濡らし、少年は恨み言を呟く。
 父への、そして、何より自分への。
「くっ…(ようやく声が出てくれたで。アレでここまで声がかれるたぁ自分がヤるまで思ってもみなかったさかいな。)」
 シンジの身体の下敷きにされていた、されるがままに蹂躙されて気を失っていた筈の女性の手のひらが、シンジの頭を優しく撫で始める。
「そない気にするなや。ワイは、センセを殺さず済んでホッとしとるでな。」
 剥き出しの胸の谷間に押し付けられながら、シンジは恥ずかしさで悶える。
「それに……過去形か? ワイは未だセンセの友達のつもりやぞ。」
「だって、僕と…トウジは、その……」
 すっかり綺麗な女の子になった相手をトウジと呼ぶのは抵抗があるのか口篭もるシンジの言外の意味を、トウジは汲み取った。
「まあ、そやな。……せやから、ワイの身体が夜啼きするようになってもうたら、センセは責任を取って鎮めるのに協力してくれへんか?」
 頬を染めて口にする遠回しな頼み。
「え?」
 トウジは既に女の子の要素にどっぷりと漬かり始めていた。
 到底、もう戻れそうにないところまで。
 そこまでの覚悟を持った相手を、
「うん。……いつもは無理かもしれないけど。」
 シンジは常に受け入れていた。
 その時々の精一杯で。
「改めてよろしゅうな、センセ。友達としても、恋人としてもな。」
 返事代わりに重ねられた唇。
 その瞬間、
「パターン青、消滅!」
 第13使徒バルディエルは、殲滅された。
 多大なる犠牲を払い。
 ある少年だった少女の心の中に封ぜられて。



福音という名の魔薬
第拾九話 終幕



 バルディエル戦、終了〜。いや、中々大変でした。
 何がって? ……勿論、今回の使徒っ娘のことっす。
 今回の見直し協力は、峯田太郎さん、きのとはじめさん、【ラグナロック】さん、八橋さん…でした。皆様、大変有難うございました。

☆突発薬エヴァ用語集
 ロストナンバー・チルドレン:対使徒決戦用人体強化薬エヴァンゲリオンを飲んで生き残りはしたが、ATフィールドの展開能力が顕現しなかった為に欠番扱いになった被験者の事を指す。正式なチルドレンを含む生き残りの多くは服用時点で10代前半だった。

 フローティングマイン:石油系燃料を使うエンジンを壊す特殊ガス兵器。

目次 次へ

読んだ後は是非感想を!! 貴方の一言が作者を育て、また奮起させます

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