福音という名の魔薬
第弐拾壱話「ココロのかたち ヒトのかたち」 白と黒と灰色しかないモノトーンの世界。 その中を猛スピードで駆け抜けていた2人の女性は、ある扉の前で立ち止まった。 「……この…先……です。」 第1実験室と銘打たれた扉。 「そうか。」 躊躇いも無く引き開けたカティー・ジーベック少佐は見た。 部屋の大部分を占拠し、流転する極彩色。脈動し、震えているナニモノかを。 この虚数空間の中ですら自分達と同じく色彩を持ち、 時間がほとんど凝固している筈なのに少しずつ確かに広がっているモノを。 「あれが……特異点………」 物質が…いや、存在そのものの意味が歪み捻れて自ら滅びてゆく、そんな煌き。 エヴァンゲリオン四号機になり損ねた、液体でも固体でも気体でも虚無でもあり、同時にそのどれでもない異様なモノ。 死んでいると同時に生きている……しかし、確実に自ら終焉へと向かっているモノ。 ネルフ第2支部をその職員ごと虚数空間の空隙へと崩落させたモノ。 特異点とは、その歪みの中心であり、歪みの原因そのものであった。 「あれをATフィールドで遮断する。その間に他の部分を通常空間に復帰させろ。」 カティーの決断は早かった。 言い切るや否や、自らATフィールドを展開して滅びの空間を隔離する。 エヴァ四号機のなれの果てだけではなく、それに捕らえられている人や物ごと強力な異相空間…ATフィールドで包んでしまったのだ。 「そ、そんな事をしたら……あの中にいる人達は………」 隔離された中にいる右半身だけとか…腕だけとか…足だけとかの身体の一部だけ虹色の煌きに捕まっている人間を見たチカゲは、怯んで手を止めそうになってしまう。 「全員が死ぬよりは良い。早くしろ、時間が無い。」 しかし、カティーの苛烈な叱咤に背を押されて、 「はいっ!」 チカゲが特異点の呪縛から解放された第2支部とその要員を、本来それらがあった場所へと押し戻してゆく。 全てが手遅れになってしまう前に。 強風に逆らって急勾配の坂道を登るが如き道行きの途中、 『……すまない。』 誰かが奥歯を噛み締める音が、聞こえたような気がした……。 戦略自衛隊所属の輸送用ヘリコプター“UH−1J”。 「ありがと。気をつけて帰ってね。」 機体性能が許す限り速く、事情が許す限り早く長野から飛んで来たヘリが第3新東京市の一角にあるヘリポートに着陸した直後、後部座席に乗客として座っていたミサトが自分達を送り届ける任務を果たしてくれた操縦士達に敬礼する。 「「ハッ! ありがとうございます、二佐殿。」」 駐機手順が終わっていた二人は即座に答礼し、副操縦士はわざわざ機体を下りてスライドドアをうやうやしく開く。 10人でも軽く乗れそうなこのヘリに乗っていたのは、ミサトとリツコとマヤ。つまりは松代支部に出張していた連中である。 使徒来襲にかこつけて戦自のヘリをパイロットごと借り、超特急で帰還して来たのだ。 「さて……リツコ、状況はどう?」 足早にヘリを離れエレベータに向かうミサトは、隣に続く相手に尋ねる。 「思わしくないわね。」 「なら急がないと。」 顔を曇らせる親友の表情を伺う手間すら惜しんで、ミサトがエレベータ室の扉の脇にある小さな端末を開いてIDカードを通し15桁の暗証番号を入力する。すると、MAGIの下位端末が監視カメラで本人確認を行なって、ここにいる3人全員がこのジオフロント直通エレベータを使うに不足無い立場だと判断してエレベータ室の防弾扉の錠を開く。 だが、ミサトは気付いていなかった。 実際には、どれほどマズイ事態になってしまっているかと言う事を……。 「シンジくん……」 霧島マナはジオフロントに向かうリニアトレインの線路の上を走り抜けながら呟く。 第13使徒迎撃の為にエヴァ・チルドレン全員が第3新東京を留守にする際、彼女ら使徒能力者は不測の事態に備えて残された。 で、第13使徒を倒して戻って来たかと思えば間髪入れずに第14使徒の襲来である。 「綾波さんも、惣流さんも…大丈夫かな……。」 連戦疲れで不覚を取りはしないかと心配だったのだ。 ちなみに、強力無比な砲撃能力と堅牢な防御能力を兼ね備えたラミエルの使徒能力者である彼女の今回の使徒戦での任務は……避難途中の一般市民を守る事であった。 第14使徒の侵攻速度が早過ぎた為、市民の避難が完了できなかったのだ。 しかし、マナ以外にも戦線投入可能な使徒能力者が総出で守備に徹したおかげで非戦闘員の死傷者は皆無で済んだ。 ……それが実はネルフの首脳部がシンジを説得するまでの時間稼ぎを兼ねるつもりの処置だったのだと言う事情をマナが知るのは、もう少し後の事になる。 マナと同じくシンジの元へ急ぐ他の使徒能力者達と同様に。 「これは…まさか……」 白衣に身を包んだ見た目15歳の少女は、見た目は同年代の助手の女性に手を引かれて発令所へ移動しながら宙を見つめてブツブツと小声で何事か呟いていた。 何やら危ない人の様にも見えるが、さにあらず。 マギ・オリジナルとの直接交信を行なっている最中であるのだ。 《あなたは誰…いえ、もしかして、碇ユイ博士ですか?》 リツコがマギのI/O装置に仕掛けてある自分…というかイロウルの一部を介して、以前マギ・メルキオールを調べた時とは全く印象の異なる存在に話しかけると、笑みを含んだ返事が即座に返ってくる。 《あら、察しが良いわねリッちゃん。流石はナオちゃんの娘さんね。》 今オペレーター席に座ってる娘は騙せてるのにね……と、言わんばかりの台詞だが、マギの主任オペレーターが3人とも営倉入りさせられている現状では、気付けという方が酷だろう。 《リッ…リッちゃんって……》 《いつもシンジがお世話になって…ありがとうございますね。不出来な息子ですけど、これからもよろしくお願いできますか?》 《え…ええ、勿論。……ところで、いつからそこに?》 何となく頭を下げられた気になって、リツコも頭を下げ返す……現実の肉体の方でも。 《つい先程……正確には15分33秒96ほど前からですわ。》 リツコの質問にユイは自分の記憶とマギのタイムカウントを瞬時に参照して答える。 《どうして……》 《シンジの手助けをする為ですわ。それに元々メルキオールは私の人格OSを移植する予定でしたから。データ録りの前に事故起こしちゃったから実現不可能になったはずなんですけど、ナオちゃんが当初の計画通りメルキオールを私の脳細胞で作ってくれていたおかげでどうにかなりましたわ。》 多少は気付いていたが現在調査中で詳細までは知らなかった裏話を直接聞かされて圧倒されかけていたリツコだったが、 《で、今のシンジですけど……とても危険な状態ですわ。》 《なんですって!?》 話がシンジの現状の事に及ぶと気力を奮い立たせて体勢を立て直す。 《私の分析が正しければ、ダミーシステム…肉体と神経を外部から支配するカラクリ…を2度も連続で使われて精神がボロボロになったところに生命力を限界近くまで消耗したせいで、あの子の身体を構成するATフィールドの結合が解けかかって……死にかけているのです。》 第14使徒相手の死闘は、それほどまでにシンジを追い詰めていたのだ。 傍目には圧勝と見えたかもしれないが、S2機関を持たぬ人間があれほどの“力”を絞り出して只で済む筈が無いのだ。 ……例え、常人とはとてもいえない存在となったエヴァ・チルドレンといえども。 《プラグスーツの生命維持機能は!?》 《最大効率で作動中……でも、身体の崩壊を遅らせるので精一杯ですわ。》 回収班が繋いだ外部動力供給ケーブルの助けを借りた擬似コアが高効率稼動で生命維持に専念していなければ、シンジの身体は既に脆くも崩れ去って紅いLCLの水溜りと化してしまっていたかもしれない。 《それで、シンジ君の現在地は?》 《搬送は危険と判断して、現場に機材とテントを持ち込んで治療に当たってますわ。》 徐々に冷静さを取り戻し善後策を脳裏で構築しては試行錯誤を繰り返すリツコに、同じく仮説を組み立てて救命策の検討を重ねているユイが必要と思われる情報を提供する。 《何としてでも、あの子を…シンジを助けましょうね。》 ユイの愛する息子を、 「勿論よ。シンジ君を死なせてなるものですか。」 リツコの愛する御主人様を助ける為に。 リツコは自らの決意を口に出して呟いたのだった……。 アメリカ合衆国ネバダ州…半径89qの真円をした大地の破れ目。 それを突如なみなみと満たした黒々とした何かは、現れた時と同様に突然消え去った。 「What’s!!??」 黒い影が消えた後に虚ろな穴ではなく事故の直前と変わらぬ第2支部の威容がそびえているのを見て、第1支部から派遣されてきている青年士官は吃驚仰天した。 現代科学の常識では考えられないほどの超常現象に見えたからだ。 無人の観測機器だけが据え付けられた穴に黒い何かが溢れ、その中に本部から来た2人の女性が平然と踏み込んで行ったのはおよそ10分前。 それから今に至るまでの間にいったい何があったのか、この青年士官が真実を知る事は遂に無かった。 ただ、ネルフ第2支部が通常空間に復帰する過程の一部始終を外部から目撃した彼の報告は、“ディラックの海”と呼ばれる虚数空間に関する貴重な研究資料として扱われる事となったのだった……。 「ここは……どこや?」 気が付いたら目の前にあったのは、見慣れん白い天井。 窓から差し込む薄明かりを頼りに周りを見ると、広さはワイの部屋よりあるみたいやけど、えらく殺風景な事が分かる。 ……病院やな、多分。 両腕が思い通り動くのを確かめ、あるべき場所とないはずの場所を触ってみる。 「なんや、夢やなかったんかいな。」 生まれてから今日までは…どんだけ寝てたか分からんから昨日かもしれんのやが…確かにあった男のシンボルは消え、代わりに女のワレメに変わっとった。 そして、胸には片手では掴み切れない程の大きさのええ弾力の膨らみがくっついとる。 ここまで証拠が揃っとったら認めん訳にいかん。 ワイが本当に女になってしまったって事を。 「ワイ……明日からどうやって暮らしてけばええんやろな……。」 ポツリと漏らした途端、大事な事に気が付いた。 「そうや、シンジや。センセに会わな。」 ガバッと起き上がってベッドから降りると、足の裏にひんやりとした感触がする。 しもた。何か履くもん探さんと。 それに気付くと、自分の今の格好にも気付く。 どう見ても病人用のパジャマや。 これで出歩くのは嫌やな。……何かあらへんやろか? 色々探しとったら、服は見つからへんかったが看護士さんの呼び出しボタンが枕元にあるのを見つけた。 用がある時はこれで呼べばええんかいな? そそくさとベッドの中に戻ったワイは、早速ボタンを押した。 看護婦さんが服だけやのうて、センセが今えろうヤバイ状況やって知らせまで持って来るとは露程も知らへんで……。 ネルフ本部・中央作戦司令室。 「被害状況を報告しろ。」 その発令所では、総司令の碇ゲンドウ特将が日向マコト一尉に第14使徒戦における被害についての集計報告を求めていた。 「はい。最大径300mの縦穴がジオフロント天蓋部に開いています。そこにあった兵装ビルは全壊、ルート16、18、23番が使用不能。ただし、人的被害はありません。」 ゼルエルと名付けられる事になった第14使徒の攻撃は、使徒との戦闘時には無人となる市街地中心部に集中していた。 使徒が迎撃に出た有人の戦闘車両や避難シェルターを無視して侵攻した事も手伝い、今回は人命に関る被害が奇跡的にも発生しなかった。 ……唯一、碇シンジという少年を除いては。 「そうか。現状は?」 次なるゲンドウの問いには青葉シゲル一尉が答えた。 「開口部周辺に保安部第2中隊を配置、現場を封鎖しています。施設部の工作班が応急処置を開始していますが、封鎖を解除できるまでには最低1週間はかかる見込みです。」 下手に近寄って穴に落ちたらまず助からないだろうし、スパイやテロリストの侵入口にされる事も有り得る。封鎖は当然以前の処置であった。 「ファーストとセカンドは?」 現状報告にエヴァ・パイロット達の安否情報が出て来なかったので、ゲンドウは改めてはっきりと指定して訊き直す。 「あ、はい。2人とも回収班がネルフ中央病院に収容してます。報告に拠れば外傷は非常に軽微だそうです。」 すると、普段はマヤに任せてる分野なのでつい失念していた日向が慌てて報告する。 ただ、サードチルドレンについては言及しない。 既に今打てる最良と思われる手は打ったし、先程まで色々意見が飛び交っていたので改めて議論する必要性が無いのだ。 ……新規の良策が期待できるならともかく。 「他には?」 「特にありません。警備態勢も平常体勢に移行しています。」 当座報告すべき情報を言い終えた青葉をチラリと見てから、ゲンドウはいつもはマヤが座っているオペレータ席に着いている少女へと目線を移す。 「ビンセンス博士、マギへの侵入者の身元は割れたのか?」 すると、その少女……マリィ・ビンセンスはキーボードの上をめまぐるしく行き交う指を休めもせず、振り返りもしないで答える。 「いいえ。残念ながらまだですわ。」 呪詛でも漏らしそうなぐらい心底悔しそうな声で。 どんなに心当たりを調べてみても、その全てが“シロ”なのだ。 だが、それも仕方ないのかもしれない。 マギ・オリジナルに外部から侵入するのに今回使われた手段は普通のシステム・エンジニアには絶対に感知できない生体コンピュータと生体脳との間の“双子の共鳴”現象を利用した一種のテレパシーであるし、このマギと付き合いの浅いマリィには表層的な反応の裏に潜んでいる微妙な個性というか癖を判別する事は非常に困難である。 故に気付かなかった。 先の使徒戦の折り、マギ・メルキオールが乗っ取られて、シンジの精神を苛み肉体を操り人形にしようとしたダミープラグ・システムのプログラムを消去され、電磁カタパルトでジオフロントからシンジを脱出させられそうになった手段を。 そして、今現在もその支配が続いているのだと言う事を。 「司令、マギを自己診断モードに移行してよろしいでしょうか?」 「きょ…」 マリィの徹底究明の構えをゲンドウが承認しようとした時、発令所に3人連れが駆け込んで来た。 「お待ち下さい。」 その中の1人、白衣の少女が一段高い位置にある司令席を見上げて声を張り上げた。 「赤木博士か。……何だ?」 ゲンドウは入室して来た3人が誰か横目で確かめ、何故止めたか問い質す。 何故ここにいるかは訊かない。 彼女らがシンジの現状について情報を得たなら、すっ飛んで来るのは明らかだからだ。 「マギは現在、正常稼動中です。自己診断モードにせず、サードチルドレンの救命策を最優先で検討させた方が良いと思われます。」 「……君か?」 淡々と告げられた理由に、ゲンドウは侵入者の正体の心当たりの一つに思い当たる。 リツコが何らかの手段でマギに介入したのではないかと。 開発者である赤木ナオコ博士が亡き今、その娘のリツコがマギの第一人者である事実は疑いようも無く、彼女であれば他人に気取られずにマギとアクセスする裏技の一つや二つ隠していたとしても確かに不思議ではない。 「ご想像にお任せします。」 しかし、ゲンドウは気付いていなかった。 今のマギ・メルキオールには、愛する妻ユイの心と魂が宿っているという事を。 「よかろう。席に着け。」 マヤがマリィと入れ替わりでいつものオペレーター席に着き、 「青葉君、技術1課にCセットを持って来るよう要請して。」 リツコはマヤの後ろに立って青葉に機材調達を要求する。 ……見た目では10歳は若い少女に命令された青葉は、若干の違和感を覚えながらも即座に復唱し、仕事にかかる。 「マギの主任オペレーターの職場復帰を要請します。」 「好きにしろ。」 更に人材の穴を塞ぐべくリツコが要請した手段を、ゲンドウが即答で許可する。 「使徒能力者全員に可及的速やかに集まるよう連絡して。集合場所は本部ピラミッド出入り口前。バスをそこに手配しといて。」 一方、ミサトの方も自分でも可能な手を打ち始めていた。 「了解。パイロット両名への連絡はどうします?」 「いちおう連絡しといて。で、動けるようなら迎えを出して。」 日向の反問に追加の指示を出し、ミサトも他にも何かできる事が無いか、やるべき事は無いかと考え込む。 戦闘中にも勝る緊張感が、発令所を……いや、司令室全体を制圧して行く。 いや、非常事態宣言が解除されたせいで忘れかけていた人間もいたようだが、ネルフ本部は今まさに戦闘中なのだ。 第3使徒戦以降、最も深刻で厳しい戦闘の。 「ビンセンス博士ね?」 次いでリツコはさっきまで座っていた席を追い払われ、次の仕事も与えられず棒立ちしている少女に声をかける。 「ええ。そうですわ。それが何かしたんですの?」 見た目では同年代の相手に敵愾心にも似た激しい対抗心剥き出しで刺々しく訊き返すマリィにリツコは余裕ある微笑みを返し、 「機材が届いたら、あなたにも手伝って貰うわ。それまで休んでて良いわよ。」 そう言い捨てて目蓋を閉じ、表情を引き締めた。 マギ・メルキオール……いや、対使徒決戦用人体強化薬エヴァンゲリオンの最高権威である碇ユイと共に、シンジを助ける為の計画を検討するのに専念する為に……。 「な、なんだ!? 何が起こった!?」 ネルフ第2支部。 「エヴァ四号機はどうした!?」 その第1実験室。 「ひ、ひいっ!」 ちょっとした運動場ほどもある大きな部屋の真ん中にあった筈のモノが、その辺りの天井や床ごと一切合財跡形も無く消え去ったのを見て悲鳴が上がり、 「マーク! おい、マーク! どこだ!」 「ジョン! どこなの、ジョン!」 綺麗な球を描く消失領域の境界線に分断され、残された人体の部品の持ち主を……あるいは消え去った人を必死で探し呼ばわる金切り声が満ちる室内。 ネイビーブルーの士官服に身を固めたカティー・ジーベック少佐は、ネルフ職員用の制服を着た矢矧チカゲを左手で抱き支えつつ、そんな修羅場の中で毅然と立っていた。 エヴァンゲリオン四号機の精製失敗による混乱、この場の中心メンバーが消えた事による統率の乱れ、主観的には僅かな時間ながらも虚数空間の異質な法則に晒された影響…などによってパニックに陥った実験室の中で1人泰然と状況を見極めていた彼女はとても目立ち、いつしか部屋中の人間の注目が彼女に集中する。 「誰だ!」 技術系職員の1人が誰何すると、カティーは落ち着いた声音で答える。 「ネルフ本部戦術作戦部の部長カティー・ジーベック少佐だ。ネルフ第2支部で発生した事故の調査に来た。」 明らかに落ち着いている自分より上位の人間の存在は、喧嘩してる猫の頭からバケツの水を浴びせた如くパニックに陥っていた連中をあっさりと沈静化させた。 「負傷者の手当てを急げ! 現場の状態はできるだけ現状維持、実験データの記録は細大漏らさず保存しろ! 支部長かそれに準じる者に現状を報告、指示を仰げ!」 聴衆の頭が冷えたらしいのを見計らって矢継ぎ早に出された命令に、生き残りの職員達は唯々諾々と従った。 本来アメリカの研究室は自主性や気概が豊かな筈なのだが、惨事を目の当たりにした直後だけに些か頭の切れ味が鈍っていたのだろう。 適切な指示でキビキビ動き出した職員達を見守っているカティーの携帯電話が前触れも無くブルブルと僅かな時間震えた。 着信音どころか振動による告知すら切っているカティーの携帯電話がこうして震えたと言う事は、無視できない相手からの連絡だという意味である。 そこでカティーは急いで携帯電話を取り出し、液晶画面を確認する。 そこには、ミサトからの電子メールが到着した旨が記されていた。 『ラスベガスで遊び過ぎないようにね。』 という文面の。 勿論、暗号である。 「後は任せた(調査は途中だが、仕方あるまい。)。」 そう言い残し、カティーは第2支部を通常空間に復帰させるという大仕事をした疲労で眠っているチカゲを抱き上げて第1実験室を去った。 第2支部の支部長に掛け合って最寄りの空港まで行く為の連絡機と日本へ帰る為の飛行機…できればSSTO…を手配して貰う為に。 「初号機パイロットの予定外の覚醒。」 いずこかの闇の中、 「エヴァシリーズでは使える予定ではない筈の光翼の展開。」 不気味に光る七つ目の象徴が見守る中、 「我らゼーレのシナリオとは大きく違った出来事だよ。」 卓に着いている5人の老人は、 「この修正、容易ではないぞ。」 ゼルエルと名付けられた第14使徒と初号機パイロット…シンジとの戦闘の模様を写した記録映像を前に口々に意見…いや、文句を並べ立てていた。 「碇ゲンドウ、この男にネルフを与えたのがそもそもの間違いではないのかね。」 ついには、こんな意見まで飛び出すぐらいに。 「だが、あの男でなければ全ての計画の遂行はできなかった。」 しかし、客観的に見てゲンドウ以外にネルフの総司令が務まる人間がいないのも事実。 ゼーレに所属するメンバーに、ゲンドウに代わってネルフ総司令の激務と責務を担える程の力量と覚悟を持つ人間はいないのだ。……彼ら人類補完委員会の委員ですらも。 それは全員が分かっているのか、判断の誤りを糾弾する声は途切れた。 ただ、 「碇……何を考えている。」 一応の弁護をした議長のキールも不審を漏らすほど、今回の件は衝撃的だったのだ。 サードチルドレンが自在に光翼の力を使えるようになれば、ゼーレが予定している人類補完計画の障害になり得る可能性があったからだ。 「だが、事態は初号機の問題だけではない。」 「さよう。初号機パペットと弐号機パペットの大破、零号機の破損、本部施設の損壊…被害は甚大だよ。」 第13使徒バルディエルと第14使徒ゼルエルの戦闘能力と襲来間隔を考え併せれば奇跡的なまでに少ない被害ではあるのだが…… 「我々がどの程度の時と金を失ったか見当もつかん。」 それでも、この老人達には不満だったようだ。 最近の使徒撃退は費用が予定よりかなり安く上がっていたので、すっかり要求が贅沢になっているらしい。部下に試算させた結果よりも大幅に安価な費用と少ない犠牲で撃退しているにも関らず、このような発言が出て来るぐらいに。 「これも碇の首に“鈴”をつけておかないからだ。」 そして遂に議論は監視員の人選にまで及んだ。 「日本政府は“手綱”に任せて、“鈴”を碇につけておくべきだったな。」 「“笛”ならついていた。ただ鳴らなかっただけだ。」 ちなみに“笛”と言うのは、ネルフ本部職員や第3新東京市民に紛れて監視任務に就いているゼーレ直属の特務監査員24名の事を指す。 「鳴らない“笛”に意味は無い。今後は“鈴”も碇につけるとしよう。」 そして“鈴”とは…… 「いやはや、この展開は予想外ですな。委員会…いえ、ゼーレの方にはどう言い訳するつもりですか?」 この男、情報屋にして工作員である加持リョウジの事を指すコードネームであった。 ただ、彼はゼーレ子飼いのスパイと言う訳では無いのだが。 「初号機パイロットは我々の制御下に無かった。これは不慮の事故だよ。」 紅い照明が照らす薄暗い司令公務室で密談している3人の男達のうち、冬月が加持の質問に答える。 「よって暴走の一因と思われるダミープラグ・システムは凍結、別命あるまでは…だ。」 続けてゲンドウが簡潔に今後の方策を述べる。 「サードチルドレン、いえ御子息のエヴァ能力が失われても良いと発言なされた事が問題視されていますが……。」 「“計画”は予備に移行する余地があるが、使徒能力者に反旗を翻されてはネルフごと潰される危険が高い。それを防ぐ為の手段だ。」 表情筋一つ動かさないで淡々と答えるゲンドウの本心は、加持の眼力でも見通せない。 「それに、本部職員に不信感を持たれていては今後に差し支える。あれのおかげで後の処置がかなり楽になったよ。」 しかし、冬月の補足も含めて、悪くない処置だとは加持も認めていた。 ……裏面の意図がどうであれ。 「で、今後の計画についてはどうします?」 そこで次なる質問を切り出した。 「“計画”は今まで通りサード主軸で進める。実行面での改善案は現在策定中だ。」 「しかし、御子息は未だ危篤とか……。」 「問題無い。いざと言う時はアレを使う。」 顔色も変えずに言い放ったゲンドウの台詞に、冬月の顔の方が蒼くなる。 「ま、まさかアダムを使う気か!? 今、そんな事をしたら……。」 「シンジが死ぬよりは良い。冬月、その時は後を頼む。」 血相を変える冬月と対照的に、ゲンドウは淡々と覚悟を述べる。 これが迫真の演技であれば、2人とも稀代の役者として大成できるだろうほど濃密な緊張感が広大な司令公務室に満ちる。 「最後に……“あなた方の”人類補完計画の目的とは?」 訊く必要があるのは、これが最後の事だと真剣な目で両者を見据える加持。 「人類が生き残る為……そして、ユイに会う為だ。」 ゲンドウはその視線を真正面から受け止め、言う。 「分かりました。補完計画のケリが着くまでなら協力しましょう。……全面的にね。」 サングラスで隠された瞳の熱き炎を読み取り、加持は今後の協力を約す。 自らが生き残る最善の道が、ここにあると信じて。 天地が宵闇に沈む頃、ジオフロントもまた暗闇に包まれていた。 ぬばたまの夜闇に浮かぶ幾つかの灯りの一つ、風雨を遮る大きな天幕の真ん中に敷かれた銀色のサーマルブランケットの上に、一人の少年が横たえられていた。 第14使徒との戦いで力尽きて倒れたサードチルドレン 碇シンジが。 シンジの身を包む胸や肩は白いプロテクター、それ以外は青い生地の特殊防護服…プラグスーツの胸についている小さな半球状の部品……擬似コアは全力稼動しているのを誇示するが如く淡い紅に光っている。 しかし、生命維持システムが懸命に働いているにも関らず、シンジの意識は一向に回復せず、それどころか手足の先からはオレンジ色のLCLが雫となって滴り始めていた。 身体の崩壊が徐々に始まってしまっているのだ。 「もう一刻の猶予も無いわ。みんな、良いわね。」 ミサトの念押しに、次々に首肯する面々。 「関係者以外の退去は終了してるわ。」 天幕の近くにいるスタッフは厳選され、それ以外の人間は近づく事すら禁止された。 「この場に集まっていない人も、2人以外は本部で待機してます。」 この場に居るのは15人。 米国からの帰途にあるカティーとチカゲを除く使徒能力者10人、綾波レイ、そして志願者から選抜した現場で各種機器を操作する要員が4人。 その全員が女性であった。 しかも、若くて美しい。 当然ながら作為的な人員配置である。 「では始めるわよ。準備ができた娘から順番にシンジ君に“乗って”呼びかけて。」 リツコが号令すると、皆一斉に自分自身の身体を弄り、慰め出した。 愛しい少年をじっと見詰めて。 「呆れましたですわ。本気でこんな手段を使おうだなんて……東洋の魔女とまで言われた才女の名が泣きますわね。」 一心不乱に秘窟を濡らそうとしているが、いつも感じている少年のATフィールドの後押しが無いせいで勝手の違いに戸惑うリツコ達を見て、マリィが小声で呟く。 「元はと言えば、アンタが余計なモンを作ったのが悪いんでしょうが!」 それを聞き咎めたアスカが、自慰の手を止めてマリィを指差し糾弾する。 まだサラサラの汁がアスカの右手人差し指からポタリと滴る。 「アスカ、それより碇君を助ける方が先よ。」 僅かに熱のこもり始めた声でマリィに踊りかかろうとしたアスカを止めたヒカリは、動きを止めていなかった手で自らの肉芽の薄皮を剥いた。 「ちっ、確かにそうだわね。」 こんな小物にかかずらってる暇なんか無いと、アスカも地べたに座り直して股間と胸に手を伸ばす。 「にしても…やり難いわね。さっさと起きてアタシを見なさいよ、バカシンジ。」 少しばかり心配混じりの愚痴をこぼしながら。 ここ……どこだろ…… 水の中を漂っているような、フワフワとした頼りなさ。 何処にも足の踏み場が無い、何処にも手がかりが無い。 そんな、心もとなさ。 それに……手足が段々冷たくなって力が入らない。 父さんに捨てられた、あの時みたいに。 はちきれそうに脈打ってた鼓動も、さっきから聞こえてこない。 周りを見たくても目蓋が重くて開いてくれない。 死ぬのかな……このまま。 このまま死んじゃうのかな? やだよ、せっかく楽しいこと見つけたのに。 大事な人達と出会えたのに。 おいていっちゃうなんて…… さよならなんて…… あんまりだよ…… 滲んだ涙を拭おうと腕を上げようとしたけど、ピクリともしてくれない。 代わりに走った激痛はほどなく鈍痛に変わり…… そして、何も感じなくなった。 腕が動かないだけじゃなく、腕があるって感じがしないんだ。 しかも、その感じが少しずつ…少しずつ足下からもじわじわと這い登って来る。 最初は正座した後みたいに痺れて……だんだん何も感じなくなっていく。 みんな……ごめん。 どうやら、助かりそうにないかも…… なんか、寒いや…… ごめん…… でも、もう良いよね? 「シンジ君!」 もう良いよ…ね? え!? 濡れた感触が勃たせた僕のモノが、湿り気を帯びたキツイ何かに咥えられたみたいだ。 え!? 何が、何が起こってるの? 「しっかりして、シンジ君。」 何かと…いや、多分、誰かと繋がってるだろう所から暖かな何かが流れ込んで来る。 それに……遠くから聞こえるこの声……リツコさん? 「シンジくん、死なないで。」 この声はマナ? それに、このお尻と絞め付けの感触もマナだ。 「碇君、頑張って。」 これはヒカリの声だ。何とか薄目を開けられたけど、全然何も見えない。 「おにいちゃん、しなないで!」 ハルナの泣き声。……そんな声で泣かないでよ、ハルナ。 「シンジくん……」 「今度は私達が助ける番です。」 スズネとコトネの真剣な声、それに濡れた秘唇が収縮する刺激。 「御主人様……首輪が無くてもシズクは…シズクは御主人様の奴隷です。」 僕の身体の上に振りかけられた熱い飛沫が、僕の身体の芯を凍えさせていた寒さを追い払ってゆく。 「シンジ君、負けないで!」 マヤさんの美肉が僕のモノを扱き上げ、マヤさんから流れ込む想いが手足の痺れを軽くしていく。 「こら、バカシンジ! 死んだりしたら承知しないから!」 アスカの悪態と一緒に胸に滴ってきた雫はなんだろう……え? 涙? 崩れそうになった身体の両脇を抱えられて運ばれてったアスカの顔は、確かに何かで濡れてぐちょぐちょになっていた。 「センセ……ワイにはセンセが必要なんや。頼むさかい、死なんどいてや。」 元の顔の面影がほとんど残って無い美少女になったトウジが……変身したとこを直で見てなかったら別人だと思うぐらいの美少女が、恥ずかしそうに僕のモノの上に座って極みに達してしまう。 「シンジ君、あなたが死んだら泣く子はこんなもんじゃ済まないわ。だから、しっかり生きなさい。」 ミサトさんの励ましが、両腕の感覚の無さを押し戻してゆく。 「碇君、私はアナタのモノ。この心も命も碇君のモノ。」 綾波と繋がった場所から押し寄せる想いが、止まっていた僕の鼓動を再び響かせる。 でも、まだ動けない。 あはは……おかしいや。 こんなにしてまで尽くしてくれる皆を抱き返したいのに、腕が…身体が動かなくて泣きだしたいはずなのに…… なんで、頬が緩んでるんだろ? 「まだ足りない……か。至急本部に応援要請! 待機してる娘を寄越させて!」 僕の意識はそこでとりとめを無くし、まどろみの中をたゆたった。 代わる代わる寄り添ってくれる暖かな重みを感じながら……。 それから3時間…… シンジと通じた事がある100人近い女性達が、長時間の高効率稼動で流石に劣化した擬似コアの生命維持機能の低下分を補うべく情交を重ねるという不断の努力の結果、一時は脳死まで秒読み段階だったシンジの容態は辛うじて小康を保っていた。 ただ一度の交わりだけで、彼女らを疲労困憊で寝込ませながら。 もっとも、生命に関わる程の疲労では無いが。 「くっ……まだ……足りない……か……。もう少しっぽいのに……。」 身を起こすのがやっとのミサトを含め、現在意識を保ってる人間は多くない。 あくまで機器の操作と参加者の介助に徹しているマリィ、サツキ、アオイ、カエデの4人の他は、マナとアスカが何とか話ができる程度で、後の人間はのしかかる疲労で昏睡状態と言って良いほど深い眠りに落ちていた。 「残るは3人……彼女らで駄目なら、また私がやるしかないか。」 言う事を聞いてくれない右手に力を込め無理矢理動かそうとするが、今のシンジの相手を2度もやってしまったせいかピクリとも動かない。 これで作戦失敗かと気を揉んでいるミサト達の耳に、頼もしい声が届いた。 「済まない、遅れた。」 「お、遅いわよ……アンタら……。」 か細い息で文句をつけるアスカの霞む視界の中に、新たな援軍2人の影が映る。 「文句は…後よ。作戦の…要旨は……分かる?」 切れ切れに訊ねてくるミサトに、カティーはテントの中を見回して状況を確認してから静かに首を縦に振る。 「そう……じゃ、さっそくお願い。あの娘達が時間を稼いでくれてる間にね。」 カティーは、白い単衣をはだけさせ…太い肉の剛槍に自ら貫かれ…騎乗位ではしたなく乱れながら思いの丈を必死に訴えかけている少女を見据えつつ、大きく肯いた。 少年が発する周り全てを優しく包み込む、あの不可思議な心地良さの後押しは今回期待できない。ただ、自分の内にある愛しさだけを頼りに、自分の身体を少年と……シンジと交わる事のできる状態を整える。 服を脱ぐ手間などかけない。 慣れぬ手付きで着衣の上から下着の奥を刺激すると、身体が想いに応えてどんどんと準備を整えるべく湿った音を立ててゆく。 「そろそろよ。」 ミサトの注意で少年を見ると、とうとう最後の一人……白石ミズホの柳腰がシンジの上で舞っていた。 「いってくる。」 カティーは湿って貼り付くショーツをタイツごと膝まで下ろして、一向に濡れてこない股間の秘唇と肉芽を必死で弄ってるチカゲに一声かけてから立ち上がる。 わずか5歩。 それだけの距離を縮める間に、ミズホはぐったりと力を失った身体をサツキとアオイに支えられて運ばれて行く。 そうして空いた場所……少年の下半身を跨いで、カティーは膝立ちになる。 位置を合わせ、ゆっくりと腰を降ろす。 ぬぷっ ここ数時間、渇く暇も無く攻められた肉の凶器が下腹を割り裂き、押し広げる感触が彼女をうめかせる。 カティー自ら呼び起こし育てた肉欲の熾火が愛しい少年と繋がった事で激しく燃え上がり我を忘れさせようとするが、何とか踏み止まって作戦を継続する。 想うは少年のこと、シンジをどれほど求めているかと言うこと。 それだけを頭の中で念じ、カティーはやっとの思いで囁きを咽喉奥から絞り出す。 「良く頑張った。だが、生きて欲しい。我々の為にも。」 シンジを案じ、いたわる言葉を。 言い終えるのを待ちかねたかの如く跳ねた白い肢体は、すっかり回収班と化した2人の腕に引き取られた。 「シンジ……様……」 使徒っ娘最後の一人、ペットの矢矧チカゲはおぼつかない足取りで立ち上がる。 いまや満座の期待を背負ってしまった有様で。 引っ込み思案の彼女には酷な舞台へ。 それでも、最愛の飼い主の下へとふらふら近付いて行く。 自分の前に100人近い乙女の愛液を吸ってテラテラ光る黒く太く長く固い肉槍を熱い視線で憑かれたように見詰め、自分の前の順番の人の方法を真似、腰を少年の上に降ろしてゆく。 ただ違うのは、ほとんど濡れていない下の唇を自ら両の手で開いていること。 ギチィッ! 肉と肉が擦れる音を立て、今までの交合でたっぷり潤滑油を塗されていた黒々とした凶器は清楚なピンク色の肉穴へと突き刺さった。 「くっ……うっ……」 歯を食い縛って激痛に耐え、それでも滲む涙と共に心の中で育てた想いを滴らせる。 「シンジ様……死なな…いで……捨て…な…いで………お願…い……」 彼女の下で苦しげに呼吸する少年……彼女の唯一絶対の飼い主であるシンジへ届けと。 静寂がテントの中に満ちる。 粘膜と粘膜を擦る湿った水音さえ絶え。 緊張がテントの中に満ちる。 嵐の前の予兆、そんな雰囲気がゆっくりと高まってゆく。 弓弦が引き絞られてゆくが如き張り詰めた空気は、遂に頂点に達し、解き放たれた。 「来るっ! くうっ!」 逆巻く怒涛となって。 「な、なに? あうっ!」 ほとんど物理的な圧力を感じさせるほどの心の津波となって。 「これ……シンジく…んっ!」 なみなみと注ぎ込んだ生命エネルギーが、器からこぼれ濁流となって襲いかかる。 「こ、こんな…こんなことって……あ、あうっ…あるんですの?」 シンジを支えようとしてくれた皆の…疲労で倒れて眠る無防備な身体へと。 「あ…あああああああっ!!」 シンジのATフィールドが、 「いやぁぁぁ! 落ち…落ちるぅぅぅぅ!」 乙女達から注ぎ込まれた生命エネルギーを注ぎ返し、互いの間で循環させ始めた。 静寂に満ちていた体育館ほどのある巨大なテントの中は、スピーカーなんかなくてもq単位で離れている本部施設まで届くのではないかというぐらい大きな絶叫に包まれた。 喜びの 歓びの 慶びの 悦びの とてつもなく突き抜けた快感が、 瞬く間に本能を満たし、心を和ませ、身体を充足させてゆく。 「心配…かけて……ごめん。」 シンジの囁きがここにいる全員の耳に届くと、この場にいたほとんどの女の子は健全で満ち足りた眠りの園へと、とても不健康な手段で送り届けられた。 牝の放つ甘い芳香を天幕から溢れるほど立ち昇らせて。 「信じられないですわ。こんな茶番で本当に回復しただなんて、悪い冗談ですわ。」 シンジの生命維持システムやテント内の空調などを現場で調整していた関係で一部始終を見守っていたマリィが、全身を侵す甘やかな痺れと心の芯を凍らせる疎外感に悪態を吐く事で何とか抵抗する。 「あら、私は合理的な方法だと思ってるけど? 東洋の房中術の手法を参考に私達の生体エネルギーを注ぎ込み、同時に呼びかける事で崩壊しかかっていた自我境界線を修復したんだから。」 シンジから逆流してきた生命力のおかげで意識を回復したリツコが、マリィの悪態を聞き咎めて反論する。 見解の差は、そのまま知識量の差でもあった。 そして、今現在の思考の明晰さの差でもあった。 自らATフィールドを展開できない為に正式なナンバーが与えられなかったロストナンバーとはいえど彼女もエヴァ・チルドレンである事には変わらず、シンジが展開した強烈極まりないATフィールドは、マリィの意志など無視して全身の細胞ひとつひとつを悦楽の錐で刺し貫いてゆく。 快楽の波に身を任せ慣れ親しんでいる者と、快楽の波を拒絶しようともがく者。 両者の差は、そこにも起因していたのだ。 「くっ……(そんな……私が劣っているというのですの!? 私が失敗作だから!? 要らないヤツだって廃棄処分にされてしまうと言うのですの!? この私が!)」 また、更に悪い事もある。 マリィ・ビンセンスが獲得したエヴァ能力は……明晰。 思考速度を加速し、一度見たものを写真の様にハッキリと記憶し、複数の複雑怪奇な方程式を同時に解析できる……そんな能力である。 つまり、ことここに至ってしまえば、何かを考えるだけで全身を快楽の炎で炙られてしまうというチェックメイト寸前の状態なのだ。 勿論、こんな状態でいつもの頭の回転が維持できる筈も無い。 『み…認める訳に…は……いきませんですわ。……認め…る……わけ…に……は………』 ほどなく腰まで素直に伸びる亜麻色の髪を振り乱してうずくまり、浅ましくいやらしい雌犬同然にオスを求めて吠え声を上げないよう唇を噛み締めるのが精一杯な有様にまで追い詰められてしまった。 逃げ道は、もう無い。 『役に…立つと……認めさせ…ないと………捨て…捨てられて…しまうですわ……』 いや、彼女とは段違いの力を持ち、彼女が作ったダミープラグの支配を跳ね返したシンジに興味を持ったマリィが、シンジの救命任務のオペレーターに志願してしまった時、致命的な罠に自ら飛び込んでしまったのだとマリィはようやく悟ったのだが、もう既に遅過ぎた。 じわじわと脳髄を犯す圧倒的な性的快楽と、 輪の外から他人の幸せそうな様子を見せつけられる強烈な疎外感。 この二つが、 この二つだけが、 マリィの思考を染めてゆく。 甘い臭気を放つ肉の絨毯と化した中で、一人また一人と快楽に屈し全身を弛緩させ上下の口からよだれを垂れ流してイく。 それは、マリィ同様ここまでは部外者だった他の3人……マギの主任オペレーター達もそうだった。 3者3様の艶姿を晒し、恍惚とし、気絶していた。 シンジどころか誰にも許した事が無い身体に惜しげも無く浴びせられた快楽の波で。 そうして次々と脱落者が出れば、曲りなりにも意識を保っている者の姿は目立つ。 展開されたシンジのATフィールドに包まれて玩弄されていないにも関らず、苦しげに喘ぎ悶えてうずくまっているマリィの姿は、その中でも特に目立った。 「具合、大丈夫? 熱は無い?」 とてつもなく察しの悪い事を抜かして額に当てられたシンジの掌が、次々襲い来る淫らな波の“余波”をどうにかこらえていたマリィに止めを刺した。 「あっあぁああぁあぁあぁああぁああっ!!!」 プッシャァァァァ… 漏れ浴びた余波ですらも瀬戸際ギリギリまで追い詰めていたというのに、その発生源というか元凶が直接触れてただで済む筈も無い。 潮を噴きつつ失禁したマリィの身体はフラリと前へ倒れ込む。 大きな態度に似合わぬシンジより心持ち小柄な身体がシンジの胸で抱き止められると同時に、己を見失って迷いかけた心も抱き止められる。 「あ……」 シンジの心の壁、心の聖なる領域…ATフィールド…に抱き止められ包まれた事で、マリィは即座に理解する。 『これが、サードチルドレンの……本当の“力”だと言うのですの?』 性的興奮や快楽を与える“力”なのではなく、それは単なる副作用の現れの一つに過ぎないのだと。 先程までいやらしく悶えていたのが嘘の様に澄んだ思考で、 捨てられると騒いでいた心が借りて来た猫の如く静かに落ち着いて、 マリィは心ごとシンジの腕に快く身を預けていた。 身を離そうという発想は、もはやマリィの脳裏に全く浮かんでこない。 代わりに浮上してきたのは…… 『抱かれているだけでもこうなら、まぐわってみたらどんなことになるんですの?』 淫欲の証を噴き出してスッキリしていたはずの下半身の焼けぼっくいに再び点った熾火が新たな蜜で花園を潤し、落ち着いたかに思えた精神を再びピンク色の波で汚染する。 「ほ、ホントに大丈夫!?」 慌て心配してくれる少年の…シンジの優しい声が心の傷に治療薬をふりかけると、堪え難い渇望がマリィの中に湧き出し、少年にすがりつかせる。 「お医者さん呼んだ方が良い?」 この後に及んでも、この場であってさえもこういう発想が先に立つ少年に微笑ましささえ覚え、マリィは快感に歪んだ顔の表情にも可能な限りの微笑を浮かべる。 「結構ですわ。それより……」 妖しい微笑を。 「……私を好きにしてもよろしいですのよ。」 「え?」 シンと静まり返る世界。 こうまで言っても気付かないほど鈍なのかとマリィが苛立ち始めるぐらい長い間凍りついていたシンジは、唐突に目を見開いた。 「え!? ええっ!? どうして、そんな!?」 どうやら、いきなりの急展開に言葉が脳に届くまで時間がかかってしまったらしい。 「好きに……って……僕が言うのもなんだけど、自分は大事にした方が良いよ。」 シンジの素直で真摯な心配の言葉は、実験動物か役に立つ道具としての扱いしかされてこなかったマリィに眩し過ぎるほど眩しく、衝動をより強く後押しする。 「私があなたに好きにされたい……いえ、抱かれたいのですわ。」 誘う余裕も尽きて逆に誘うマリィに、シンジは説得を諦めた。 そして、訊く。 「名前、聞かせてくれるかな? 僕はシンジ…碇シンジ。」 最低限これだけは訊いておきたい事を。 「マリィ…マリィ・ビンセンスですわ。」 言い終えるやいなや柔らかな唇を重ねていったマリィは、その唇を悪戯な舌で割り開かれて官能の奈落のとば口に落し込まれた。 処女地に望んで迎え入れた征服者に胎内の隅の隅まで白く染め上げられ、心の奥底まで支配される甘やかで目に見えない……それゆえ強固な牢獄の中へと。 「碇、人類補完計画の第18次報告……運用改善案ができたそうだぞ。」 プリントアウトされた資料の束を手に司令公務室を訪れた冬月が、部屋の主に持って来た書類を差し出した。 「そうか。」 それにざっと目を通したゲンドウは椅子をガタンと倒して勢い良く立ち上がった。 「本当にこれで良いのか?」 「マギは3者一致でこの改善案を押している。他に手は無いよ。」 思わず返した問いに冬月が駄目を押すと、ゲンドウの口元が歪んだ線を描く。 「ならば問題無い。」 世間様一般の人間の顔に浮かんでいるのであれば“笑み”と呼ばれるカタチに。 「そうか、ではすぐに正式な書類にしとくよ。」 そう言い残して冬月が出て行くと、天井と床に紅いセフィロトの樹が映し出されていた室内はほのかに青いたくさんの灯りで照らし出された。 次なる映像…幻像の会議卓を映し出すまでの刹那の間は……。 一方、その頃。 腐った牛乳やタマゴが放つものに似た独特の臭気が満ちる巨大な天幕の中。 「ど…どうしよう。」 つい1時間前までは瀕死の重病人と言っても過言では無かったシンジは、それが嘘の様に血色が良くなった顔で天を仰いで途方に暮れかけていた。 彼の足下には精根尽き果てて満ち足りた寝顔の裸の女性100人あまりが魚市場の冷凍マグロの如く無造作に雑魚寝しており、足の踏み場にも苦労するほどだ。 「このままって訳にはいかないし……。」 しかも、その全員がシンジが注ぎ込んだり振りかけたりしたモノや女性達自身から分泌されたモノで全身くまなくグチャグチャに汚れている。 『できれば早く全員身体を綺麗に洗ってから、ちゃんとした所で休ませてあげたいんだけど……』 と、シンジは目線をできるだけ下に向けないようにしながら考える。 『やっぱり可哀想だけど誰か起こして手伝って貰うしかないかな? 僕一人で全員世話するのは流石に無理だし。』 しかし、着替えやタオルの場所さえ見当つかないのでは色々とおぼつかない。 シンジがこういう結論に達するのは当然と言えた。 そこでシンジは手近に転がっている少女から起こす事にした。 ……ちなみに、さっきまで相手していた亜麻色の髪の白人少女を起こすのは身体の熱がちゃんと引いてないので戦闘再開してしまいそうだと、シンジはそう判断して避ける。 「起きて。ねえ、起きてよ。」 控えめな乳房の頂きにある桜色の突起も、両足の間にある無毛のワレメから覗く鮮紅色のヒダヒダも、シンジに最もたくさん使い込まれているにも関らず全く色素の沈着していない清楚な乙女の姿を保っている少女の肩をシンジが揺する。 いや、シンジに抱かれたことがある女性達全員が処女膜が無くなった事を除けば男とヤりまくっているのが信じられないぐらい綺麗な肌になってきていた。シンジが初めての男だとという訳ではないミサトやリツコでさえも。 「ん……」 薄く開かれたハルナの目がゆっくり焦点を合わせてゆくと、眼前に最愛の少年が顔を覗き込んでるのが見える。 「おにいちゃん、おはよう♪」 暖機運転抜きのアクセル全開でハルナの意識は立ち上がった。 寝覚めが良いのだろうか、いきなりハイテンションの上機嫌で。 「ちょ、ちょっと頼みがあるんだけど。」 そして、言い難そうに切り出したシンジの頼みを、 「なぁに、おにいちゃん。」 「みんなを起こすの手伝ってくれないかな?」 「うん、いいよ。」 あっさり即答で承知し、さっそく実行し始めたのだった……。 暗い暗い会議室。 ドイツ人の議長キール・ローレンツを上座に、アメリカ人、フランス人、イギリス人、ロシア人が居並ぶ会議卓の下座に、一人の日本人が着席していた。 「碇、何を考えている?」 ネルフ総司令 碇ゲンドウが。 「人類の救済。その為の補完計画の完遂をです。」 キールの問いに、ゲンドウはいつもの目線をサングラスで口元を組んだ両手で隠した姿勢を崩さず、気負いも嘘も感じさせない口調で即答する。 「だが今回の事件は我らのシナリオには無い事態だ。」 「被害の復旧にかかる費用と時間、それがどれほど貴重か分からぬ訳ではあるまい。」 「今回の失態…どう言い訳する気かね。」 「キサマが新たなシナリオを作る必要は無い。」 次々と浴びせられる罵声にも似た抗議を真っ向から受け止め、ゲンドウは小揺るぎもせず返答する。 「今回の事態はあくまでイレギュラーです。……参号機実験の中止要請を聞いていただけていたら防げたかもしれませんが。」 淡々と事実を告げるゲンドウに、 「我々のせいだと言うつもりか!?」 「責任転嫁にもほどがあるぞ!」 人類補完委員会の委員達が図星を突かれて猛反発する。 「いえ。ただ、第14使徒の襲来があまりに早過ぎました。サードチルドレンを説得する時間さえ取れれば今回のような事態は避けられたかもしれません。」 が、その鋭鋒をするりと躱して既に水泡と帰した別の対応策を述べるゲンドウ。 ただ、それは……ゼーレに伝わる預言書“裏死海文書”から導き出した“計画”のスケジュールに狂いが生じていると指摘するも同然の発言であった。 しかし、にわかには反論できない。 ネルフ第2支部消滅に始まる一連の事態が“計画”の想定外だとは、ゲンドウに批判的な委員でも渋々認めざるを得ない事実なのだ。 「よかろう。この件について責任は追及しない。しかし、今後どうするつもりだ?」 だからキールは議論を打ち切り、別の懸案へと議題を移した。 このまま議論を続るとゲンドウより先にゼーレのメンバーを断罪しなくてはならない危険が高く、その場合“計画”の遂行に重大な支障が出かねないからだ。 「マギの計算では実施面での変更で対応が可能です。」 冬月から届けられた書類を読み取り機にかけると、委員達の手元にはそれぞれの母国語に翻訳された書類が日本語版の原版と共にプリントアウトされる。 「ダミープラグ・システムの封印、サードチルドレンへの身体提供者の新規斡旋中止とLCL錠剤の服用制限……本当にこれだけで大丈夫なのかね?」 書類を流し読みした委員の一人が半信半疑で問う。 「問題ありません。後で試算過程の詳細をお送りしましょう。」 顔色一つ変えず答える姿に、キールを含めた委員会の面々はゲンドウの明確な叛意を見つける事ができなかった。 「では、この試案を採用するか否かはデータが届いてから我々が協議する。」 ゆえに人類補完計画の変更試案が即刻却下とはならなかったし、ゲンドウの首について取り沙汰される流れにも向かわなかった。 「後は委員会の仕事だ。」 「碇君、ご苦労だったな。」 そして、当初はゲンドウを糾弾する気まんまんだった委員会の面々は、猜疑の視線を慇懃さに隠して接する程度にまで態度を軟化させた。 彼らが他の委員にも向けている程度の警戒と猜疑のレベルにまで。 ……ネルフ本部から提出された変更試案が人類補完委員会…ゼーレ…に正式に承認されたのは、この会議の3日後であった。 「ねえ、おにいちゃん。」 僕が起こしたばかりの人に事情を説明し終えたのを見計らったのか、ハルナが僕を呼ぶ声が聞こえてきた。 「なに?」 なんだろうって声のした方に行ってみると、ハルナがある人の前で小首を傾げていた。 「このおねえちゃん、ハルナににてるきがするの……きのせいかなぁ?」 あられもない姿を惜しげも無く晒して眠る女性の、ハルナと瓜二つとまではいかないけど結構似ている艶姿を見た僕の口から思わずポロッとこぼれる。 「トウジ……。」 あ、まだ知らないんだ。……色々あってハルナに説明する暇も無かったからなぁ。 「え? えええええええっ!? ト…トウジおにいちゃん!? ホントにこれ、トウジおにいちゃんなの!?」 吃驚仰天したハルナに、僕は苦い笑みを浮かべながら肯く。 本当はトウジをこんな目に遭わせるつもりなんて僕には無かったんだから。 「な…なんや……えろう騒々しいのう……おちおち寝ても…」 そんな遣り取りを耳元でやっていたせいか、話題の渦中の当人を含め周囲の人間が起き出して来たみたいだ。 「な!? なんちゅうカッコしとるんや!?」 身体のあちこちに牝の淫汁をくっつけた全裸の女の子を直視したトウジは慌てて視線を逸らして僕の方を見た。 『アカン……センセの顔がまともに見られへん。何でやろ。』 あれ? 何で赤くなってるんだろう。 僕はいちおうプラグスーツは着てるのになぁ。 「トウジおに…ううん、おねえちゃんもおんなじかっこうなのに。」 とか思ってたら、トウジに格好のことを言われたハルナが唇を尖らせて言い返した。 「僕は良く知らないんだけど、気がついたらこうだったから。」 『パターン青、消失』って聞いたとこから皆に囲まれてエッチしてるとこまでの記憶が全然無いから、その間に何かあったのかもしれないけどね。 「あ、そ、そうやったなぁ……ホンマ、センセが助かって良かったわぁ。」 そう言われて自分が裸になってる理由を思い出したのか、男だった過去から見ると格段に可愛らしく魅力的になったトウジの顔がバツが悪そうな表情に変わる。 「うん。ほんと、よかった。」 そして、ハルナを始めとして口々に打ってくれる相槌に僕も答える。 「ありがとう、みんな。」 心の底からの感謝を込めて。 でも、ATフィールドを展開しないように気をつけて。 「ねえ、おにいちゃん。トウジおにいちゃん…ううん、おねえちゃんも…おにいちゃんといっしょにすむの?」 「っと、そのトウジおにいちゃんって……まさか……」 ハルナの素朴な疑問に、トウジの目の色が変わる。 どうやら気付いたかな? 「うん。……これが言えなかった理由なんだ。」 ハルナが死んだ事になっていた理由に。 「そうか……そうやったんか、センセ……」 あ、トウジの声が1オクターブは低くなった。 おまけに、何か寒い。……生命維持機能の故障かな? 「一発殴らせろいっ!」 拳を固めて振り上げるトウジに引きつった笑みを見せ、ゆっくりと目を閉じた。 ……もしかしたら、死ぬかな? 死ぬのは嫌だな。 でも、仕方ないか。 騙してたって事になるしね。 「だめっ!」 ボグッ!! あれ? 痛くない。 でも、この鈍い音は…… 恐る恐る目を開けてみると、そこには…… 鉄拳を上に逸らされ懐に入られたあげくに腹に強烈なパンチを打ち込まれて苦悶しているトウジと、その前に立ちはだかって僕を庇ってくれたハルナがいた。 「おにいちゃんはわるくないよ! どうしてもっていうなら、ハルナがあいてになる!」 真剣な声、真剣な闘気。 どう考えてもハルナは本気だ。 本気で僕を守ってくれるつもりなんだ。 「ありがとう。」 そんなハルナに言うべき言葉は、僕にはこれしか見つからない。 「そ、そうか……そうなんか……」 冷たい油汗を浮かべつつ何とかそれだけ言ったトウジの表情は、愕然から一転して苦笑に変わる。 「ハルナに免じて勘弁したるわ。」 拳を解いたトウジに、 「ごめん。」 僕は深々と頭を下げる。 「もうええんや。頭を上げてくれへんか(考えてみたら、センセは前に船の上でハルナが生きとると伝えてくれてたんやしな。)。……ところで。」 何とか許してくれたみたいなので、頭を上げて相槌を打つ。 「なんだい、トウジ?」 「それや。こげな身体になっちまったら、何時までも名前がトウジだと変や無いか?」 苦笑いしつつ言った事は確かに正論だ。 「そうだね。……どうしよう? ……男に戻る事はできるの?」 トウジって男の名前だしね。 「アカン。それに今更戻る気も起きへんしな。」 え? それはどういう…… 「オナゴやないとセンセのごっついのが味わえへんからの。男に戻ってええ女と乳繰り合うよりセンセに相手して貰う方がええわ。」 恥ずかしげに頬を染めて、それでもハッキリと言い切ったトウジと目が合うと、頬の紅さがより鮮やかになる。 「あ……ありがと……。」 でも、そう言われても……やっぱり、あの方法しか無いかなぁ? 「じゃ、じゃあ……『鈴原トウジ』には死んで貰って、新しい戸籍でも作る?」 今のハルナの姉って事なら、2人とも似てるから疑われる事も少ないだろうし。 「そやな、それでええ。」 了承が得られたから早速手続きを……って、それだと名前を新しく決めないといけないんじゃないかな。 「で、名前なんにしよう。」 そうトウジが口に出した時、僕の周囲にいた何人かも僕同様に頭を捻り始めた。 新たに仲間入りした少女の呼び名を考え出す為に。 しかし…… 「ポチなんかどうかな?」 「ワイは犬やないわっ!」 前途は多難かもしれない。 「じゃ、ミケ。」 「猫でもないっ!」 いきなり出て来た名前がこれじゃあね。 「じゃあ、クロウ。」 「それやと男の名前やっ!」 トウジで無くっても大声を出したくなるってもんかも。 「では『カスミ』なんてどうかしら?」 あ、やっとマトモそうな名前が出て来た。 でも…… 「なんでカスミなんや? どっからそんな名前が出て来たんや?」 トウジも僕と同じ疑問を抱いたのか、僕が訊きたい事を訊ねてくれる。 すると、 「あなたと融合した第13使徒が“霞を司る天使”バルディエルの名を取って命名されましたから、それにちなんでですわ。」 一連の騒ぎで起きてきたらしいマリィさんが理由を説明してくれた。 ……良い名前かも。 「センセ、センセはこの名前どう思う。」 訊いて来るって事は感想が訊きたいのかな? 「良いと思うよ。」 だから僕は軽い気持ちで正直に答えてしまった。 「そうか。じゃ、今日からワイの名前は『カスミ』や。今後ともよろしゅうな。」 とはいえ、僕には他にどうこうする方法も思いつかないけどね。 以上のような騒動の末、結局、鈴原トウジ改め鈴原カスミは、鈴原ハルナの姉としてコンフォート17のマンションのハルナと同じ部屋に住む事に決まった。 そして、第3新東京市立第壱中学校の第2学年に転入する事になるのである……。 女性陣がテントの近くに停めてあった3台のバスの中に用意してあったティッシュやタオルや着替えで身支度をしているのを眺めながら、僕は色々あって有耶無耶になりかけていた憤りを思い出していた。 「シ〜ンちゃん、何怖い顔してんのよ。」 考えが表情に出てたんだろうか? 手早く着替え終えていたミサトさんが話しかけて来た。 「うん。実は……」 なので、僕は第13使徒迎撃戦から今までに起こった事をミサトさんや周りで聞き耳を立てている人達に説明した。 「酷いですね。」 これはマヤさんの声かな。 「それは、ちょっちシンジ君には納得し難いわよね。」 ミサトさんも眉をひそめた困り顔になってる。 「だから、どうしようか迷ってるんだ。」 もう父さんに協力する気になれないけど、みんなを置いて行くのも世界が終わるのも嫌だし。みんなを連れて行くにしても、この人数だとすぐにお金が尽きるだろうし。 ……僕一人だったら迷わず出て行っただろうけどね。 みんながいなかったら、こうして僕に優しくしてくれるんじゃなかったら、世界がどうなろうと知った事じゃないと思うだろうから。 でも、今はそうじゃない。 僕は一人じゃない。 そう、強く信じられる。 みんなのおかげで。 だから僕もみんなを裏切っちゃいけないんだ。 「ちょっと、いいか?」 僕がそう深刻に悩んでいると、傍で見てる人の輪の中から声をかけてきた人がいた。 「なに? カティーさん。」 「こうは考えられないだろうか。あの時はああするのがベストだったと。」 思慮深さと冷静さと優しさが同居する目で僕を見詰めながら、 「あの時点で、碇シンジと鈴原トウジ……この両名の命が助かる方法は他に無かったのだからな。」 カティーさんは断定する。 「あ。」 言われて僕にも分かった。 使徒に寄生されていたトウジの命を助けるには、あの方法しか無かったんだと。 「でも……なら、なんで……。」 なんで、そう説明してくれなかったんだろう。 父さんも、日向さんも、青葉さんも、冬月先生も。 「言えない訳があるのよ。……司令にはね。」 「リツコさん……その訳って?」 今度はいつもの白衣に着替えたリツコさんが弁護に出て来る。 「ごめんなさい、今まで言えなくて。今でも司令だけは発言が規制されてるわ。」 真顔で頭を下げるリツコさんに、僕は何とか聞き返す。 「父さんだけって、どういうこと?」 「エヴァ初号機の“力”を維持する為よ。」 簡潔で納得できる答えに、僕は落胆した。 どうしてかは知らないけど。 「結局、父さんはエヴァ初号機の“力”が欲しいだけなのかな……。」 寂しくて、悲しくて、思わずポツリと呟く。 「それは違いましてよ。あの時……あなたが第14使徒との戦闘の後で倒れた時、司令はあなたの生命を助ける事を最優先させておりましたですわ。エヴァ能力なんて無くなっても良いとまで言っていたですわね。」 それを聞き咎めたマリィさんが、父さんの弁護をする。 「う…そ……」 そう聞かされても、僕はちょっと信じられない。 「本当ですわ。私の言う事が信じられないとでも言うのですの?」 でも、マリィさんの険の混じった視線が浴びせられ、慌てて首を横に振る。 そうだ。 父さんは信じられないけど、この人達なら信じられる。 だから、父さんが内心どう思ってたんであれ、父さんがそう言った事は事実なんだ。 多分……。 「で、どうするの碇君。」 ヒカリの澄んだ瞳。 そして、みんなの視線が僕に集中する。 みんな僕の答えを待ってる。 だから伝える。 今の正直な気持ちを。 「ここに……第3新東京に残るよ。みんなといたいから、みんなを守りたいから。」 僕の真実偽り無い気持ちを。 誰より大切な、みんなへ。 でも…… 今夜は寝られないかな。 できれば家に帰ってからにしたいんだけど、無理かな? 感極まって泣き出したり、笑い合ったり、抱き合ったりしているみんなの輪の中、 僕はそんなしょうもない事を考えていたのだった。 福音という名の魔薬 第弐拾壱話 終幕 薬流サルベージ計画は、やっぱり一味違いました。シンジ君がぴんちな状況は原作と変わりありませんがね。……と言うか、下手したら原作よりぴんちだったかも(苦笑)。 いちおう無事なカタチにまとまって良かったです。 あ、あとタイトルはこの話に対応する原作弐拾話の題名をちょっと変えて使わせていただいてます。『ヒト』がカタカナなのは、“人”が人間(第18使徒リリン)だけを指すのではなく使徒っ娘も指すからって理由です。『ココロ』は、それに合わせてってのと単なる心というだけではない何か……を意図してつけております。 今回の見直しと御意見協力は、きのとはじめさん、【ラグナロック】さん、峯田太郎さん…でした。皆様、大変有難うございました。 |
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