福音という名の魔薬

 第弐拾六話「道、別れる時」

 毎週水曜日。
 2月24日以降、夕方から夜にかけて行なわれている事があった。
「本日17:00より作業を開始致します。皆様、16:30までにお近くのシェルターへと避難願います。」
 第3新東京市の中心街から人影が消え、電車が止まり、ビル群が地下に収納される。
 その代わりに地上に現れたのは、エヴァンゲリオン零号機の蒼い巨体だった。
「レイ、いつも通りいくわよ。」
「了解。」
 発令所から下されたミサトの指示に短く答えたレイは、兵装ビルに用意された円筒形の金属缶を一つ右手に取って右肩に載せる様に構える。
「月までの進路クリアー。投擲に問題ありません。」
 日向の報告を聞いて、レイは零号機に拡大している己の身体を捻り、力を溜めてゆく。
「ATフィールド展開確認。」
 放射線警告表示が赤く印された円筒形の金属缶…核廃棄物の運搬容器…が、エヴァ零号機が展開したオレンジ色の光に包まれて輝き出す。
 そして、おもむろに胸を張って肩で押し出すような格好で腰の捻りの力を腕に伝達して加速し、掌で廃棄物の缶を押し出す零号機。……ちょうど砲丸投げの如くに。
「軌道の誤差、許容範囲内です。」
 運搬容器に仕掛けていた発信機の電波が、容器が予定の軌道を辿って月への直撃コースを真っ直ぐ飛んでいる事を示している。
 普通の物理法則が適用されているなら膨大な初期加速が必要となり、しかも射出した反動などでとてつもない威力の衝撃波が発生するだろう。
 また、地上から月まで物を届かせるのに必要な精度は針の穴に糸を通すどころか、3階の窓から蟻の上にスポイトで水を垂らす以上の難易度を要求される作業であった。
 だが、しかし、比較的難儀な条件はATフィールドが克服してしまった。
 空気の流れを操り、音速を超えた事による衝撃波を起こさせず、
 重力の一部を遮断し、本来必要な速度を大幅に下回る勢いでも目標に届く様にし、
 月まで細い糸の如く伸ばされた不可視のATフィールドが精密誘導を実現していた。
 ……まさに何でもありである。
 と、発令所が確認作業をやっている間に、レイは二発目の投擲体勢に入っていた。
「進路クリアー。いつでも行けます。」
 空路及び衛星軌道に障害物が無いと報告する日向の声を聞き、レイは再び天に核のゴミを投げ上げる。
 文字通り『月まで届け』と。
 夜が更けるまで……。

 ちなみに退去と立ち入り禁止が強制されているのは中心部だけなので、周辺住宅地や展望台などからは頼もしい零号機の勇姿が見放題だった。
 が、それも大抵の人にとっては何度か見れば飽きる程度のモノでしか無く、今ではほとんどの市民が補償金目当てにシェルターへと避難していた。
 ……シェルター内に設置された端末にIDカードを通すと、その回の補償金が口座に入金される仕組みなのだ。
 会社や店屋への休業補償金の支払い制度も手伝い、夕闇深まる第3新東京市には人っ子一人見当たらなかったのだった。
 ちょうど、使徒迎撃戦の最中の如くに……。



 ネルフ本部・司令公務室。
 数多くの謀議が生まれ、練り上げられ、執行されたこの部屋で、また新たな密談がなされていた。
「碇、IAEAから新しく派遣された査察官の中にゼーレのエージェントが11人紛れ込んでいたぞ。」
 核廃棄物処理の監視の為にIAEA…国際原子力機関…から新規に派遣された査察官の半数以上が、実はネルフ本部の内情を調べる為のスパイであったと冬月が報告する。
 しかし、報告を受けた男…碇ゲンドウ…は些かも動じる事無く訊き返す。
「処置は?」
「今は機密レベルが低い区画で足止めに成功しているが、長くは持たんよ。」
 兎にも角にも敵方のスパイを見られると拙いモノや知られると拙いコトを探り出される前にどうにかしない事には話にならない。
 今すぐにゼーレと事を構えるのは得策とは言えないのだから……。
「全員拘束しろ。」
「良いのか? バレると面倒だぞ。」
 だが、だからと言ってゼーレのスパイでは無さそうな連中まで一緒に拘束するのは少々事後処理が面倒になるのでは? と冬月が懸念を表明する。
「念の為だ。全員を赤木博士に…」
 『…任せろ』と続けようとしたゲンドウが流石に口を濁す。本当に処理の裁量まで全部任せてしまったらどうなるかを先日知ってしまったが故に。
「…処置させろ。」
 しかしながら、ゲンドウは自分達が察知できなかったスパイが紛れている可能性や同僚の変事に気付いた査察官が外部に報告する危険を重く見て非情な措置を命じた。
 微かな同情心をサングラスの力を借りた鉄面皮で抑え付けて。
「……分かった、やっておく。ところで、そっちの方はどうなっている?」
 裏事情も良く知る冬月は溜息を一つ吐いてゲンドウの判断を受け入れ、逆にゲンドウに自分達の進めている“計画”の進捗状況を訊く。
「アダム計画は97%終わっている。リリン計画も充分な目処が立っている。人類補完計画も残るは使徒一体……進捗率はほぼ94%だ。順調だよ。」
 それは、どれもこれも後一歩のところまで漕ぎ着けていると言う内容だった。
 悪く言えば、どれもこれも未完成と言う事でもあったが。
「そうか。」
 各種設備や兵器類など人類の持つ科学力の範疇内で可能な準備は、これまでの間にほぼ万端に整えられてはいた。
 度重なる戦闘で少ないながらも死傷者を出していた兵員も、元自衛官や傭兵などから信頼できそうだと診断された人間を採用する事で何とか人数的な穴を埋める事ができた。
 しかし……
 肝心の“計画”に関わる部分は人為ではどうにもできないモノが多過ぎ、残念ながら下手に急ぐ訳にもいかなかったりするのだ。
「……そう言えば、碇。預言では、そろそろ次の使徒が来るとか言ってなかったか?」
 使徒の襲来時期は、裏死海文書に大まかな時期が記載されていた。
「早ければ、だ。マギの予測では後二ヶ月以上先、老人達が余計な真似をしなければ余裕は充分にある。」
 いや、正確には使徒が“リリスの寝所”である第3新東京からどれぐらい離れた場所を基点とする異相空間に封じられているのかが記録されており、セカンドインパクトやリリスやエヴァの波動の影響をどれだけ受け続ければ封印が解けて使徒が襲来するかの目安となっているのだ。
 ただし、何度か起きた予定外のイベントのせいでスケジュールの誤差は大幅に広がってしまっていたが。
「だが、あの老人達の事だ。きっと余計な事をしてくるぞ。」
「問題無い。……油断さえしなければな。」
 既に自分達に可能な限りの手を打っている以上、できるのはそれだけだと冬月の心配を一蹴したゲンドウはむっつりと黙り込んだ。
 ゼーレ側の持つ手札を読み切れていない事に不安を覚えながら……。



 避難規制が解除されるが早いか、僕は鍋を火にかけた。
 中に入れるのは砂糖と蜂蜜。
 蜂蜜と言ってもスーパーとかで良く売ってる安いのじゃなくて、ちゃんと全部蜂が集めてくれた花の蜜のを使う。……花の種類別になってるから混ぜない様に注意しないと。
 それを焦がさないよう慎重に煮詰めて延々かき混ぜる。
 適度に溶けた飴を型に流し込んでそこそこ冷したら、型から剥して包丁で切り分け、冷凍庫で一気に冷して固める。
 固まった飴をラップで包んで冷蔵庫に移す。
 言葉で表現すると簡単そうだけど、物凄く手間がかかる作業だ。
 でも、その全部の工程を僕は自分一人の手で行なっている。
 原材料を作るところとか、作り方を考えるのとかまで僕がやってる訳じゃないけどね。
「ふう。これなら間に合うかな。……一人に2、3粒ぐらいになりそうだけど。」
 僕が何日間かかけてキャンディ作りをするって何処で聞いて来たのか知らないけど、結構たくさんの人が手伝いを申し出てくれた。
 でも、僕はそれを全部断った。
 だって、これぐらいは全部自分の手でやりたいから。
 みんなから貰ったバレンタインのチョコレートに込められていたみんなの気持ちに応えるって行為に、みんなの力を借りるってのは何か違うような気がするから。
 だから、このキャンディだけは僕が自力で作らなきゃならないんだ。
 ……どんなに手間がかかるのだとしても。



 とある丘の上に建つ古城の地下。
「我等の準備は整った。」
 ただでさえ暗く陰鬱な石造の地下室に、12の黒い直方体が集っていた。
「裏切り者が“矢”の一部を逃がそうとしたのは誤算だったがな。」
 直方体にはゼーレの最高幹部会の席次番号が表示されており、個人識別が辛うじて可能となっている。……あまり意味は無いが。
「だが、企みは未然に防ぐ事ができた。」
 戦闘訓練を受けていた少年少女達を何とか助けようと四苦八苦していた研究員の青年の企ては不幸にも露見し、皮肉にも洗脳の仕上げである『実際に人を殺す』訓練の標的に彼も加えられる事になってしまった。
 よほど優秀で代替えできないほどの才能を持つ科学者とか言うのならともかく、有能とはいえ唯の研究員ではゼーレにしてみれば敢えて生かしておく価値が無かったのだ。
「そうだな。スケジュールの遅れも許容範囲内だ。」
 彼がやろうとしていた子供達への洗脳妨害も中途半端に終わり、成果は再教育が施されるまでの僅か数日の時間を稼ぎ出すに留まった。
「そろそろ“最後の使者”を目覚めさせる頃合では無いかね。」
 そして、いよいよゲンドウ……いや、自分達以外の誰が逆らってきたとしても叩き潰せるだけの戦力が用意できたのだ。
「さよう。ぐずぐずしていては、他の使徒が第17使徒として目覚めてしまいかねん。」
「そうなっては、我等の戦力は激減してしまう。」
 ただし、その戦力には“ある条件”が整わない場合、屑鉄同然に成り下がってしまう危険がある代物も混じってしまっているのだが。
「そんな事はとうてい容認できんな。」
 多額の金と労力を投入して作り上げてきた準備が水泡に帰す事もだが、自分達が世界の命運を左右できなくなる事は、彼等ゼーレの最高幹部には更に耐え難い事であった。
「では……」
 よって、結論は……
「時計の針を進める。我等の手でな。」
 全会一致で“計画”の早期前倒しに決した。
「全ては、我等ゼーレの為に。」
 彼等だけの利益の為に。



「あの……すみません。」
 蒼白な顔をしたマユミが壱中の保健室を訪れたのは、ある金曜日の午後の事だった。
「なんだ? ……まあ、とにかく座れ。」
 以前に着替えを貸して貰って以来、少しは親しくなった間柄ではあるが、それでも言い難さに身悶えせんばかりの彼女に保険医の川沿ミドリは椅子を勧めた。
「は、はい。」
 何とも言い難い沈黙が二人の間を流れてゆく。
「食うか?」
 雰囲気を和らげようとして出されたシガレットチョコを首を横に振って謝辞し、思い詰めた表情のマユミ。
 その彼女が勇気を振り絞ってようやく口を開いたのは、こんな一言だった。
「あの……来ないんです。」
 何がとは言わない。
 言えない。
 そこまで口にできる勇気はマユミには無い。
「相手は碇シンジか?」
 しかし、意に添わぬ相手に無理矢理犯された者特有の苦渋の色が表情に浮かんでいないと見たミドリはズバッと核心に触れる話題に斬り込んだ。
「は、はいっ。あ、その……」
 図星を突かれたマユミは狼狽して口をパクパクさせるばかりで先の言葉が出て来ない。
「安心しろ。みんな止まってるから。……不思議と子供はできてないみたいだが。」
 見た目にも明らかなうろたえっぷりに微笑ましさを覚えながらも、ミドリは口調だけは冷静に言い切った。
「は、はひっ!?」
 連日連夜の濃厚な睦み合いの事を考えれば、寧ろ他の女の子のお腹が大きくなっていないのが不思議なのだと言う、言われてみれば真にもっともな指摘にマユミの目が眼鏡の奥で点になる。
「多分妊娠してないと思うが、一応検査しておこう。万一本当に赤ちゃんができてたら目出度いからな。」
 中学校の保健室だと言うのにばっちり揃えてある妊娠検査用の器具を用意しながら見詰められて、マユミは真っ赤になって俯く。
「……あの。みんなも、そうなんですか?」
「ああ。原因は碇シンジの方らしいが、詳しくは分かっていない。」
 蚊の鳴くような声での質問に、ミドリは守秘義務スレスレの答えを返した。

 ……なお、マユミが妊娠してはいなかった事を付記しておく。



 3月14日早朝。
 いや、未だ日も昇っていない時間。
 僕はコンフォート17マンションを一軒一軒回り、入居者全員の枕もとにキャンディの包みを届けて回っていた。
「……えっと。警備室と保健室は後で行くから、今回はこの階で終わりかな?」
 すっかり軽くなった紙袋を手に、僕は12−A−5号室のドアを自分のIDカードで開いて忍び入った。
『えっと、ここはハルナとト…カスミの部屋だから2人分……』
 順番になるように詰めて来た紙袋の中身も残り僅か。
 添えてある手書きカードの宛名を確かめ、気配を殺して足音を立てないように……
「あ、おにいちゃんっ♪」
 ……無駄でした。
「ハ、ハルナ……未だお日様も昇ってないのに、何で……」
 こんな時間に玄関先で鉢合わせするなんて思ってなかったから、少しだけ驚いた。
「そうちょうとっくんだよっ♪」
 体操服にブルマじゃなくて紺のジャージの上下なのは汗をかく為だろうか? ……ハルナ達みたいな娘には意味無いと思うけどね。
「そ、そうなんだ。」
 朝っぱらからハイテンションで喜色満面のハルナに嬉しいながらもちょっと気圧されつつ、僕はこの部屋に来た用事を思い出した。
「そうだ、これ……」
 クリスマスプレゼントみたいに枕もとに置くのも良いけど、直接渡せるならもっと良いだろうしね。
 宛名を再度確認してから、ハルナの分の方の包みを僕は差し出す。
「え? なに?」
 いきなり物を手渡されて面食らっている彼女に、僕は言う。
「バレンタインのお返しだよ。今日はホワイトデーだから。」
 すると戸惑いの色は消え去って、喜びだけが顔一杯に広がる。
「ありがとう、おにいちゃん♪ ……はやおきはさんもんのとくって、ほんとうだったんだね♪」
 そんなハルナに思わず微笑み返しながらも僕はもう一つの用事を切り出すタイミングを測りかねていた。
「おねーちゃーーん! おきてー!!」
 けど、どうやら僕の手に持っていたもう一個の包みの意味に気付いてくれたようで、大きな声で姉を呼び起こしに寝室に戻って行った。
 軍用にも使われている丈夫な腕時計で時刻を確かめ、僕は溜息を吐く。
『……まだ5時前か。』
 ここのマンションの防音がしっかりしてるんじゃなきゃ向こう三軒両隣漏れなく全部叩き起こしてるとこだろうけど、幸いにもそうはならなかった。
 ……カスミにはちょっと可哀想だけどね。
「なんやなんや、何の騒ぎや。」
 寝惚け眼を擦りつつパジャマ替わりのよれよれのTシャツから肩口をだらしなく覗かせて奥のほうから現れた少女は、玄関先で曖昧に照れ笑いしている僕を見て硬直した。
「お、おはよ……」
 寝癖がついてアチコチ立っている黒髪があたふた整列して普段の髪型に整っていく。
「セ、センセ……何で、こないな早くに……」
 それでも繕い切れずに頬を赤くしているカスミの手に、僕は手に持っていた紙の包みを握らせた。
「こ、これ。……ホワイトデーだから。」
 手を握られて耳まで赤くしている姿に後ろ髪を引かれつつ、僕は急いで踵を返した。
「じゃ、後で。」
 ……これ以上ここに居たら、今後の予定が崩れまくるような事しちゃいそうだからね。
「おおきにな、センセ。」
 そんな声を後にして。

 次は12−A−3号室。
『ここは3個……っと。』
 やはり僕のIDカードでドアを開いて中に忍び込む。
 実際に住んでる人がセキュリティの設定を変更すれば、僕がこうやって入る事なんてできないんだけどなぁ。
 そういえば、前にミサトさんが僕がその気になった時に何時でも夜這いできるようにしてるんだって言ってたっけ。
 ……今朝は流石にそんな時間は無いけど。
「ん……碇く…ん……」
 ピンク色のパジャマと薄いタオルケットに身を包んでいるソバカス顔の少女の寝言に肝を冷しながら、枕もとに彼女の分のキャンディの包みを置く。
 ……寝相、良いんだね。性格が出てると言うか何と言うか……。
 今の時間に起こしてしまうと可哀想だから、小さく開いてる唇にキスしたいのは我慢。
 それより、彼女の姉妹にも渡しとかないとね。
 ヒカリは同じクラスだけど、コダマさんやノゾミちゃんは学校も違うから今朝を逃すと学校から帰って来るまで渡せないし。
 音を立てないように苦労して、気配を殺して、そうっと別の部屋に移動する。
『ここは……ノゾミちゃんの部屋か。』
 豪快にタオルケットを足下に蹴飛ばしお腹を出している小さな女の子の枕もとに彼女の分の包みを置いてから、タオルケットをかけ直す。
「ん……お父さん……。」
 寝言だろうか、そんな声を聞き咎めた僕の良心がズキズキ痛んだ。
 ……もう随分と麻痺したと思ってたけど、やっぱり気になってるんだなぁ。
 こんな歳の娘に手を出してしまった自分の罪深さに気落ちしつつ、それでも静かに次の部屋へと向かう。
 今度はコダマさんの方だ。
 ……意外。
 もっと豪快に寝てるんだと思ってたら。
 コダマさんはちゃんと布団で寝ていたし、タオルケットも蹴飛ばしてなかった。
『あれ? 枕使ってないのかな?』
 でも、僕は気付かなかった。
 実は“逆向き”に寝てるんだっていうことを。
『良いや。とにかく置いて行こう。』
 布団の脇に彼女の分を置いたら速やかに撤退する。
 まだまだ先がつかえてるからね。
 このコンフォートの分が配り終わっても、夜勤してる人とかこのマンションに住んでない人とかもいるから……。

 その次は隣……12−A−2号室、マナとスズネとコトネの部屋だ。
 元は11−A−5号室……つまりは僕の部屋の隣に住んでいたんだけど、改装した時にこっちに移る事になったんだ。
 ……前に彼女らが住んでた部屋、大人のオモチャとかSMに使えそうな道具とかを色々取り揃えた“調教室”に改装されちゃってるから。
 それはともかく、ここも用意するのは3個。
 さっそくドアを…
 プシュゥゥゥゥ
「シンジ君、おはよう。」
 開けようとしたら、茶色の髪を肩口で切り揃えた少女に出迎えられてしまった。
「お、おはよう。」
 パジャマじゃなくて濃緑色の作業着っぽい服を着てるって事は、起きたばかりじゃなくて、これから何処かに出かけるのかな?
 ……そういや、マナ達って毎朝トレーニングしてたっけ。
「ええと、これなんだけど。」
 チラと宛名を確認してから、マナの分の包みを差し出す。
「ありがとう、シンジ君。……秋月さん達なら、まだ寝てるわよ。」
 それを胸に抱いて、マナは柔らかな唇を軽く押し付けてきた。
「え?」
 本格的な大人のキスに変わる前に身体を離したマナは、
「それじゃ。」
 にっこり微笑んで鮮やかに走り去った。
 呆気に取られた僕を残して。
 ……いけない。未だぼうっとしてる時間なんて無いや。
 口元に残った感触に頬を緩ませながら、静かに忍び込む。
 今回は音に敏感な娘達だから慎重に行かないとね。
 ……でも、そんな心配は杞憂で、ベッドの上で実に安らかな寝息を立てていた。
 スズネだけなのかな?
 いや、どうやらコトネも一緒にいるみたいだね。
 何となく彼女らが合体して一人の状態になっていると見て取った僕は、スズネ宛てとコトネ宛ての2個の包みを並べて置いた。
 無防備な寝顔をじっくり鑑賞して楽しみそうになって、反省しつつ踵を返す。
 でも、僕は気付かなかった。
 彼女らが“僕の足音”を聞き分けたからこそ安心して寝続けていたのであって、他の物音なら直ぐに飛び起きただろうって事に。

 12−A−1号室、ここで一段落。
 ここが終われば警備室と保健室回って、後は外回りに移れる。
 ……そう考えると結構残ってるな、まだ。
 またまた足音を殺した僕は、奥の寝室へとできるだけ早く移動する。
 ……長居してる暇は無いからね。
 そんな事を考えながらふすまを開けると、白いシーツと毛布の上に丸くなって転がっている白いモノを直視してしまった。
「えっ?」
 短めの青銀の髪、目蓋が閉じられているので見えない赤い瞳。
 抜ける様に白く滑らかな肌に映える桜色のワンポイント。
 下生えが無いのでくっきり見て取れる無防備な割れ目。
 ……綾波って寝る時、普段から何も着ないんだ。
 僕のとこで寝る時だけかと思ってたら、自分の部屋でもそうなんだね。
 とても目の毒なので、手早く置いたら早々に逃げ出す事にする。
「ありがと……」
 キャンディの袋を枕もとに置いたら、綾波のお礼が聞こえた。
 もしかして起こしちゃったのかな?
「こっちこそ、ありがとう。……おやすみ。」
 耳元で囁いて立ち去る。
 ……毛布をかけてあげたい気もするけど、綾波が自分の下に敷いてるからいったん起こさないと無理だしね。
「ありがとう……感謝の言葉……そう、嬉しいのね。」
 立ち去る僕の後ろ姿に、そんな言葉がかけられた。……そんな気がしたのだった。



「ネスト423より入電。明神ヶ岳北側に戦自の歩兵を確認。数、およそ100。」
 ネルフ管轄地区の外を哨戒している犬型自動歩哨ランドアーチン。
 その警戒網に、遂に“敵”の姿が捉えられた。
「第2東京からの連絡は?」
 ネルフの管轄区域の外ギリギリとは言え、武装兵が近づく以上は不測の事態を避ける為に相手方に対して連絡を入れるのが通例であった。 
「ありません。」
 しかし、今回はそれが無かった。
 まさに一触即発の状況が訪れてしまったのだ。
「哨戒パターンをBに移行。」
 敵性勢力との接触を避けて遠間から観察させるモードを指示し、ネルフ本部は密やかに警戒レベルを一段上げた。
 最も油断のならない敵……“人間”の襲撃に備える為に。



 保健室に詰めていた2人の看護婦さんや警備室に詰めている10人の警備員さんの所を回り、僕用に設えられた神社を守っている能代さん達の所を回ってキャンディを配ってから、僕はネルフ本部へと向かっていた。
「ここらへんに来るの、久しぶりだな……」
 僕の目に映るのは、一言で言えば廃墟。
 コンクリートとアスファルトの瓦礫と廃屋が合わさった死んだ街。
 でも、今僕の目に映っているのはそれだけじゃなかった。
「草だ……こんなとこに……」
 前、綾波が住んでた時は確か草木一本生えてなかったはず。
 でも、今は、ひび割れた道路のアスファルトに、何かの力で崩されたコンクリの建物の跡に、緑に萌える力強い生命の息吹達が感じ取れる。
 名も知らぬ雑草の、
 良く知らない虫達の、
 懸命の営みが僕の心を打つ。
「自然って、こんなに逞しくて美しいんだ……。」
 少し足を止めていると、何かの音が聞こえてきた。
 なんだろう、これ?
 耳を澄ませてみると、それが誰かのハミングらしいのに気付いた。
 ……こんなとこで?
 興味が湧いたので少しだけ寄り道してみる事にする。
 まだ6時ぐらいだから余裕もあるしね。
 その時、僕は気付いてなかったんだ。
 僕の後を足音を殺してつけてくる相手のことを……。

「教会跡?」
 不思議な歌声に導かれて見つけたのは、この壊れた団地の合間にポツンと建っていた教会……その廃墟だった。
「……多分、ここからかな。」
 それにしても、誰が朝からこんなとこで歌っているんだろう?
 確かめてみようと足を進…
「ニィ〜〜」
 …めようとしたトコで、何か生温かいモノが僕の右足の甲に乗ってるのを感じた。
「え?」
 視線を右足に落とすと、そこには白い子猫がいた。
「母親とはぐれたのかい? 僕にすり寄って来ても君が食べられそうな物は今日は持ってないよ。」
 普段学校に行く時ならお昼のお弁当ぐらいは持ってるけど、今日はキャンディ作るのと配るので手一杯だったから、そういうのは全然持って来てないよ。
 せいぜい、数が半端になったキャンディを入れた袋ぐらい。
 ……猫じゃキャンディは食べないだろうしね。
「ミィ〜〜」
 そんな僕の事などおかまいなしに、子猫は足を四本全部身体の下にたくし込んでうずくまった姿勢…香箱を作るとか言われてるアレだ…で小ちゃなあくびをして、気持ち良さそうにうつらうつらとし始めてしまった。
「うう、どうしよう。」
 予定は思いっきり崩れてしまうが、しばらくここで歌を聞かせて貰うしかないかなと僕が諦めの境地に至ったのを待ったかの如く、歌の方まで途切れた。
 どうしたんだろう?
「歌は良いね。」
 親しげに声をかけられた。
「え?」
 教会の中からかな?
「歌は心を潤してくれる。リリンの生んだ文化の極みだよ。」
 ぽっかりと開いた壁の穴の向こうから、朝焼けの光で赤みを帯びた少年が姿を現した。
「そう感じないか? 碇シンジ君。」
 明らかに僕を僕と認識して。
「僕の名を?」
 初対面だよね。こんなに目立つ人と遭ったら忘れる方が苦労するだろうし。
 ……ネルフの関係者なのかな?
「知らない者は無いさ。失礼だが君は自分の立場をもう少し知った方が良いと思うよ。」
 ……言い切られちゃいました。
 そんなに僕って有名なのかな? 一般にも。
「そうかな。……あの、君は?」
 それはともかく、僕の方の紹介は必要無さそうなので彼の名前も訊いてみる。
「僕はカヲル。渚カヲル。君と同じ仕組まれた子供。フィフス・チルドレンさ。」
 そしたら、実にあっさりと教えてくれた。
 フィフス……なんだって!?
「フィフスチルドレン! 君が…あの……渚君。」
 彼も僕と同じチルドレン……道理で僕の事を知ってると思った。
 ……関係者だったんだね。
「カヲルで良いよ。碇君。」
 彼のはにかみを目にして、何故だか頬が熱くなる。
「僕もシンジで良いよ。」
 ……この感覚って何だろう?
「ところで、学校まで連れてってくれないか?」
「え?」
「道に迷ったんだ。」
 微笑みながら言われるとあんまり困ったようには見えないけど、多分困っているんだろうなぁ。……どうしたものか。
「ごめん。今、ちょっと動けそうにないんだ。」
 子猫は僕の苦労も知らぬげに安らかな寝息を立てている。
 ……今歩いたら良くて叩き起こしちゃうんだろうなぁ。かと言って、抱き上げたりするのも少しはマシだとしても起こしちゃう事には変わり無いだろうし。
「その猫かい?」
 カヲル君は屈んで子猫に両手を伸ばすとそのまま持ち上げ……
「止めてよっ!!」
 激烈に悪い予感に襲われた僕の叫びを聞いて、握り絞めようとした指の動きを止めた。
「何故だい? まとわりつかれて迷惑してたんじゃないのかい?」
 僕が止めた理由を不思議そうに訊いてくるカヲル君。
「それに、この猫放っておいてもどうせ死んだよ。親もいないし、食べ物も無いし、こんなトコ君や僕以外に来るはず無いし、飢えて苦しんで徐々に死ぬんだよ。」
 多分、僕に対する善意か案内してくれるお礼みたいな感じなのかな?
「だから今殺してやった方が良いんだよ。」
 いや、もしかしたら子猫に対しても彼なりの善意を示そうとしたのかもしれない。
「そんな事無いよ。生きてれば自分で生きられるようになるかもしれないし、誰か飼ってくれる人が現れるかもしれないじゃないか。」
 でも、彼がやろうとした事は、僕にとってはあんまり気分が良い事じゃない。
「確かに困ってたよ。でも、嫌だった訳じゃないんだ。」
 予定が変わって困ってたのは事実だけど、あの鼻歌を聞きながら子猫に寝床を貸してあげてるのも良いな……って思ったのも事実だし。
 そう僕の正直な気持ちを語ったら、カヲル君がさっきにも増して優しそうに見える爽やかな微笑みを浮かべた。
「……そうか。君はそういう考え方をするんだね。好意に値するよ。」
 子猫を握り締めようとしていた両手で、その子猫を優しく地面に戻してくれる。
 どうやら僕の意見を聞いてくれたみたい……って、僕の影でブルブル震えてるね、この子猫。しかも、服に爪を引っ掛けて背中を這い上がってるし。
 ……どうしよう。
 学校に連れてく訳にもいかないしなぁ。
 猫に怪我は無いみたいだけど、無理矢理剥そうとしたらさっきみたいに脅えさせる事になるだろうしね。
 ……仕方ない。何とか背中から剥して抱いて移動しよう。このまま背中にくっついてられるよりはその方がマシかな?
「え?」
 そこまで考えたら、僕の考えを読んだのか、子猫が僕の背中から肩に登って、腕の中へとちゃっかりダイビングを決めてしまった。
 で、そこで丸くなっちゃった。
「ふう。取り敢えず学校まで案内するよ。」
 こうなったら、この猫の事は後回しで、先にカヲル君の用事からにしよう。
「よろしく、シンジ君。」
 でも、こんな時間から学校に…って、まるで出遭ったばかりのマナみたいだね。
 その時何処かで少女が一人くしゅんと可愛いくしゃみをした事までは、僕には知る由も無かったのだった……。



 ネルフ本部基地の最深層にあるLCLプラント。
 真紅の十字架に両腕を張り付けられ、やはり真紅の槍で胸を貫かれている七つの目玉を描かれた紫の仮面を被った下半身の無い白い巨人。
 その十字架の下に、ネルフ総司令 碇ゲンドウの姿はあった。
「我々に与えられた時間は残り少ない。」
 手に携えてきた花束と小さな包みを十字架の基部の前に供え、ゲンドウは視線を上へと向け語りかける。
「まもなく最後の使徒が現れるはずだ。それを処理すれば我々の願いが叶う。」
 白い巨人……第2使徒リリス。
「もうすぐだよ、ユイ。」
 いや、その中で眠っている筈の最愛の妻ユイへと。



 学校までカヲル君を案内した僕は、そのまま交番に寄って迷い猫とかの届けが出てるかどうか聞きに行った。
「ふうん。これが日本の交番か。」
 ……何故にカヲル君までついてくるのか知らないけど。
 それで分かった事は、今のところこの子猫を探している人がいなさそうな事だった。
 正確なところは保健所にも聞いてみないと分からないらしいけどね。
 で、交番で道を聞いて行ってみたら……閉まってました。
 当たり前か。まだ7時前だし。
 でも、どうしよう? このまま学校に連れてく訳にもいかないし。
「ニィ〜」
 いっそ元の場所まで置きに行こうか……って考えたとこで、子猫が僕の顔を不安そうに見上げているのに気付いた。
 不安そうに?
 何で僕、猫の気持ちが分かるんだろう?
 何でこの猫、僕の考えてる事が分かるんだろう?
 頭に浮かんだ疑問符が僕を答えに導いてくれる。
「そっか、それで……」
 この猫とも無意識に心で会話してたんだって事に。
 明確な“言葉”って訳じゃないけどね。
「何が『それで』なんだい? シンジ君。」
 あ、そう言えばカヲル君もいたっけ。
 思わず独り言呟いたら何の事だか分からないよね。
「うん。……猫にも心があるんだなって。いつか僕らと猫とか色んな動物達と分かり合えるようになるかもしれないかなって。……心があるんだから。」
 だから僕は、ついさっき思いついた事を口に出してみる。
 自分でも夢みたいな考え方だなって思わないでもないけど。
「素敵な考えだね。……好意に値するよ。」
 え? 否定しないんだ。
 てっきり夢想だとか何とか言われると思ったのに。
 でも、
「その『コウイニアタイスル』って何?」
 さっきから気になってる事がある。
 学校まで案内したのについて来る事もだし、この言葉もだ。
「好きって事さ。」
「え!?」
 好きだと言われて嫌な訳じゃないけど、男から言われるのは本当に初めてだ。
「あ、ありがと……」
 そう言いつつも微妙に距離を離す。
 まだ、彼とどう接して良いのか僕自身にも分かりかねるから。

 で、結局思いついた手は……
「あ、そこにIDカード通せば良いから。」
 ネルフ本部に詰めている人に預ける事だった。
 ミズホさんなら僕が学校行ってる間に保健所で話を聞いてきてくれるだろうし、リツコさんとかは猫に詳しそうだし……僕が一人で抱えてるよりマシな解決法を教えてくれそうだと思ったからだ。
「分かったよ、シンジ君。」
 ジオフロントへのゲートを通る時、カヲル君が少し顔をしかめたのが見えた。
 ……何故だろう?
『ATフィールド? この感じは精神探査か。……いったい誰だ?』
 でも、僕には分からなかった。
 微弱なATフィールドが彼の心に触れたのが顔をしかめた原因だって事に。


 シンジとカヲル、そして子猫の到着はリツコ達にも把握されていた。
「フィフス・チルドレンが到着したわ。」
 ゲートなどに仕掛けられている精神探査装置。それはリツコのイロウル細胞から発せられる微弱なATフィールドを利用して記憶探査を行なう装置なので、その性質上リツコも誰が通ったか把握できるようになっているのだ。
「渚カヲル。過去の経歴は抹消済み。……レイと同じくね。」
 ミサトがリツコの研究室にお邪魔しに来るのはいつもの事なので今更変には思われないし、リツコの研究室ほどセキュリティの堅い施設はネルフ本部では他に見つからない。
 ……実は司令公務室よりもガードが堅いのは公然の秘密だったりする。
「ただ生年月日はセカンドインパクトと同一日よ。……何かあるわね。」
 その情報だけは公開されている意味。
 どう考えても作為的としか思えない情報操作に、果たして如何なる意図が隠されているのだろうか?
「そうね。委員会が直で送り込んで来た子供よ。何か無い方が変ね。」
 単なる囮にしては手が込み過ぎていると読むミサトの勘を肯定するようにリツコの眼鏡が照明を反射してキラリと光る。
「マルドゥックの報告書もフィフスの件は非公開になってるわ。で、他のネルフ支部のマギを調べてみたんだけど……面白い事が分かったわ。」
 外部と繋がる回線がある全てのコンピューターは、マギ・オリジナルやリツコにとっては開かれた本も同然であり、データ閲覧ぐらいならさほどの苦労も無く覗けるのだ。
 数万倍に処理速度が上がった設計者本人にかかっては、世界最高峰を誇るマギのプロテクトとて無いも同然の有様なのだから。
「何?」
「彼、人造人間よ。……レイと同じくね。」
「レイと同じ? それじゃ……」
「数多くいるクローンの中で唯一目覚めている個体。使徒の要素が混ざった人間。それが彼よ。……いえ、もしかしたら人間じゃなくて使徒なのかもしれないわ。」
 経歴を抹消してる以外にもレイと共通点があるのかと訊き返すミサトに、リツコが自分のATフィールドとの接触で得られた情報から立てた仮説を開陳する。
「使徒!? 彼が!? フィフスが使徒だって言うの!?」
 流石に驚いて大声になるミサトに顔を向け、口の前に人差し指を立てて声を抑えるよう促してから答える。
「多分間違い無いわ。」
 この仮説の蓋然性は高い、と。
「……どうする、リツコ?」
 実際に戦闘になるならともかく現段階では自分が独断で対応を決める訳にもいかないと意見を訊いてくるミサトに、
「碇司令に報告して様子を見ましょう。幸い、シンジ君に危害を加える様子は無いわ。」
 リツコは慎重論を提示したのであった。



 ミズホさんに子猫を預けて、僕はカヲル君と一緒に学校に向かった。
 本当はミズホさんだけじゃなくてミサトさんやリツコさん達にもキャンディを渡すつもりだったんだけど、カヲル君を転校初日から遅刻にさせるのも可哀想だからね。
 クラスの人達の反応は、見たとこ歓迎半分残念半分ってとこかな。
 カヲル君って銀髪紅眼で色白の美少年だから、この2−Aじゃなかったら大歓迎されるんだろうけど……ここのクラスの人って全員僕の…………だから。
「気にしなくていいよ、シンジ君。」
 あれ? 言葉に出してたかな?
 ……まあ、いいや。
「ごめん。今日、僕は用事があるから、学校の中を案内してる暇無いと思うんだ。」
 とにかく、先に謝っておく。
 昼休みを利用して配りに行かないと、放課後にカヲル君を案内したり手続きしたりしなきゃならなくなるだろうから、今日中にホワイトデーのお返しを渡せない人が出ちゃうかもしれないし。
 確か地下駐車場に僕用の電動スクーター“ミラーナイト”が置いてある筈だから、あれを使えば何とかなるかな?
 ……本当はあれって使徒迎撃戦用なんだけどね。
 これって職権濫用なのかな?
 良いや。今はみんなにちゃんとお返しを渡す事だけ考えよう。
 いちおう何かあったら使って良いって言われてるんだし、問題無いよね。
「良いよ。僕は僕で適当にやってるから。」
 僕が結論に至ったのを待ってくれたのかのようなタイミングで、カヲル君は僕の謝罪を快く受け入れてくれた。
「ありがとう。」
 そうと決まれば、渡しそびれた人のお昼のスケジュール調べとかないとね。
 渡しに行ったのにいませんでしたってなっちゃったら間抜けだから。



 昼休み。
「人は無から何も作れない。人は何かにすがらなければ何もできない。人は神ではありませんからね。」
 学校周辺の山林の人目につき難い場所を適当に見繕ったカヲルは独り言を呟いた。
「だが、神に等しき力を手に入れようとしている男がいる。」
 しかし、それに応えるモノが少年の目の前に現れた。
 “SEELE 01”と書かれた黒い板状のモノである。
「我等の他に再びパンドラの箱を開けようとしている男がいる。」
 次いで現れたのは“12”と言う番号が記された板だった。
「そこにある希望が現れる前に箱を閉じようとしている男がいる。」
 更に“04”が言葉を続ける。
「希望……あれがリリンの希望ですか。」
 何時の間にかカヲルを囲むように現れた12個の黒い板への反問に、
「希望の形は人の数ほど存在する。」
「希望は人の心の中にしか存在しないからだ。」
「だが、我等の希望は具象化されている。」
「それは偽りの継承者である黒き月よりの我等の人類、その始祖たるリリス。」
「そして正統な継承者たる失われた白き月よりの使徒、その始祖たるアダム。」
「そのサルベージされた魂は君の中にしか無い。」
「だが、再生された肉体は既に碇の手中にある。」
 板達は口々にカヲルに好き勝手な思想を語りかけ、情報を伝える。
「シンジ君の父親か。」
 もしゲンドウがアダムの肉体と融合したならば、彼もまた“次代のアダムたる資格”を争う者になり得る。ゼーレの最高幹部達はそうなってしまう事を危惧していた。
「だからこそお前に託す。我等の願いを。」
 だからこそ、わざわざこうして念を押しているのだ。
 最高幹部12人が総出で。
「分かっていますよ。その為に僕は今、ここにいる訳ですから。」
 再び虚空に消えた黒い板達に答えたカヲルの呟きが彼等ゼーレのメンバーに聞こえたかどうかは定かではない。
 しかし、チルドレンの監視と護衛を影から務める諜報部員達にカヲルが誰とどうしていたのかが全く感知できなかった事だけは確かであった……。



 第3新東京市から東北に遠く離れた町。
 セカンドインパクトで破壊されて以来再建されていなかった廃ビルに、4人の男達が忍び寄っていた。
「見た所、警備は10人……1分隊程度か。」
 防弾着を着用し自動小銃と手榴弾で武装した軍人が10人。しかも重機関銃までビルの入り口に据え付けているらしく、ちょっとした砦ほどの防備があると見て取れる。
 拳銃とちょっとした武器だけで攻略するには少し荷が勝ち過ぎている小要塞であった。
「本当に、あの親子がここに連れ込まれたんだな?」
「ああ、間違い無い。」
 しかし、どうにかしない訳にもいかない。
 街のチンピラに変装した戦自の諜報員がネルフ本部勤務職員の妻子を誘拐してここに連れて来るのを阻止し損なったのだから。
 幸いにも敵の数が10人程度なら、正面から攻略するのは無理でも付け入る隙はどうにか見つかりそうだった。
「行くぞ。」
 4人の男達は2組に分かれ、同じく2人組で周囲を巡回している兵士達の死角を突くべく瓦礫に身を隠しながら近付いて行くのであった……。



「シンジ君にこの街を案内して貰うつもりだったけど……急かされちゃったからね。」
 両手をポケットに隠したカヲルは学校を後にし、ネルフ基地の中を歩いていた。
 何重もの電子ロックで閉じられた扉を手も触れずに開きつつ。



 急襲そのものは成功だった。
 リツコの手で普通時の能力限界を超える運動能力を引き出せる催眠暗示を仕込まれていたネルフ側護衛隊員達は、巡回していた兵士2人を音も無く瞬殺し、装備を奪って何食わぬ顔で巡回を続けるフリをしたのだ。
 そして交代に戻るフリをして敵に近付き、あらかじめピンを抜いておいた手榴弾を投げ込み、混乱している連中に自動小銃を乱射して大半の敵兵を仕留めるのに成功した。
「脱出するぞ!」
 人質にされていた女性と少女は声帯を潰され、睡眠薬で眠らされていたものの命には別状無く、本部に連れ帰る事ができれば治療できる見込みがある。
 ……そう思われていた。
 しかし、彼らは気付けなかった。
 人質が非常に強力な爆弾を飲み込まされており、この廃ビルから連れ出されてから僅か1分後に救出に来た連中もろとも自爆するよう仕組まれていた事に……。



「開かない? ……ふうん。やるね、リリンも。」
 傍若無人なカヲルの散歩も、とうとう終わりとなった。
 彼の“力”をもってしても電子ロックが全く反応しなくなってしまったのだ。
「仕方ない。……少々予定よりは早いけどね。」
 少年が皮肉に苦笑いした瞬間、カヲルの行く手を塞いでいたドアは凹み、吹き飛んだ。


 その様子は、勿論ながら発令所でも掴んでいた。
「BブロックにATフィールド発生!」
 日向が叫んだ第一報に、こんな時でも冷静なカティーが問う。
「パターンは?」
 ……単にATフィールドが発生しただけだと、このネルフ本部では珍しくも何とも無いのだから。
「パターン青、使徒です!」
 しかし、事態はあまり良くない方向に向かっているようであった。
「総員第3種非常配置! セントラルドグマの隔壁を全閉鎖! サードチルドレンに連絡急げ! 周辺地域の国連軍に我々の指揮下に入るよう通達!」
 矢継ぎ早に出されるカティーの指示で使徒迎撃戦の手配が急速に整えられてゆく。
「はいっ!」
 とうとう襲来してしまった第17使徒……最後の使者と目される存在との決戦の。


 暗い空間にて、12枚の黒い板が顔を合わせていた。
「最後の使徒がセントラルドグマに侵入した。現在、降下中だ。」
 いよいよ大詰めとなった使徒迎撃戦。
「予定通りだな。」
 それを察知したゼーレの幹部達が固唾を飲んで見守っているのだ。
「ネルフ、我等ゼーレの実行機関として結成された組織。」
 人類の……いや、自分達の命運が決まるかもしれない“その時”を。
「だが、その役目ももうすぐ終わる。」
「碇。君は良き友人であり、志を共にする仲間であり、理解ある協力者だった。これが最後の仕事だ。」
 遂にここまで尻尾を見せなかった……あるいは命じられた仕事を忠実にこなしてきたゲンドウに対してキールが感嘆を漏らす。
「人は愚かさを忘れ、同じ過ちを繰り返す。」
「自ら贖罪を行なわねば人は変わらん。」
「アダムや使徒の手は借りん。」
「我々の手で未来へと変わるしかない。初号機による遂行を願うぞ。」
 ……そう。
 彼等にとっては、アダムもアダムの魂を継ぐ者も全てが道具でしか無いのだ。
 彼等の理想を実現する為の。


 などとキールが己の要望を口にしていた頃、
「まさかゼーレが直接送り込んで来るとはな。」
 発令所の司令塔では冬月が苦り切った顔で愚痴を漏らしていた。
「老人は予定を一つ繰り上げる気だ。我々の手でな。」
 それにいつものポーズを崩さず答えてから、ゲンドウは発令所に詰めている全職員に命を下した。
「いかなる方法をもってしても、目標のターミナルドグマ侵入は阻止しろ!」
 と。


 空中に浮遊し装甲隔壁をATフィールドで突き破って進むカヲルに、ワイヤーの先に付けた金具に掴まって降りて来たシンジがようやく追いついた。
「待っていたよ、シンジ君。」
 シンジの姿を認めたカヲルは、夏用学生服のズボンのポケットに入れていた両手を抜いて両脇に垂らした。
「カヲル君…どうして……」
 カヲルそのものが使徒だったと聞かされてショックを受けたシンジだったが、心の中でなるほどと思う動きもあった。
 ……使徒だからこそ、自分を好きになってくれたのかなって。
「僕はアダムから生まれし者だから。君達リリンとは共存できないんだよ。」
 表情こそ笑顔だが、寂しそうにも自嘲混じりにも見えるカヲル。
「違う! 僕は信じてる! シトとヒトは分かり合えるんだって! 一緒に生きていけるんだって!」
 そんなカヲルに向け、シンジはあらん限りの肺活量で自分の想いを、今までの戦いで得られた経験を叫ぶ。
「それがシンジ君の願いかい? ……君もそれで良いのかい?」
「ええ。構わないわ。」
 シンジより心持ち斜め上に視線を走らせたカヲルが見た人影が、即答する。
「綾波……(カヲル君って綾波に似てたんだ……)」
 このドグマ深部へとレイが何時の間にかやって来ていたのを、シンジはレイが口を開くまで気付かなかった。ターミナルドグマに溢れている気配とレイの持っている気配があまりにも似ていて区別し難いのだ。
「シンジ君、頼みがある。」
 改めて話しかけられて、シンジは横合いの作業用通路に立つレイから縦穴を塞ぐ隔壁の上に浮かんだカヲルへと視線を戻す。
「この下に何があるか、確かめさせてはくれないか?」
 あくまでも微笑みつつ、しかし譲れない意志を込めての頼み。
 この戦いが始まってより、そんな頼みに対してのシンジの答えはほぼ常に一つだった。
「父さん! A計画管理責任者として、隔壁を開くのを要請する!」
 すなわちカヲルの……使徒の頼みを聞くことである。
 心を開き、心を繋ぎ、心を寄り添わせる為に。
「駄目だ。」
 通信機越しに拒絶する父親の声にシンジは奥歯を噛み締め、息を整え直して言い返す。
「それじゃ駄目なんだ! 今回の使徒と……カヲル君と分かり合うには、この先に行く必要があるんだ!」
 通信機の雑音が耳につく静けさが、戦場のみならず発令所をも制圧する。
「よかろう。ただし、その使徒はお前が必ず処理しろ。」
 時計の長針が12分の1回るほどの時間の末、ゲンドウはようやく譲歩した。
 決断が下されるが早いか、ターミナルドグマに至る経路を封鎖していた隔壁は全て側壁の中へと引き込まれていった。
 カヲルの願いの、シンジの要請の通りに。



 長野県にある第2東京市。
「ご苦労。……後は手筈通りに。」
 旧首都だった東京が新型爆弾と異常気象によって再建困難なまでに破壊された結果、疎開先として選ばれた仮初めの首都。
 そこにある国防省で、今、新たな陰謀が始まろうとしていた。
 ゼーレの老人達が手繰る糸が導く通りに。



 シンジとカヲルとレイ。
 3人の男女はヘブンズドアと名付けられた扉を開け、赤と白に彩られた地下空間へと歩を進めた。
「あれがアダム……我等の始祖たる存在……」
「違うわ。」
 紅いLCLの上を渡り、紅い十字架に囚われた巨人の前へと進もうとしたカヲルの足がレイの一言で止まる。
「違うって……そうか、これはリリス! そうか、そういう事かリリン(僕を騙してたのか、あの老人達は!)。」
 カヲルが何で驚いているのかシンジには解らない。
 しかし、敵意も害意も発しようとせず、好意とも言える感情が変わらず持続しているのだけはシンジは感じ取っていた。
「どう言う事、カヲル君?」
 だから訊いてみる。
 分からないからこそ、分かり合おうとする努力を怠ってはいけないのだと、シンジはたくさんの女の子達との付き合いで学んでいたのだから。
「僕はアダムに生まれし者はアダムに還るのが運命だと教えられていた。……結果、人が滅びてもね。」
 その甲斐あってか、カヲルはシンジにも理解できるよう事情を話し始めた。
「僕に選べる選択肢は2つだけだった。僕が生き続けるか、それとも死ぬかだ。でも、どちらでも良かった。僕にとっては生と死は等価値、死は唯一の絶対的自由なのだから。」
「カヲル君……僕には良く分からないよ。」
 困惑で表情を曇らせるシンジに、カヲルは優しく語りかける。
「……でも、彼等の言っていた事で違う事があった。ここに繋がれているのはリリス。アダムじゃない。リリスとでは、僕は新たな世界を築けない。」
 ただ、話の内容は謎めいていて難しく、シンジの理解力の限界を遥かに突破していた。
「だから今度はシンジ君を信用してみる事にしたよ。僕等シトと君達ヒトが分かり合える可能性ってヤツをね(シンジ君の言葉に嘘は感じられなった。なら、今まで出現した使徒とも現に共存してるのかもしれない。……単に封じただけじゃなくてね。)。」
 でも、話がここまで進めばようやくシンジにもおぼろげに理解できるようになった。
「……良いの?」
 カヲルもまた、シンジに自分の身を委ねようとしているのだと。
「問題無いよ。僕にとっては自分が男か女かってのは等価値なんだから。」
 カヲルの言い方は、相変わらずシンジには難解で不思議なものであったが。
「え? それってどう言う……」
 しかし、長く不思議がる必要は無かった。
「こう言う事さ。」
 カヲルが着ているYシャツの布地を急に膨らんだ胸が押し上げ、その替わりに腰回りがキュッって引き締まり、両足の間に見えていた膨らみがズボンの上から見ても綺麗さっぱり消えて無くなったのが解る。
「そんな……どうやって……」
「僕自身の遺伝子を自己進化させて女性体に変態したんだ。……それとも、シンジ君は男が相手の方が良かったかい?」
「そ、そんな事は…無いけど……」
 他意の無い質問なだけに対応に困ってしまい、何とか否定するシンジ。
 流石に男同士でってのは勘弁して欲しかったのだろう。
「良かった。じゃ、始めようか。」
 それでも誘いの言葉に狼狽を隠せないシンジであった。
 以前に似たような経験が無ければ逃げ出したくなってしまうだろうほどに。



 暗い、水の滴る音が耳につくコンクリート打ちっ放しの部屋。
 カツン、カツンと硬質な靴音が近づくにつれ、唯一の住人である少年は毛布の中で身を縮め、尻に手を当てて震え上がった。
 鉄格子の嵌った丈夫な鉄の扉が音立てて開くのを、少年の血走った眼は上目遣いで眼鏡越しに睨みつける。
「出ろ。」
 彼をこの訓練所に連れて来た軍人風の男の感情を交えない声に少しだけ安心感を覚えながらも、少年は油断せず尋ねる。
「こ、今度はどんな“訓練”なんだよ! こんな事やってて本当にアイツは…シンジは殺せるのかよ!」
 理不尽極まると彼が感じる訓練をおとなしく受け続ける日々もそろそろ一ヶ月、いいかげん我慢の限界に差し掛かっていたのだ。
「安心しろ。最後の下準備だ。それが終われば出撃になるだろう。」
 だが、目の前にニンジンをぶら下げられて耐えられないレベルまではいってなかったようで、少年は部屋の片隅のベッドから跳ね起きた。
「了解であります、Sir!」
 軍隊映画や閲兵の時にでも見られるような過剰に几帳面な敬礼をし、少年は笑顔を浮かべた。……道で出会った子供が夜うなされてしまいそうなほどに陰惨な笑みを。



 カヲルの大きめの口がシンジから離れると、早くもうっとりとした吐息が漏れ出た。
「これが……これがシンジ君のATフィールド。何人にも侵されない心の光なんだね。」
 丸襟のTシャツと男物のYシャツを押し上げた重量級の膨らみの先端の小さな突起がシンジの視線に晒されると、それだけでもカヲルの膝はガクガクと笑ってしまう。
「カヲル君、脱がすよ。」
 両の脇腹に回したシンジの掌が優しく撫でまわすと、早くもふらふらになってしまったカヲルのズボンの内側から雄に媚びる雌の芳香が立ち昇る。
「こういうのは初めてなんだ。任せるよ。」
 許可を貰ったシンジがズボンのベルトを緩めて足下に下ろすと、青いトランクスの真ん中に染みが広がり始めているのが見えた。
 その染みに触れないぎりぎりの線をシンジが指で何度もなぞると、とうとう耐え切れなくなってしまったカヲルが塩の砂原にペタンと座り込んでしまう。
「これは……まさにリリンが生んだ愛情表現の極みだね。」
 半開きにした口からよだれを垂らしつつ惚けた口調で呟くカヲルに向け、シンジの容赦無い追撃が襲いかかる。
「その台詞、まだ早いと思うよ。」
 Yシャツのボタンを外して前をはだけさせ、Tシャツを捲って乳房の上に押し上げ、両の腕でC…いやDカップはありそうな乳房をやんわりと揉み始められると、カヲルの下腹に点火されてしまった熱は全身に広がって皮膚感覚を数段鋭敏に変えてしまう。
「か…かはっ……こ、これ…は………」
 意識が朦朧としだしたカヲルを砂原に押し倒して足からトランクスを抜き去り、シンジは脚の付け根の敏感な秘境の周辺を舌で散策する。
「す…凄い……確かに未だ早かったね。驚嘆に値するよ。おぁあああ!!」
 漏れ出る熱い吐息の間隙を縫って普段の調子を保った台詞がカヲルの口から飛び出してくるが、すぐに咽喉の奥から噴き出してくる己の嬌声にかき消されてしまう。
「くぁああああ!」
 ピッタリと閉じた下の唇を湿らせる粘り気あるやらしいよだれをジュルジュルと音立てて吸い取り、代わりにたっぷりと唾液を塗して柔らかくほぐす。
「う……」
 特に上端の突起は優しく慎重に。
 しまいには声すら出せずに口をパクパクさせるだけになった所で、シンジは自分のズボンの社会の窓から黒い肉の凶器の顔を覗かせた。
「いくよ、カヲル君。」
 言うだけ言ってから、シンジは塗りたくった唾液と潤滑油の力を借りて、下草すら生えてないまっさらなカヲルの処女地を肉槍で一気に開墾した。
 プチッ
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
 正常位で身体を引き裂かれ、内蔵を押し込まれる苦痛がカヲルの意識を、快楽の恍惚境から現世へと呼び戻す。
 M字に開脚した足の間に入れた腰をシンジが激しくピストンすると、深く抉られている痛みがカヲルの脳を駆け巡り、身体がシンジと繋がっているコトに馴染んでゆく。
『怖い…怖いよ、シンジ君。僕が僕で無くなっていく……。』
 しかし、シンジのATフィールドがA10神経を直接侵蝕してもたらす圧倒的な快感が肉体的な苦痛を木っ端微塵に粉砕してしまう。
『そうか! そうだったのか、シンジ君!』
 そして、激しく動いて肉体的悦楽を稼ぎ出してる下半身とは対照的に、シンジは両腕をカヲルの背中に回して優しく抱き締め、心ごとふんわりと受け止める。
『僕の姉妹達が何を想って君に抱かれたかを。今、どんなに幸せなのかを。』
 もはや肉体の咽喉から発せられる声は悲鳴染みた嬌声しか無く、シンジの心の“力”に包み込まれ触れ合っている心同士で遣り取りされる心象が言葉に代わって意志を疎通させていた。
『今、理解した。……僕は、君に遭う為に生まれて来たんだ。』
 シンジの唇が喘ぎ続けるカヲルの唇に重ねられ、
『嬉しいよ、カヲル君。』
 深く突き込んだ肉槍の先端から流し込まれる愛情表現の極みが、カヲルの中にあるアダムの魂が味わってきた人の尺度では永劫にも等しき孤独の寒さを埋めてゆく。
『これがリリンの言う“愛”なんだね。……幸せだって事さ。』
 唇を触れ合せたまま、カヲルはゆっくりと目を閉じた。
「パターン青、消滅!」
 ヒトとシトとの相容れない宿命を完膚なきまでに打破して貰って生まれて初めて自由な意志を得た事と、自分の身体の上に載っている暖かで心地良い重みとに、深い満足と幸福を感じて頬を緩ませながら。
 自分に似た存在である少女が仲間に向ける暖かな眼差しに気分良く見守られながら。



 第17使徒タブリス……渚カヲルの殲滅は、松代支部と第2東京に設置されていたATフィールドセンサーによってゼーレの方でも把握されていた。
「最後の使者が倒された。」
 高密度レーザー通信で音声のみが遣り取りされている仮想の会議場。
「さよう。いよいよ我等が悲願、実現の時。」
 何重にも設けられた中継局、何段階にも暗号変換される通信内容、複数の人間が手動で繋ぐ必要がある専用光ファイバーケーブル、執拗なまでに仕掛けられた最新最高の逆探知装置……で守られたゼーレ専用回線。
「ヤツの仕事は全て完了した。今こそネルフを我等の手に取り戻す時。」
 マギによるハッキングすら受けつけない鉄壁のチャンネルで、これまで半世紀以上に渡り世界を裏から支配していた老人達の会議は続く。
「メシアに従う12の使徒とメシアの道を切り開く四天使が生誕する、まさにその時。」
 彼等にとって首尾良く“約束の日”を迎える為に。
「全てはゼーレのシナリオ通りに。」
 当初の予定通り勝利を収める為に。



 その頃、日本政府が発表した重大で衝撃的な告発を、世界中のTVとラジオが無批判で大々的に垂れ流していた。
 特務機関ネルフの前身たる組織ゲヒルン…人工進化研究所…が南極で行なった実験がセカンドインパクトを引き起こした事。
 ネルフがサードインパクトを起こそうとして故意に使徒を襲来させていた事。
 そして、その確たる証拠を外部に持ち出して警鐘を鳴らそうとしたネルフ職員の妻子を惨たらしく暗殺したのだと言う事を。



福音という名の魔薬
第弐拾六話 終幕



 第17使徒戦閉幕〜。いつもに比べたら割りとあっさり風味かな?
 ちなみにカヲルはもう男には戻れません。生と死、男と女が等価値だったからこそ性転換できたのですが、シンジの傍で生きる事を選んだ事で性別が固定化されたのです。
 これは今まで出て来た他の使徒にも当てはまる事です。
 今回の見直しと御意見協力は、きのとはじめさん、【ラグナロック】さん、峯田太郎さん、USOさん、関直久さん、犬鳴本線さん…でした。皆様、大変有難うございました。

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読んだ後は是非感想を!! 貴方の一言が作者を育て、また奮起させます

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