「素晴らしい世界!此処では世界中総掛かりでチェスをしてるのね!

私も仲間入りしたいわ! 出来たならポーンでも構わないわ・・・勿論、一番なりたいのはクィーンだけど」


「其れは訳なく出来る、良ければ白の女王におなり。ゆり姫はまだ小さくて遊べないからの。

先ず、二の目にお入り。

八の目に入れば、女王になれるのじゃ・・・」



Lewis =Carroll『Through the Looking-Glass, and What Alice Found There』



『Mission2:Kiss to Sleeping Beauty/Late battle』



「なぁ」

「なんだよ」

「お前、アリスの事好きなんだろ?」

「っな! そ、そんな事、今は関係ないだろ!?」

「いんやあるね、つぅか今だからこそだろ? お前が死んだらきちんと彼女に伝えといてやるからさ・・・・で?」

「・・・何なんだよ」

「いやだから、お前の素直な気持ちって奴をだな・・・」

「だあああぁぁぁ!!!! おいこらカルロス、テメエ!! 今俺達が置かれている面倒な状況を事細かに説明し、ないとぉ!! 分からない、っての、か!?」

「いや、ぁ? 其処ま、で、俺も落ち、ちゃあい、ない、ぜ!! とぉ!!」

「それ、も、どうか。怪しいモン、だ、ぜ!!」

「オイ、お、イ。俺を疑、う、ってのか? 悲しい、ぜ、これで、も、部隊で、はエース、だぞ涼二、君よぉ!」

「エース、だ、あ? お笑い、担当、のか!」

「うわ、何だその態度。見てろよ? このカルロス様の華麗なる戦闘をな!」

「はっ! 吐いた唾飲むなよ!!」

「そっち、も、なぁ!!」

此処はハイスクールの一室か、そう疑いたくもなるような二人の男の会話。語られるのは一人の男の淡い恋心、それをもう一人が優しくからかう、何の変哲もなく何の特殊性もない其れ。だが其れを否定する要素が三つある。

一つ、此処は長閑な昼下がりの教室ではなく、死都と化したラクーンシティ、第二ラクーン病院へ連なる路地の一本であるという事。

二つ、彼等は窓辺や机に腰掛けている訳ではなく、持てる力を振り絞ってその路地を、小雨降るなか疾走している状況であるという事。

三つ、そして此れが最も平穏と現状を別ける事となっている要素か。彼等の前には数時間前まではその長閑な平穏を享受していた市民が、ホラー映画さながらのゾンビ、化け物に成り下がり彼等の前に立ちはだかっているという事。

二人の男・・・高校生、涼二とアンブレラ社U.B.C.S所属隊員、カルロス=オリヴェイラ。彼等の会話が一部、途切れ途切れになっていたのもそのゾンビ共のせいだ、その会話、途切れの合間に涼二はマシェットを振るい、カルロスは銃身にナイフを着剣したアサルトライフルで人の形をしたヒトではない物を抉り、突く。

即席ではあるが、この二人のコンビネーションは中々の物と言える。基本的に近接戦闘が得意な涼二が前に突進し、道を開き、その攻撃から零れ、此方に寄って来るゾンビをカルロスが足を抉り、胴を突く事によって倒す、というよりも吹き飛ばす事を念頭に置いた其れを繰り返す。

涼二もまた機会があれば首を刈る事によって行動不能に陥らせるが、大抵は打撃による吹き飛ばしが主だ。今求められているのは進攻スピードであって、相手を殲滅させる攻撃能力ではない、敵はゾンビといった化け物ではない、時間だ。

時計塔からの脱出に思いがけず時間を食ってしまった二人、カルロスの軽口もこの不安を打ち消す物だろう、内心は穏やかではない筈だ。

表は塔に突っ込み燃え盛る路面電車によって通路を断たれ、何より群れで攻めて来るカラスが確認されているので其処を進むのは得策ではない。よって裏口はないものかと塔の中を駆けずり回り、予備の鐘を退ける事によって開ける事が出来るようになる裏口を見付けるまでに貴重な時間を十数分消費してしまっていた。

途中で出て来た蜘蛛嫌いの者が見たら卒倒間違いなし、ライオンサイズの蜘蛛を退けるのに思いもかけず時間がかかった上にその死体の腹から湧き出して来た子蜘蛛・・・とは言っても、既にサイズはタランチュラを一回り大きくした位だが・・・其れから逃げるように走ったのも却って時間をロスさせる事となった、一度来た道を戻ったりしたからである。

鐘を退け、裏口から飛び出すように走り出た二人、冒頭のような会話をしながらゾンビを退け病院を目指した訳だが・・・二人はどんどん無口になっていった。





「じゃあ突入するぞ、突入の訓練までは流石のお前さんも受けてないだろうから俺が先、『良し』と言うまで入って来るなよ」

「『良し』ってなんか犬みたいだな・・・まあ良いや、分かったよ。でも気を付けろよカルロス」

「分かってるさ、まだ死ねないしな・・・じゃあ、行くぜ!」

そう言ってカルロスはガラスの扉を開け放ち、肩に構えたアサルトライフルの銃口と視線を同じ方向に向けながら上下左右、慎重に確認しながら突入して行った。先程は消費を抑える為にナイフを装備し、其れで戦っていたが弾は無くなった訳ではない。こういった、ドアの外から眺めても敵が見えない、だが怪しい、そういった状況だ、少々使っても罰は当たるまい。

そうしてロビー中央、柱の横に片を付けながらくの字に曲がった廊下の先、自販機の明かりが点っている所から待合室的な場所だろうか、其処からゾンビ特有の呻き声が聞こえて来た時、やはり此処もかとカルロスは肩からライフルを外し、腰溜めに構えた、その銃身には未だナイフが着剣されている。

やがて上げられた手が見え袖が見え、よろめきながら全体を現したのは中年男性と思われるゾンビだった。ゾンビから怪我を負わされ此処に運ばれ、そして・・・そう軽く想像して憐憫の情がカルロスの心を過ぎる。だからと言って手を抜く訳には行かない、己の存在をかけて、だからカルロスは腰を落とし、突進する構えを見せ・・・

「ギィッ!!」

ゾンビの後ろを黒い影が一瞬通り過ぎ、その数瞬後にゾンビの首がぼとりと無造作に落ちるのを呆然と見送った。

「ギギ・・・」

初めて聞くような鳴き声に慌ててその声の方を向き、絶句する。其処にあった異形はついさっき戦った黒コートの化け物、其れよりかは幾分か小さく、見た目が与える畏怖も少ない。だからと言って無視出来るほどでもなかった。

いうなれば其れはリザードマン、ゲームで出て来る人型の爬虫類に酷似していた、黒い鱗に包まれた全身、白い腹、その手に生える爪は優に30cm.に届くかと思われるほど、その爪でたった今、ゾンビの首を刈り取った訳だが其れから滴る濁った血が未だにその事実を主張し続けている。

そして全身の内、頭部や胴の一部を覆う赤黒い肉腫のような、時たま脈動する所から見て、さらに戦闘能力から見て此れで健常体なのだろう、其れに包まれている。片方の目はその肉腫に覆われて見えないが、もう片方の目、其れはカルロスへと向けられカルロスもその視線から明らかな敵意を感じ、ゾンビ以上の脅威と見て銃を構える。

先に動いたのはリザードマンの方だった、先程ゾンビの首を刈った時のような俊敏な跳躍でカルロスへと一直線に迫って来る。カルロスも黙ってはおらず、下げていた銃身を上げポイントし、引き金を二、三度絞る。放たれた弾丸は正確にリザードマンへと吸い込まれていった、跳躍し避け切れない所で食らった弾丸にリザードマンは吹き飛び、首を無くしたゾンビの死体の上へ落下する。

だが数発の弾丸では死ぬ事無く、この種の化け物特有の生命力で直ぐに起き上がろうとするリザードマン、だが其れを許すほどカルロスも甘くはない。

「オラァ!」

発砲と同時に飛び出していたカルロス、その勢いのままライフルの肩当に右手を添え、左手で銃身を掴んで化け物の心臓があると思しき場所へナイフを突き立てる。響き渡る絶叫、跳ね上がる化け物の四肢、ばたつかされる其れはリノリウムで覆われたホールの床を蹴り砕き、または爪で削り取る、力を抜くとカルロスも吹き飛ばされ、刻まれてしまいかねない勢いだ。

其れを感じ、冷や汗がカルロスの首筋を伝う、このままこの化け物が死ぬまで押さえて置くしかない、さもないと・・・間違いなく俺が放したらこいつはそのまま飛び起きて俺の首を刈りやがる!!

「クッソォ!! さっさと死にやがれこの糞バケモンがぁぁぁ!!!」

そう絶叫し、刺したナイフを回転させ、化け物の傷口を抉り空気を流し込む事で致命傷を与えようと奮起するカルロス、その彼の絶叫を掻き消すかのように耳障りな鳴き声を上げ、床を削るリザードマン、暫くはその音しか聞こえなかったがカルロスの耳は別の、しかし先程聞いたような、何より決して聞きたくない音を聞き取り、背筋に寒い物を感じながら音のした方へ視線を向ける。

目が

合った

今カルロスの足の下でもがく化け物と同じ姿をした、人型の爬虫類が、肉腫のような盛り上がりの差異こそあれ、唸り声を上げる口、その両手に生えた爪に違いはない。その化け物が今カルロスの目の前で足の爪でカチリ、と冷たい音を響かせながら接近しつつあった。

「やべぇ!」

慌てて突き刺している銃を引き抜こうとするが、すぐさま両手で銃を構えなおす、抜こうとした途端に床に貼り付けにしていた化け物の方が起き上がろうとしたのだ。先程から抉られ続けていた傷口から流れ出す紅い血の量は、どう考えても致死量に達している筈なのに・・・例えこの程度の化け物でも常識を覆すだけの力を秘めていると言うのか。

ならばと左手でライフルを押さえ、右手で腰のハンドガンを抜き放とうと右手を放し・・・結局、またライフルへと戻す、未だ暴れるその力、片手だけでは到底押さえられる物ではない、そうこうしている間にも二匹目は低い唸り声を上げながらカルロスへと近づき、腰を低くした体勢で止まる、跳躍に移る気だ。

その跳躍のスピードはカルロスの鍛えられた眼力をもってしてもギリギリ捉えられるか否か、この体勢で避ける、または反撃出来るほど甘いものではない! 不味い、何とか抜け出さねば・・・焦るカルロスを尻目に化け物は足に力を込め、次の瞬間

「ギィオァッ!」

床に爪を減り込ませ、その足の筋力を存分に発揮しながらカルロスへと飛び掛り。

「チィッ!(俺も・・・此処までかよ!)」

歯軋りし、半ば諦めかけたカルロスへとその爪を振り下ろし掛けた所で、横合いから空を裂いて飛来した黒い何かが空中に浮いていた化け物の脇腹へと衝突する。

「ギィシィアアァァア!!!」

その勢いは凄まじかったらしく、化け物は吹き飛び、壁へ激突する。  


その脇腹に深く突き刺さっている物体に、へし曲がった刃にカルロスは見覚えが嫌と言うほどあった。そして酷く折れ曲がり、普通なら投げても真っ直ぐには飛ばないであろうマシェットを飛ばし、なおかつ化け物の筋肉の鎧に突き立てる技量を持った者を。

其方に視線を向ける間も無く、空気を裂き飛来する銀光がカルロスが必死で押さえる化け物の首辺りに突き刺さる。ランボーに代表されるハリウッドの戦争映画にてマッチョの代名詞とも言える肉厚長大なナイフ、投げナイフには到底向いてないと思われるそれが化け物の首にその刃のほぼ全てを埋没させていた。

一層甲高く上がる悲鳴、だが確実に力は弱まっている。勝機を感じ更に銃剣を荒々しく捻るカルロスの後ろを、黒い何かが風をまとい、駆け抜け脇腹に刺さったマシェットを引き抜こうとするが武器である爪が邪魔になり、上手く引き抜けずにいるもう一匹の化け物へ肉薄する。

その気配を感じたのであろう、刃を抜く事を諦め化け物は向き直る。だがそれは余りにも遅く、そして相手を見くびった行動であった、彼は刃を気にする暇があったら直ぐにでもカルロスへ攻撃し、仲間を助けるかマシェットが飛んで来た方向へ跳躍をかけるべきであった、ウィルスに侵された脳髄ではそれは無理な事であるかもしれないが。

「シィッ!」

歯の隙間から鋭く吐かれる呼気の音と共に黒い影が左腰に添えた刃を鋭く振り抜き、即座に刃を左腰の方へ戻しながら数歩分の距離を一跳びで跳び、離れる。

リノリウムの床と、靴のゴム底が擦れて甲高い音がなる。それに数瞬遅れてゴトリと床の上で、一刀両断された化け物の首がはね、それを追うように胴体の方もどさりと崩れ落ちた。

カルロスはその光景に軽い畏怖を覚え、だがそれよりも強い賞賛の意思を覚え黒い影に呼びかけた。

「すまねえな、涼二!」

呼びかけられた影は、突き刺さったままの曲がったマシェットを引き抜き首を刎ねた真っ直ぐな方は腰の鞘へ戻しながら、向き直った。

「やっぱ離れるのは不味いっしょカルロスさん」

そう軽く笑みを浮かべながら涼二は、曲がったマシェットを振りかぶったまま近付き、未だ力弱いながらも手足をバタつかせるカルロスの銃剣下にある化け物の首へ、それを振り下ろした。







「そっちはどうだ? カルロス」

「駄目だな、カルテには病状しか書いてねえしどれも似たり寄ったりだ。治療法のことは何もないな・・・」

二匹の化け物を葬った後、涼二はカルロスに「これからは同時に侵入、背中くらい任せろ」という内容を約束させ、その後二人はロビー横にあるオフィスから医者の詰め所へと向かい、そこらに散らばる資料の類を片っ端から読み漁っている。

治療法を探す、だからといって病院内をむやみやたらと歩き回っても偶然に見つかるとは思えないし、何より下はゾンビから上はさっきのコートを着込んだ絶叫野郎が跋扈するこの死都で、目的地もなく歩き回るのは愚の骨頂だ。

治療法があるなら何らかの形で残す筈、そう踏んで二人はこうして数分間、殆ど流し読みではあるが「治療法」、それに類する単語を探し出そうと躍起になっていたが未だ発見出来ずにいた。

涼二は溜め息混じりにファイルを投げ出し、次を探そうと辺りを見回しソファーのある辺りに視線が行き、顔をしかめる。そこには歳若い、といっても30は少し越しているであろう金髪男性の死体があった。その目は閉じられ顔には諦めとも悔恨ともつかぬ表情を浮かべたまま、彼の時は永久に止まっていた。

おそらく彼もまた感染し、その事に気付いたのだろう。右手にはハンドガンが握られこめかみに開いた穴から流れ落ちたであろう血は白衣を赤く染め、膠のように固まっていた。覚悟の上での自分殺し、頭を撃ったのはウィルスの特性を見抜いていたからかたまたまか、左手に握られていた十字架が鈍く光っている。

顔をしかめたのはその死に様を気にしたからではない、数日前では考えもしなかった事だがこうして死体が転がる横で平然と資料を読み漁る、それを平然となしている自分に気付いたせいだ。むろん、そうでもしなければ生き残れないことは涼二自身がよく分かっている、だが割り切れるものではない。

時間がない事に気付き、頭を振って資料を探した視界の隅になにやら手帳らしきものが映った。拾い上げてみると日記、それも院長の物らしい。先ほどからカルテの記入欄に何度も見かけていたので覚えている、となるとこの死体が院長? そう思いながら涼二はページをめくる、院長クラスの遺した物ならば何かヒントが書いてあるに違いないと踏んだからだ。


他人のプライバシーに触れる物ではあるが、死人から文句を言われることもあるまいと割り切り最初のページを開く。どうやら今年、1998年の一月からの分らしく、その日診た患者の事から面白かった出来事を事細かに書いてある、かなり几帳面かつ文才もあったようだ。

全て読んでみたかったがそれどころじゃない、という当然の理由から飛ばし、7月辺りから軽く流し読みを始める。特に記述はなく娘が主役を務める夏祭りの演劇イベントが楽しみだとの書き込みに口が少しへの字になるのを覚えた。

グッとこらえ、8月にはいる。この辺りから少しずつ狂気が滲み始めていた、書き手は未だその惨劇に気付いてはいないようだが。近郊の森から聞こえてくる今までに聞いた事のないような生き物の鳴き声、行方不明になるブロンドの女性、異様に目を赤く光らせ凶暴化した鼠の群れ・・・ここまでの体験を積んだ涼二には分かる、これは間違いなくアンブレラのウィルス兵器に関係する物だと。

9月、終に人に被害が出始めた。高熱、嘔吐、意識の混濁、理性の希薄化に伴う凶暴性の発露・・・皮膚が腐り落ち、中から変色した肉が覘く。

「9月4日

看護婦長のイルミナが顔を真っ青にして院長室へ駆け込む。理由を聞いても舌もまわらず、仕方がないので同行する。

行かなければ良かった、いや、どうせわかる事とは言っても少しでも未だその異常に気付きたくはなかった。

霊安室、何時もは明るく患者にも好かれているキャシーが虚ろな顔をして薄汚れたコンクリートの床にへたり込み、平坦な笑い声を上げていた。精神科医でなくとも精神に異常を来たしている事は分かる。

ゴソリ、と音がした。音が聞こえる筈のない方から、半開きの亡骸を入れる金属製の扉の中から。見えたのは二本の腕、ステンレスの扉を擦ったのか、狭い中で方向を変えたからか。その指は全て有り得ない方向へ曲がり、爪も剥がれ落ちていた、それでもそれは狂おしく振るわれる。

髪も抜け落ちた頭部、肋骨の浮いた胴体、更に酷く折れ曲がった両足。全てを曝け出し【ソレ】は私の方を向いた、後に慣れる事とは言え私は今でも【ソレ】の目を忘れる事はない。

呻き声、這いずる音、【ソレ】の折れ曲がった指の断面から覘いた白い骨が私の足に触れた時。私は医者という立場を【ソレ】が数時間前までは患者であったという立場を忘れ護身用にと持ち歩くようになっていた銃口を【ソレ】の眉間へと向(この後、字が乱れていてよく読み取れない)

私は医者として、それ以前に人として失格なのだろうか?こんな時だけ神にすがるのは罪なのだろうか・・・。だがあの死体はなんなのだ?確かに心停止、そして脳死を確認した、なのに。蘇生の可能性も往々にしてある、だがあの状況は異常だ、悩んでいても仕方がない、明日外科部長のアルクとあの遺体を解剖してみようと思う」


「9月6日

おかしい、解剖の結果、内臓器官の消化能力特化といった変異が見られたため現在確認されていない新種の病原体、もしくは寄生虫の可能性を考慮しサンプルをCDC(米国疾病予防管理センター)へ送ったのになんら音沙汰がない。ラクーンにおける異常事態も記載していたのだから、優先事項として扱われた筈・・・途中経過の報告程度はいるのが普通なのだ。

もしかして・・・嫌な予感がよぎる、いや予感ではない確信だ。間違いなく私が送った情報は全て握りつぶされたに違いない、誰に? その見当もおおよそついている。あの企業が来てから確かにラクーンは発展した、福利厚生も充実しこの病院もその企業の恩恵を受けている。その代償を我々は払ったか? 何事にも恩恵には代償が付物だ、ましてや相手は企業、何の得もなくそのような事・・・そう、この異常事態こそが我々が払わされる代償だとしたら?

そういえばこの病院にも院長である、私も立ち入り禁止の区域が存在する。主任と名乗る人物と何度か飲みに行った事はあるが、研究内容を聞いても何も話さなかった。ここ数日、研究室から出てくる事はない主任、何か知っているのだろう明日問い詰める事にする。院長としての地位? そんな物・・・今なんの役に立つというのだ?」

「9月7日

何という事だろう、事態は私の予想を大きく超えるほどに異常だった。前述の通り、私は立ち入り禁止区域にあるアンブレラ社所有の研究施設へと押しかけた。当然、出入り口に常駐している警備員ともめる事となったが主任が現れ、渋る警備員を説き伏せ私を中に入れてくれたのだ。

そこで知らされた真実、異常事態の原因、そしてソレがもう我々の手に終えるような事態ではない史上最悪のBIO HAZARDであることを私は認識し、膝の震えが止まらなかった。【T-ウィルス】、TYRANT(暴君)を頭に抱くそのウィルスの特性を半ば諦めた表情の主任、アジズから伝えられ私は全てを投げ出し家族を連れこの街から逃げ出す事を思った。

だが其れがもう叶わない事だと知っている、アジズの話だと既に街の境界線では防疫線が張られ、密かにウィルス反応が陽性の者は排除されているのだと聞かされたからだ。それに、ああ、何という事だろう、感染者から擦過傷を受けた私も、凶暴な犬に噛まれたという妻も、そして友人の見舞いに来た娘も・・・間違いなく陽性だ。

私に残された選択肢は二つ、安置所で弾丸を撃ち込んだ動く死体の仲間入りを果たすか、治療法を探すかだ。私は当然、後者をとる、其れが医者として、そして夫として父としての責務だと信じるから。諦めの表情を浮かべるアジズを説き伏せ、共にこの困難に立ち向かう事を誓わせる、今からが私の本当の戦いだ」

「9月8日

私は主だったスタッフを集め、事の真相を明かす。容易には信じてもらえまいとは思ったが、拍子抜けするほどに皆、真剣に聞き入ってくれた、この異常事態に彼らも通常の対応ではどうにもならない事に気付いていたのだろう。彼らとアジズを主とするアンブレラ側の研究員と引き合わせ、共に治療法を探す事を誓う。

我々は医者であり、人であり、そして生物なのだ。地に生を受けた以上は天寿を全うするまで戦い続けねばならない、其れは逃れられない生き物の宿命であるのだから。

ウィルスは最初は空気感染であったらしい、だが症状が出るまでかなりの時間を要していた為か、はたまたその貪欲さゆえか変異を起こし接触感染になったらしい。感染リスクは下がったが、代わりに病状進行が劇的に早くなった、最初は一ヶ月近く、今では数日にまで・・・このままでは数時間になるのではないかと予測する、そうなったらこの街は間違いなく。

そうならない為にも私は此処にいる、そう思いたい」

「9月10日

アンブレラはウィルスを生物兵器として直接使用するのではなく、間接的に使用する積りだったらしい、その現物が今、私の目の前にある。両生類のような疣の浮いた肌、目の退化したのっぺりした顔、ハンターγと呼ばれる爬虫類、もしくは両生類の遺伝子にウィルスを混入させ突然変異を起こし、いや、これはもう進化としか言いようのない変化を起こさせた結果だ。

警備員、と思っていたが実はアンブレラの傭兵だった彼らが研究サンプルにと捕らえて来てくれたのだ、既にアンブレラはこのラクーンに見切りをつけ巨大な実験場として使用する積りなのだ。彼らはそんな雇い主に嫌気がさしていたらしい、かと言ってもう逃げる事も叶わぬと我々に協力を申し出てくれたのだ。無論、このような化け物を生きたまま捕らえる難題をこなした彼らもまた無事ではすまなかった、5名のうち2名が死亡、残り3名をウィルスに・・・其れでも彼等は笑顔で、何かに勝ち誇った顔で。彼らの気持ちに応える為にも治療法を確立せねばならない」

「9月14日

やったぞ! ついに我々は困難に打ち勝ったのだ! ウィルスの解析に奇跡的に成功し、脱穀後に自身のDNA複製を作る作業を阻害する物質の化学式を入手するに到った。これを大量に複製すればウィルスを根絶出来るだろう、先ずは実験として被験者を患者から選び、投与する事にする」

遂に見つけたかった一文、だが涼二は喜びの声を上げることなく、冷静に先を読み続ける。理由は簡単だ、もし本当に治療法が確立しているのなら何故この院長は悔恨の表情のまま自ら命を絶ったのか。希望の後の絶望ほど辛い物はない、叫びだしたいのをこらえページをめくる。其処に書き殴られた様な数日後の日記、やはり・・・涼二は歯を食いしばり単語を追う。

「9月16日

何故だ・・・読みが甘かったのか? ワクチンを投与し、必ず治ると確信をした私の前で妻は息を引き取った。いや、化け物へと身を堕とそうとした。崩れ落ちる私の目の前でアジズが冷静に処置を下す、ああなる前に地下の焼却炉で。

燃え盛る焼却炉の前で枯れ果てたと思った涙がまた湧き出すのを感じた。おそらくはワクチンを開発する間にまたウィルスが変異したのだろう、そうだとするとインフルエンザ・ウィルスすらも超える変異の速さとなる。もう、治療法などないのかと思い始めている自分がいる・・・このまま身を燃え盛る獄炎の中に投じれば楽になるのではないかとも」

矢張り、駄目だったのかと絶望を覚えた。だが意外にも日記は続いている、まだ僅かな希望にかけたのかと、その男の軌跡を涼二は辿る。

「9月17日

絶望している暇はない、娘さんだけでも助けるのだというアジズの励ましもあり、再び治療法を模索する事にする。だが、私も皮膚に痒みを覚え、思考力の低下などの初期症状が見え始めた、おそらくはもう長くはあるまい。

ワクチンは無駄、治療薬はラクーン大学内の研究室で研究中とのアジズの話もあり、残った選択肢を選ぶ、即ち血清療法だ。とはいえ、通常の実験動物では抗体を作る前にゾンビ化してしまうだろう、よって【B・D】を使うことにする。迷う暇はない、早速D-1にウィルスを投与、最新の変異ウィルスは既に数時間で発症する、神経系統に近ければ近いほど早いので結果が出るのも当然早くなる、皮肉だが血清作成には好条件だ。

とはいえ楽ではない、B・D−1は投与後数時間でゾンビ化、処分。





B・D−6:10時間を初めて生き抜くがゾンビ化、処分」

処分という文字に拒否感を覚え、眉をひそめる。その意思に反してページをめくる手は止まらないが。だが其れも終に、最後のページに行き着いたのだ、震える文字、スペルの間違い、幼稚園児並みの文法の稚拙さ・・・あらゆる点が彼の終焉が如何なる物かを教えている。

「27にち

もうおわり  あたまがはたらかな びぃでぃーは30をこえそれいじょうはおぼえてな でもきぼうはみえた もっとはやいならむすめころさずにすむ でもおそいあきらめだ こころがあるうちにさようならする」

聞こえる歯軋りは誰の為の物か、現実から目を逸らさぬよう読み続ける。

「ごめんなさ」

それで終わっていた、その謝罪は誰に向けた物か、不甲斐ない自分へか助けられなかった妻か自ら殺した娘へか、それとももっと別の? 気が付けば資料を漁るのを止め、此方を見つめていたカルロスに涼二は頬を伝う涙を拭う事無く、泣き笑いの表情を向けた。





「成る程な・・・さっき俺に襲い掛かって来たのも、そのハンターの類か、確かに爬虫類っぽかったしな。で、ワクチンは駄目、治療薬は此処にはない、となると・・・」

「だな、血清だ。上手くは行ってなかった様だけど『希望は見えた』ってあるだろ? て〜事はだ、あれから数日経ってるし高確率で存在してると考えて良いんじゃないかな」

「ん、やっと手掛かりを見付けたぜ! 血清って事はあれだろ、動物に毒やらウィルスやらをぶち込んで其れに対する抗体を作らせて薬にするって奴・・・」

涙を拭い、気遣うカルロスに大丈夫だと言い切り、涼二は日記の内容を手早く掻い摘んで説明する。実際は院長の無念を感じ取り、平静な状態を保てていないのだが心配をさせる訳にも行くまい。其れに対するカルロスの問いに涼二は軽く頷く。

「そ、だから研究所はある程度広さが必要だし、動物の鳴き声なんかも当然するだろ。探すのは結構簡単じゃないかな」

「それにアンブレラの所有する立ち入り禁止区域の方だろうしな。」

そう言ってカルロスは手近にあるパソコンのキーボードを叩き、操作を始める。既に見付けてあったのか其れは即座に表示される、この病院のマップだ。

「今いるのが一階の此処、普通に表示されるのが通常の病院区域だろうな。んで、この赤くなって内部構造が表示されていない場所がおそらくはその立ち入り禁止区域だ。場所は・・・結構各階に分散されてやがるな、チッ面倒な・・・取り合えず一階の奴は規模が小さいからすぐ終わるだろ、セオリー通りに行くぞ」

振り返るカルロスの目に映ったのは半ば感心した顔の涼二。

「・・・なんだよその面は」

「いや、凄いと思ってな。パソコン扱えるんだカルロス」

その一言に少しばかりカチンと来たのか、涼二の両頬に手を伸ばし、引っ掴む。

「其れはどういう意味かな〜? 涼二く〜ん?」

「いひゃいひゃないひゃ、ひゃるりょひゅ」

自分でもなに言ってるか分からないので、早々にカルロスの手を外そうと涼二は頬を掴んでいる手の手首にあるつぼを軽く押し、すっと抜ける。相手に掴みかかられた時、最小限の行動で引き離す事が出来る、ある意味、高等技術だが何かその無駄遣いに感じてしまうが。

「いや、銃器も扱うし大抵の乗り物も乗りこなすんだろ? 其れでこうやってパソコンもきちんと使えるし・・・だから素直に感心しただけだって。何で掴まれなきゃなんないんですかね〜」

「はっはっは、ワリィワリィ。まあ気にするなって」

肩をバンバン叩いて誤魔化しにかかるカルロスに少々冷たい視線を送った後、余りじゃれてる場合ではないと真剣な物へ変える。

「で、セオリー通りって?」

その問いにカルロスはニヤリと笑い、右手で床を指す。

「不味いもんは地下に隠せ、だろ?」

「な〜る、確かにセオリー通りだけど其れだけに確実だな」

「ああ、さっき地図をプリントアウトしといたからそろそろ終わって・・・るな、持って早速行こうぜ」

そう言うとカルロスは紙を吐き出し、動きを止めているプリンターのほうへと歩み寄る。涼二は涼二で資料探索を行いながらも使えそうな物、ハーブは勿論の事、弾薬、医者の机から見つけだしたメス・・・これは投げナイフの代わりになるだろう・・・を軽く仕分け、カルロスの方へと振り返る。

「どうやって? 階段か?」

「いや、その隅にエレベーターがあるだろ。こうなったら安全性はどこも変わらないだろうし、可能な限り時間短縮を狙う」

ふむ、と思う涼二もカルロスに少なからず焦りがあるのに気付いていた、ジルの事が気になるのだろうがこの状況での焦りは危険以外の何物でも。自分も可能な限りフォローしておかないと、この相棒を失う事になる・・・本人に聞かれたら、少なからずプライドを傷付けるであろう事を誓いながらリュックを背負い直し、エレベーターの方へ・・・。

「ん?」

そんな涼二の耳に何かが這いずる音が微かに届いた、大きさは人くらいの何かが。ただ、人にしては何かこう、粘着質な音も同時に響いているのが気になる所だが。カルロスの方に視線を向けると、流石に其れに気付かないほど心は乱れていない様子で、印刷された地図を腰のポーチに乱暴に折りたたんで押し込み、アサルトライフルを構えていた。

アイコンタクトの後で互いに背中を向け合い、それぞれ180°をフォローし死角をなくす。1時間にも満たないこの二人の共闘は、その戦闘の異様性もあってかこういった事も軽くこなす。涼二は右手にマシェットを構え、開いた左手にランボーナイフを逆手に握る、その左手をカルロスへ向け、此方へ来るよう促す。それに従いカルロスは摺り足で、後ろ向きのまま涼二の方へ、即ちエレベーターの方へ移動し始めた。そうしている間も緩慢に響く這いずる音、もうよほど鈍感な者でもない限りは聞こえるほどに大きく、しかも。

(俺の耳が確かなら、既にこの部屋の中にいる位に接近してないか? この音の主。んな馬鹿な、扉には鍵かけたし探索前にゾンビはいないかと・・・っている訳がないだろ、こんな広くもない部屋に。じゃあ何だ、他にどんな可能性があるってんだ畜生!!)

心の中で毒づく涼二、次の瞬間に初めて会った時にアリスから受けた忠告の一つが、雷鳴の様に彼の心を奔った。

―其れから人間相手なら手薄になりがちな上下からの攻撃、相手は平気で天井を這って移動して来るわ、前ばかり見てたら上から食いつかれるわよ、理解出来た?―

「っっっっ上だぁ!! カルロオオオオオオオオス!!!」

涼二の叫びに弾かれたが如く、カルロスはいぶかったり上を眺めるといった愚考を犯す事無く、その場で上体を投げ出し、受身を取りながら床を転がる。其れとほぼ同時、彼の上にあった通風孔の鉄網で出来た蓋がガタリと音を立てて開き、そこから黒いゴムの塊のような物がベチャリ、と粘着質な重さを伴った音を響かせて着地、否、落下する。涼二がアリスの忠告を思い出すのが、カルロスが身を投げ出すのがもう少し遅かったら、その下にいたのはカルロス自身だ。ゾッとした顔でしゃがんだまま振り向くカルロスと、油断なく両刀を構える涼二の前、其れが緩慢な動作で二本の足【らしき】部位で立ち上がった瞬間。

「「なんじゃこりゃあああぁぁ!!」」

奇しくも二人の叫びは一言一句、全く同じだった。今まで出会った化け物はアリスと共に倒した物を含め、まだ人と、もしくは生き物と判断できる物だった。目もあれば口もあり、鼻と思しき部位もある、ゾンビは元は人だから当然ではあるが。だが今、二人の目の前にいた物はウィルスに侵された何らかの生き物である事は間違いないだろう、しかしその特徴を説明するとなると言葉に詰まる。

人型ではあるが、目も口も、そういった主要なパーツは一切ない、手足にも指はなく、極太の棒人間のような姿だ。そしてその表面は瘤とも腫瘍ともつかない、黒くぬめった皮膚で覆われている。元の生き物が何かさえ分かれば対策は立てられるかもしれない、だがこれは・・・。しかし二人には迷っている暇はない、現に黒い化け物はのそり、とカルロスの方へ一歩踏み出した、間違いなく敵意、いや、食欲という欲望に駆られている。

「チィッ!」

舌打ちと共にカルロスのライフルが火を噴く、弾丸の節約のために三点射だ。涼二は叫んだ瞬間に既に横へ跳び、カルロスの射線の上から逃れているのを確認しているので躊躇はない。緩慢な動きの化け物はその弾を避けようともせず、まともに受ける。ゾンビならば吹っ飛びハンターも後退する、最高ランクの化け物も数歩は下がるだけの衝撃を与える攻撃を受けたこの黒い化け物のリアクションは、余りに予想外れで期待を裏切るものだった。

「意に介さねぇだぁ!?」

「クソッ、アンブレラは自分が作った化け物にどんな教育してやがんだクソッ!!」

確かに弾丸は全て命中した、化け物の体に吸い込まれた筈だ、だが其れだけ、その事実以外に変化は訪れず化け物は何事も無かったかのようにカルロスへと近付いて行く、しかも少しずつ速くなって行く・・・直線であれば人が早歩きをする程度の速さは出すのではないか? そう推測する涼二の目に化け物の足元に、先程には無かった何かが落ちているのが映った。

(何?・・・ゴム、じゃない別の何か・・・動いて・・・生きてる?)

確かめようにも化け物に接近するのは銃撃、化け物の攻撃の二つの脅威に曝される事と同義、得策ではない。涼二は早々に割り切り、微妙に射線をエレベーターからずらしながら此方へじりじり移動し始めたカルロスを確認し、エレベーターの操作盤へ飛びつく。早く来いと下のボタンを押すが、エレベーターの返答は涼二を焦らせた。

【音声を入力してください】

「ハァ!? 音声だぁ!?」

【入力エラー、その音声は登録されていません、再度入力してください】

「声紋ロックかよ!! 何でそんなモンを付けてんだ!!」

【入力エラー、その音声は登録されていません、再度入力してください】

医療関係者の声紋を確認し動くのだろう、当然、涼二の声に反応なぞする筈が無い。ボタンを連打する事を止め、辺りを見回す。

(音声音声・・・なんかさっき聞いたような・・・そうだ! 小難しい、T−ウィルスとは無縁の論文かなんかの話をしてたんで直ぐ聞くのを止めた、テープがあった筈!!)

一縷の希望を見出した彼の、その目に映った物は此処では道端にウンザリするほど落ちている物、絶望だった。

(本っ当に最高の街だぜ此処は!!)

テープレコーダーはあるにはあった、ただ場所が不味かったのだろう。先程カルロスが突っ立っていた場所、化け物が落ちて来た真下、其処で粉々になり磁気テープがはみ出した人の内臓の様になっているカセットテープ・・・カルロスが踏み潰したか、化け物が飛び降りた際に破壊したか、今となってはもうどうでも良い。頭を振ってさっさと部屋の出口へと向かう、使えない物に何時までも固執する愚考を犯す時間も、運も使い切りそうになっている。

「カルロス!」

未だに続く、散発的な射撃音の隙に鋭く涼二は叫ぶ、目をチラリと向けたカルロスの前で一瞬、視線をエレベーターに向け、またカルロスの方へ戻し首を振る。通じたらしく、舌打ちをした後、カルロスは最後の3点射を行いマガジンをイジェクトする。脇のポーチから新しいマガジンを取り出し装填しながら更に涼二の方へと後退を続ける、ドアとその近くにいる涼二に、彼が後数歩まで近付いた時、緩慢な動作ではあるが化け物が歩くという行動以外のアクションを起こした。

ずるり、そう例えるしかない動きで化け物は右手らしき物を此方へ掲げた、その先にはマガジンを差し込んでいるカルロス、まだ射撃体勢には入れない。だがその間には既に数メートルの開きがある、扉も直ぐ後ろ、後は其処に駆け込みドアを閉めれば当分は安泰だ。相手の移動速度を考えると脅威には値しない。カルロスはそう踏んだ、涼二もそう踏んだ。そして其れは大きな間違いだった。

空気が押し潰される、爆裂するような音。化け物の腕が信じられない事に伸びた、速さも尋常ではなく獲物に飛び掛る大蛇と同等、黒いゴムの塊のような其れが真っ直ぐにカルロスへ向かって突き出される。通常の人間なら間違いなく避ける事など出来ず、まともに喰らうこと間違いなしの一撃、だが幸か不幸かカルロスは先程のハンターとの戦闘で些細な油断が死に直結すると言う事実を、思い知らされたばかりであった。

後ろ向きに進んでいたまま、床を軽く蹴り、背中から倒れる。涼二ほどではないが、それなりに背に荷物を背負っているので普通に受身を取った時以上の衝撃がカルロスを襲い、肺から空気を搾り出す。苦しさに顔を歪めながらも、何とか立ち上がり銃口を上げ、化け物へポイントしたままよろけつつもドアへと進む。其処へ腕を戻した化け物の右手が再び上がりカルロスへ向けて固定される。第二撃が! それに対抗すべく、バックプレートを肩に当てるカルロスの横にいた涼二が一歩前へ踏み出す、右手は背中の辺りまで振りかぶった状態のまま。

空気を裂く、先程カルロスが聞いた頼もしい音。回転しながら凄まじい威力を秘めたマシェットが、涼二の投げた其れが化け物にぶつかり、否、激突する。これも正直、アサルトライフルの弾丸と同程度か、それ以下のリアクションしか化け物からは引き出せなかった、だが右手を伸ばすタイミングが遅れる、そのずれが稼げれば十分だった。先ずはカルロスが扉をくぐり、其れに続いて涼二が飛び込むようにオフィスの方へ踏み入れる、其れを確認しカルロスは素早く木製の扉を閉めた。間一髪、ズン、と重い音と共に扉が揺れ、中心に皹が入る、何が其れをなしたか考える必要もない。とにかく距離を、一致した二人の足はオフィスの出口へと向かう。

「カルロス、どうする!!」

ポーチからクシャクシャになったプリントアウトした地図を取り出し、握るカルロスに叫ぶ。

「扉を出たら右だ! 正面の扉はシャッターが閉まってた! 右に二階への階段がある!! クソッ! 地下へは無理か!!」

「今はこの場を離れるのが先だ! 余計な事考えんなよ!」

「分かってる! それよりマシェットは良かったのか!」

化け物に投げつけ、取り返す事が出来なくなった物の事を言っているのであろう。

「構わねーよ! 曲がってた奴だしハンターに投げつけた時に結構刃が欠けてた! ただの鉄の棒を抱えておくほど余裕はねえよ!!」

オフィスのドアが迫る、涼二がその勢いを持って蹴り開け、カルロスが銃を構えたまま辺りを警戒しつつ飛び出す。無言のまま、二人は階段へと急いだ。



「振り切った、かな?」

「取り合えず、はな」

荒い息の下、二人は少しだけほっと息を吐く。今は3階、302のプレートがかかっている病室の中で小休止をとっている。階段途中の踊り場でゾンビが一体ほど襲っては来たが、その程度の障害であれば今の二人のとってはなんて事はない。涼二は取り合えず背負ったリュックを床に置き、部屋を調べてまわる、ベッドの下にでもゾンビがいたら事だ。

幸いと言うべきか、ゾンビはおらず看護士の日記とレッドハーブの鉢植えを見付ける。部屋の隅に備え付けの小型冷蔵庫があるのを目にし、試しに開けてみる。運が良い事に、中には病人が食べるにしては不自然と思えるチーズ、サラミと言った保存食が入っていた。首を傾げるが更に他の段を見て合点が行った、其処には飲みかけのワインやら他の飲み物が整頓され、並んでいた、どうやら保存食と言うよりは酒のつまみらしい、手に取って見てみたが涼二が聞いた事のないような会社名がラベルに印刷されている。

じゃあ高級品だ、と庶民の悲しき想像をした後、左手にサラミを右手にチーズを握りカルロスに見せ、目で問う。サラミを指したので其方を投げて渡し、もう一度冷蔵庫を覗き込みワインの横に並んでいた缶飲料の中からコーラを二缶、取り出し一缶をカルロスへと再び投げる。コーラとチーズは余り合いそうにないが、流石にワインやビールを飲む訳にはいくまい、アルコール摂取の経験がないと言うわけではないが、其れに溺れて現実逃避に奔るほどまだ弱ってはいない。暫くは飲み物を飲み下す音と、咀嚼音だけが響いた。

「・・・なんでこんなもんがあるのかなあ」

半ば平らげた所でボソリ、と涼二が口を開く、此処まで食べておいて今更感が漂ってはいるが。此方も殆ど胃に納めたカルロスが肩をヒョイ、と持ち上げ答える。物足りなそうだが胃に詰め過ぎると行動に支障が出る、適度に空腹感を抑えられれば良いという事だろう。

「多分、ラクーンシティ市長が入院してた部屋が此処だからだろ。アンブレラとの癒着を検察から指摘された後、急に体調悪化とかで此処に来たらしいからな」

政治家の都合が良い体質、という奴か。

「何処の国の政治家も、やる事は一緒か・・・何だかな〜」

「真面目に仕事されても不気味なだけだがな」

其れもそうだ、と涼二は頷き、ふと思い立ち聞いてみる。

「因みに市長はどうなったか、知ってるか?」

「真っ先に尻に火を点して防疫線へ逃げ込んだとよ、娘も放り出してな。無事保護されめでたしめでたし」

両手を上に上げ、おどけて答えたカルロスに涼二はガクリ、と頭をたらす。

「立派な政治家、その物だな」

そうだなとばかりに頷くカルロス、しかし次の瞬間には真剣さが戻っていた。

「其れよりもあの化け物だ、ありゃ何だと思う?」

「何だ、と言われてもなあ・・・」

正直、涼二にも分からなかった。あの化け物から剥がれたらしい一部分が、蠢いていた所を見ると生きてはいるだろうが如何せん、黒くてゴムのような、人型をとる生き物にあいにくと涼二は、お目にかかった事はなかった、と、言うか誰もそんな経験はないだろう。そんな解答を予測していたか、カルロスは涼二の答えを待つ事無く自分の足元に落ちていたシーツで自分の手を包み、自分が着ているタクティカルベストの一部分を摘み、無言のまま涼二に差し出す。それに視線を向けた涼二の眉は、直ぐに吊り上った。

「こりゃ、ヒル、か?」

シーツに包まれ、蠢く塊に涼二は見覚えがあった、山中で修行をしていた際によく血を吸われ、引き剥がすのに難儀したのを覚えている。ヒル、別に珍しい生物ではなく世界中に分布しているだろう、数センチの大きさでナメクジの同類のような姿、痛みもなく吸い付き、気が付いた時にはかなりの血を吸われ、巨大に膨らんだ姿を見てぎょっとするアレだ。これがカルロスのベストに付着していたという事は、そして其れを見せたという事は?

「つまり・・・アレはヒルの塊だって言うのか?」

「腕を避けた時、確かにあいつの腕から零れ落ちたのが此れだ、色も質感もそっくりだしその可能性は高いだろ?」

残念ながら「そんな化け物が存在するか」という当然のような否定の言葉、此れは今現在において付近一帯にて使用不可能だ。だが其れは置いといて疑問は残る。

「・・・なんで人型なんだ?」

「さぁな?」

「腕が伸びる原理ってなんだろ?」

「俺が知るか、張本人に聞いてみたらどうだ?」

確かに考えても答えは出ない、彼らは専門家ではないのだから。息も整って来た涼二は座っていた椅子から立ち上がり、リュックを背負う。カルロスも準備を整える。

「そうだカルロス、ヒルから食いつかれた所は・・・」

大丈夫なのかと暗に聞く、それにカルロスはああと返す。

「ベストの上だからな、流石に肉までは食い込んじゃいねえ。ウィルス感染はないだろ・・・ただし、喰い付かれた跡はきっちり残ってるけどな、ケプラー材を噛み千切るとは、大したガッツだぜ」

おどけた風に言いながらベストを涼二に見せる、確かに円形にほつれてる部分が見てとれ、涼二は一応の安心を覚える。そのまま二人はドアへと歩み寄り、涼二はマシェットに手をかけカルロスは引き金に指を添える。

「聞いたか?」

「もち」

カルロスの問いに短く答えると、静かに涼二はドアを開けた。聞こえたのは302号室を出て右側の奥、何か金属の物がぶつかる音が二人の耳に届いていた。ゾンビか何かが動いてるのかもしれない、いやゾンビ程度なら良いがあのヒルの化け物だったら・・・二人は慎重に歩を進める。

「廊下、異常なし」

「なら、部屋か」

部屋を出て右へ曲がり、視界に登って来た階段を左に置きながら廊下を進む、廊下突き当たり、右側にエレベーター入り口と301号室へ続く廊下、左側にあるのはマップが正しければナースセンターになる、音はその中から断続的にしていることを確かめた二人はカルロスを先頭にし、静かにしかし迅速に進んで行った。距離はそうある訳ではなく、直ぐに辿り着く、涼二がノブに手をかけ、カルロスに視線を向ける。頷くのを確認した涼二はゆっくりとノブを回し

「うわあぁぁぁ!!!」

唐突に部屋の中から起こった悲鳴に顔を見合わせた、涼二は間髪いれず即座にノブを回し切ったドアを蹴り飛ばす、弾かれたように開くドアに先ずカルロスが飛び込む。続けて涼二、油断なく辺りを見回す二人の目に部屋の中央辺りに辺りのロッカーやら箱やらを積み上げたバリケードらしき物、そしてその上で今にもバランスを崩しそうになっているアラブ系男性の姿が飛び込んで来た。自然と二人の視線はその先へ、男が倒れて行くであろう方へ向き、絶句する。其処には先程一階にて短い戦闘ながらも、対処法の無さから二人に苦汁を舐めさせたヒルの化け物が佇んでいた。

即座にダッシュをかける二人、ギリギリの所、倒れ掛かる男がヒルの化け物の近くへ落ちる前に涼二は男の着る白衣の裾、カルロスはベルトを掴む事に成功する。そのまま全力を持って引っ張る二人、その際に男の頭をあちこち、バリケードにぶつけてしまったがヒルの化け物の隣に落ちるよりはだいぶマシだろう、と更に引っ張る。何とか二人の側に引き摺り下ろしたが、ホッと息を吐く間もなくベチャリ、と先程聞いた粘着質な足音を立てながらヒルの化け物がバリケード側へ迫って来た、狭い通風孔をも移動可能な点を考えるとこんなバリケード、皆無に等しい。涼二とカルロスは視線を合わせ

「戦略的撤退!!」

「異議なし!!」

叫ぶや否や、まだ混乱しているらしい男を無理矢理立たせ、出口へと転げるように走る。そのまま部屋の中程まで進んだ所で、我に返ったか男が叫ぶ。

「ち、一寸待ってくれ!」

「待てねぇよ!!」

「こんなタイミングで待て、なんてのは死亡フラグだぜ!! 知らねぇの!?」

二人の余り好意的ではない返答に、男は首を横に振る。

「違う! あいつの、リーチマンの足止めだよ!!」

リーチマン、其れが何を指すかなど直ぐに分かる、確かに言い得て妙だ。その危険性を理解している二人は即座に足を止め、男を見守る。彼は足元を見回し、目的の物を見付けたのか飛びつく、輸血用の血液パックだった。男は其れを同じく、近くに落ちていたガラスの破片で切り裂く、飛び散る血、少しズボンに跳ねるのも気にせず男はパックの中身を床にぶちまけた。

そのせいか、化け物・・・リーチマンの歩みが急激に速くなる。ズルズルとバリケードの隙間から這い出し、先程とは比べ物にならないほどのスピードで涼二達に接近して来た。油断なく、二人は武器を構えるがその必要はなかったようだ。

「成る程、確かに足止めだなこりゃ」

呟くカルロスの前でリーチマンは這いつくばり、男が撒いた血に吸い付いている、チュバ、ペチャと粘ついた音が響くのを背中で聞きながら三人はドアから飛び出す、その時に涼二は念の為にと机の上に散らばっていたガラクタの中から、輸血用パックを一つ、掠め取るのを忘れなかった。

「こっちへ!」

出た所で男はナースステーション出口の直ぐ前にある、エレベーターへ駆け寄る。声紋登録をしているのかと待つ涼二の前で、男はポケットから取り出したキーらしき物を基盤へ差し込み、回す。直後にエレベーターの稼動音、どうやらマスターキーのような物らしい。焦れる三人の前で扉が開いたのは数十秒後だった、先ず男が飛び込み地下二階のボタンを押す、其れと同時にベチャリ、とまた例の音が響く、三人はほぼ同時に音がした方を向いたが其処には予想通り、悪夢が立っていた。落下し、直ぐに立ち上がるリーチマン、位置は最悪な事にエレベーターホールに設置されている通風孔直下だ。

「部屋から出る時はドアを使えって、ママに教えて貰わなかったらしいなこの化け物野郎!!」

「おっさん、早く閉めろ閉めろ閉めろ!!!」

「わ、分かった!」

思い思いに叫ぶ三人の前で、リーチマンは再び右手を上げる。だが病院のエレベーターのドアは数々の理由から閉まるのは遅い、ドアとリーチマンの間の隙間は狭く、今から飛び出して逃げる選択は却って危険だと判断し涼二は盾の代わりになるだろうと、素早くリュックを外し目の前に両手で構える。輸血パックを使いたい所だが、パックのままだとリーチマンと自分の間にしか撒く事が出来ず、意味は殆どない。カルロスもライフルを構えてはいるが発砲はしない、実際、弾の無駄であるから正常な判断だ。

この時ばかりは、運を出し惜しみしている神も涼二達に微笑んだ。チン、と軽い音を立てて閉まるドア、直後にドンッという音と共にエレベーターの鋼鉄製のドアが凹む、流石に木製のドアを破壊するようには行かないようだ。ホッと床にへたり込む涼二を乗せ、エレベーターは静かに下降を始める。

「流石にエレベーターシャフトにまで入って来ないだろうな、ターミネーター2の二の舞はご免だぜ」

天井を見上げながら愚痴るカルロスに、男が首を振りながら返事をする。

「いや、流石にエレベーターのドアを抉じ開けるだけの能力はないよ、シャフトにも整備用の出口から入れるけど鋼鉄製だからね、其処からも無理だ」

「そうか・・・所でアンタ、アンブレラの関係者か? 名前は?」

返答次第ではこいつに物を言わせるとばかりにライフルに手をかけるカルロスに、男は慌てて首と手を振りながら叫ぶ。

「ま、待ってくれ! 確かに僕は関係者だけどもう縁を切ったに等しいよ! 会社に賛同している研究者は既に脱出した後さ、僕はハリーの遺志を継ごうと残って研究してたんだ。さっきは電源が急に落ちたから配電盤やら何やらを調べに登って来てリーチマンに襲われたのさ、あいつは何処にでも現れる、完全に密閉された部屋だけが安全なんだ」

「研究・・・何の研究だ?」

ハリーとは此処の院長の名前、さっき涼二の説明にあったのを思い出しカルロスはもしかして・・・と一縷の希望を見出す、果たして答えは。

「血清・・・この地獄を作り出しているウィルスに対する治療法さ・・・」

どうやら此処に来てやっと、希望は姿を現したらしい。


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