ぼんやりとした頭で、天井を見上げる。
 快楽が通り過ぎた後の心地よい疲労感で、あまり頭も働かないのだが、こうやって暗い部屋にぽつんと独り残されるのはなんだか空しさを感じてしまう。
 事が終わるなりあっさりと布団から出ていってしまうのは男としても失格だと銀時は思うが、それを「大人」という権力と経験の元に切々と唱えたところで、「いつか女性を相手にするときには改めます」などと反論される可能性もある。そのときの冷ややかな目つきが安易に想像できてちょっと嫌だ。
 かといって、冷たくなっていく隣の布団が寂しいとか、そういったことは口が裂けても言えないので、やっぱり「これって一般的にどうなの」的な因縁しかつけられない。
「……はー……なにコレ。何なのコレ」
 何故にこんな宙ぶらりんな気持ちにならねばならないのか、銀時には思い当たる節がない。結果的に女としての扱いをしているとはいえ、そもそも彼は男であるし、両手の指では足りぬくらいそれなりなことを二人でこそこそこなしてきている。それに加え、それほどのことをしているにも関わらず、二人の間に甘い感情を乗せたことは、少なくとも銀時にはない。全てがぬるま湯に浸かっているように、だらだらとした日常の延長線上に成り立っている。
 毎回遠慮なく中出しをする銀時に、最初こそ何度か不満を訴えていたが、今はもう諦めたのか何も言わず、事後はこうやってさっさと布団から出て厠なり風呂なりに入ってしまう。恐らく銀時に改善の兆しを見出せないので自分から動いた結果なのだろう。銀時も言ってしまえばそのほうが楽だし、いつまでも文句を言い続けられるより、自分で処理してくれるほうがありがたい。生で中出し、女のようにスムーズに事が運ばないのは仕方がないとしても、金はかからないうえに面倒なご機嫌取りも事後処理もない。まさに至れり尽くせりの状況だ。
 だからこそ、この気分の意味が分からない。
 現状、性処理という名の上ではこれ以上ない待遇を受けておきながら、このもやもやとした気分は一体なんなのだ。
 これではまるで……。
 銀時は布団の上で忙しなく何度も寝返りを打った。
「イヤ、チガウチガウよ! 違うからねコレは。そういうんじゃないから。そもそもそういうのって普通女が考えることじゃん? まかり間違っても俺が考えることじゃないじゃん? どっちかっつーとあっちが考えるほうが自然じゃん? おかしーよ。だから違うって。なに変な誤解しちゃってんの? あはははは、おかしーな、酔ってんの俺? おとといの酒とかまだ残ってたりして?」
「何ブツブツ言ってんですか? キモイですよ」
 静かに襖が開くと同時に、彼が辛辣な言葉とともに顔を覗かせた。
「ぅわぁっ!!! いっちょまえに気配なんか消して入ってきやがって!」
「誰も気配なんて消してませんよ。っていうか、そんなことできませんし。銀さんがなんか独りでブツブツ言ってるから入るの遠慮しようかとも思ったんですけど、僕も眠いですからね。ちょっと、そこ僕の布団なんですけど、どいてくれませんか?」
 ごろごろと転がっているうちに、どうやら隣の布団にまで移動していたらしい。銀時はしぶしぶ自分の布団に転がって戻った。
 新八は少し斜めになってしまっていた布団をきちんと畳の目に沿って直し、掛け布団を軽くばさばさと振って整えると、少し怠そうな仕草でゆっくりと横になった。
 薄暗い中でも、まだ残る疲れが表情や動作に見て取れる。つい半時ほど前までは互いに一番無防備な部分を重ね、思うさま擦りつけ合っていたのだから、甘く痺れる疲労が未だ全身に残っているのだろう。
「それと銀さん、お風呂入らないにしてもせめてちゃんと着てくださいよ。あと、シーツ汚してないか点検しました? 一応明日洗いますけど…」
「うっせーな。いーんだよ、いっそもう毎日裸で寝るわ」
「ちょっとやめてくださいよ! ウチには女の子がいるんですからね!! アンタも恥ずかしいとかないんですか? 知りませんよ、神楽ちゃんにこれ以上嫌われても。っていうかそんな状態、星海坊主さんに知られたら、アンタ確実に殺されますよ」
「別にあんなションベンくせー小娘に裸見られたって痛くも痒くもねーよ。風呂上がりに鉢合わせることだって何度もあるし、あいつも何とも思わねーって。どーでもいーよ、そんなん」
「よくないですよ!! 見られるとかそういうことじゃなくてですね!! その…成人男性が裸で思春期の女の子の前に出るっていう環境がよくないって言ってんです!!」
「成人男性とか思春期とか、おめーこそいちいち気にしすぎだっつーの。いい加減うるせーから黙れよ」
 戻ってきた途端に始まった小憎たらしいいつもの小言の応酬のお陰で、さっきまでの妙な気分はすっかり消え去ってしまった。
「はー…コレにアレとか、何血迷ってたの俺。ムリムリ、あり得なーい」
「何言ってんですか? とにかくもう寝ますよ。ちゃんと服着てくださいってば」
「へーへー」
 確かに至れり尽くせりなのはありがたいが、代わりにこのやいのやいのと浴びせられる説教がいけない。場合によっては事の最中に始まることもあるのだから、雰囲気も何もあったものじゃない。
 脱ぎ捨て、窓の下のほうまで追いやられてしまっていた自分のしわくちゃの甚平に再び袖を通し、ごろりと布団に転がった。トランクスはどこかにいってしまって見あたらないが、取りあえずこれでよしとする。
 例えばこれが、自分が独りで住んでいる頃で、誰か行きずりの女を連れ込んだ場合ならば、朝まで裸でも一向に構わないのだ。今となってはあり得ない状況なので、そこら辺は我慢をするべきなのだろう。
 目を閉じていれば眠気もやってくるだろうと思っていたが、いざ静かになってみれば、再び頭を擡げるのは先ほど消えたはずの胸のもやもやだ。そんなことは忘れてさっさと眠りたい。できれば永遠に忘れていたいのに、聞こえてくる隣の布団の微かな息遣いがどうにも気になってきてしまう。
 掛け布団まできっちり掛け、眼鏡も枕元に置いてすっかり寝る体制になっている新八に、なんとなく目がいった。
 こうやって見ると、単なる普通の16歳の子供だ。平凡な顔立ち、平凡な髪型、平凡な性格……本当にどこにでもいるような、ただの16歳の子供だ。
 その子供の寝顔には、銀時をあれほど奮い立たせた濃密な艶は伺えず、そんな行為など最初からありはしなかったとでもいうような、素知らぬ雰囲気さえ漂わせる。
 しかし実際、ぱっちりと大きな目や、すべすべして触り心地のよい頬、ふんわりと柔らかな唇、しっとりとキメの細かい肌、そして熱く狭いその奥は、近づいて手に入れてみなければ分からない、平凡や日常とはおよそかけ離れた、他の人間にはそう易々と見せたくない部分であり、それを銀時だけが知っているという事実は、男の征服欲と優越感を十分に満足させてくれる。同じほどの時間を過ごす神楽にも、幼い頃から暮らしてきた姉の妙でさえ、その全てなど知りうるはずもなく、銀時だけがその体の隅々までを知り、征服している。
 新八は銀時が初めての相手なのだと言っていた。最初に事に及んだのは神楽が万事屋に住み始めて間もない頃だったから、もう随分前のことだ。無理矢理に襲ったりしたわけではなく、一応したいとかやろうとかそういったような会話を交わし、新八もちゃんと首を縦に振った。それでもいざというときはかなり怯えて震えていたのだから、まあまず未経験だったのだろうと銀時もその言葉を信じていた。
 唇の合わせ方もろくに知らなかった不器用な子供に、口腔での愛撫や男を悦ばせる腰の振り方までを根気よく教え込んだのは銀時だ。己が気持ちよくなるためとはいえ、そこまで執着して仕込む必要などなかったはずなのに、だ。
 どこぞで女を買うまでの間に合わせ程度に考えていたはずが、いつの間にか名も知らぬ女に金を払ってしけ込むことをしなくなってしまった。

 銀時は、小さく溜息をついた。
 自分にも、この状況にも、理解できないことが多すぎる。
 大体、童貞であるはずの新八が、銀時にその身を任せて、あろうことか女のような扱いを受けてもよいと、そしてそれを現在も継続している事実がまず理解できない。確かに彼は銀時を慕って万事屋に来ることを決めたのだし、文句や小言は絶えないものの、それなりに快適に過ごしているのだと見て取れる。単なる思春期の好奇心だとしても、何度かすれば何かしらの心境の変化はあるだろうし、やっぱり男として女を抱きたいと思うものではないだろうか。銀時とこうなってからも、新八の近辺には滅多に会うことのない文通相手の女性が一人増えただけで、そういった匂いが全くしない。自分から求めようとするガツガツした姿勢も見あたらず、もしかしたらもともとこういった性癖の持ち主だったのかとさえ思えるほどだ。
 本人にそんなことを言えば、まず間違いなくあの鼻のもげそうな大技を食らうに決まっている。前に一度食らってから、銀時は内心、あれにほんの少しだけ怯えている。あれはたまらない。あれだけは食らってはいけない。上司としての権力もプライドも、力関係さえ揺るがし削ぎ落としかねない大技だ。
 ともかく、新八の真意を訊き出すこともできず、銀時はただあれこれと考えることしかできなかった。

「……あの、銀さん」

 そのとき、眠っているのだとばかり思っていた新八が声をかけてきた。
「何、寝れねーの?」
「いや、あの……まぁ、そんな感じです」
 妙に戸惑った様子で、新八は銀時のほうへと寝返りを打った。
「アレした後って、結構お前いつもがーがー寝るよね」
 それはもう、とても健全な顔をして寝るのだ。勿論、銀時のように布団から転がり出て腹を出すような真似はせず、きちんと布団の中で姿勢正しく眠っているのだが、そこにはそれまでの色っぽい雰囲気は見あたらない。
 爛れた欲に染まっていないことに安堵したり、なかったことにされているような気になって落胆したりする、そんな寝顔だ。
「……そう、ですね。やっぱり疲れますし。今も怠いですけど……なんか気になっちゃって」
 先ほどから何かと思いを巡らせていた銀時は、なんとなく嫌な予感がしていたのだが、新八の口調が普段と少し違い、何事かの葛藤を繰り返した末の言葉なのかもしれないと、思わず先を促してしまった。
「……何よ」
「実は、前から訊きたいことが、あったんですけど…」
 それはもしかしたら、今まさに銀時が思いめぐらせていた疑問と同じものなのでは……と内心身構えていたが、それは少しばかり違った方向だった。
「僕、昔から姉上に女物の着物を着せられてたり、男っぽくないってバカにされたり、寺子屋でも逆に『男物の着物なんて着せられて』みたいな言い方されたりすることもあったんですけど…」
 新八は意外にも可哀想な境遇の持ち主だった。苛められて泣かされては妙に助けられていたのだろうか、それとも持ち前の負けん気で乗り越えてきたのだろうか。銀時はそんな彼の子供時代を微笑ましく感じ、思いを馳せた。
 自分の子供時代など、それこそ今の子供達に話すのはためらうほど悲惨だったのだ。本人は色々辛いと思ったこともあっただろうが、それなりに可愛がられて育ったのではないだろうかと勝手に想像もできた。
 だが、新八の口調はそんな銀時との想像とは裏腹に、重く静かだった。
「確かに、顔は姉上に似てるってよく言われるんで、小さい頃は女の子みたいだったのかもしれないですけど……もしかしたら、今も……その、大人の男の人の目には、そんなふうに映るんでしょうか」
 たどたどしく話す新八の声が、声を潜めた為か涙腺が緩くなったのか、少し掠れる。妙な言葉の濁し方が引っかかり、銀時は薄暗い中、その顔をじっと見つめた。
「あの、気を悪くしないでほしいんですけど……もし、もしかして、銀さん……そんなふうに思ったから僕とその……する、んですか?」
 そんな過去があれば行き着く可能性のあるような内容だと冷静に考えつつも、新八の言葉に胸の不快感はより強くなった。そこに苛つきが混じり、知らず硬く冷たい声になる。
「……そんなふうって、何よ。女みてーなツラだからって理由で手込めにしたんじゃねーかって言いてーわけ?」
「あっ、あのっ……す、すいません。手込めとか、そんなことは思ってないです。僕も…ちゃんと同意してるわけですし、銀さんは悪くないです……。ただ……」
 そこで、新八は言葉を切って黙りこくった。酷く言い辛そうにぱくぱくと口を動かし、先を言おうか止めようかと迷っている様子だった。
 今のやりとりで完全に萎縮してしまった新八に、どうしたものかと頭をぼりぼりと掻く。とりあえず自分の苛つきの理由は横に置いておいて、できるだけ抑えた口調で促した。
「いーから、言ってみ。別に怒ってねーよ」
「…………やっぱり、すいません」
「え、すいませんって何? ここまで言っといて続き話さねーつもり? すっげ気になって気持ちわりーんだけど」
「で、でも……思い直してみたら、すごく失礼なことを言おうとしてるんだって気がついて……やっぱり、あの」
「あのさー新八君。日頃から、おめーが銀さんに言ってることの八割は失礼なことだよ? 今更遠慮したっておせーの」
 銀時の軽い口調がよかったのか、新八はくすりと笑いを零して、それから俯き加減に掛け布団で顔を隠した。
「そうですね……なんかいろいろ考えてるうちにネガティブになっちゃって。こういうことはきちんと訊いておかないといけないって思いますし、思い切って言います」
「おー、何でも訊いて。銀さん海のように心広いからね、ちょっとやそっとじゃ怒んねーよ」
 真面目に答えるかはともかく、いつまでも悩まれると万事屋全体の雰囲気も悪くなる。そして神楽の機嫌も悪くなる。命に関わることなので、それは避けたい。
「………あの、あのね、銀さん」
 布団の中に鼻まで埋まり、くぐもった声が、ためらいがちに呼んだ。
「銀さん、僕にその…あの、いろいろと……教えてくれましたよね」
 「いろいろと、って何だ」と訊こうとして、この雰囲気からして情交の話なのだと思い至った。確かに「16歳」の、「少年」に、教えなくてもいいことを「いろいろと」教えた。
「あー…人のちんこの擦り方とか、ケツの動かし方とかフェ…」
「あーもー! 口に出さないでいいです! ……そ、そういうことですよ、ええ」
 恐らくは真っ赤になっているであろう新八は、とうとう掛け布団の中に潜ってしまった。さらさらの黒髪が少しだけ外へはみ出ている。風呂上がりだから、多分少し湿っているだろう。もぞもぞと動く度、髪も揺れる。
 銀時はこみ上げてくる意味不明な感情のままに起きあがると、掛け布団ごと覆い被さるように新八を抱きしめた。
「おーい、続き話せよ。それじゃ聞こえねーって」
 今まで味わったことのない不思議な高揚感と暖かさが胸に広がり、声が気持ち悪いくらい優しくなった。
 しかしそれに気づいた途端、そんな自分に寒気を催し、銀時は茶化さずにはおれなくなる。
「なーに? 教えてもらったことが何だって? おさらいに今夜はもう一発ですかコノヤロー」
 抱きついた腰を揺するように擦りつけてやると、途端に掛け布団はもぞもぞと抵抗した。
「バッ…! バカですかアンタ! 違いますよ!! その腰の動きやめてください!! キモイ!!」
「キモイとは何だテメー! そのキモイちんこケツに入れてアヘアヘ言ってたのは自分だろーが!! 『銀さぁ〜ん! もっとぉ〜!』って自分でケツ擦りつけてきやがったじゃねーか」
「ぎゃー!! やめてくださいやめてくださいぃぃぃ!!!! ごめんなさい僕が悪かったです!!!」
 布団から這い出ようと暴れる新八を腕力にものをいわせてしっかりと押さえ込んでいると、しばらくして急にぱたりと静かになった。
 締めすぎて窒息でもしたかと心配になり、降りようと腕を布団についたとき、

「……銀さん」

 と、再び銀時を呼ぶ声がした。それには先ほどのテンションの高さはない。
「……僕、初めて銀さんとしたとき、『初めてか?』って訊かれて頷いたけど……あれ、半分嘘なんです」
 
 銀時は相槌が打てなかった。予想外にショックを受けている自分にショックを受けて予想外、というややこしい状態に陥っていた。
 その沈黙を促しと取ったのか、新八は続けて口を開いた。
「僕の家、父が残した借金があるの知ってるでしょ? 銀さんが助けてくれたときも結構ピンチだったけど、あれより前にもかなりヤバかった時期があったんです。別口にもいくつか借りてて、毎日いろんな借金取りがやってきて、僕ら姉弟は家の中で震えて過ごしてました」
 明らかにカタギではなさそうな大人や天人が、連日家を訪れ、乱暴に暴れて帰っていったという。
「……姉上は知ってるのかもしれない、知らないのかもしれない…。そんなこと怖くて訊けないんですけど、僕、自分と引き替えに…いくらか借金を帳消しにしてもらったことがあるんです」
 何か、胸くその悪いものを見たような、怒りと、やるせなさと、切なさと、空しさとがごちゃまぜになったようなどす黒い塊が胸につっかえる感覚に襲われた。
 息苦しくさえあるその感情が、銀時の声を更に硬く冷たくさせる。
「……最後まで、されたのか?」
 何故そんな、とも思ったが、そのときに自分は側にいなかったのだから、今更どうすることもできない。ただの事実だ。
「………すみません。騙すつもりはなかったんです。だって……あれは、僕……姉上にそんなこと、だから……」
「もういい。そんなん、俺に謝ることじゃねぇ。お前はそんとき、お妙の貞操を守れたんだろ? だったらもう、それでいい」
 何をされたのかなど、容易に想像がつく。そんなこととは知らず、今まで数え切れないほど行ってきた行為に、些かばかりの罪悪感を覚えた。
「でも銀さん、僕が本当に何もかも知らない、初めてだと思って……その、いろいろ、優しくしてくれて……なんだか、だんだん申し訳なくなってきて……言わなきゃいけないとずっと思ってたんですけど……言ったって銀さんが嫌な気持ちになるだけかもしれないし…意味はないかなとも思って」
 新八は、銀時との関係を失うことに恐れを感じているようだった。銀時もそうであったように、単なる体の付き合いではない何かを感じ取っているのだろう。
「本当に……ごめんなさい。気持ち悪いなら、もう」
「いーよ、そんなんどーでも。俺だって昔はそりゃもう取っ替え引っかえ凄かったんだからよ、ちっとばかし状況が違うだけで、お互い様ってやつだ」
 終わらせようとする台詞を、銀時は強引に自分の言葉で遮った。過去で今を潰されるのは真っ平御免だったのだ。
 初めてのとき、新八は震えていた。あの怯えは、未知の行為に対するものから来ていたのではなかったのだ。男に組み敷かれる事に対する恐怖だったのだと、今になって合点がいった。
 初めてなのだからなるべく怖がらせないようにと、面倒だと思っていたはずのおぼこにするような細心の注意も、見当違いではあったが間違いではなかった。その点だけは、自分を褒めてやりたいと銀時は思った。
「そーいうのはさ、単なる事故ってことでさ、どーでもいいことにしちまえよ」
 無責任にそういい放つと、新八は俯いたまま、
「……そうですね」
 と、小さく呟いた。
 いつまでもそのときの記憶がちらついているまま抱くのは面白くないし、本人も辛いままだろう。
「じゃあ銀さんは……なんで、僕に教えたんですか」
「……え…っ」
「……もしかして、銀さん……僕に、そういうお店に働きに行けって言ってますか?」

 言われている意味が咄嗟に理解できなかった。
 
 もしかしてぎんさんぼくにそういうおみせにはたらきにいけっていってますか?

「バッッッッッ!!!!」
 硬直していた銀時は、内容が理解できるなり新八の上から飛び退いた。
「バッッ…バカはテメーだぁぁぁッッ!!! んなわけあるかぁぁぁーッッッ!!!!」
 神楽を起こしかねない勢いで、銀時は叫んだ。そして、力任せに新八がくるまっている掛け布団をめくり上げて襖へ向かって投げつけた。
 猛烈な怒りが体中を巡り、とにかくもう、怒鳴りつけることしか考えられなかった。
「ぎっ……銀さ…」
「ふざけんなテメー!! 何言ってくれちゃってんの?! 何考えてくれちゃってんの?! 俺をなんだと思ってんだ?! いっくら金ねぇっつっても、預かってるガキ、風俗で客取らせるようなマネするわけねーだろうがーっっ!!!!」
「どこが『心広いからちょっとやそっとじゃ怒らない』だよ!!! めちゃめちゃ怒り狂ってるじゃないですか!! ちょっとネガティブになったからそう思ったってだけじゃないですか!!」
「ネガティブにも限度があるわ!! なんでオメーにそんなことやらせなきゃなんねーんだよ?!」
 銀時の異常とも言える剣幕とは対照的に、新八は仁王立ちで怒鳴るその姿を静かに見上げた。
「お前俺のことそんな風に思ってたわけ?! 借金取りと一緒にすんじゃねー!! マダオだーちゃらんぽらんだー言われてても、そこんとこはちゃんと線引きすんぞ?! そこまでして飯食いたくねーわ!! そこまでして酒飲みたくねーわ!! そこまでしてパチンコも甘味もいらねーよ!! んなことしたら俺、アレじゃん?! 最終的にお前のヒモじゃん?! さすがにそれはないわ。ガキのヒモってどんだけ落ちぶれてんだよ」
「……いや、あの、銀さん……とりあえず、神楽ちゃん起きてきてもアレなんで、ちょっと座って冷静になってくれませんか。失礼を承知で言ったことなんで、いくらでも謝りますから……」
 申し訳なさそうに布団の上で正座をしながらの台詞に、さすがに我に返った銀時は、しかし怒りを収めきれずに不機嫌な態度のまま、どっかりとその場にあぐらをかいた。
「……すみません、失礼な誤解して。でもなんか銀さん、ことある毎に結構真剣に教えてくれるものだから……すごく熱心だし。……だから、僕でもその…ああいったところでお客を取ることができて、銀さんが行ってこいって言うなら、ここで暇持てあましてる時間も有効に活用できるし、僕、別にいいかなって…」
 今まで特に何も考えずに重ねてきた行為を、まさかそんなふうに取っていたとは夢にも思わず、しかもそれでもいいという思考回路が全く理解できなかった。
「何ソレ。お前、俺がしろって言ったらするわけ? そういうこと。俺みたいに優しくしてくれる奴ばっかじゃねーんだぞ。SM好きのやつだって、死体好きのやつだって、世の中にはひでー趣味のやつはゴマンといる。そんなん相手にできるって? ふっざけんな。ファミレスのレジ打ちすら満足にできねー奴が、そんな変態ども、捌ききれるわけねーだろ」
 腹が立って仕方がなかった。そんな誤解をした新八にも、誤解を与えてしまうような行為を繰り返した自分自身にも。
 沸き上がる怒りで、信じられないほど冷たく突き放した口調にもなった。新八や神楽に対して、こんな言い方を今まで一度もしたことはない。子供相手だからとか、身内だからとか、そんな冷静なことを考える余裕はすっかり消え失せていた。
 銀時の怒りを浴びながら、新八は正座をしたまま縮こまり、ずっとうなだれている。昼間のろくでもない内容の怒鳴り合いではなく、こんなふうに重い雰囲気で会話したことなど一度もなかっただけに、先の見えないもどかしい怒りのみが銀時を支配していた。
「おめーさぁ、なんもできねーじゃん。なんか仕事できるんだったら、今までだってちゃんとバイトとかできてたわけだろ? おめーにできんのは、せいぜい万事屋の雑用くらいしかねーよ」
 酷いことを言っていることは頭の隅では分かっていた。そういったことを新八が気にしていることも分かっての暴言だった。だが銀時は、こんなときにどうやって相手をいいくるめて慰めればいいのか、経験がなかったのだ。男女の修羅場なども、面倒だという理由でできるだけ避けて通ってきた。そういう雰囲気にならないように、常に浅い関係を築くための線引きをしてきた。そのため、素直に人を慰める術を知らず、知ろうとすることもなく生きてきたのだ。
 もちろん、新八が本当に何もできない人間だなどとは思ってはいない。放っておけばいつまでも自堕落な自分や神楽の生活の管理をし、万事屋の金銭管理もしてくれて助かっている。毎日、朝出勤してくる前や、帰った後に自分の家の道場での鍛錬も怠っていないことだって知っている。袴姿ではあまり分からないのかもしれないが、月日を重ねる毎に良質の筋肉がその体にしっかりとついていることも分かっている。
 そこまで分かっていてもそれを伝えることができないこの性格は、こういったときに必ずといっていいほど相手を傷つけてしまう要因を作ってしまうのだ。だから余計に、相手の心情に深く関わり合うことを避けてしまう。悪循環は止まらない。
 新八は、俯いて何も言わなかった。傷つけたことは間違いない。ずっと思い詰めていた事を告白してくれたというのに、心にもないことを言って追い打ちをかけて、自分は一体どうしようというのかと頭を無茶苦茶に掻きむしりたくなった。
 多分、あと一言、それを言えば新八は安心するのだろうということも既に分かっていて、口に出そうかと迷う自分もいる。
 銀時は結局、それを告げることはできなかった。
 代わりに出てきたのは、当たり障りのない事実のみだった。
「お前にいろいろ仕込んだのはさー…単なる個人的なアレだ、男のロマン的な? 気持ちよくなりてーだけだよ。別にお前をどっかにやろうなんて一度たりとも思ったことはねーし、この先もそんなことはさせねーよ。大体、んなことしたら俺、お妙に瞬殺されるわ」
 新八は、もう一度小さい声で「すみません」と謝った。呟いた声が、銀時の胸にずしりと痛く、重くのしかかった。
 今夜のやりとりは、後々も後悔し続ける自信があった。あのときにあの一言を言ってさえいればと、ことある毎に自分の捻くれた性格を悔やむような気がしていた。
「とにかく、そういうのはねーから。誤解のないように」
「……はい。じゃあ僕、銀さん以外の人とああいうことをしなくてもいいんですね」
「そりゃまぁ…」
 誰かやりたい奴がいればすりゃいいじゃん……と続けようとして、本当にそうなったときのことが頭をよぎり、それも口に上ることはなかった。
「……そうですか。分かりました。なんだか少しスッキリした気がします」
「そーかい」
 新八は、俯いていた顔を少し傾けて銀時を見た。暗い室内で、その顔に苦笑を上らせていることは何とか分かった。
 ようやく上げた顔を見られたことで、銀時も少し気分が軽くなる。

「実は僕…銀さん以外の人とは、なんかヤだったんです。やっぱり気持ち悪いっていうか……」
「……あー、そう」
「でも、銀さんだけは何とも思わないんです。何ででしょうね…不思議です」
「………そーね」
「銀さんは、そういうのあんまり思わないほうですか? 僕とも抵抗なかったみたいだし…」
「…………あー、まぁ……そんなカンジ?」
「あ、すいません。眠いですか? うるさくしちゃいましたね。もう寝ましょう」
「…………」
 新八は、言いたいことだけを言って、銀時が放り投げた自分の掛け布団を取りに行くために立ち上がった。
 ぶつけた襖は当然破壊されていて、新八は「あーあ」と溜息をついて布団をばさばさと振った。
「とりあえず、明日これ応急処置してくださいね」
「……あー、ウン」
 布団を投げつけた訳の分からない衝動も、今となっては羞恥の材料でしかない。力一杯ぶつけたのだから、応急処置などをしたところでまともに使えるようにはならないだろう。
 掛け布団を持ってくると、新八はするりとそこへ潜った。
「おやすみなさい、銀さん」
「………おー」
 本当にスッキリしたといったふうな爽やかな声で挨拶をすると、銀時を置き去りに眠りの世界へと旅立ってしまった。
 銀時も、ぎこちない動きで自分の布団に入ると、再び天井を見上げた。
 
「………何コレ」

 隣の布団からは、早くも穏やかな寝息が聞こえ始める。先の行為と、今までのやりとり、いつもならば熟睡しているであろう時間帯、様々なことがこの16歳の子供の眠気を瞬く間に呼んだのだろうことは分かってはいるのだが。

「………寝れるわけねーだろ、こんなん」

 今が真夜中でよかったと、心底思った。耳が、顔が、体全体が熱くてたまらない。
 近年稀に見るほどの赤面を、新八に見られなかったのが唯一の救いだった。

 破壊力のある台詞を立て続けに聞いてしまった銀時は、結局まんじりともできずに朝を迎えることになってしまったのだった。


-end-

 

 



 

 

 

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