微かに部屋に響くのは、ふすまを開ける音だ。そして、寝ているだろう自分に気を遣って極力静かにそれを閉ざす。シュル、と衣擦れが、恐らく脱ぎ捨てられたままになっていたであろう着物に手を伸ばすものだと知ると、土方は薄く目を開け、背中を向けたまま襦袢を身につける姿を盗み見た。
 年若いせいもあるだろうが、彼は行為の後の自分を見られるのを極力嫌う。それまでは散々大股を開いて全部さらけ出していたにも関わらず、だ。女のように恥じらう姿も嫌いではないし、それはそれで男としてこみ上げてくるものもあるので悪くはないのだが、土方としてはもう少し触れあう時間が欲しい。


 連日徹夜での大捕物を終え、近藤から半ば強引にねぎらいの休暇を貰ってしまった土方は、部屋に人がいなくなるのを見計らって携帯を取り出した。
 履歴はプライベートのものは全て消してある。万が一見られた場合に不都合…というか、とんでもない気まずさを覚えそうで、最初に電話をかけた日に速攻消した。それ以来、あちらからかかってきたものも含め、その場で全て消している。
 二人の関係を知られて、困るものもいくつか出てくる。沖田辺りに茶々を入れられたりすることもそうだが、主にあちらサイドの面々にいらぬ横やりを入れられたくない。特に嫌なのは、彼の上司と、自分の上司の想い人……この両名に本気で来られたら多分、こちらも腹を括らねばならなくなるだろう。

 ってか、腹括るってナニ。

 正直に二人の関係を白状するってか。

 お手々繋いで、にとどまらず、ぐっちゃぐちゃのどっろどろになっちゃってますってか。

 あんたの弟が女ならとっくに孕んでてもおかしくねぇってか。

 むしろ、俺としちゃ孕んでたほうが好都合ですってか。

 ……アホか。

 幸い、まだ事態はそれほどまでに至っていない。
 気づいている者は静観しているのか、怒りを溜め込み爆発させる瞬間を待っているのか、関心がないのか。
 土方としては、最後の意見が望ましい。誰も自分たちの関係に関心がないといい。勝手にやってろ、と放っておいてくれるのが一番ありがたい。愛だの恋だのという目に見えないものを当てはめて、それを自分たちの関係の理由として求めてこられても、土方には返すことができそうもない。
 ずるい、と言われても仕方がない。
 女子ならば結婚も視野に入れられる歳かもしれないが、彼は男だ。孕む心配もないのだから、責任の取りようもない。

 だから孕むほうが好都合、ってのか。

 そんなに責任取りてぇのか俺は。

 昨今流行っている「デキ婚」とやらは、どうにも土方には納得ができない。男としては婚前交渉がないなどとはほぼあり得ないとは思っているが、子ができてからというのはやはり順番に納得がいかない。いかにも下半身がだらしないと公言しているようなものではないか。
 もしそれが土方の立場なら、納得できない上に隊士にも示しがつかないだろうし、迷うことなく堕ろせと言うだろう。薄情だと罵られたら縁を切るかもしれない。
 それなのに、矛盾した思いが沸き上がるのは何故なのだろう。現実には決してあり得ない状況だからこそ、安心して耽ることができる単なる妄想にすぎないのか。自分の矛盾と相まって、何かすごく彼を穢している気になり、申し訳なささえ感じてしまう。


 身支度を調え、くるりと振り向いた彼は、土方と目が合うなり大げさなほどびくついた。起こさぬようにと細心の注意を払っていた様子から、本当に今の今まで土方が眠っていると思っていたらしい。
「……いつから起きてたんですか」
「わり…ちっと寝てた」
「話かみ合ってないんですけど」
 疲れのため、耐えきれず寝てしまったのは失態だった。彼と二人だけでいられる時間は限られているというのに、あろうことか行為の後の手助けもせぬまま寝入ってしまった。本気で凹んで頭を垂れた土方に、ふふ、と優しい笑みと共に暖かな掌が降ってくる。
「だってかなり疲れてたんでしょ? 傷は浅いですけど、結構な騒ぎだったみたいですし。それに、寝てくれて助かりましたよ」
 理由が分からずに見上げると、暗い室内で照れくさそうに笑う瞳とぶつかる。
「…土方さん、隙ないから……帰り支度、させてくれないじゃないですか」
 途端、こみ上げてきたいろいろなものに、そのまま押し倒したい衝動を覚えた。時間も時間なのでさすがにそれはぐっとこらえて、それでも釘は刺しておく。
「……煽んなバカ」
 恐らく今から彼は大急ぎで家に帰るのだろう。多少遅くなっても彼の姉は既に出勤した後だろうから悟られる心配はない。それなのに、生真面目な性格はずるずるとした関係を好まない。ましてや、
「…帰したくねぇ」
 などと、大人とも思えない駄々をこねたり、
「……送っていきてぇ」
 などと、人目をはばからぬ発言をしたとしても、
「自分で思ってるよりも体は疲れてるんですから、しっかり休んでくださいね」
 という言葉と共に、それらはなかったことにされてしまうのだ。
 二十歳にも見たぬ子供である彼が、こんな爛れた関係を甘受しているだけでも不思議なことであるのに、さらにこの、すっかり骨抜きにされただらしない大人でさえも包み込もうとしている。この歳でこの包容力は希有の才能といってもいいと土方は密かに思っている。ナントカの欲目、という言葉がちらつくが、口に出してはいないのだからそんなことはどうでもいい。普段、ダメガネだの地味だの役立たずだのと言われて過ごしている彼だが、あの万事屋のムードメーカーなのは恐らく誰もが気づいていることだろう。ただ本人だけが、自分は二人みたいに強くないしあまり役に立てないからせめて……などと雑用に勤しみ、それが結果的に彼らを甘やかし、さらに強く結びつけている。
 だから土方は、彼をあの場所から引きはがすことはできないのだろうと知っている。本人も望みはしないだろうが、恐らくそれをしてしまったが最後、全てが壊れてしまうだろう。
 時折、そんな破壊衝動を覚えては、胸の奥底に治める。誰も望まぬ未来を切望しても意味はない。そんなことをして、彼が自分だけを見るなどということもないだろう。
「……ホント、今日は悪かったな」
「気にしないでくださいよ、もはや職業病ですよそれ」
「ああ……そうかもな」
「万事屋引き上げるのが遅くなっちゃった僕にも責任があるわけですし……。ホンットあのバカ天パ、こんなときに限ってベロベロになって帰ってきたかと思ったら床に盛大にゲロ吐きまくって最悪ですよ。今度やったら絶対片付け手伝ってやらないって心に決めました」
「……お前も大変だな」
 いっそ憎しみまで込もっていそうな顔でそう言ってはいるが、次があればまた同じことの繰り返しなのだろうということは安易に想像できる。いくらその場で怒りを覚えたとしても、基本的に放ってはおけないのだ。どれだけ憎々しげに言ってみても、あの場所を愛してやまないと顔に書いてあるのだから、「今度」は永遠に先送りになるだけなのだろう。
「ですからその……本当にあの、実質それ……だけになっちゃって、ごめんなさい」
 彼の謝罪は彼のせいではない。ふと、己を振り返って頭痛と共に罪悪感が蘇る。
 部屋に引きずり込んで、散々やるだけやって寝こけて、挙げ句そのまま帰すのか。
「……わり、ホント最低だ」
「やめてくださいよ。今、すごく幸せです僕」
 本心で言っているのであろうことは表情を見ればすぐに分かることだが、それが却って罪悪感を募らせる。明日、一日中時間のあるのは自分だけで、彼は朝から仕事があるという。久々の仕事だというのだから、今日はさっさと家に帰ってしっかり休まなければならないところだ。
 いくら少年といえど、男が仕事なのだと言えば邪魔をするわけにはいかない。
 土方はのっそりと起きあがると、来るときにいつも背負ってくる風呂敷包みを床から拾い上げて手渡した。
「気ィつけて帰れ。今日の大捕物の後だからまぁ、しばらくは目立った騒ぎもないだろうが……男だろうが見境ねぇヤツもいるからな。明るい道通んだぞ」
 抱きかかえた風呂敷包みごと抱き寄せ、自嘲を含めて軽く唇を合わせた。
「分かりました」
 名残惜しく解放した濡れた唇は、ありきたりな受け答えをしたが、果たしてその「見境のねぇヤツ」が誰のことなのか分かっているのかは図りかねた。
 着流しを羽織って玄関口で見送ると、彼は何度も振り返り、にこにこと手を振った。屈託のない笑顔に切なさを滲ませることなく、それがまた土方の胸を少しばかり痛ませる。

 求めることはこんなにも苦しい。
 恐らくは自分が求めただけのものを彼から受け取っている。
 自分だけが彼の特別だ、という自覚もある。

 なのに、なぜこれほどまでに焦燥感ばかりが募るのだろう。

 彼の笑顔に惹かれ、それが己の安らぎであることに変わりはない。
 あれのためなら、もしかすると自分は命まで張れるのではないかとさえ思う。

 なのに、なぜこれほどまでに不安ばかりをかき立てられる。


「欲の皮ばっか突っ張ってちゃ、世話ねぇな…」
 予想していた事態に直面しているのに、みっともなくじたばたすることしかできない。鬼の副長が聞いて呆れる。こんな姿は誰にも見せられない。
 

「うまくいかねぇもんだ……アイだのコイだのってヤツぁ」
 と、もう誰もいなくなった通りをぼんやりと見つめながらぽつりと呟いた。
 


-END-


 

楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] ECナビでポインと Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!


無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 解約手数料0円【あしたでんき】 海外旅行保険が無料! 海外ホテル