喧噪は遠い。

 聞こえるのはただ、地を蹴り、砂を踏みしめる己の靴音と、乱れた呼吸。みっともなくひゅうひゅうと喉の奥から震えた音がする。
 行動範囲を広げると騒ぎが拡大するため、本当はこれほど遠くまで来るつもりはなかった。だが、残った隊士の数と、倒すべき相手の数を考えると圧倒的に不利で、土方が取るべき選択は一つしかなかった。
 悪目立ちするように暴れると見事に釣られた者たちが数に物を言わせるがごとく集まってくる。頃合いを見てその場を離れる土方が遠目に見た近藤の後ろ姿は、その意図を理解していると告げていた。後は彼らが…近藤がこの場を治めてくれるだろうことは予想ではなく確信だ。全面的な信頼が、走ることすらできぬ体に活力を与え、剣を振るう腕に力をみなぎらせる。

 兼ねてから疑いのあった、攘夷志士の会合が行われているらしいというある場末の宿の強行突入を試みたが、その規模に誤算が生じた。逃げ惑い、斬りかかってくる志士の数に、慌てて屯所に救援を頼むも、別件と同時進行であったことが災いして状況は改善しなかった。
、追って来た者たちは、恐らく全て討ち取っただろう。ざっと勘定しただけでも35か、40弱はいたか。細かな把握ができなかったのは痛いが、このまま事態は終息に向かうはずだ。逃れたものもいるだろうが、それらを全て…というのはなかなかに難しいことで、それはまた次回…という話になる。とりあえず今回の捕り物で勢力はかなり削られたはずだ。残った者たちのことは別の機会に考えればいい。
 それにしても…と土方は、引きずる足を止めることなく思う。自分が通ってきた道なりに転がっている死体は、果たして明け方までには片付けることができるのだろうか。元より人通りの少ない道を選んだつもりだが、日が昇る前にはどうにかしなければならないだろう。本来ならば指揮をとらねばならない自分が、壁づたいに歩かなければならないほどのダメージを負ってしまったことに、今更ながら早まったことをしたかと後悔する。しかしあの場では最善の策だったのだから、これはもう諦めるしかない。
 土方は、煌々と照らす店の灯りに引き寄せられるように歩を進めた。引き返したかったが、そこまでの体力は残されていない。脇にある自転車置き場の暗がりへと入っていくと、壁にもたれてずるずると座り込んだ。
 懐から煙草を取り出して火をつけると、携帯を開く。
 電話になど出られる状況ではないかもしれないとは思ったが、あのおびただしい死体をあのままにしておくのははばかられた。
「おぉトシ! どうなった! 無事か!」
 ほどなくして繋がり、うるさいほど元気な声が聞こえた。
「……あー…そっちはどうだ。治まってっか?」
「こっちはなんとか片付いた。思ったよりデカい捕り物だったな。結構な成果だったぞ。お前が大勢引き連れて行ってくれたお陰で、随分楽になった」
「そりゃ何よりだ……。あー、それでな、その引き連れたヤツら、道に転がってっから誰かなんとかしてくれ。俺ぁちょっと…休んでからいく」
 失血のせいか、頭がくらくらする。会話をしながら何度も意識が何度も飛びそうになっていた。しかしここで気を失ってしまったら、多分自分は二度と目を開けられなくなってしまうだろう。切られた数カ所の傷から流れ出る血はコンクリートに血溜まりを作り、体温を低下させていく。
「トシ!! おいお前どこにいる?! トシ!! 返事しないか!!」
 電話口でがなりたてる近藤の声が、やけに遠く聞こえた。いつもは受話器から耳を離さなければ響いて痛いくらいであるのに、今はなぜか聞き取れぬほど小さい。その代わり、先ほどからざくざくと耳元で己の血の流ればかりを感じる。
 血に濡れた携帯が手元から滑り、がしゃりと地面で音を立てた。
「……こりゃ、ヤベーかな…」
 煙を上空へと吹き上げながら、掠れた声で呟く。
 指に挟んだ煙草が、腕を下ろした拍子にころりと床に転がった。

 


 うっすらと開いた目の前を、ひらりと白が舞う。
 不意に誰かの声が聞こえ、意識を失いかけていたことを自覚した。
「……さん!! …じかたさん!! しっかりしてください!!」
 耳に馴染む、知った声。

 この声が……。

「あー……最後に…いいモン、よこしやがる……」

 この声が今生の最期に聞くものならば、これほど幸せなことはない。
 散々人を殺めてきた自分には、過ぎた計らいだ。

「惚れたヤツの、声聞きながら…逝けんなら……本望じゃねぇか…」

 ただ、その声が悲鳴じみているのはいただけない。できればもっと…。

「耳元で……愛を、囁いて……」
「何言ってんですかアンタ?!!! 脳みそまでマヨネーズになっちゃったんですか!!!」
 いきなり力任せに胸ぐらを掴まれ、耳元で怒鳴られた。
「ちょっと意識をしっかり持ってください!! 土方さん!!」
「おま……意識、が…花畑に…」
 それはもう鬼気迫る勢いでがくがくと前後左右に揺すぶられ、本気で花畑がよぎった土方だった。
「土方さぁぁぁぁん!!!!」
 胸元にすがりついて泣きわめくのが、走馬燈や幻想ではなく、本物の彼だと分かり、安らかになれそうな花畑に別れを告げる。これを残して逝けるわけがない。
「…な、んで、こんなとこに、いんだ……ガキは、寝る…時間、だろ」
「そんなことはどうでもいいんですよ!! 救急車もうすぐ来ますから、それまで気を失っちゃダメですよ!!」
 すがるその頭に触れようと重い腕を持ち上げて、ふとその手が己の血でべったりと染まっていることに気がつくと、再び地面へ下ろす。きれいな白を、自分の汚い赤で汚すことはできなかった。
「……真選組のほうへは連絡したんですか?」
「…あー……まぁ、どうせ病院で誰かに会うだろ」
 近藤とは連絡を取った記憶があるが、話を終わらせる前に気を失ってしまったのでどうなったのかは不明だ。もしかしたら今頃、誰かが自分を探して走り回っているかもしれない。ともなれば、早めに病院なりについて報告しなければならない。
「こんなに血が……し、止血しなくちゃ!」
「もうすぐ、救急車来んだろ? 大丈夫だ…」
 胸ぐらを掴んだまま震えてる手を、できれば包んで安心させてやりたい。だが血まみれの手を重ねることははばかられ、柔らかな髪に唇を押し当てた。
 
 救急車が到着すると、隊員が慣れた手つきで担架に土方を乗せた。その後ろに縮こまって佇む新八の袴に目をやると、己の血で派手に汚れている。土方は、ぼんやりとした頭で悪いことをしたなと思った。
「しん……」
 車に乗せられる直前、呼ぶと彼はすぐに駆け寄ってきた。
「……土方さん」
「袴……今度、新しいの…買ってやるから、な」
 安心させるように精一杯微笑んでやると、新八は涙をぼろぼろ零しながら、
「絶対ですよ!! お店で一番高いやつですからね!!」
 そう言って、血まみれの手をためらいもなく握りしめた。
「……ローン、組むわ。治るまで、ちっと…待ってな」
「君も一緒に乗るかい?」
 頭側の担架を支えていた隊員が心配そうに新八へそう訊ねたが、彼は少しの逡巡の後、小さく頭を振って握った手を離した。

 土方が、それを由としないことを慮ってのことだろう。聡いが故に、自分の感情を押し殺してしまう彼のそんな部分を美徳だとも、また不憫だとも思う。

 だがそれが今、たまらなく愛しい。
 
 ひたすらに、彼が恋しい。触れたい。己の全てでもって愛したい。
 死の淵に立たされて思うことはそんな、以前の自分ならば真っ先に否定していた事柄で、馬鹿にしていただけの感情が今や己の命全てを支配していることが不思議だった。

「当分…死ねねぇわ」


-END-

 

 

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