6.23 舞台青エク2/7 |
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舞台青エク京都不浄王編初日行ってきた! 本当は今日は観劇の予定はなかったのだけど、お友達が行けなくなっちゃったので急遽の参戦。 そして結論から言うと京都編めっちゃ面白かった!! 覚醒編を観たときは面白さと楽しさと同時に引っかかる部分が多すぎ、さらには前回の舞台とどうしも比べてしまうため差異が気になったこともあって、総合するとまぁこんな感じかなと思っていた。 迷ってるくらいなら観に行ったほうがいいが、青エクを知らない場合はお薦めしない。 ところがどっこい京都編は手放しで叫ぶよいいから観に行けーっ! もちろん青エクをまったく知らないとわからない箇所もあるけれど、それを差し引いてもいいから観に行けーっ!! ほんと楽しかったし面白かったYO〜☆ つまりいいから観(強制終了) さて、感想は箇条書きでも長くなりすぎること請け合いなので、気になった箇所と原作との相違点についてに。 ・冒頭での右目強奪未遂のときを筆頭に可動式の壁を閉じすぎていた ・蟒さんがおらず金造がいる理由 ・廉造の台詞カット ・雪男vs藤堂先生 ・烏枢沙摩明王の不在と不浄王の倒しかた ・ラスト 冒頭での右目強奪未遂のときに可動式の舞台装置の壁が閉じすぎていたことについて。 まさにそのまんまで、手のようになった壁の隙間からなかが見えるものの、その隙間が細くなりすぎていたため、ほとんどの席からは声しか聞こえなかった。 同様のことが他にもあり、また装置の可動のために役者がまったく見えなくなることが何度もあった点が気になった。 しかし後者はもしかしたら今日の公演が25分近くも遅れたことに関係があるのかもしれない。 燐に殴られた坊が氷をもらいに来るシーンで不自然に志摩がいなかったり、金剛深山では電話をかけにいくと言った子猫さんが姿を消してかなりのあいだ戻ってこなかったり。 藤堂先生が京都タワーの上で夜景を眺めるシーンでは、途中から完全に姿が見えなくなっていた。 声は聞こえているのに姿はなく、舞台装置だけが動き続けるシーンがあったのは、てっきり装置の影に隠れて見えなくなっているのだと思っていたけど、もしかしたら装置を動かす人員が足らなかったのではという気がしてきた。 開演が遅れたのは足りない人員の分をカバーするために、変更と安全の確認に時間がかかったんじゃなかろーか。 次に蟒さんがおらず金造がいる件について。 蟒さんがいない部分は八百造が役割を兼ねており、このため虎屋での柔まむ喧嘩を叱る部分やラストの柔まむ結婚宣言時の行動が逆になっていた。 つまりまむたんが言われるはずのセリフが柔造に置き換えられており、ラストでは罪人であるはずのまむたんに八百造が頭を下げることになる。 この演出は冒頭ではやや気になったものの、ラストで八百造がまむたんに頭を下げることで本来は罪人であるはずのまむたんが心情的に許され、受け入れられたことを示すのでとてもよかった。 でないとモヤモヤしたまま終わっちゃうもんね! そして何故に蟒さんでなく金造が出てくるのかという点について。 蟒さんと金造であればキャラの重要度は明らかに蟒さんであり、セリフや行動が本編に影響する。 それなのに省いても問題がないだろう金造のほうが出てくるのは、蟒さんの戦闘形態が明らかにされていないため殺陣ができないのと、錫杖での殺陣を中心に描くことが決定していたのだろうことと、コミカルなシーンを挿入するためと思われる。 特に京都編は不浄王復活以後は笑いの要素が極端に少なく、あっても塾生たちの会話がほとんどだ。 微かにシュラさんの関わるギャグパートもあるものの、金造がいなければ討伐隊におけるコミカルなシーンはほぼ皆無となってしまう。 ただでさえシリアスをぶっ通しでやるのは役者的にも観客的にも辛いものがある。 だから傍若無人で天真爛漫な金造の素の振る舞いとしてのコミカルシーンを入れることで、観客の緊張をほぐしているのだろう。 ちょっとギャグパートが多すぎた気もするが、そこは金造役の村田さんの熟練の技が光りまくってた。 何より最後のほうで坊のもとへ駆けつけるシュラさんや、あるいは帰ってこない柔造を探しに金造が飛び出していかなかったことにきちんと納得のいく理由をつけていたことがよかった。 そりゃ八百造に男と見込んで隊を任されたら飛び出して行けないよね! それまでのギャグ全開の金造像が一転し、ただアホでやかましいだけの男ではなく金造なりに色々考えて行動していることがわかり、新たな魅力が引き立つ演出だった。 あれはカトゥー先生と打ち合わせされたりしたのかな〜?? 廉造のセリフのカットは2か所。 『アンタほんまに死ぬで?』と『てっきり死なはった思てましたわ』の廉造スキー的に超大事な部分がなかったよおろろろ〜ん(号泣)! さらに『明陀も恩も……』というセリフも違う場所で使われている。 しかしそこにも理由があって、ただでさえ長すぎる金剛深山でのシリアスシーンに廉造の部分まで付け加えていてはあまりに冗長だ。 ましてや矛造の説明も必要になり、さらに子猫さんに背を向けて走り去る廉造の独白で展開される内省に尺を取るのは無理がある。 金剛深山は主要キャラが5組に分かれてストーリーを展開していくので、主人公以外に割ける時間は限られており、ましてや子猫さんのコンプレックスはすでに別の場面で語られているため、説明が多く必要になる廉造の回想や発言を入れるわけにはいかないだろう。 それらはすでに一番防御力の高い牢屋のシーンで燐との和解として解決されている。 またここで廉造と子猫さんの仲直りを中心に描けば、ひたすら問題提起と不安ばかりの金剛深山シーンで一番早い円満解決となり、観客を安心させることができる。 さらに舞台はあくまで『京都不浄王編』で完結せねばならないため、次に持ち越す要素は脚本に組み込むわけにいかないという事情もあるだろう。 できればしまえうちくんの演技で見たかったけど、仕方がないったら仕方ない! いいかげん長くなりすぎて自分でもドン引きだけどここからが重要な雪男v.s.藤堂先生のターン☆ いやもうこれほんと度肝を抜かれた! 藤堂先生の身体能力が高すぎて殺陣の華麗さにうっとりしつつ、さらには藤堂先生特有の粘着質な悪意が迸りまくっててたまんねー!! 雪男との飛び蹴りが交差するシーンなんかあんだけ身長差あるのに何で足の高さ同じなの(汗)??? やっぱここは不浄王編のキモでもあるだけあってかなり本編に沿って作られており、藤堂先生のパワー炸裂でほんと面白かった〜v 雪男が藤堂先生に敵わないと思うのも納得の力量差だったし、独特の不気味さ全開でマジ格好いい。 途中で雪男の眼鏡が消失したのはどうもアクシデントであったみたいだけど、原作にもあるだけに ナイアデスカルーセルのシーンが安定の説明不足だったけれど、v.s.藤堂のシーンはバトル中心なだけにおおむねわかりやすくて大満足。 しかも何が凄いって藤堂先が 脱 ぎ お っ た ! うっそー!? だって藤堂先生って言ったら何度灰にされてボロボロにされようと服から再生する変態紳士の鑑のようなお人やで!!?? だからこその裸の演出に瞬きしてる場合じゃない(真顔)。 そのうえ腕が違う場所から生えてることを示すために地面に倒れたままの本体が雪男の足のあいだからコンニチハー☆なもんだから変態スメルがプンプンするぜ! それだけでも吐血レベルなのにそのあと地面に倒れたまま雪男に覆い被さってからの首絞め!! 一生藤堂先生について行きますっ(感涙)!!! 『お兄さん元気ぃ?』も素敵だったし、このシーンの完成度が高すぎるっちゅーかわかってらっしゃるっちゅーかとにかくただ事じゃなさすぎてDVD出たら延々見続けることに決めました まる そしてようやくラスト間近の烏枢沙摩明王の不在と不浄王の倒し方について。 烏枢沙摩明王を出さずにサラマンダ―で代用したのは説明が不要になるためと尺の問題だろう。 何せ烏枢沙摩明王は迦楼羅ほどの知名度があるとも思えない。 しかしサラマンダーとしておけば何となく悪魔なんだろうな〜と伝わるから。 そうなると烏枢沙摩明王の助力なしにどうやって不浄王を倒すのかなと首を傾げていたらまさかの坊の指示による迦楼羅憑依で討伐キターッ! この変更には賛否両論あるだろうが、個人的にはとても納得できた。 実は原作では、どこにいるかもわからない燐のところへ唐突に烏枢沙摩明王が現れ、何故か何の見返りも求めず急に力を貸すことにして、いきなり必殺技を使うという超展開とは言わないまでもかなり強引な結末だった。 どうもカトゥー先生は当初、不浄王を倒すために燐とシュラが離脱して蛇の神様に助力を願いに行くシーンを入れる予定だったらしいが、ただでさえ長くなりすぎている不浄王編でさらに主人公が戦線を離脱するというのは冗長になりすぎるため、唐突な展開になったとしてもそこをカットしたのは正直英断だと思う。 おかげで烏枢沙摩明王が急に親切心を起こして不浄王の倒し方を教えてくれることになっていた。 が、そこを坊の指示で迦楼羅の力を借りることすると、すべてが上手く片付く。 もともと原作でも結界は破れる予定であり、坊は倶利伽羅がどんなものか熟知してて、火生三昧の修多羅も技も知っていて不思議はない。 これまで燐と何のかかわり合いもなかった烏枢沙摩明王が力を貸すよりよほど自然で、納得がいく展開だ。 ただし坊が秀才であるという点に関して事前の説明はなく、覚醒編でも学力に関する話はなかったため、説明不足の感が否めない。 さらに燐が不浄王を倒すために可動式の舞台装置に乗った結果、下半身がずっと隠れているために動きが単調でいまいち恰好がつかなかった。 高さの制限もあるだろうし役者さんの安全が第一だから仕方ないが、舞台装置の壁の一部をシースルーにするとか、あるいはせめて膝立ちにしてほしかった。 やっとこラストだよ最後だよー! ラストの変更についてはこれまた賛否両論というか阿鼻叫喚だろうけれど、奥村兄弟の和解は最重要事項であるためあれでよかったと思われる。 と言うより原作で和解シーンのある海編はもっと長い話にするか、不浄王編に組み込んだほうがよかった気がするくらい中途半端な部分が目立つ。 和解のシーンについてはずっと温めていたものだろうけれど、解決したにもかかわらず心情がわかりにくく読者のなかにはかなり混乱したたかも多くいたようだ。 しかし舞台の京都編は『京都編』のみで完結せねばならず、明確なハッピーエンドを目指した結果奥村兄弟の和解が成り立った。 おかげで超楽しみだった雪男パンチが見られなかったけれど、歯を見せて笑い合う奥村兄弟が幸せそうだったので救われた気分だ。 色々気張り続けていた二人がようやく等身大の15歳の兄弟に戻れたような。 舞台のラストとしてあの終わり以上に相応しいものはなさそうだ。 そして終わりよければすべてよしなのであーる! |