☆世界女傑列伝シンデレラ☆






 昔々、どっかの星のどっかの国に、とんでもねー伯爵さまが住んでいたんだと。彼は三百年続く伯爵家の当主の中でも希代の傑物。容姿端麗、眉目秀麗、頭脳明晰、底意地極悪。代々続く家業である宝石の採掘及び加工の会社を中心とする財閥の影響力をバックに、ずんどこ権力を増していった。
 そんな彼にも大事なものがある。それは元パン屋の看板娘であった奥さんと、生まれたばかりの娘さんである。以前気分転換に街を歩いていたところ、いかにもチンピラな男たち相手に啖呵を切って挑みかかっていた、やたらめったら美しい娘さんに一目惚れしたのが事の発端。伯爵は気の強い女が好みだった。
 例え相手の身分が低かろうが、親戚連中が反対しようが伯爵は気にしない。近場の安酒場で一杯引っ掛け意気投合するや否や、常に持ち歩いているダイヤの原石を捧げて求婚。勢いに乗ってそのまま二人は結ばれちゃったりなんかして。
 そして生まれたのが一人娘のシュミットさん。伯爵の家系は代々の男系家族であったため、てっきり男が生まれると思っていたパパリンは吃驚仰天。おかげで男の子の名前しか考えていなかったのだが、今や奥さんとなったママリンの一言で名前は決定。

「あら、シュミットでいいんじゃないですか? 珍しい名前の方が、印象に残りますもの」

 こうしてシュミットさんは誕生したのであった。





 さて、このシュミットさん。見た目は薔薇の花、中身は悪の花。素敵に無敵に育った彼女(?)は、外見はママリンに、性格はパパリンにそっくりだと評判である。幼い頃から完璧な帝王学を学び、野心家のパパリンを尊敬してやまない。学校などには行かず、パパリンのつけてくれた優秀な家庭教師を相手に今日も一戦交えている。カテキョー如きに負けるようでは、次代伯爵になどなれるものか! それが彼女(?)の口癖&座右の銘である。パパリンは本来お嬢様であるシュミットを跡取として教育した。何しろ彼女(?)には才能がある。わずか8歳にして経済学を修め、外国の歴史を学び、法律にも詳しい。頼もしい後継ぎができたものである。いや、もしかしたら娘は自分を超える傑物となるやも知れぬぞ、と嬉しそうに伯爵は夫人に語ったのだった。  しかし幸せはそう長くは続かなかった。シュミットが12歳のとき、ママリンが亡くなったのである。それは冬の厳しい年のことで、秋ごろから流行りだした流感にかかってあっけなく伯爵家の花は散った。伯爵とシュミットは悲しみに暮れ、思わず市場独占しているダイヤの価格を二割も上げてしまったほどだ。そうして二人は傍からは全くそうは見えないが、身を寄せ合って慎ましくママリンを偲んで生きるようになったのである。
 そんでもってシュミットが16になった年、パパリンはある決断をした。再婚である。今度は口うるさい親戚連中の意見を容れて、名家の未亡人を妻とした。彼女には二人の連れ児があったので、突然シュミットは三女になってしまったのである。
 新しく母親となったのはリオーネさん。黒髪が自慢のタレ目ババアである。彼女(?)は純粋に伯爵家の資産が目当てで、そのわかりやすい動機がパパリンは気に入ったらしい。連れ児の二人、カルロとジュリオは母親に似て強欲であったが、そこがまた伯爵の気に入った。彼は考えたのである。娘には敵が必要だと。
 普通娘の幸せを願う父親は、良い後妻を求めるものだろう。だが伯爵は違った。シュミットには最強の総帥となってもらわねばならない。となれば常に自己を保ち、どんな困難にも勝って貰わねばならない。冬眠から覚めた熊のように無敵に、大空を舞う鷲のように貪欲に、そして獲物を狙う豹のように狡猾に! しかしそれには敵が必要ではないかと伯爵は考えた。娘は現在まだ16歳であるが、その強さたるや類を見ず。あるいは伯爵が同じ年であったときよりも強く賢いかも知れない。しかし、経験の浅さがその隙を突きはしないだろうか。そう考えて伯爵は例え家庭内にあったとしても気を張っているようにと、性質の悪い後妻を娶ったのだった。そう、全ては娘のために……。
   伯爵の思惑は当たった。継母達とシュミットの相性は最悪であった。初めは緊張してお互いを探り合っていた四人であるが、そのうち事あるごとに衝突し始めた。

「何よ、下賎の女から生まれた溝鼠のくせに!」

 そう言って継母や義姉達はシュミットを獏迦にするが、実はそれが普段何をしても勝てないための嫉妬であることは明白である。シュミットは乗馬も剣技も超一流の騎士並、いや、むしろそれ以上で、しかも勉学においても伯爵家始まって以来の秀才と誉れ高い。ならば女のたしなみで勝負! とふっかけたはいいが、料理裁縫掃除に洗濯果てはベビーシッターまでそつなくこなす。その上容姿は絶世の美貌。性格は継母、義姉達の上をゆく悪党ぶり。それでも懸命に意地悪をして戦う彼らは、むしろ哀れですらであった。
 たとえばカルロがわざとシュミットのドレスに醤油を零したとする。

「あ〜ら、ごめんあそばせ」

 偉そうに見下すカルロをシュミットは一睨み。それから、

「いや、気にすることは無い」

 そう言って誰もが鼻の下を伸ばしかねない微笑を浮かべる。しかし誰も許すとは言っておらず、次の日カルロのドレスは悉くドピンクのペンキで着色されていたりした。
 さて今度はジュリオがめげずに階段上でシュミットの背中を押したとする。すると次の日彼女は不自然なほど深い眠りから覚めて、自室のベッドの上ではなく塩酸のプールの上に吊り下げられている自分を発見して悲鳴を上げたのだった。
 最後は継母。服のセンスが悪いとシュミットに嫌味を言ったその日から、気付けばベッドの中には爬虫類が溢れかえっているし、履いた靴の中にはシャンプーが流し込まれてドロドロだし、羽織ったガウンの襟には剃刀装着、ナイトキャップには飲みすぎシールがベッタベタ。

「キィイ〜! 悔しい!」

 そうしてハンカチを噛む継母や義姉達を歯牙にもかけないシュミットさん。そしてそれを何処から持ち出してきたのか電信柱のレプリカの影からそっと伺う伯爵。娘よ、良くぞ立派に育った。そう思いながら頷く伯爵は、よもや自分に奇禍が迫っていようとは思いもよらなかったのだった。
 伯爵が病に倒れたのはシュミット18の夏である。つい先日まで元気だったのに、とシュミットは痩せ細ったパパリンの手を取る。伯爵はそんな娘を見上げながら、

「シュミット、私はもう駄目だ……」

「そんな! 経済の申し子、政界の覇者、経営の天才と謳われた父上がこんなことで弱気になってどうします」

 シュミットは在りし日の父の姿を思い浮かべて必死に言葉をかけるが、伯爵は浅い息の下からシニカルに笑うだけでシュミットの言葉を遮った。

「いや、お前の気持ちは嬉しいが、自分のことは自分が一番よくわかっている。私は幸せ者だ。しかしたった一つだけ悔いがある」

 伯爵は娘を見上げ、シュミットはただ頷く。

「私には夢があった。いつかこの国を、ひいては大陸の覇者となって歴史に名を残す。……それが私の夢だった」

「父上、ご安心下さい。不肖ながらこの私、父上の夢を叶えてご覧に入れましょう。いつの日か必ずや!」

「そうか、私は何と頼もしい娘を持ったことだろう。これで安心して逝け……うっ!」

 ゴホッと喀血し、伯爵の手が滑り落ちる。その手を慌てて取り、シュミットは涙乍らに叫んだ。

「父上!」

「何だ?」

 無言で取り出されるスリッパ。スパーンと音がして伯爵は倒れ、医師がその脈を取って首を振る。それが偉大なる伯爵の最後だった。シュミットは父上、と叫びながらその身体に縋った。そしてやおら立ち上がり、

「父上、このシュミット誓いは必ずや守ってみせます。天上からどうか母上とご一緒に見守っていてください!」

 明後日の方向を見上げて硬く拳を握るシュミット。それを見つめる人々は皆一様に涙を流しながら美しい跡取を見つめていたのだった。因みに、死亡診断書の死亡原因欄にシュミットの名前が記載されることは無かった。





 父の死後爵位を継いだシュミットがまずしたことは、偉大なる伯爵死亡の混乱を狙って財産やら利権やらを狙って押しかけてきた親族や財閥幹部の粛清だった。シュミットは無駄口を叩く部下や親戚連中には全く耳を貸さず、サクッと敵となりうる相手を切り捨てていった。その結果伯爵となったシュミットは以前よりも更に強固な組織を手に入れることになる。それから彼女(?)はこの国の王となるべく経済界、政界の支配に乗り出し、わずか2年足らずでそれを実現してしまった。今や国は伯爵の手中にあり、と人々は噂する。しかし残念なことにそれがまだ完全でないことはシュミットが一番良く知っていた。
 リオーネ始めカルロとジュリオはいつ自分たちにも粛清の手が伸びるかとビクビクしていたが、実のところシュミットは彼らには全く興味が無かった。彼らが機会さえあれば自分の足元を掬おうと目を光らせていることは知っていたが、それ以上のことは何もできまい。常に自分が気を張っているためには丁度良い、とシュミットは彼らを放っておいたのだ。そんな継母達が朗報をもたらしたのはシュミット20歳の秋のことだった。

「お城からの招待状よ!」

 そう言って目をキラキラさせたジュリオが一枚の封筒を持って駆け込んできたのはカルロとリオーネがいかにしてシュミットに毒を盛るかと思案に暮れている素敵な午後のお茶の時間だった。

「お城で来週の12日の木曜日に武闘会が開かれるんですって」

「武闘会? 舞踏会じゃなくてか?」

 怪訝そうなカルロに違うのよぅ、とジュリオが手を振る。

「ほら、王太子のエーリッヒ王子って強い人が好きでしょ? だから武闘会を開くんですって。その見物に来ないかって招待状」

 ジュリオの差し出した招待状には確かにその旨記されていた。それを見てキラーン☆と目を光らす継母リオーネ。

「これはチャーンス! 武闘会にかこつけてはいるけれど、これは王子の花嫁選びのための招待状よ! これを見なさい、国中のお年頃の娘さん方全員にこの招待状を配ってるって書かれてあるわ」

「なるほど、王子の奴は相当な変わり者だって話だからな。とうとうオレ達にも運が巡ってきたってわけか」

 その通り、とリオーネは頷く。もしこれで娘たちもしくは自分が王子に見初められれば、シュミットを見返すことができる。この蛇の生殺し状態を脱し、上手くすればシュミットをやっつけることとて夢ではない!

「必ずや王子を我が物に!」

 エイエイオー! と気合を入れる継母達。しかし彼らは気付いていなかった。その様子を物陰からこっそり窺う人物がいたことを……。





 皆さんは13日の金曜日というものをご存知だろうか。その日は何か知らないが、とにかくとんでもないことが起こる日だと昔から言われている。しかし残念なことに多くの人が勘違いしているようだが、13日金曜日の夜と言うのは、実は午前零時から朝までのことである。もちろん午後のこともそう言うが、一番ヤバイのは十二日が終わった午前零時からの夜の間。もし誰かを呪おうとするのなら、その辺にお気をつけ下さいまし。
 それはともかく、時間は瞬く間に過ぎて日付は12日の木曜日となった。本日は招待状にあったとおり、お城で武闘会が開かれる日である。それに赴くべく忙しそうに支度をするリオーネ、カルロ、ジュリオの三莫迦トリオ。

「ちょっとリオーネ、アタシの口紅勝手に使わないでよ」

「いいじゃない、減るもんじゃなし」

「莫迦が、減るに決まってるだろうが」

 そんな言葉をヒソヒソ交わしながら用意をする三人の部屋のドアが、何の前触れも無く突然開かれたものだから全員が飛び上がって驚いた。そして恐る恐る見たドアの所に、思ったとおりの人物の姿を見つけ出して、三人はどどめ色の溜息をついたのだった。

「これはこれは皆さん、私に黙ってどちらへお出かけかな?」

 自信たっぷりの美声、輝くばかりの美貌、そして完全無欠の悪意を込めた真意の知れぬ眸。現在の伯爵家当主、我等がシュミットさんである。彼女(?)は隙無く着こなした乗馬服のまま着飾った継母達を見下すように見つめた。

「ふん、どうせ大方今日お城で開かれる武闘会に出席するために不細工な顔を懸命に塗りたくっていたんだろう」

 ふふん、と鼻で笑うシュミットを見つめるリオーネの目に驚きの光が宿る。何故それを、と二人の娘を見るが、カルロもジュリオもただ驚くばかり。そんな、三人だけの秘密にしてあったのにシュミットは何故それを知っているんだ。そんなリオーネの心中を見透かしたようにシュミットは再び鼻で笑って言った。

「君達の行動は全て私に筒抜けだからな。公儀隠密御庭番衆が逐一私に報告をしてくれる」

 どんな家だそれは。しかしそんなことを気にしている暇は無く、継母達は完全な窮地に追い込まれた。このままでは報告の義務を怠ったとか言いがかりをつけられて、この家を追い出されかねない。いや、それどころか下手をすれば反意有りとして粛清にあう可能性も……! しかし意外にもシュミットはこんなことを言ったのだった。

「……まぁ、私も一応はこの国の国民。せっかく陛下直々にくだすった招待状にも『国の年頃の娘全て』と書かれているのだし、貴方がたを行かせないわけにはいかないからな。今夜は姉さんたちも楽しんでくるといい」

 そうして完全無欠のシュミットスマイル。予想外の反応に呆気に取られる三人に背を向けると、

「私も後から行くが、まだ用意が終わっていないので先に行っているといい。くれぐれも我が家名に恥じるような振る舞いをせぬよう、精々気をつけることだな」

 そうしてシュミットは笑い声も高らかに去って行ったのだった。





 シューマッハ城の最上階、東の空に向かって突き出た尖塔の中で、シュミットは時を待っていた。継母達は慌てて城に赴き、最早武闘会もとっくに始まっているだろう刻限となっても尚、シュミットは自宅に留まっていた。彼女(?)の思惑は常人とは異なる。誰かを待たせること、それは一見相手に不快な思いをさせそうだが、しかしときとして人に自分を印象づけ、手なずける手段となる。そして何をしているのかと言うと、尖塔の部屋に引き篭もってシュミットは怪しげな呪いの用意に勤しんでいるのだった。

「ふぅ、一先ずはこれでいいか」

 シュミットが頷きつつ部屋の中を眺める。中央には白いチョークで書かれた謎の魔方陣。その中には大きな姿見が二枚合わせ鏡になるよう立ててある。それを満足そうに眺めてからシュミットはようやく椅子に腰を下ろして近くにあった金属バットを取った。

「後は12時を待つばかり。午前零時の鐘と共にこの鏡の間を悪魔が通るはず。そいつを捕まえて、願い事をするべし」

 シュミットはあからさまに説明的な台詞を吐きながら、待ちきれない様子でブルガリの腕時計を見、にんまりと笑う。12時まであとちょっと。悪魔さえ捕獲できれば彼女(?)の野望は達成される。まさかこんな簡単に事が進むとは思っていなかった。王子が独身であるのは知っていたが、変わり者とは言え、近いうちにどこかの国の姫でも娶るのだろうと思っていたのだが、事態はシュミットに良いように推移して行く。現在の国王であるヘスラーは老い先短い年寄りであるし、変わり者の王子を傀儡とすればこっちのものだ。王子のハートを射止め(死語?)、完全にこの国の政治を我が物とする。しかし相手を侮ってはいけない。ここで失敗すればシュミットがこの国の王に、ひいては大陸の覇者となる夢は潰えてしまう。それでは何もかも意味が無い。しかしだからといってシュミットは悪魔に自分を世界の覇者にしてもらおうとは思わない。それは彼女(?)にとって実現可能な夢であり、自らそれを達成させるからこそ価値のあることなのだ。ちょっと捕まえた悪魔風情に叶えて貰って万々歳ってな問題ではない。そして今回シュミットは自分の力ではどうにもならないあるものを手に入れるべく、悪魔捕獲に乗り出したのだった。
 シュミットは再び腕時計を見て顔を上げた。そしてゆっくりと鏡に近づくと、そっとその後ろに身を隠した。
 ゴーンゴーン、と教会の鐘が午前12時の鐘を鳴らす。その鐘の音が鳴り終わらぬうちに鏡に変化が起こった。合わせられた鏡の一枚がぼんやりと発光し始めたのだ。そしてその光が最も強くなった時、黒い影が透明な鏡の中から飛び出した。

「今だ!」

 機を見計らって飛び出すシュミット。ゴイ〜ン、と響く謎の音。それからドサリと何かが倒れる音がして、シュミットの足元には折れ曲がった金属バットと、黒い人影のような何かが放り出されたのだった。
 シュミットは抜け目無く自分の足元で気絶する人のような生き物をロープでふんじばって鏡の後ろにくくりつけた。それから項垂れる相手の鼻先にアンモニアの入った壜を近づける。

「……う〜ん、……ハッ! こ、ここは?」

「ふん、漸く気がついたか悪魔め」

 悪魔が声につられて顔を上げると、目の前には偉そうに無い胸を張った絶世の美人が立っていた。

「な、何だあんたわ。俺はどうしたってんだ?」

 漸く自分の置かれた状況に気付いて悪魔はジタバタもがいたが、そんなことではロープは緩まなかった。その様子を嘲笑しながら高らかにシュミットは言う。

「無駄だ。そのロープは遠く高野山は金剛峰寺の阿闍梨より賜りし品。貴様ごとき下等な生物に破れる物ではないわ」

 鼻でせせら笑うシュミットを悪魔は憎々しげに睨んだが、先方はむしろそれを楽しんでいるようだった。シュミットは椅子を引き寄せると悪魔の前に陣取って偉そうに名を尋ねた。

「お、俺はアドルフ。こんな所で遊んでる暇は無いんだ、用があるなら早くしてくれ!」

 アドルフはいきり立つが、シュミットは相手にしない。彼女(?)は知っているのだ。下界で捉えられた悪魔が、朝までしか生きられないことを。彼らは朝日を浴びると灰となって消滅してしまう。だからそれを逃れるために、悪魔は捕獲者の願いを一つだけ叶えてくれるのだ。アドルフは時計を見上げ、一先ず安堵の息を漏らす。今は秋、夜はまだまだ長い。そう判断するとアドルフはこちらを見下ろして楽しそうに笑うシュミットを睨み上げた。

「早く願い事を言え! 数を増やすとか、そういうの以外は何でも叶えてやるから」

 必死のアドルフを見下ろして、シュミットは不敵に微笑む。わずかに身を乗り出し、

「何でもだな?

」 「ああ、何でもだ」

 頷くアドルフと、突如立ち上がるシュミット。彼女(?)は片手を腰に当ててビシィっとアドルフを指差した。

「ではこの私を飾るに相応しい最高のドレスと装飾品、最速の車と最強の靴を!」

「さ、最強の靴?」

 初めの三品はともかく、最強の靴とはなんぞや? そう首を傾げるアドルフの目の前でシュミットは指をチッチッチと左右に動かす。

「世界最強にして最高の物と言ったらダイヤモンドに決まっているだろうが。さぁ、私を飾るに相応しいブルーダイヤのピンヒールを!」

 高らかに宣言するシュミットを前に、悪魔アドルフはただただ唖然としたのだった。





 王宮の灯火は真夜中を過ぎても消えることは無い。それどころかこの日はいつも以上に煌びやかな明かりが灯り続けていた。
 王宮の大広間では武闘会後のパーティーが開かれていた。先ほどの余韻も深く、人々の熱狂が広間に渦巻いている。武闘会はトレイシー柔術の使い手、デック・トレイシーの優勝で幕を収めた。彼やその門下生を囲んであちこちで人だかりができている。その様子を眺めながら、この国の王子エーリッヒは満足そうに微笑んでいた。

「やはり武闘会を開いて正解でしたね、父上」

 父上と呼ばれた国王ヘスラーは息子に負けない長身を王座に収めたままゆっくりと頷く。その横に大臣のブレットが控えており、王子の長身を見上げて、

「アントーニオ・イノッキーの張り手はいかがでした王子?」

「いやぁ、流石アントーニオだ。思わず脳みそが口から飛び出すかと思いましたよ」

 そしてうっとりと陶酔の表情の王子。笑ってそうでしたかと大臣は言ったが、内心ではこの自虐癖のある王子に辟易していたのである。彼は幼い頃から国政に関わる大臣たるべく勉学を修めてきたが、大きくなって王宮に上がってみたらば王は温和な人の良いおっさん、跡取の王子はマゾっ気のある変わり者ときた。こんな奴等のために自分は今まで気の遠くなるような努力をしてきたのかと思うと、ブレットは頭を抱える思いだった。だがそれでも20年は我慢した。したからにはもういいでわないか。そう結論したブレットには一つの思惑がある。よもやいくら能天気な親子とは言え国王と王子を殺害しようとは思わない。だからせめて自分が王に成り代わるために役に立ってもらおう、と。
 ブレットは得意の作り笑いを浮かべながら王子に更に声をかける。

「ところで王子、誰か気に入った娘はおりましたかな?」

「そうだエーリッヒ。一応はそれが本来の目的だからな」

 ヘスラーも頷きつつ息子の反応を待つ。しかしエーリッヒは難しそうな表情で後頭部を掻くだけだった。

「残念ながら。皆一様に美しいし、良い方ばかりですがどうにも私は……」

 もう少しこう、逞しいとは言わなくても気が強くて我が侭なタイプの方が、とエーリッヒは首を捻る。とんでもねー好みだな、と内心呆れながらもブレットは笑顔でそうですかと頷いて見せた。振り返るとヘスラーは少しがっかりした様子で王座に凭れかかっていた。そこでブレットはさも今思い出したかの如く手を打って、

「実は私の娘も今日はこちらに来ているんですよ」

 娘は2000年度の全米女子レスリング無差別級のチャンピオンで、と何気なさそうに言うと、思ったとおりエーリッヒが興味を示した。せっかく大臣の娘さんがいらしているのなら、是非会ってみたい。そう言うエーリッヒに慎ましく謙遜を示しながらもブレットは手を打って娘を呼んだ。

「ハマー・D! 殿下がお呼びだぞ」

「フンガー!」

 そうして呼びつけられたのは身長2メートルに達するかと思われる筋骨隆々のゴリラ娘だった。一体どんな奥さんをもらうと中肉中背で一応美男なブレットからこんな娘が生まれるのやら皆目見当もつかないが、エーリッヒは気に入ったようである。

「おお! 素晴らしい上腕二等筋。腕が私の脚くらいありますよ父上」

 うらまやし〜、と呟いてエーリッヒはハマー・Dの逞しい腕を触る。それを横目にブレットは自らの成功を確信して不敵な微笑を浮かべたのだった。これで話がとんとん拍子に決まれば自分は国父。老いぼれた王は退位し、腑抜けのエーリッヒが王座につく。それを陰で操り、いずれは国政を欲しいままに! そんな将来プランを思い浮かべながらブレットがスリーパーホールドをかけてもらって喜ぶエーリッヒを横目で見たとき、突然朗々たる美声が大広間に響き渡ったのだった。

「殿下から離れるがいい、この類人猿!」

「な! 無礼者、何奴!」

 高らかに響く声に怒鳴り返してブレットは慌てて入り口の方を見た。すると見る間に人の波が割れて、一人の美しい娘が呆気に取られる王子その他大勢の前に足音も高らかに進み出た。切り揃えられた艶やかな黒髪、つんと上を向いた愛らしい口唇、見事に上反った長い睫毛に挑戦的な紫青の眸。完全無欠の美貌と頭脳の我等がシュミットは、ここでも偉そうに腰に手を当てて野心家大臣の前に立ち塞がったのだった。

「き、貴様何奴……」

 思わず気圧される大臣には目もくれず、ぼんやりと立ち尽くすエーリッヒの前にシュミットは優雅にお辞儀する。頭を垂れて恭しく礼をしながら、

「遅ればせながらシュミット・ファンデルハウゼン・フォン・シューマッハ、只今参上いたしました」

 そして顔を上げると瞬くエーリッヒに向かって最高の微笑を浮かべてみせる。その姿を見やって大臣は小さく口の中で舌打ちをした。あの莫迦王子、目がハートになっていやがる。

「陛下、彼の者は大事な武闘会に遅れただけならまだしも、我が愛娘を類人猿呼ばわりいたしました。何たる無礼! 幾ら天下に名高い伯爵とは言え、この罪は重いぞ!」

「ふん、類人猿ではなくてゴリラと言った方がよかったか? よくもまぁ今までそんな化け物を愛しげに育ててきたものだ。それとも動物愛護教会にでも登録しているのかな?」

「おのれ、伯爵風情がよくも言ったな! ハマー・D、容赦することは無い、その身分をわきまえぬ小娘に自らの立場を教えてやるがいい」

「望むところよ! かかって来いピテカントロプス・エレクツス!」

「フンガー!」

 そうして始まる大乱闘。嬉しそうに目を輝かせて声援を送るエーリッヒと、キレかかって声の限りにハマー・Dに声援を送るブレット。それを遠巻きに眺めるヘスラーと観客たち。しかし勝負はものの5分とかからずに決着がついた。数百の視線が見つめる中、立っていたのはシュミット一人。倒れ伏したハマー・Dにレフリーが駆け寄るが、彼女(?)はピクリともしない。そしてレフリーは手を大きく頭上で交差させてから、シュミットの手首を取って高らかに宣言したのだった。

「勝者、マーシャルアーツ・シュミット!」

 割れんばかりの歓声が沸き起こり、シュミットは不敵な笑いを浮かべて腕を天に向かって突き出したのだった。
 それを見てブレットは舌打ちをするとこっそりと人の輪を抜け出してどこかに消えた。そんなことにはとんと気付かず、

「……素敵だ」

 エーリッヒは目をハートにしながらシュミットに近付く。彼女(?)も王子に気が付いて優雅に礼をし、二人は手に手を取って見詰め合ったのだった。





 エーリッヒとシュミットの結婚式は国を挙げて盛大に行われた。武闘会の夜以来、二人の仲は急速に親密になり、年が改まってからすぐの挙式だった。
 あの武闘会の夜、シュミットは3時の鐘と共にエーリッヒを蹴り飛ばして城を後にしたのだが、王子はそれで余計に彼女(?)に惚れ込んだらしい。本当はシュミットは朝の光が射すと、鏡の裏にふんじばったままのアドルフが灰になってしまうことを思い出して慌てて家に帰ったのだ。その際さり気無く、しかしどう見てもあからさまに残してきたブルーダイヤのハイヒール(油性マジックで名前入り)を元にエーリッヒはシュミットを探し出し、二人は世に言うお付き合いを始めた。継母達は最早何も言う気になれず、燃え尽きた矢吹ジョーの如く暗く沈んで日々を過ごした。
 二人が無事結婚式を終えるとヘスラーは退位して王座をエーリッヒに譲った。しかしもちろんシュミットが黙ってはいない。彼女(?)は自分にメロメロなエーリッヒを操って政治を左右し、政敵を次々と蹴落としていった。おかげで立場が危うくなったのは大臣である。彼は慌ててシュミットの暗殺をあの手この手で試みるが、悉く失敗。そしてシュミットは高らかに笑い声を上げる。

「世界はやがて我が足元に跪くのだ!」

 それでもブレットは諦めず、国でもシューマッハ伯爵家に次いで財力があり、また商売敵のシュミットを憎んでいるマサチューセッツ屋店主のクラウスと手を組んだのだった。





 それは何処かの別荘の一室だった。ブレットとマサチューセッツ屋が密談を交わしながら、手酌で酒を交わしている。二人はシュミット憎さのあまり手を組んだが、いまいち報復が上手くいっていなかった。幸い法の目をかいくぐった悪徳商法での儲けは出ていたので良いものだが、それも駄目であったらブレットはとっくの昔にご乱心めされていただろう。彼はやけくそに酔っ払ってマサチューセッツ屋クラウスの接待を受けていた。
 するとそのうちクラウスが一つの桐箱を取り出し、

「お大臣、こんなものは如何でしょうか?」

 包みを解いた箱の中を覗き込んでブレットが笑う。

「おお、黄金色のお菓子か。そちも気がきくのぉ……」

 そして沸き起こるどぅわっはっはという笑い声。何がおかしいのやらさっぱりわからん。しかしその哄笑も長くは続かなかった。何処からか聞こえてくる必殺仕事人のテーマに二人は気付き、慌てて辺りをうかがった。

「何奴! 姿を見せろ」

 腰のサーベルに手をやりながら立ち上がるブレット。その彼の目に、とてつもなく怪しい人影が映った。その人物は何故か着流し姿に編み笠を被り、暗がりから湧き出すように現れたのだった。

「ひとぉ〜つ人の世生き血を啜り、二つ故郷後にして、みぃ〜っつミルキーママの味!」

「そ、その声はまさか…」

 おどおどと慌てふためくクラウスの誰何に、謎の侍は編み笠を天高く放り投げた。

「いかにも私はシュミット伯爵! 貴様等の悪事は全て暴かれた。このうえは大人しくお縄につくがいい!」

 高圧的な口調に歯軋りするブレット。大臣がすぐ側にいることに気を強くしたのか、珍しくクラウスがシュミットの前に立ちはだかったが、それが失敗であった。

「おのれぇ、スクランブル発生、スクランブル発生、ガードマンであえ……」

「ゴガツバエ!」

 そしてズドンと一発。シュミットの手にしていた猟銃が火を吹き、あっけなく昇天するクラウス。その身体を思わず受け止めたブレットが、

「お、お前仮にも正義の味方(?)が警告も無しに発砲なんかしていいのか! 第一、ゴガツバエじゃなくて『五月蝿い』だろ! おくり仮名はどうした!」

「やかましいっ! 私のやることに間違いなど無い!」

 そんなわけないだろ、と叫ぶブレット。しかし世界最強の女(?)シュミットは躊躇い無く、

「ゴガツバエ其の弐!」

 再び火を吹く猟銃。しば漬け食べたぁ〜いと意味不明なことを叫びつつ倒れるブレット。その死亡を確認してシュミットはその場で高笑いをかます。

「これで邪魔者はいなくなった。私の夢を叶えるときがとうとうやってきたのだ!」

 その笑い声は夜の街にいつまでも木魂し続けたという……。





 こうして最大の敵を葬り去ったシュミットは、残った敵を次々と亡き者にし、数年後ついに女王として国に君臨した。彼女(?)は初心を忘れることの無いようにと『灰被り』という意味のシンデレラを女王の名として名乗り、父から受け継いだ財閥のバックアップもあって、程なく大陸の覇者となった。また、シュミットにべた惚れのエーリッヒとの間に生まれた王子はやがてその巨大帝国を更に強固なものとし、完全なる統治を敷いた。彼の名は大天使の名を取ってミハエルと名付けられた。
 ミハエルは国母シュミットを敬い、各地に銅像や記念のモニュメントや公共施設を建てて彼女(?)の功績をたたえた。こうして彼女は歴史に名を刻み、永遠に語り継がれてゆくのだった。めでたくなし、めでたくなし。





〔おちまい〕



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