気になった話 2010

  • ここ数年で様変わりする米国の経済学教科書 (現代ビジネス 2010.8.14)

    プリンストン大学で30年間もマクロ経済学を教えてきたアラン・ブラインダー教授は、既存の教科書は貨幣の需給ばかりに記述が集中しており、今回の不況について「不充分な説明」すらできないという。ベストセラー教科書の著者でもあるブラインダーは、6月出版予定の新しい版では、レバレッジや証券化、システミック・リスクなどについても言及するとのこと。

    ハーバードやMITでは、標準的な教科書の使用をやめる教授たちも出てきており、

    10年後の学生が金融危機前の教科書を開いてみたら、マルクス経済学並みに古臭いと感じるかもしれない。

  • 秋なのに「就職が決まらない」大学生だらけ (現代ビジネス 2010.9.7)

    読売新聞社が国の調査と独自調査を合わせて推算した'09年度新卒の就職浪人数は約11万人。内訳は、就職が決まらないまま卒業する学生が3万1000人、就職が決まらないため留年を選ぶ学生が7万9000人だ。

    卒業予定者56万8000人のうちの11万人だから、ほぼ5人に1人が就職浪人ということになる。これに前年度以前の就職浪人を加えたら、浪人の数は数十万人単位になる。いつ暴動が起きてもおかしくないほどの数字なのだ。

  • 教授会という「利権集団」にメスを入れた平安女学院の「大学改革」 (現代ビジネス 2010.11.3)

    教授会は新しい教員採用などの人事の権限を持つ。多くの大学では公募で教員を募集しているが、実は誰を採用するかは教授会傘下の選考委員会などで事前に決まっているケースも多い。形だけ公募にして公平さを装っているのだ。

    人文学部でも人事委員会はありますし、そこで事前に決めます。それのどこが「形だけ公募」になるのかさっぱり分かりません。人事委員会には応募書類が全部届きますし、委員はそれを全部見て書類選考します。教授会の全構成員で見ることが公平と言いたいのでしょうか?民間企業では社員全員が全ての応募書類に目を通しているとでもいうならともかく、普通は人事部でほとんどの作業をこなしていることでしょう。また、他大学では構成員の過半数が出席して面接しているケースもあるようです。そのようなケースではむしろ民間企業より「公平」じゃないでしょうか。

    学会で有力な教授の研究室出身といった「箔が付く」ことも採用のポイントなる。

    大学によって、あるいは個人によってはそういう考えを持つこともあるでしょう。これは学歴と同様、シグナリングと考えられます。委員の判断能力が十分でなければまた書類の情報で不十分なら、そういうシグナルに多く頼るでしょう。

    能力ややる気よりも内輪の理屈だけで採用を決めているのだ。

    採用したら一緒に仕事をするので、能力ややる気がない人を採ると委員自身にとって不利益となります。「内輪の理屈」の詳細は不明ですが、能力ややる気がないと分かっていて採用するのはただのバカでしょう。大体、能力ややる気があるかないかを見抜くのは大変ですので、失敗することもあるでしょう。失敗例を持ってきて能力ややる気を重視していないと考えるのは間違いです。

    採用以外でも、たとえば、セクハラや痴漢などの破廉恥な犯罪で懲戒処分を受けて退職する場合でも教授会の承認がいる。「学問の自由」を盾に、理事会など学校法人側の関与を嫌う。

    人事権を持っているのだから、教授会が承認するのは当たり前のような。そうでなければ、教授会が責任を持って決定していることにならないでしょう。

    筆者が知るケースでは、社会人大学院生に学位と引き換えに肉体関係を迫った男性教員はセクハラと断定されたにもかかわらず、懲戒免職にはならず、教授会の判断で退職金が出る依願退職の形になった。こんな悪質なセクハラは、一般企業ならば即刻懲戒免職のケースだ。

    どういう判断でそうなったかは知りません。前例踏襲とか考えることは色々あったのでしょう(もちろん、セクハラはよくないです)。大体、「一般企業の即刻懲戒免職」というのが常に正しい判断かどうか分かりません。最近は電車の痴漢冤罪とかも問題になってますし。

    こうして教授会主導で採用した教員が必ずしも教育熱心とは限らない。

    研究していないと外部評価で文句つけられるんですが。程度問題なので、あまりにひどければおそらく周りからクレームが来ます。

    筆者は、一流の研究者は教育もうまいと感じている。

    そういう例をこの人が見ただけであって、一般的に相関があるのかは分かりません。ぐぐってみたら、こんなブログがヒットしました。本の紹介ですが、それによると東大駒場の理科系教員については「研究と教育の成果は無相関」だろうとのことです。

    そして自分より教え上手な教員が来ることを嫌う。

    自分の講義は気にしても、人の講義に関心がある教員はこれまであまり多くなかったような気がします。採用時に模擬講義させるってのは最近多くなりましたが、(制度もないのに)人の普通の講義を見学するという例を身の回りでは聞いたことがありません(そういえば、私の学生へのコース紹介を見に来た先生は過去にいました)。

    教授会の議論は3、4時間も続き、結論が出ないことがざらだ。

    私も長い会議は勘弁して欲しいですし、ほとんどの先生はそう思っています。でも、長いんですよ(ただし、昔よりはマシになっています)。それを愚かだと切って捨てるのは分析しなさすぎってもんでしょう。
    まあ、何にせよ改革がすばらしいのだったら受験生も増えるし優秀な先生も増えるでしょうから、その結果を見れば改革の効果は判断できるでしょう。儲かればいいって?自分の子供をそういうところに入れたければ、そうすればいいと思います(ただし、子供の希望も聞いてあげてください)。
  • 「成長率も失業率も低い社会」と「成長率も失業率も高い社会」のどちらを選ぶか〜ノーベル賞受賞の「サーチ理論」で解く日本の労働市場 (ダイヤモンド・オンライン 2010.12.2)
    サーチ理論で説明してくれるのはありがたいのだが、解釈に納得できない部分が多いし結論もどうかな、と。

    大学生が大企業を希望しているのは、長期的に利益が大きくなる、中小企業より大企業に籍を置いたほうが、高度で多様な労働スキルを身に付けることができる、と考えているからだ。

    学生があまり企業を知らないことと景気回復を待ってるだけの方がありそうだし、待機期間には企業内での教育を受けられず労働スキルを蓄積できないのでその判断は難しいでしょう。つまり、不況の長期化で人的資本が蓄積されず減耗だけしてしまうかもしれません。また、一時的な失業も長期化すれば悪いシグナル(低能力だから職に就けない)に解釈され、長期的失業に繋がるかもしれません。

    大学生の考え方が正しければ、つまり、中小企業に勤めても低い労働スキルしか身につかない懸念が高いのならば、中小企業に就職することが日本経済の長期的活力に結びつかないことになってしまう。労働市場のミスマッチを短期的視点で解決することが、長期的な利益に結びつくとは限らない。

    日本には技術力の高い中小企業が多いって話はよく言われていますが、その辺の話は無視しているのでしょうか?もちろん、技術と労働スキルは必ずしも一致しないが関連はしているはず。「大学生の考え方が正しければ」と条件をつけていますが、学生を指導する立場からは、学生が本当にそう考えているのかを確かめて欲しいところですね(アンケートでもとれば十分でしょう)。

    日本経済を活性化させるには、産業の構造改革を行って、高付加価値産業を発展させる必要がある。それは、学生に人気の高い職種の産業を成長させるということだ。金融業やサービス・情報業が発展するような規制改革を核とする成長戦略の重要性は、労働市場のミスマッチ現象からも指摘できる。

    この辺、文章がよくわかりません。高付加価値産業は放っておけば勝手に成長するのではないでしょうか。大体、成長戦略ってのはうまくいくものなのかよくわかりません(産業政策はその有効性について否定的見解が多い)。

    国によってリーマンショックの影響度が異なるのは、各国に固有の構造的要因があるからだ。日本については、二つのことが言える。第一に、そもそも失業率が低い。第二に、リーマンショックによってGDPは10%以上減少したのに、失業率は1.5%程度しか増えなかった。

    一般でもよく言われますが、構造的要因って具体的に何のことかよくわかりません。「そもそも失業率が低い」のは統計のとり方のせいでしょう。「そもそも失業率が低」くなる構造ってのなら、頑張ってその要因を解明していただきたいです。

    第一に、失業者のためのセーフティネットが他の先進国ほど充実していない。

    第二に、企業から見れば、整理解雇が極めてしにくい。

    雇用調整助成金によって失業者を増加させない政策方針を採っている。

    労働者は解雇されまいと必死になり、企業は極めて解雇しにくく、政府はその構造を崩さないように支援しているという構造だ。

    (米国や欧州では)労働者が解雇、失業を日本ほど恐れない、と言われている。

    この辺はその通りでしょう。ただ、かなりの部分は不況が悪いんだと思いますが。

    失業率が極めて低く、他国に比べて雇用状況は安定しているが、経済の低迷は20年も続き、成長率は極めて低い。それはどうしてか。

    失業率と成長率は、トレードオフの関係があるからだ。

    オーカン(オークン)の法則(Okun's law)ですか・・・って、よく見ると逆じゃね?オーカンの法則はGDPが小さくなると失業率が増えるので(Wikipedia)。それは置いておくとしても、今は失業率も上がって成長もできてないってのが問題なのではないでしょうか?質問がそもそも不適切な気がします。まあ、この法則も経済構造が安定的でないときれいに描けないとは思いますが。

    「失業率も成長率も低い社会」と「失業率も成長率も高い社会」のどちらを選ぶのか、という問題か。

    そうだ。ただし、日本人は失業すれば精神的、物質的にも非常にみじめであり、社会からも阻害されるという恐怖を抱えている。だから、失業をさけるためには生産性、成長率が低下してもいい、つまり、現状維持でいい、という人が多いかもしれない。

    だから、オーカンの法則はどこに行ったのでしょう?日本人の精神的なものが原因なら失われた10年とか言わず、それこそずっと前から問題になっていても良さそうな気がします。
    この手の話を見ていると、痛みを伴わない or 痛みを緩和しながら改革って選択肢をなぜ追求しないのか、といつも思います。医学とかだったら麻酔して手術や治療するのに。好況の時の方が転職にかかるコストも低いのだから、景気回復してからゆっくり労働市場改革でも何でもやったらいいのにと思います。

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Last-modified: 2011-11-11 (金) 16:24:18 (4547d)

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