「―っぁ……や、あっ……きぃちゃんっ」
「リタイヤ?……ゆっちゃんってもっと負けず嫌いだと思ってた」
「だからぁってぇ……も、無理……っ」
「いーじゃん。ゆっちゃんも楽しんでよ、ね?」
「んぅっ……ぁんっ」
何度目か感じる絶頂に悠美は貴一の背中に爪を立てる。
口から出る音はすでに言葉ではなく、自分でも何を言っているのか分からない。
熱に浮かされ、裸で抱き合っている事さえぼんやりとしか思い出せない。
知り尽くした相手の体に今更恥じらいを感じるわけもなく、与えてくれる快感は何時だって気持ちいい。
高校で出会って、唇の熱さは変わらない。
気がついたら抱き合っていて、流されたのかといえばそうだともいえるし、だが自然な関係だと思った。
コソコソと抱き合って、みんなの前では『仲の良い友達』を演じる。
秘密の恋人、なんて甘い響きの関係ではなく。
言うならば―セフレ、と言った所だろう。
気楽な、関係。
情事の匂いをすべて洗い流し、ベッドルームへと戻ると、上半身裸の男がぼーっとしている。
バスローブを羽織ったまま男の隣に寝転ぶ。
ベッドのスプリングで、男の染め直して痛んだ黒い短髪が揺れる。
すっとした鼻先は少し日本人離れして見えるが、れっきとした日本人である。
「きーちゃん、シャワーは?」
「浴びるよ」
まるで抱いたら興味が無くなったような男に、悠美は少し笑う。
恋愛の『恋』の字さえも、悠美と貴一の間にはない。
でもそれが―心地良い。
適度に甘えて、適度に快楽をわけあって、適度にスリルを体験する。
心を見せないから、傷つく心配だって、ない。
「お仕事は?」
「んー、そろそろ行かないとなぁ」
「社長様だもん、ね!」
「ゆっちゃんは?」
「んー、戻るよ、そろそろ」
「そっか、仕事の途中だったっけ?」
「そ、きーちゃんが引っ張ってきたんじゃん。悠美はしがないOLなのに」
「ゆっちゃんが首になったら、うちで面倒みてあげるよ」
冗談とも付かない事を行って、貴一は笑う。
こんな時ばかりは、彼が社長であろうがなんであろうが、気にならない。
同じ、人間だと思える。
「悠美って、きーちゃんの愛人みたいじゃない?」
「なりたい?」
「いや」
「だろーね」
「私、きーちゃんと居ると楽だから、寝てるの」
「うん、オレも」
そう言って貴一は悠美の少し茶色の髪をゆっくりと撫でる。
まるで宝石に触るかのように触れてくれるその手は心地よく、うっとりと目を閉じる。
「仕事、行くんでショ?」
「うわっ、また怒られちゃう!」
仕事、という言葉に急に現実に引き戻される。
急いで起き上がると散らばった衣類を手に取る。
「あ、ゆっちゃん、今夜会える?」
「?いいけど」
「じゃあ、いつもの所で、ね」
「はあい」
「いってらっしゃーい」
ひらひらと手を振る貴一を背後に、バッグを手に取ると、部屋を出て行く。
抱き合う時使うのは、彼の会社が管理している高級ホテルのスイートで、そこから出るとき最初は恥ずかしかったが、今はなんともない。
むしろこんな所の方が、知り合いに逢う可能性はない。
少し駆け足でホテルを出ながら、悠美は先ほどの『愛人』とやらを思い出していた。
お金は貴一に貰った事はない、が、仕事に来ていくスーツから、普段着、そしてドレス、すべて定期的に貴一が持ってくる。
完璧に貴一の趣味丸出しだが、幸か不幸か趣味が同じなため、付き返すに返せない。
住んでいるマンションも貴一が用意してくれているし、生活費も振り込まれそうになったが、それはいやだと言って、悠美のお給料は生活費にだけ費やされている。
(……ホントに愛人じゃないのかなぁ?悠美……)
高校から始まったこの関係に『お金』をはさむと、きっと何か変わってしまう。
悠美は貴一と対等に居たいのに。
***
マティーニのグラスも空になって、オリーブをつまんだ頃、ようやく貴一が悠美の前に現れた。
決められたホテルのバーで、一杯飲んで、部屋へ、というのがいつものパターンだ。
もう一杯たのもうかと思ったが、その手を貴一に止められる。
「おいで」
「……?」
そう言って歩き出す貴一に、急いでドリンク代をカウンターに置くと、駆け足で向かう。
エレベーターに乗り込む、貴一の横顔が少し緊張して見える。
(……きーちゃんが緊張するわけ、ない、よね)
最上階のレストランに着くと、お先にどうぞ、と貴一が悠美を諭す。
名前を告げると、手馴れたボーイが席まで案内してくれる。
貴一と会う時はホテルに行くので、それなりの格好をしていた事に今更ながら悠美は安堵する。
T-シャツ、ジーンズでなんかでは断られる場所だ。
「メインは?」
「あーお魚」
「ワインは?」
「やっぱ、白で」
「オレと結婚する?」
「あー、じゃあ………え?」
思わず反射的に答えそうになり、驚いた顔で貴一を見る。
口元が少し笑っているが、冗談でこんな事は言わないはずだ。
「なんで、突然」
「ずっと考えてたけど、オレの中では」
「私にとっては、突然なの!」
「いーじゃん。ゆっちゃんオレの事好きっしょ?」
「好きだけど?」
何時の日かやったような同じやりとりを、社会人になってまでやっている。
困惑しているはずなのに、頭のどこかで予想していたのか、意外に冷静に相手を見ることができる。
「『付き合う』がダメだったんだから、結婚位いいでしょ」
「全然意味わかんなぃって、ソレ」
「いーの、Yes or Noだよ」
「…………イエス」
「うん、じゃあ、コレあげる」
と小さな箱を渡される。
中身は想像付くが、空けると予想通り、婚約指輪だ。
「私がNoって言ったら、どうするつもりだったの?」
「まさか。だってゆっちゃん、付き合うのはイヤでも、結婚はしたかったんでしょ?」
「………うん。……昼ドラ見たいのはいやだったけどね」
「ドロドロしてるヤツね」
「恋愛結婚じゃなくていーの?」
「恋愛結婚って離婚しやすいらしいよ」
「え!?」
「結婚すると冷めちゃうんだって、だから、オレたち丁度いい温度だと思わない?」
「………くどいてるの?」
「うん」
「わかりにくーい」
そうは言いつつも、悪い気はしない。
まるで最初から知っていたかのように、その事実を受け入れる事が出来る。
貴一への気持ちはある、でもそれを深く考えた事はない、それを考えない以上たぶん貴一の気持ちも分からないのだ。
それでも良い、傍にいると安心できる相手が貴一だから。
「ま、ほっとしたし。お食事といこっか」
「うん」
どーやっても二人ではロマンチックには行かないようだ。
でも当たり前のなのかもしれない、結婚なんてまだ私達の通過点で、終点じゃない。
始まりの合図を出すのは、いつも貴一。
出せない悠美の代わりに出してくれる。
(ありがとね)
心の中でそっと呟いて、悠美は微笑んだ。
28/Aug/05