悠美 はぽかんと口をあけて、運び込まれていく荷物を見つめている。そんなに物は無いと腹をくくってパックし始めたはいいが、結局意外と物があることが判明し、夫である
貴一 ( に泣きついたところ、すばやく引っ越しセンターを呼ばれた。) さすがはプロ、あんなに悠美が苦労していたダンボール箱をいとも簡単に片付けていく。
家具やら小物がなくなっていくと、無機質な部屋がむきだしになり、急に冷たく思えた。
今の今まで住んでいたのに、なんだか今は他人の家みたいに思えた。
「奥様」
「へ?」
奥様、だなんて背筋も凍るような事を言われ振り向くと、黒服の男が立っていた。
はい、なんでしょう、と律儀に答えると、車をお待ちしておりますと、これまた律儀に返された。
「車?」
「はい。家まで安全に送るようにとの事です」
「はぁ……」
家、と言うよりも明らかに屋敷と言った方がいいような大きな家を思い浮かべながら、悠美は男の後を付いていく。
ここから歩いて、10分先にある屋敷、10分間でどれくらいの危険があると思っているのだろうか……。
車のドアを開けてもらい、中に入る。
高級なリムジンもなんだか見飽きてしまっているので、普通に思えてくる。
(慣れって怖いなぁ……)
家の門の前まで付くと、門番が確認してドアを開ける。
それから家まで車でまた少しかかる。
こんな多きな庭をなにに使うのだろうと思いながら、庭園を抜けて、家の前までつく。
待機していた使用人がリムジンのドアを開け、悠美は地上に足をつける。
「お待ちしておりました、奥様」
万年の笑みで並んだ使用人から挨拶をされて、悠美は苦笑いでよろしくお願いします、と答える。
こういう時、富豪と結婚した庶民の新妻はどんな態度をとるのかがまったくわからない。
「奥様、荷物は後々から着ますが、部屋まで案内いたしますっ」
「あ、ありがとー」
にこにこと笑いながら、中年の女性が悠美を屋敷へと案内する。
嬉しそうに口々に、旦那様がこんな綺麗な方を連れてくるなんて感激です、やら、一生独身かと思っていました、やら飛び出してくる。
ちょろちょろと若い使用人も集まって悠美に質問をし、最終的には大きな一つの疑問となった。
「奥様はどのようにして、旦那様にプロポーズさせたんですか!?」
(いや、それ、私も聞きたいんだよねー……)
熱心に聴いてくる使用人に、今更軽い気持ちでプロポーズを受けましたなんて、言えるはずもなく、悠美はただ苦笑いだけを零した。
***
部屋に着くと、ベッドへとダイブする、使用人たちも気をつかってか、悠美をひとりにしてくれた。
今月は、親戚に会ったり、結婚式をしたりと、色々大変だった。
悠美の旦那様の貴一は、有名企業の社長サマである。
そんな大層な方と、どうすんなりと結婚が決まったかというと、実は貴一に親はいない。
貴一が社長に納まった途端安心し、旅行に行って交通事故にあい、敢え無く他界してしまったのだ。。
社長とはいえ、なりたてで不安定だった時期、少なからず貴一を支えたのは悠美で、親戚もそれを幸か不幸か認めている。
ので、今回の結婚も、親戚の説得は結構簡単だった。
「はぁー、疲れたー」
「それはそれは、お疲れ様。ゆっちゃん」
「きーちゃん」
覗き込んできた夫の端整な顔を―といっても悠美は見慣れてしまったが―悠美は見上げる。
高校時代は金髪にしたりと色々といじっていた髪も、今は黒に落ち着いてシンプルにカットされている、少しだけ色素の薄い瞳は面白そうに悠美を見ている。
「夕食食べる?」
「食べるー!」
貴一がそう提案すると、悠美は食らい付くように言う。
満足げにその反応を楽しむと、ベッドに横たわる体を抱き上げる。
悠美は抵抗するでなく、されるがままになっている。
「楽〜」
「はいはい。体重はこのままでね、これ以上増えたら無理」
「努力しマス」
さすがに使用人の前では気恥ずかしいので、一階への階段を下りると、貴一の腕からも降りる。
昔からこうやって貴一は悠美を抱き上げるのが好きだった、高校で出会った当初なんて『オレん家のネコに似てるね〜』やら言って、暇さえあれば膝抱っこされていた。
人に撫でられたりするのが結構好きな悠美はされるがままになっていた二人を冷やかす声も少しだけあったが、何時までたっても幼い悠美と、マイペースなお坊ちゃまの貴一が付き合っているなんて誰一人として信じていなかった。
悠美自身さえ、も。
「奥様?」
「あ、え、はい?」
「お食事を置いても?」
「えぇ、お願いします。それと、その奥様、ヤメテもらえます?」
「そんなっ、貴方は伊藤家の立派な女主人なのですから」
「はぁ……」
伊藤家……今はもう上杉ではなく、伊藤になってしまったのだ。
籍を一緒にしたのだから。
(………んん?………したっけ?)
「あれ?結婚届け書いたっけ?」
「あ、忘れてた」
のんびりとそんな会話を交わす夫婦に驚いたのは周囲だった。
思わずカップを落としてしまう使用人でさえ居た。
渦中の二人だけが冷静だ。
「明日にでも行って、取ってこようか?」
「んー……お願いしまぁーす」
さして動揺した気配もなく、二人は食事を淡々と進ませていく。
そんな二人を見ながら、さすがは伊藤家の嫁、と古参の使用人は思うのだった。
16/Aug/05