「え、騙すの? 祐一さんを?」
「はちみつくまさん」
舞のその一言から幕は開かれました。
偽り無き私の愛
らいたー 水亭帯人
四月一日。
今年度最初の日。
春休みも真っ只中。
北国の此処ではまだだけれど、南の方に行けば死体の血を吸って咲くという表現がしばしば用いられるほどの妖かしの花がさぞかし咲き誇っているのだろう。
空一杯に広がる昼過ぎの晴天をベランダに干した布団を叩きながら眺めてそう考えている最中に舞に持ちかけられた話を聞いて少し驚いた。
「えっと、祐一さんを騙すの?」
思わずもう一度同じことを訊ねたけれど、舞から返ってきた答えはさっきと同じ。
「はちみつクマさん」
「どうして?」
理由が思い当たらない。
舞と佐祐理が高校を卒業して、三人で暮らすようになってまだ日が浅い。
祐一さんは何か、舞を怒らせるようなことをしたんだろうか。
「今日はエイプリルフール」
「…ああ」
短く間を置いてから、納得した。
「そっか、四月一日だね」
「たまには祐一をやり込める」
肯定の意味を込めて舞が動機を教えてくれる。
祐一さんは何と言うか、人をからかうことを愛情表現として用いる人なので少し騙され易い舞は良く彼の言動に翻弄されるのだ。
「でも、どうやって?」
「分からないから佐祐理に聞いてみたのだけれど、何か思い付かない?」
ちょっと考えてみる。
祐一さんは結構鋭いところがあるから簡単には騙せそうに無い。
仮に騙せたとしても、生半可な方法ではきっと笑いながら許してくれた挙句に何かトンデモナイ方法でこちらの意表を突いてくるに間違いない。
普段から手玉に取られている舞としては相手に完全白旗全面降伏を申し出させたいのだろうし、となるとやはり完膚なきまでに彼を騙せる方法を考え出すしかないのだろう。
「うーん、すぐには思いつかないよ。舞」
「そう」
「でも明日になる前に騙せば良い訳だから、それまでに何とか考えてみるね」
「うん」
「じゃあ、次は掃除をしよっか、舞。祐一さんが買い物から帰ってくる前に他の用事、全部片付けて祐一さんをビックリさせちゃいましょう」
「おー」
相沢祐一。
十七歳。
自分たちがつい先日に卒業してしまった高校で出会った、転校して来たばかりの後輩。
人を冗談でからかうのが好きでからかう相手のことも好きという、子供みたいな人。
優しくて、時々カッコつけたがりで、よく屈託無く笑う。
誰とでも分け隔てなく接し、楽しそうにしているときはその目がきらきら光る、なんだか宝石みたいな男の子。
宝石みたい、というのは綺麗と貴重の二つの意味を兼ねている。
そして、佐祐理の想い人。
彼は、佐祐理の親友の舞のことを想っているのだろうけれど。
それは、どうしても否定出来なかった。
なまじ客観的かつ正確に物事を見ることが出来ると困る。
佐祐理が彼に対する想いを自覚したのは想いを抱いた直後のことだった。
もう少しくらい、“この気持ちは何? もしかして恋?”な少女漫画的盛り上がりが欲しかった気もする。
そもそも“相手は親友の想い人であるのだから”、そういった理由から理性では否定したいのにどうしても誤魔化し切れない。
嘘や間違いだったらどんなに良かったか。
いや、良くは無いのだけれど何だか釈然としない割り切れないものを感じる。
この恋という感情は実に厄介で一度手にすると簡単に手放せない。
人の業、或いは因果とでも言うのだろうか。
要するに色々なしがらみみたいなものが沢山あって、恋をしていることに対して手放しで喜べない自分がいるのだ。
或いは“そんな自分だらけ”かもしれない。
ここら辺はいずれじっくりと時間を掛けて考えることにして、目下の問題はこれである。
佐祐理 ――――LOVE―――→ 祐一 (片想い)
祐一 ――――LOVE―――→ 舞 (両想い)
舞 ――――LOVE―――→ 弁当 (餌付け)
図に書くとこうなる。
最後のはちょっとした冗談だ。
こういうところは彼に感化されてきたのかもしれない。
後、あんまり重要じゃないけれど、これも書いておこう。
その他 ――――LOVE―――→ 祐一 (問題外)
自分で書いておいてなんだけれど、蛇足だったかもしれない。
ちょっと後悔した。
けれど思い直して更に付け加える。
祐一 ――――LIKE―――→ その他(要注目)
この“LOVE”と“LIKE”の違いはなんだろうか。
ちょっと気になった。
彼の抱く愛情というのは世間一般の人間のものと少し違う気がする。
あくまで気がするだけかもしれないけれど。
何と言うのだろうか、彼の舞に対するLOVEの態度とその他に対するLIKEの態度はほんの僅かの差しか無いと思う。
普通ならばもっと差があるのだろう、佐祐理の推測の域を出ないのだけれど。
僅かの差、と言うのは即ち“同居すること”。
舞だけが彼から誘いの言葉を受けた。
芋蔓式に誘われた佐祐理はおまけ、とまでは行かないがメインではないだろう。
舞がメインでその他がオードブルだとしたら佐祐理はワインといった所か。
ちなみに誘われたとき心の隅で舞の親友で良かった、と思ったのは秘密だ。
これくらいの思惑は許されても良いと思う。
そして時間は少し経って、夕方――――。
作戦その壱「実は出来ちゃったの」を決行するため、佐祐理と舞は夕食の席で、祐一さんと向かい合う形でテーブルに着いた。
いや、いつもと変わらないのだけれど、まあ、気分の問題ということで。
act.1
「祐一、話がある」
舞が神妙な表情になって祐一さんに話し掛けます。
佐祐理の指示通り、今のところ問題はありません。
「何だ?」
祐一さん、舞の目を真っ直ぐに見ながら用件を尋ねます。
「あははーっ、二人とも見詰め合って、ラブラブだね、舞」
舞、此処でチョップをしてはいけないんですよ。
いつもの如く佐祐理がからかっているというのにチョップをしない、この不自然さが会話の内容が真剣なものだということを暗に祐一さんに伝えるんです。
当然、赤くなるのも禁止です。
「あれ、今日はチョップは無いのか?」
見事です、乗り切りましたね、舞。
祐一さんはいつもとは違うっぽい舞の様子にこれからの話が何か重要なものではないかと推測を立てていますよー。
「……大事な話か?」
「はちみつクマさん」
さあ、いよいよです、舞。
全身全霊を込めて祐一さんを騙すんです。
「私、出来たかもしれない」
「…………………………」
ああっ、祐一さん驚いています。
順調です。順調なのですよ? 舞。
佐祐理も何だかこう、テンションが上がってきて、これからの事態の発展に対し、口にバラを咥え、手に汗を握って闘牛しながらフラメンコを踊りたいような良い感じで錯乱してきましたよー。
「祐一の、赤ちゃん」
祐一さんの「何が?」というボケを兼ねた質問を敢えて先読みして、舞が出来てしまったものについて発言します。
既に事態は舞のペースで進んでいます。
けれど相手は祐一さん。
油断は禁物ですよー。
「ふえー……」
佐祐理はびっくりして呆けたような声を漏らします。
もちろん演技です。
「そっか…………」
あ、祐一さん、何だか凄く遠い目になってます。
「道理で最近、舞が良く食うなーとか太ったかなー、とか思ってたら……そうだったんだ」
「…………」
あ、舞がむぅっ、としてます。
祐一さん、祐一さん、そんなことを納得してる場合じゃないですよ?
「ごめんな、舞。気付いてやれなくて…………」
祐一さんが舞に謝ります。
きっと、舞が出来た子供のことについて祐一さんに話そうか話すまいか悩んでいたに違いないと推察しているんですね。
自分たちで騙そうとしておいてなんですが、この人って誠実だなぁ、としみじみしてしまいました。
ところで――――、出来てしまったことについてはノータッチですか?
ということは、二人はそういう関係?
やだ、何だか二人が裸で抱き合っているところを想像したら興奮してきましたよ?
佐祐理、どうしましょう。
「……気にしないで」
あ、何だか舞の表情が曇ってます。
もしかして良心の呵責でしょうか?
「なぁ、触っても良いか?」
席を立って、近付きながら舞のお腹の辺りに視線を送っている祐一さんが尋ねます。
「…………」
あ、舞が困った表情でこっちを見ています。
許可するか許可しないか舞には判断しかねるようです。
此処は舞と佐祐理の友情のアイコンタクトの出番ですよーっ。
(キョ・カ・セ・ヨ)
こくり。
「強くしないで……」
舞がおずおずと祐一さんの手を取ってお腹に導こうとします。
「なあ、そう言えばもう動くのか?」
ああっ、舞が再び困っています。
でも何時から動くのか、流石に佐祐理も知りません。
「う、動くかもしれない……?」
何気に疑問系です、舞。
「……時々動くのか?」
「……そう」
祐一さんの質問に舞が少し間を置いてから答えます。
あ、何だか祐一さんの目つきが変わりました。
険悪な目つき、とかそういうのじゃなくて、何だかきらきらしています。
これはアレです。凄く面白いものを見つけたときの表情です。
ふぇ、もしかして嘘がばれちゃったんでしょうか?
「うんうん、そりゃあ、動くよなー? こう目で見ただけでも分かるぐらいに。なんたって妊娠してるんだもんなー?」
これはきっとばれてます。
ばれてますよ、舞ー。
「は、はちみつクマさん」
ああっ、舞が自ら墓穴を掘ってしまいました。
佐祐理にはこれからの展開が目に見えるようですよー。
「じゃあ、撫でるぞ?」
こくり。
なでなで。
「あれ、動かないぞ?」
祐一さんがわざとらしく不思議そうな顔をします。
ああっ、舞が凄く困った顔をしています。
あああっ、苦し紛れに舞が腹筋に力を入れてお腹を動かしていますよ!?
「舞」
「何、祐一」
「嘘は止めような」
可笑しさが耐え切れなくなったのか、祐一さんがくすくす忍び笑いをしながらそう言って舞の頭に軽くチョップを入れます。
「ばれてたの?」
舞は心底びっくりしたような表情で祐一さんを見返します。
「そりゃ腹筋で動かしたりすれば嫌でもばれるって」
言って余計に可笑しくなったのか、祐一さんが笑い出します。
「あれか? エイプリルフールか?」
「はちみつクマさん」
「参謀は佐祐理さんか?」
「ふぇ、そこまでばれちゃってましたか」
「舞が俺を騙そうとするならきっと佐祐理さんの力を借りるだろうな、と思って」
こんなわけで作戦その壱は失敗してしまいました。
けれどこんなこともあろうかと既に作戦その弐は用意してあるんです。
今に見ててください、祐一さん。
時間は更に経って、夜――――。
作戦その弐を決行するため、舞と佐祐理は一緒にお風呂に入っている。
これもいつものことなのだけれど、まあ、気分の問題ということで。
act.2
「でも、佐祐理……ちょっと恥ずかしい」
作戦の内容を頭の中で反芻してから、舞が控えめに自己主張します。
「そんなこと無いよー。それにこれなら成功率も高めだよ? 祐一さんがびっくりするところ、舞は見たくないのー?」
「……見たい」
舞ったら赤い顔で俯きながらそんなこと言っちゃって、キュートですねーっ。
「大丈夫、大丈夫。それに佐祐理の言う通りにすれば祐一さんとのラブ度も急上昇間違いなしだよー?」
「本当?」
あ、舞の目の色が変わりました。
ヤル気が急上昇しています。
「本当だよーっ」
というわけで、今、舞はコタツに入って寝ています。勿論演技ですけど。
作戦通りの展開です。
それでは肝心の作戦その弐の説明に入りたいと思います。
実は舞、コタツに入ってるから外からじゃ分かりませんけど、真っ裸なんです。
舞がコタツで寝ていたら、祐一さんは風邪を引くといけないという理由からそこから出して布団まで運んでくれるんです。
ここまで説明すればもうお分かりでしょう!
祐一さんが舞をコタツから出して、真っ裸の舞を見てびっくり、という作戦なんですよ。
どうせ生半可な嘘が通用しないんだったら、嘘を吐かずに相手を騙すという方針で日常の盲点を突くことにしたんです。
「舞、そんなところで寝てたら風邪引くぞ」
あ、お風呂上りの祐一さんがコタツで眠る(演技)舞に気付いて声を掛けます。
「ホントだ、舞ったらまた寝ちゃってますねー」
「すぅ……」
「ああ、もう仕方ないなあ……」
なんだかんだ言って舞に甘い祐一さん。
いつもの如く舞をコタツから引っ張り出そうとします。
「こんなところで寝てたら風邪引く…………」
やりました、やりましたよ、舞。
祐一さんったら凄くびっくりし過ぎて動きが止まっています。
その目線も磁石で引き寄せられるように舞の胸元から離れません。
さあ、今ですよ、舞。
ドッキリ大成功とか、茶目っ気たっぷりに「驚いた?」って訊くとか!
「すぅ…………」
あ、あれ?
もしかして…………本当に寝ちゃってるんですか?
「…………」
「…………」
「すぅ……」
佐祐理と祐一さんは何処と無く気まずい雰囲気の中、暫く無言でその場に固まってしまいましたとさ。
「舞、寝ちゃいましたか」
あれから暫くしてから、三人の寝室にて。
暗い部屋の中、視線を彷徨わせると舞が祐一さんにわざわざ膝枕してもらって、気持ち良さそうに眠っているのが分かった。
佐祐理が着せたので、ちゃんとウサギ柄のパジャマも着ている。
「膝枕、良いですね。羨ましいです」
「そうか? でもなんだか反対な気がするんだけど」
困ったような、けれど何処か楽しそうな表情で祐一さんが呟く。
舞の寝顔を覗くその表情はとても優しげだった。
それを見た途端胸の奥で何かが化学の実験のように急激に反応し、それを客観的に感じた『私』が『佐祐理はこの人に惹かれているのだ』と何度目か分からない確信を抱く。
抱くと同時に思う。
そのことを伝えたい。
目の前にいる人に伝えたい。
例え軽蔑されるとしても、これからずっと避けられることになっても。
伝えて何もかもはっきりとさせたい。
「祐一さん、今日はエイプリルフールです」
知らず口から言葉が出た。
自分が何を言っているのか、一瞬だけ頭が真っ白になって分からなくなった。
けれどそんな思惑とは裏腹に口は動き続ける。
「折角だから佐祐理はちょっと嘘を吐こうと思います」
「どんな嘘なんだ?」
何処か楽しそうに、まるで歌のように彼が言葉を紡ぐ。
もしくは恋という感情のフィルターを通して『私』にはそう聞こえるのか。
ここまで来たらもう、止まらない。止められない。止まりたくない。
せめて嘘というフィルターを通して彼に伝えよう。
「佐祐理は祐一さんのことを――――」
この、偽り無き『私』の愛を。
あとがきな戯言
さゆりんの最後の一言とそれに対する祐一の返答は好きな言葉を各自で連想してください。
そっちの方が良いと思うので。水亭が書くと受け狙いで台無しになりそう。
それと、文章の風味がところどころで違うのは「佐祐理」と「私」だからとか。
あとがきでこんなことを改めて伝えなければそれが伝わらないというのはひとえに私の未熟さのせいでしょう。
謝って済むものなら謝りたい、ここまで読んでくれた人と管理人さんに。
とりあえずそんなこんなな話は置いておいてShadow Moonさん。
そろそろ二十万HITおめでとう。
いえー、どんどんぱふぱふ。 ←口で言う水亭
このssを記念に贈らせていただきます。
今回はいつもより早めに贈れたのでそこのところは水亭的に満足だったりします。
佐祐理さん短編ネタはなかなか思いつかなくてこれが今の私の精一杯。
暇つぶしくらいにはなったらいいな、と思いつつ。
今回はこの辺で。ではまた。
Shadow Moonより
いつもありがとうございます。
佐祐理さんの、切ない気持ちが伝わって来るかのようです。
二人の悪巧み(?)がとても可愛らしく思えて、心がとても和みました。
けれども、祐一君は簡単に騙されてはくれないようですね(笑)。
そして最後に佐祐理さんは何と言ったのでしょう?
でも祐一君ならきっと、一生懸命考えた祐一君らしい答えを、佐祐理さんに返してくれると思います。
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