手記
雪が降っていた。
灰色の空に白い点がちらつく中、駅前のベンチに三つ編みの少女が座っていた。少女の青い髪には小麦粉をふるったようにところどころ白が混ざっていた。
人混みの喧噪も少女の耳には入らなかった。行き交う人々も少女を気にすることはなかった。
少女は深い悲しみに包まれながら来るはずのない少年を待ち続けていた。
人混みの中を探しても待ち人は来ない。やがて少女は周りを見回すのに疲れ、いつからか下を向いていた。顔は地面と平行になっており、垂れ下がった前髪に隠れている。これではたとえ少年が来たとしても見つけられないかもしれない。
少女は失恋したばかりだった。
初恋の人にプレゼントの雪うさぎを叩き壊され、それでも恨み言も言わずに一方的に待ち合わせの約束をした。
少年が来るはずはなかった。あれだけのことをやっておきながら来るはずなどなかった。
少女はその少年を待っていた。だが寒さで凍えた頭の中では、もう当初の目的は忘れられていた。
今は理由もわからず、ベンチから離れられないでいる。このままでは凍死するまで座り続けるかもしれない。
ただ時間だけが過ぎていく。
最初は凍えそうなほど寒かったが、時間が経つごとに感覚は麻痺していき、今では吹きすさぶ風が心地よくなっていた。
このまま凍え死ぬのもいいかもしれない。少女は靄のかかりはじめた意識の中でそう思うようになった。
あの雪うさぎのように壊れてしまえばいい。そんなことが頭をよぎった。
悲しいことがあれば自暴自棄になることもある。
自他を問わずに誰かを、何かを傷つけたくなることもある。
少年はその矛先を少女に向け、少女は自分に向けた。
「寒くない?」
突然聞こえてきた声に少女は驚いて顔を上げると、そこには一人の女性が立っていた。
両手を後ろに回して、少女の顔の位置に合わせてしゃがんでいる。
端正な顔立ちで、腰まで届く長い黒髪をリボンでまとめている。美人だが、かっこいいという表現の方が適切に思えた。
「辛くても死んだらダメ。周りの人は悲しむよ」
「……いいよ、わたしが死んでも祐一は悲しんだりしない」
「だったらどうして待ち続けてるの?」
少女はまたも驚いた。さっきから自分の思考が見透かされてる感じがする。それほどわかりやすく顔に出てるだろうか。
「……ごめんね、昨日見ちゃったのよ。あなたと祐一君のやり取りを」
「そう、でも祐一のことは悪く言わないで」
少女は昨日あれだけ酷いことをした祐一をかばっていた。
恨み言を抱かなかったわけではない。雪うさぎを壊されたとき、一瞬頭が真っ白になり、状況を理解したときには悲しみでいっぱいになった。
それでも少女は祐一を悪い人間だと思いたくなかったし、他人にも思ってほしくなかった。今もこうして祐一をかばっている。
少女にとって祐一はそういう存在だった。
だからこそこの寒空の下で少女は祐一を待ち続けている。
来ないとわかっているが、祐一ならきっと来てくれる。そんな二律背反した気持ちを胸に抱きながら。
「そう、あなたも祐一君が好きなんだ」
少女は黙ってこくりと頷いた。
あなた『も』という言い方は少し引っかかったが。
「渡そうかどうか迷ったけど、やっぱり渡すことにするよ」
そう言って女性は後ろに回した手から雪うさぎを差し出した。
少女はそれを見た瞬間、我が目を疑った。
これは自分が祐一にプレゼントしようとしたものだ。
決して他人の手で作られたものではない。これは紛れもなく祐一に壊される前の雪うさぎだ。
人から見ればほんの些細な特徴だが、少女ははっきり覚えていた。強い想いをこめた分、細かいところまで記憶に残っているのだ。
何もかも同じだった。材料の葉っぱや木の実も、わずかに残った少女の手形でさえも。
少女の目には、雪うさぎを差し出している黒髪の女性と、昨日の自分がフラッシュバックして重なった。
「これはあなたの雪うさぎでしょ」
女性が差し出した雪うさぎを少女はそっと受け取った。
やはりどう考えてもおかしい。『祐一に壊されたものを元に戻した』としか思えない。
そんなことができるのだろうか。
「お姉さん、超能力が使えるの?」
こんな荒唐無稽な質問に女性は驚くこともなかった。予想の範疇ということか。
女性は少女の質問にしばし考えた後、逆に訊いてきた。
「あなたは、不思議な能力を使う人を怖いと思う?」
「どうしてそんなこと訊くの?」
「いいから答えて」
「……思わない。ちょっと変わった人だと思うけど、怖がったりなんかしない。それに……こんなステキな能力を使う人が怖いなんて思えない」
少女の答えに女性は満足そうにフッと微笑んだ。
かっこいいけどどこか近寄りがたい雰囲気を持った女性は、こうして微笑うとかわいく見える。
「あなたは受け入れてくれるんだ。本人でさえ憎んでいる力を。あなたにはまいと仲良くしてほしいけど」
「まい?」
「うん、ちょうどあなたと同じ年頃の女の子。雪うさぎを直したのはその子よ」
どうやら本当にできるらしい。バラバラになった雪うさぎを元に戻すなどということが。
少女はまいという女の子に興味がわいてきた。どんな子だろうか、一度会ってみたい。
「お姉さん」
少女は雪うさぎをじっと見ながら言った。
まるで雪うさぎに向かって話しかけてるようだった。
「直してくれてありがとう」
「私が直したんじゃないよ」
苦笑して答える女性に、それでも少女は感謝の念を抱かずにはいられなかった。
雪うさぎが元に戻っても祐一の心は変わらない。それでもバラバラになったままではかわいそうだと思っていた。雪うさぎも、自分のキモチも。
家に帰ったらこの雪うさぎは埋めよう。少女はそう思った。
自分の恋はもう破れたのだ。それならその象徴であるうさぎは土に還そう。祐一のことを吹っ切れるかはわからないけど、うさぎはきっとそれを望んでいるだろう。
「それじゃ私は行くわね。あなたの名前は?」
「名雪……水瀬名雪です」
「名雪さんね、さよなら名雪さん」
「あ、あの……」
名雪は女性を呼び止めたが、女性は振り返らずに立ち去った。
名前が聞きたかったが、こうなってはしかたない。
名雪の座っていたベンチから少し離れたところ──名雪の顔が見えなくなるところに女性は歩いてきた。
そこには木刀を持った黒髪の少女がいた。
少女の顔は女性と瓜二つだった。女性のアルバム写真をめくれば少女の顔が出てくるかもしれない。
二人は密接な関係であることは第三者から見てもはっきりわかる。
親子でも姉妹でも違和感ない。それどころか、同一人物だと言っても人によっては信じるかもしれない。さっきの名雪という少女や祐一は信じるだろう。
「あの子言ってたよ。あなたの力がステキだって」
「そう……」
女性は喜び事を伝えるような気持ちで言ったが、意に反して少女は笑顔を見せなかった。
いや、いつからか笑い方を忘れてしまったのかもしれない。祐一との出来事があってから。
「舞、どうして自分で渡しにいかないの?」
「あたし、あの子の敵になるかもしれないから」
それを訊いて女性は白いため息をつかずにはいられなかった。
あの名雪という少女ならきっと仲良くしてくれると思ったのに。舞には祐一しか見えていない。
きっと祐一に恋心を持っているのだろう。だから名雪に嫉妬のような感情を持ったのだろう。
名雪だってもし祐一と舞が恋人にでもなれば舞をよく思ったりはしないかもしれない。
ああ、せっかく力を受け入れてくれる人がいたのに、どうしてこうなるのだろうか。孤独な舞がずっと追い求めてきた人なのに。
「あたしもう行かなくちゃ。一人で帰れる?」
「ええ、おかげさまで」
舞はそれだけ訊くと、木刀を握りしめて走っていった。
またあの場所へいくつもりか。祐一と過ごした場所へ。もう祐一はいないというのに。
女性は走っていく舞の後ろ姿を見届けながら転ばないよう願っていた。
二人は決して相容れることはない運命だった。この二人だけでなく、世界にはそういった人たちは数限りなく存在する。
それでも名雪と舞は、出逢った形が違っていれば、きっといい友達になれたことだろう。
私はその様子を想像し、ときには創造して楽しもうと思う。
それから七年後、名雪は長い年月を経て再び祐一に巡り会うことになった。
舞は七年経った今でも自分の創り出した魔物と戦い続けている。
――祐一がどうなったか、それはここでは伏せておくことにする。
あとがき
これは物語と言えるのかどうか、疑問はありますが、たまにはこういうのもありということでご了承ください。
あえてジャンルをつけるなら謎かけですね。私としては珍しく実験的な話です。
この話で一番力を入れたのは黒髪の女性です。
誰だかわからないように、それでいて誰とでもとれるように描いてみたつもりです。
私としては成長した舞か、舞の母親をイメージしました。
この女性が誰なのか疑問に思っていただければ、とりあえず成功かと思っております。
逆にそういったことに主眼を置いてもらえなければ何の話だかわからないでしょうね。
長さ的にはストレスがたまらない程度にしたつもりです。そういった要素を極力排除してテーマだけに注目してほしかったので。
この話にどんな印象を受けたか、すべては読者の反応次第です。
Shadow Moonより
黒髪の女性が一体 誰なのか、かなり気になりますね。
舞ちゃんの力は過去にも働きかけられるそうなので、成長した舞ちゃん本人と個人的には思ったり。
さてさて、祐一君と名雪ちゃん、幼いこともあるでしょうが自分の事で頭がいっぱいだったため、相手の心情にあまりにも気付かなすぎた悲劇。
祐一君は記憶を閉ざし、名雪ちゃんは傷つける事も傷つく事も恐れて ただ待つ事しかできなかった……
成長した二人と、嘘を本当にしてしまった舞ちゃんとの三人の物語がどう紡がれるのか……
幸せな結末であることを祈って。
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