柔道着の奥襟が見えた瞬間、郁の右手がそれを掴まえようと動いた。その一瞬速く堂上の身体が沈み込んだと思ったら、郁の視界には堂上の後頭部と逆さまに映る道場の光景が視界を埋めた。――――次いで背中を衝撃が襲った。

「ッだーーーーーーーッ!」
「喧しいわ、アホゥ。受け身ぐらい取っとけ」
「こんな急に来られたら受け身もクソもありません、鬼教官!」
「ほう……。だったら受け身が身につくように、とことん投げ込んでやろうか?」
「うげぇ……」
鬼か、この筋肉チビ。
「聞こえてるぞ」
「この地獄耳!」
わかりやすくべ?っと舌を出す郁を忌々しく睨んでいる堂上。それを横目に見ながら、手塚が呆れたようにこっそりため息をついた。

「どうしたの手塚。よそ見だなんて余裕だね」
手塚の組手相手である小牧が、同じように件のふたりを見て噴き出しながら足技をかけてくる。それをなんとか凌いで踏ん張った足は、無情にもあっさりと刈られて背中から畳に倒された。実力差と経験値、両方合わせたらとてもじゃないが歯が立たない。
諦めと同じくらい悔しさの混じったため息を吐きながら、手塚はジト目で今も諍い合いながら技を掛け合う郁と堂上を見た。
「………俺も、堂上二正に投げられたいです」
「ブッ」
呟きを拾った小牧がすかさず噴き出す。無意識の呟きは手塚自身でも理解するのにしばらくかかった。理解して、慌てた両手を激しく振って発言を打ち消そうと躍起になる。
「ち、違ッ……!そうじゃなくて、俺も二正と組みたいという――――」
「ッ、く……。とんだマゾ発言だと、ブッ、思った……」
「すみません、小牧二正」
あ〜腹いてぇ。畳にしゃがみながらようやく上戸を収めた小牧は、今度は何かを含むように手塚を見上げた。
「そっか〜。手塚は俺じゃ不満なのね」
「め、滅相もないです!小牧二正には本当に敵わなくて―――ただ、俺もたまには堂上二正と組んで教えを受けてみたいってだけで」
「そうね〜……、堂上は笠原さん専門だもんね」
「失礼ながら背の釣り合いはありますが、あれでは二正の練習になっているのか…………」

今も華麗に郁が投げられた。
教育隊の時以来、郁相手に堂上が畳に背中をつけた場面など見たことがなかった。今だって乱取りとは言うが、一方的に郁が仕掛けて堂上が返すというパターンの繰り返しでしかない。
すると苦笑しながら小牧が立ち上がった。いつもの微笑みが僅かにくすんでいた。
「あのね手塚。何も返し技一辺倒だからって身にならないわけじゃない。格下の相手にこそ、普段自分が気をつけている事を忠実になぞるいい機会なんだよ」
「はあ…………」
それは手塚もかつて習っていた師に言われた事がある。基本に帰り、基本を実蹟する事こそ真に身につくとのである。また、常に己からうって出るだけが上達の道ではない。攻めより受ける事を身につけなければ、上達はないとまで言われたものだ。
「それにね、アレ堂上にとってはある意味鍛錬だから」
「鍛錬……?」
わからない。もしかしたら手塚が気づかない高みのレベルで堂上は修行をしているのだろうか?

「わーーーッ」

ドッと音がして、また郁が投げられた。しかし途中で郁ががむしゃらに組手を切ったものだから、態勢が崩れて投げ技が不十分。そこから堂上がどんな寝技を仕掛けるのか見ていたのに、上官はさっさと立ち上がると帯を締め直しながら寝転ぶ郁に立てと促すだけ。
腑に落ちない。攻めるには絶好のタイミングだったのに…………。




「堂上教官、寝技教えて下さいよ〜」
「立ち技もまともにかけられんヤツが寝技まで浮気すんな」
「浮気とか人を尻軽みたいに言わないで下さい!」
「例えだ例えッ」
「じゃあ教えて下さいよ〜ケチ〜」
「絶対、寝技なんぞ貴様とやらん!…………こっち見てニヤニヤしてないでアンタらも稽古して下さいッ」


特殊部隊は今日もいつも通りです。






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