外には流石に人がいない。人に聞かれたくない話をするなら丁度いいのかもしれないが。

「――さて」
堂上の言葉に勝手に身体がビクりと震えた。
言われる事はだいたい検討がついた。視線を合わせるのが怖くて散々さ迷わせた挙句、恐る恐る上目遣いで様子を伺って――――予想外に優しい目をした堂上がいて驚いた。そんな目で見つめられるだけで頬が熱くなってくる……。
「アロマオイル、ありがとな」
明後日の方向からそんな事を言われて、しどろもどろになる。それはもう、なんと言うか郁にとってはきっかけ作りのような物だったから。
「あと、正直驚いたが……まあ、嬉しかった」
「!」
バッと顔を上げて、今度こそ真正面から堂上を見る。そうして今日初めてまともに見る堂上は、やっぱりどこかくたびれた色が拭えないオジサンだけれど、そんなのはどうでもいいくらい好きだと思った。だから余計、胸に刻まれた先程の切り傷がジリジリと疼いて泣きだしそうになる。
郁のそんな気配を察したのか、堂上はひとつ息を吐いていつものように頭を撫でてくれた。大きくて硬くて、でも温かい。大好きな掌。
嬉しいのに止めて欲しい。
こんな事をされたら、好きな気持ちが大きくなりすぎて後が辛くなるじゃない。
それなのに堂上は一向に止めてくれない。髪の毛も梳いてくれる。気持ちよくてやめて欲しくない。ぐちゃぐちゃな気分。
ようやく堂上が口火を切った。
「なあ、笠原。お前は俺と、その……こんなおっさんと付き合いたいとか思ってんのか?」
今更そんな事を確認されると恥ずかしさが爆発しそうだ。
何せこっちは彼氏いない歴歳の数なんだから、そんな事いちいち聞かないで欲しい。むしろどうしたらいいのか、いつものように教えて下さい!
「笠原……?」
「おつ、お付き合い……したいです……」
ようやく口に出来た。そうなると逆に止まらなくなる。
「あたし、堂上副隊長が好きですッ。どこが、とか、もういつの間にか好きになってたかわかんないけど。副隊長が撫でてくれたら、も、……それだけで幸せで……」
「……」
馬鹿みたい馬鹿みたい。こっちがいくら好きになっても、好きの押しつけでしかないのに。
「でも、迷惑ですよね……。さっき言われちゃいました」
公休日に今でも元妻と会ってるような人なのだ。それがわかった時に感じた自分の中のどろりとした感情が忘れられない。
彼女が誰か見当をつけた時、素直に嫉妬した。過去であっても堂上に確実に愛された人を目の前にして、正直平静を保つ事が難しすぎた。
もうそんな感情に振り回されたくない。
しかし対する堂上は、剣呑とした顔つきで口の中で毒づくと、頭から滑らせた手を郁のそれと重ねた。掌の熱さと重さにどうしようもなくドキドキする。
「アイツは他になんか言ったか?」
「いえ、別に。……あの、奥さん、だったんですよね……?」
「はぁ?」
郁の言葉に今度は堂上が目を丸くする。
「誰が」
「だから、さっきの」
「あれが?あんなのが嫁だったら、世界の終わりだぞ!そんな恐ろしい事とか有り得んわッ」
それはさすがに言い過ぎでは。
じゃあ彼女は一体誰なのだろう?
「あれは妹の静佳だ。ちょっと相談があって……そしたら、笠原を見たいって来やがった」
「え!」
一体どのような相談をしたというのだ。
だが郁についての相談といえば思い当たるのは昨日の手紙での告白しかなくて……。やっぱりあれか、どうやって断ったら穏便に終われるかとかだろうか?嫌な予感しかしなくて、サーッと血の気が引いていく。
だって告白を断ったら気まずいよね。それが同じ部隊にいるのだもの、今後色々やりずら過ぎてかなわないよね。
そこまで考えてなかった。郁としてはもう溢れる気持ちのやり場がなくて、それだけで精一杯だったから。
今更ながらに己の暴挙を殴ってやりたい。だがもう手遅れだ。サイは投げられた。
再び落ち込んだ郁を励ますように、二度掌が跳ねる。そういうのはもう止めればいいのに。期待を持たせるだけ酷だ。早く止めを刺してよ。
「……さっきのな、付き合う話」
「はい――――」
「付き合うのは、俺は無理だ」
分かっていた。それでも決定的な言葉は深く胸に突き刺さり、押し出された気持ちは涙となって次から次から溢れ出た。
予想通りの最後だ。
「わ、馬鹿泣くな!人の話は最後まで聞けと、いつも言っとるだろうが!」
なのに慌てたように焦る堂上が、変におかしかった。
こっちは悲しくて仕方ないのだ、代わりにそっちは焦って慌てればいい。そんな趣意返しみたいな事を考えていたら、




「付き合うとかチンタラした事なんぞ、もうやってられないんだよこっちは!」
「はい……」
「だから俺からは、結婚を提案するッ」
「――――は?」



一瞬理解出来なくて、涙も息も止まった。
今なんとおっしゃいましたか?
マジマジと堂上を見つめれば、そちらも顔を真っ赤にして、だけれど真っ直ぐとその視線は郁を捉えて離さなかった。
「聞こえなかったのか?」
「……聞こえまし、た……」
そんな急に。
「いいか、かさは……いや、郁」
名前を呼ばれて心臓が跳ねた。
「付き合うとか余裕のある事ァ、若い奴らがやればいい。だが俺はもうお前より老い先短いんだ。んな事やってるより、一瞬でも早くお前を俺のモンにしたい。――――ダメか?」
そんな熱烈な事を言われて、否など言えるわけがない。
覗き込んでくる優しい目に出会ったら、それだけで先程とは違う涙がボロボロ零れてきた。




「笠原郁さん、俺にお前のこの先の人生をくれないか?」




嬉しくてどうしようもなくて、ただ頷くだけで精一杯。
だけれども、酷くほっとしたような顔をした堂上がこれ以上なく嬉しそうな顔で抱きしめてくれたから、もうそれだけで十分だった――――。









また季節が巡る時期になってきた。


堂上と結婚して官舎に移り住んだ郁は、ふ、と重い息を吐いてソファに腰掛ける。
「調子悪いのか?」
心配そうに聞いてくる堂上は、結婚したらプライベートでは過保護に磨きがかかって、郁のちょっとした変化にも敏感になった。今もココアを作ってくれた。料理の腕も郁より上だし、つくづく出来た旦那様である。
「ん?ん、昨日より大丈夫。だいぶ下がってきたから辛いだけ」
そう言いながら2人がなぞる郁の腹には、新しい生命が宿り、今か今かと出産の時を待ちわびていた。
堂上の両親には静佳を通して根回し、笠原の家には殴られるのを覚悟で出向いた先で思いがけず祝福を受けてトントン拍子で決まった結婚は、すぐに子宝にも恵まれた。
仕事を抱える郁には悪かったのだが、子どもは堂上も欲しくて仕方なかったから逆に早々に叶えて上げられてよかったと郁は思う。


今が極上に幸せ。


こんなに幸せな事ってあるのかなぁ?
そう呟けば、俺はあの日から予感はあったぞと返された。


―― 一緒に生きる為に戦い抜く


堂上が負傷しながらも郁を護ろうとしたあの抗争の日。確かに揺るがなく堂上を怒鳴りつけた郁の言葉に、半ば気づい始めていた胸の中の蕾がほころび始めた。


今はふたりで育てる愛情という花。
これからもこの掌で支えながら愛でていこう。






fin





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