郁と付き合い始めてから、篤には人に言えない悩みがある。 ※ 秋も過ぎ去ろうとする季節になれば陽が暮れるのも早い。 町がとっぷり闇に飲まれた頃、農協の裏口近くに横付けされていた軽トラのガラスがコンコンと叩かれる。それから仕事を終えた郁が白い息を連れながら助手席に滑り込んできた。 「おかえり、郁」 「ただいま、篤さん」 まだ店の前だ。おかえりとキスしたい気持ちをぐっと堪えて、手を重ね指だけを絡ませる。それだけの事なのに、初心な郁は恥ずかしそうに、けれども嬉しそうな笑顔を向けてくるのだ。 恋人になりたての彼女の笑顔で心が和むというものなのだが、男盛りである身体はそうも言っていられない俗物なもの。 少し車を走らせて町外れの、国道から一本逸れた脇道に車を止めると、繋いでいた手を絡めとって細い身体を引き寄せた。 もう毎日のように交わすこの瞬間、その度郁は期待と恥じらいを持って篤の唇が降ってくるのを頬を染めながらそっと待ちわびる。篤は己の欲を乗せ、郁と自分の願いを、熱を合わせる。何度も、角度を変えて。 「……ン、ふッ」 とうとう息継ぎが苦しくなり、堪えきれなくなった郁が呼気に音を乗せた刹那、唐突に篤の舌が忍んできた。そうなるともう、どちらともなく熱に浮かされたようにお互いを求め合うのだ。 あ、は、――あ、ッ…… 求めれば求める程足りない。 もっと深く、もっと熱く。望めば望む程に渇いていくのは喉か、それとも心なのか。 「あつ、……も、」 弱々しく郁の手が肩を叩き、ようやく篤も名残惜しく口接を解いた。 時間を見る。ものの五分、されど五分。 しかし名目は郁の迎えである以上、そろそろ帰路につかねばならない。 「大丈夫か?」 すっかり脱力したように、クッタリと座席にもたれる郁の頬を撫でる。するとその掌にひとまわり小さな手を重ね、熱の残像を残しながら郁は微笑んで頷くのだ。そんな顔をされたら堪らないだろうが。 クソッ。 胸の中だけで舌打ちすると、ゆっくりと車を動かし始めた。 付き合い始めてからの帰り道は、毎晩こうして人目を忍んでキスをする。そうでもしなければ、とてもじゃないが口づけを交わすタイミングもないから。 いくら彼女の親公認だからと言って、はいそれでは、だとか言ってそこかしこで出来るわけもない。結果的にこうしてコソコソと熱を交わすしか出来ないのが、なんともはや。それでもまだ、キスが出来るだけいい方なのだろうけれど。 「おやすみ」 「おやすみなさい。また明日ね」 母屋を出る玄関で見送られた後は、男臭さが腐ってそうな離れへと移動。徒歩十秒、それが意外と冬は遠く感じて、寒くて一層人恋しくなるのだ。 「ただいま〜」 玄関で長靴を脱いでそそくさと茶の間に入る。既に先に帰ってきていた兄ふたりが、最早遠慮なくAV鑑賞会を繰り広げていた。 ハンディカメラを使って女の子を撮りながら、一枚一枚服を脱がせて自慰をさせているいわゆるハメ撮りのDVD。素人っぽい。今日は中兄の趣味か。もう少し胸が小さければ――――じゃねーし! 「おかえり〜。てかリア充爆ぜろ!」 「俺達の天使ちゃんにすがんなくたって、お前にゃ郁がいるだろうがッ」 ひどい言われようだが、所詮篤の悩みなどこのふたりには理解出来ないだろう。 「別にアンタらの天使でどうこうする気は無いが、アンタらが考えてるような不健全な事なんかしてないんだからな!」 「バッカ、その年でなんもねー方が危ねぇんだよ!健全な方が不健全だっつの」 ああ言えばこう言う。じゃあどうせいっちゅーんだ。 不貞腐れた篤は、さっさと歯を磨いて布団の中に潜り込んだ。 ふたりが思うほど郁と篤は健全でも不健全でもない。 キスはしている、むしろ毎日。初めての郁を少しすつ慣らしていきながら、その先は手をこまねいている。だって車の中だもの。 恋愛初心者の郁を、車の中でどうこうする程飢えてはいないつもりだ。――――せめてそう言うポーズだけでも取らせてくれ。 郁の部屋に上がる事もある。だけれど隣りには大兄夫妻がいて、階下には笠原の両親がいて、そんな敵陣の真っ只中で手を出せる程ガッツいてもいない。はずだ。いや、今でもかなりガッツいているけれど。 あ、アン、だめぇ、おかしくなっちゃう 布団の外では素人女優が恥も外聞もなく乱れ喘いでいる。 そんな人に聞かせる為にあげている嬌声とは違う、キスをする時の彼女の甘酸っぱくなるような声を思い出し、篤の熱が集まってきた。どうしよう。どうしようもない。 ずっと欲しかったオンナが傍らに来てくれた。 嬉しそうに篤とのキスも受け入れてくれた。 艶っぽい一面も、小さく甘く喘ぐ声も知った。 ただその先は、篤の夢の中でしか味わったことが無いだけだ。 嗚呼、 ――――郁とセックスしてぇ……。 |