篤と付き合い始めてから、毎日が満たされている。そんな気分。
初めてのお付き合いはずっと夢心地である。
いや、仕事中や家の手伝いをしている時は普通なのだけれど、数少ない篤とふたりきりの時間はまさに夢の中のよう。ふわふわとした感覚の中で優しくキスされ、時には激しさに呼吸が苦しくなるけれど、夢中になるともう身も心も蕩けてしまうのだ。
そんな自分がどんな顔をして篤を受け入れているのか不安もあるが、怖くて確認出来ない。篤が引いていないという事は、そこそこ鑑賞に耐えられる表情を晒しているのだろうけれど心配だ。


――――キスだけで満足。キスが触れ合いの全て。


半ばそんな思いを抱いて満足していた郁に風穴を空けたのは、隣室の兄嫁であった。





「ねーねー、週末ベビー用品買いに行くんだけど、郁ちゃんと篤君も行かない?」
こんなド田舎にはそもそもベビー用品店などない。買うならネットか、かなり車を走らせて大きな町へ行くしかないのだが、兄嫁は手に取って品物の確認をご所望らしい。
確かにネットではわからない肌触りを、店頭では直に触って判断できるのがいい。
ネット社会の昨今だけれど買い物が完全にネットに移行しないのは、そのリアルを通しての判断と店員の生の声の方が顔のわからないレビューよりも印象として残るからかもしれない。
「ついでにクリスマスプレゼントも買いに行こ!」
「あ、それ忘れてました!」
「でしょでしょ?一緒に買いに行こうよ〜」
兄嫁は絵に描いたような女の子らしい人だから、男性ウケのいいセンスあるプレゼントを見繕ってくれるかもしれない。
恋愛経験皆無が郁の中で大きな足枷となっている現状で、これほど心強い味方はいないのではないか。
「い、行きますッ、行かせて下さい!」
「了解〜。うちの旦那さんが運転してくれるから、篤君にも声掛けといてね」
「はいぃッ」
気合いの入りすぎた郁の返事は笑われてしまったけれど、そうと決まればすぐにでも篤に連絡だ。もしかしたら大兄達と少し離れて、ふたりでデートらしき事が出来るかもしれない。
ウキウキしながら週末の買い物用に、今から服を物色する純粋培養乙女笠原産だった。









「……」
「ど、どっかおかしいですか?格好……」
「いや――――。似合ってる、可愛いぞ」
ゆったりとしたニットに、滅多に履かないジーンズ生地のひざ丈スカート。そこから伸びたすらりとした脚の綺麗さに目を奪われた篤である。そんな事は口が裂けても言えないが、はからずも溜まりっぱなしの欲求不満が僅かな隙も逃さない。最早変態の域に足を突っ込んでいたとしても仕方ないよなぁ……。
えへへと可愛く笑う彼女と一緒に後部座席に乗り込むと、運転する大兄に見えないようにこっそりと手を繋ぐふたりだった。



まずはベビー用品店。
予定日が二月頭の兄嫁はすでに妊娠後期で、そろそろ入院準備やその他諸々用意しておく必要がある。
赤ちゃんの退院時のお包み、肌着、それと服を何枚か。寒い時期だから靴下にミトンもカゴに入れ、ついでに哺乳瓶も見繕っているようだ。
「俺達もなんかプレゼントするか」
「いいですね!」
新生児の服はどれも可愛らしい。産まれたばかりでは男も女もないから、色もこだわらなくていいだろう。
「ちっちゃ〜!可愛い〜!ね、篤さん見て〜」
その可愛さたるや、震える程。篤にとってはキラキラ目を輝かせている郁の方が震える程可愛いのだけれど。
「小さいうちは服なんかはすぐ汚すっていうしな、二三枚プレゼントしようか」
「そうだね。篤さんはどんなのがいい?」
「俺かぁ……」
まだ見ぬ赤ん坊に似合いそうな服と言っても検討がつかない。それでもこうやってふたりで買い物をしているというだけで楽しかった。
そのうち、自分達の為にこの店に来られたら――――。
若い郁はそこまで先の事は考えられないだろうが、こっそりそんな想像するぐらいは許されるだろう。子種が出来る事すら到れないけれども。
「おーい、次行くぞー」
「はーい」
悩んでいるうちに兄夫婦の買い物は終わってしまったらしい。
決められなかったプレゼントは、次のデートの時に。ごく自然に約束した次の機会が、今から楽しみだった。



「さて、ここからが買い物本番よ!」
ショッピングモールについた途端兄嫁に宣言された郁は、ぐいっと引っ張られてたちまち大兄、篤と離れてしまった。
その後姿を見ながらため息ぐらい吐かせてくれ。だって一緒に買い物出来ると思っていたのだから。
そんな篤の肩をぽんと叩く大兄も苦笑気味である。
「諦めろ、篤。まあお前もクリスマスプレゼントでも見繕えや」
「なるほど」
ここ何年も縁がないせいですっかり忘れていたが、乙女な郁が絶対好きそうなイベント。
しかし何を……。
眉間にシワを寄らせた篤に、大兄は小さく折ったメモ紙をかざす。それには兄嫁に頼んでいた情報が書き込まれていた。
これさえあれば何もいらない。
「一緒に選びに行くか?」
大兄が常日頃よりも三倍ほど男前の顔で聞いてきた。
「もちろん」
受ける篤も真顔である。
しかしてふたりが歩き出した先にある店は、男ふたりで入るにはいささか尻がむず痒くなるようなきらびやかな貴金属店だった。
よもやその店で男性カップルと間違われそうになったのは、別の話である。



一方、こちらの女ふたりは、どんな場所だろうと臆しはしない。若干郁が顔を赤らめているが、そんな事ぐらいで進撃を止めるような生半可な兄嫁ではなかった。
辿りついたのは、色とりどり形も様々なランジェリーショップである。
「お、お義姉さん、ここッ」
「あたしの行きつけだから心配しないで。――あ、麻子ちゃーん」
脚を突っぱて抵抗する郁を、妊婦とは思えない力で引っ張りながら呼んだこの店の店員は、ひょっこりと顔を出すと鮮やかな微笑みを浮かべながらふたりの所までやってきた。
「いらっしゃいませ〜!お腹、随分おっきくなりましたね〜」
「そうなの〜。もう産まれちゃうわよ」
あはははと笑うふたりは、同時に連れてこられた子犬のような郁を見る。
「彼女ですか?可愛い義妹ちゃんは」
「そう、郁ちゃんっていうの。麻子ちゃんと同い年よね確か」
「そ、そうなんですか……?」
「初めまして、麻子って言います。同い年なら呼び捨てでもいい?」
マシンガンのようなやり取りに郁がついていけるわけもなく、気づいたら郁、麻子と呼び合い、気づいたら服を脱がされて寸法をとられていた。
「あ、あの……」
「いいからいいから!あたしから一組下着のセット、プレゼントするわね」
「いやあの、お義姉さん、そんな困ります……!」
試着室の中で狼狽える郁に、しかし兄嫁は容赦なく郁を叱咤する。
「いい、郁ちゃん!これからクリスマスなのよ?恋人達の一大イベントなのよ?」
「は、はぁ……」
「もしそんな中で微妙な下着をつけてご覧なさい、五十年の恋も覚めるんだから!」
「……!」
百年じゃないのは優しさか?
「でもでも、まだあたし達――――」
そんな関係ではない。キスで十分なのだ。口づけだけで蕩けちゃうのだ。これ以上なんて……想像出来ない!
「備えあれば憂いなし」
黙々と郁の寸法を測っていた麻子が、真顔で割って入ってきた。小柄な彼女だから郁からは見下ろす体勢なのだが、目が光ってる!ように見えた。ちょっぴり怖い……。
「こんな身体を今まで放置してただなんて」
「み、見るに耐えない身体でごめんなさい……」
「違うわ!」
ショボンとする郁に麻子が詰め寄った。唇まであと僅かの距離に、麻子が美人すぎるから余計ドキマギしてしまう。
「こんなに綺麗な身体をどうして今までほったらかしにしていたの!」
「ご、ごめんなさいぃッ」
怒りの方向が理解出来ないが、とりあえず謝っといた。
「わかりました。あたしの名にかけて、最高の下着を選ばせて頂きますね!」
「さっすが麻子ちゃん。任せた〜」
鼻歌混じりの兄嫁の返答と目の前のやる気の塊に、若干眩暈がしてきた郁であった……。





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