ふたりだけの部屋には言葉など要らなかった。
あるとすればそれは情熱と、それに見合うだけの慎ましやかな大人としての分別だけ。それだって、今この瞬間に必要かと問われれば答えは否でだ。そんな理性などベッドの上では煩わしい足枷にしかならない事を、まだ数回しか肌を合わせていない郁でさえ感じていた。

――――今日の堂上は何かが違う。









思い起こせば約束を取り付けた時から。
課業中はさすがにその片鱗も見せなかったが、プライベートとなれば全く別である。
甘い、のはいつもだが、それ以上に熱かった。
体温の問題ではない。もっと言葉を探せば、激情や熱烈といった激しさが産む熱さ。そんな感情をぶつけられて、足元も覚束ないほど深く口づけを受けた夜の事は未だ記憶に新しい。



そして今日、公休を明日に控えた前日。
予めまとめて置いた宿泊道具の詰まったバッグを片手に共用ロビーで落ち合った。
明らかに外泊ですという荷物を持って人目のある場所での待ち合わせはまだ恥ずかしいが、堂上は気にする事なくサッと郁の手を取り何事もないかのように玄関を潜ってしまう。詰所で冷やかされても適当にあしらって、歩く速さは訓練速度。なぜそんなに急ぐのか。
晩御飯を軽く済ませ、コンビニで飲み物や細々した物など買い込む。その間もどこか焦れた様子の彼に気づいていたが、敢えて何も聞かなかった。どうして、と聞いて素直に応えてくれる程、口が易くないのは織り込み済みだから。
しかし部屋に入るなり、入ってきたドアに押し付けられ、噛み付くような性急なキスをされた時には驚いた。郁のよく知る堂上は、そんな即物的な事はせず、もっと時間をかけていつも最初に持ち合わせる郁の緊張を解してからことに及ぶから。
堪えきれない甘ったるい声がドア越しの廊下に聞こえたらどうしよう?
口づけだけではない。無骨な掌が服の裾から入り込むと郁の身体の線を確かめ、そこかしこに欲情の種を植え付けた。
ようやく口接を解いた唇同士が、名残惜しげに唾液で繋がったまま。それを舌で絡めとった堂上は郁の頬をひと撫ですると、少しは気が済んだのか決まり悪げに口の端を歪ませて郁に入浴を促した。
そして――――。






「……郁」
熱を含んだ吐息には官能の響き。その声を聞いただけで郁の内側がまた潤い、溢れ出す。
郁の細い体を跨いで上から見下ろしてくる男は、まるで獰猛な獣だ。舌舐りしながら、郁という獲物をどう料理してやろうかと算段を練っているのだろう。
対する郁は恐ろしさと、同じくらいの期待も抱いていた。だってこの先に起こる事はすでに承知しているから。初めてに怯えていたあの頃とは違う。
緩く着崩した浴衣を申し訳程度に肩に引っ掛けている堂上の帯を引けば、緩く結んでいたそこはスルリと難なく解ける。浴衣の袷が崩れて胸元が肌蹴ると、夜目にも鍛え抜かれた逞しい筋肉が現れた。
盛り上がった胸筋、まるで彫像のように割れた腹筋、未だ薄布に隠れたその下にある部位も。そしてそのほぼ全てを郁はもう、知っている。知っていた。――――身体が覚えている。
「郁……」
もう一度名を呼ばれた。先ほどよりもどこか切羽詰まったような。
そんなに腹が空いたのか。この身体を差し出せば満たされるのか。
緊張から真一文に結んだ口を僅かに緩ませると、堂上の硬い指が柔らかな唇をいたずらに摘んだ。こんな場面で。郁の眉間にシワが寄る。
「何を」
「ナニ、だなぁ、と」
「……?」
訳が分からず仰向けのまま小首を傾げると、含み笑いをしながら堂上がゆっくりと覆いかぶさってきた。色を纏った空腹の獣が、郁を食もうとしていた。
「郁」
「――――なんですか」
緊張のせいか思ったよりも素っ気ない声音になってしまった。しかしそんな事で興を失う情の薄い恋人ではない。
「――――欲しい」
「……はい」
「身体だけ抱いても駄目だ」
「え」
「……一番は、心が欲しい」
「――――」


嗚呼、嗚呼――――。


ここに来て、自分の方が堂上の心を欲しているのだと悟った。





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