コトリ、と食卓テーブルに置かれたのは見るからに可愛らしいピンク色の小瓶。明らかにオンナノコ向けのそれでは、夫である篤の晩酌用にしては少々どころじゃなく無理がないかと苦笑すれば、馬鹿郁お前のだ、などと珍しい事を呟かれた。

今日は珍しい事のオンパレードこの上ない。











新年度になりたてのこの時期に珍しい、二日連続の公休日。
貴重な休みの前日は新婚らしくちょっぴり盛り上がり、遅く起きた次の日は溜まっていた家事をふたりでゆっくり片付けた。
折角の連休だから近場の温泉でも行こうかという篤の提案をやんわりと断り、たまにはふたりでまったりしようと誘ったのは郁の方。
ここの所、ようやく初めて受け持った教育隊から解放されたものの、その分不慣れな新人たちのしわ寄せで各部署の仕事が滞っていた。新人の配属がなかった特殊部隊も例外ではなく、助っ人的に他部署から書類やら雑用やらを色々と回されて、てんてこ舞いだったのだ。
若干息切れしたのも本音。だけれど、郁としてはただ篤とふたりで穏やかな時間を過ごしたい気持ちが大きかった。ぼうっと隣同士座って、他愛もない話をしていたかった。
付き合っている時分は話題を探したり落ち着かない気持ちを抱えながら、それでも横にある温もりが嬉しくて堪らない気持ちで溶けそうになっていたのを思い出す。
結婚して暫く経って、まだまだトキメキに翻弄される日はあるけれど、隣りあう事が普通になり気負わない会話も普通になってきた。ようやく夫婦としてお互いの存在を特別以上のものと思えるようになってきたように思う。
これが夫婦になっていく、という事なのだろう。



かくしてゆったり過ごすと決めた今日の日、一通りの家事を済ませると買い物がてら散歩と決め込んだ。
ぶらりぶらり。時折発見した裏道を気まぐれに探検する野良猫のような散策は、重く凝り固まっていた心が解れるにはちょうどいい無駄時間になった。お金のかからない無駄って、最高の贅沢。
そんなこんなでたどり着いた御用達のスーパーで、季節外れの福引きが行われていた。いくら以上お買い上げで福引き一回、そりゃあやるに決まってるでしょう。
「あ、でもビールのケース買いとかは共同購入でね」
「俺が担ぐからいいだろ」
「あのね〜。どこの山親父よ、薪じゃないんだから」
こんな会話も結婚してお互い慣れたから、軽口を叩きながらも篤だって楽しんでいる。年甲斐もなく少し口を尖らせている夫のその先に口づけて、黙らせたくてウズウズしちゃう。そんな事を考えるのも、最近になってようやく「奥さん」が板についてきたからであって、勿論きちんと理性でセーブしている。ただ時折、篤の熱に負けて理性の箍が外れかけるのはどうにかしないと――――。
赤くなりかけた頬を両手で軽く張ると、メモしたリストを手分けしてどんどんかごに入れていった。
そしてここでも珍しく、最後の一個を連続でゲットするとか、目の前で割引シールを貼られたりだとか、小さな幸福がちり積もっていく。
そう感じるのは篤も一緒のようで、お互い顔を見合わせながら無言で笑いを堪えた。この調子でいったら、もしかして福引きも一等とか――――?
しかしそんな上手い話があるわけもなく、少しの期待をささやかな胸に宿しながら挑戦した福引きは、あえなく三等だった。ちなみに商品はイヤホンで、微妙さに若干困った事は秘密だ。夫が出張中にエッチな放送を観るのに使うかな〜まで考えて、涙が盛り上がりそうになったから止めた。篤がひとりで致してるのも想像出来ないが、オカズといえど自分意外に興奮する夫など考えたくもなくて……。
「何考えてるんだ」
不意に頭を撫でられて、郁が持っていた荷物をさり気なく奪われる。
「あ、篤さん、あたしも持つ〜」
「いいから。お前だってたまの公休ぐらい楽しろよ」
それはあなたも!
そう言いたいのに、言ってもたぶん苦笑されておしまいなだけだろうから、郁は黙って篤の後ろをトボトボついていく。そうして歩きながら、こっそり心の声を吐露した。
「――――大好き」
「……ッ」
「きゃん!も、ちょっと急に止まんないでよぉ」
突然足を止めたものだから、篤の後頭部に頭突きを食らわせてしまったではないか。
その旦那様は、不穏なしわを眉間に寄せながら、覚えてろよ、と捨てゼリフを郁に投げつけてさっさと訓練速度で歩き出す。
いやいや、あなたが急に止まったから頭突きしてしまっただけで、そのぐらいで報復とか心狭くない?
戦々恐々としながら篤を追いかける途中、七匹の黒猫を見た。横切られないからセーフ、だよね……?



帰宅するとすぐに夕食の支度だ。いつものようにふたりで並んで取り掛かる。
今日は軽めでいいからなんて晩酌する気満々の篤の分と、郁用のがっつりご飯を用意したところで、冒頭に戻る。

「珍しいね。――――なんかやましいことでもあった?」
やっぱりエッチな放送か。ボソッと呟くと慌てたかのように、篤が椅子を倒しながら立ち上がった。
「ちがッ!じゃなくて、たまには郁とサシで飲みたいと思ってだなぁ」
「え〜……。そりゃあ、あたしも篤さんと飲みたいけど」
「今日なら仕事じゃなかったし、アルコール度数低いからそうそう寝落ちないだろ」
そうやって見せられたラベルには、色々な情報が明記されている。桃のお酒、アルコール度数三%……。
「大丈夫かな?」
「たまにはいいだろ」
「――――うん、篤さんありがとう!大好き」
満面の笑顔で返すと、素直な妻の感謝に耳まで真っ赤にした夫はそっぽを向きながら、郁のグラスに酒を注いでくれた――――。





それからどうなったかと言えば、至極幸せそうな顔で笑いながら寝こけた郁は、篤に抱えられて寝室のベッドに運ばれて来たところだ。
休みの日にジュースみたいな酒ならばと思ったのにこの体たらく。あてが外れた篤は、深くため息をつきながらぐっすりと寝ている郁の髪の毛を梳いた。
アルコールが入れば恥ずかしがり屋の郁も、ガチガチの羞恥心が薄れていい具合に乱れてくれると思ったのに。

仕方なくなった堂上は、そっと寝室のドアを閉めて福引きで当てたイヤホンをスマホに繋ぐ。しぶしぶ起動させて動画リストを開く。そこに保存してあった動画には鍵が掛けてある。万が一、勝手に開かれたら困るから用心の為に。何せ堂上のまわりには、油断のならない奴から天然うっかりまでピンキリで揃っているからだ。
『……あン、だめェ……』
それはいつだか、珍しく酒を飲んだのに寝落ちせず、逆に酔って大胆に乱れた郁の、ちょっといかがわしい。
それを眺めつつ、嫁にしか興奮出来ない篤は、残念な気持ちを抱えながらそっと己を慰めるのだった……。





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