「ポッキーの日はあたしのおかげで楽しめた?」
お互い仕事も終わり、寛ぐ女子寮の一室。
風呂も済ませて落ち着いたところで、お茶を淹れながら柴崎が聞いてきた。
受け取ったマグカップを両手で囲いながら、しみじみ香りを吸い込む。今日は紅茶ですか。ティーパックじゃないあたりが柴崎の女子力の高さを物語っているではないか。
「楽しめたって、何が。フツーに進藤一正からもイチゴ味の貰って食べたけど?」
「そーじゃなくって、あたしがあげたポッキーよォ」
タイミングを見計らったのか、その言葉でせっかく啜っていた紅茶を噴きそうになったのを、寸でのところで堪えた。堪える事は堪えられたが、その代わり盛大にむせて酷い目にあった。
「その様子じゃあ、なんかあったのね」
「なんにもないなんにもない!柴崎が喜ぶような事は、ひとっつもなかったっつーの!」
えー、そうなのォ?
夜食代わりの野菜チップスの袋を開けながら、なんともわざとらしい素振りではないか。片手で携帯電話を弄びながら、画面を開いてズイッと郁にそれを見せてきた。
「……!」
そこに映っていたのは、今まさに郁が堂上にポッキーを食べさせようとしている光景ではないか。
確かにした。ポッキーが食べたいと言う堂上だが、ひと口でいいと言う。じゃあってんで冗談交じりに郁が咥えていたポッキーを差し出した時のひとコマ。
柴崎はこの場にいなかったはずなのに……。
「情報ってのは、どっからだって入れられるのよ」
うふふ、と妖艶な笑みを浮かべながら振る携帯の中には、郁が予想もしないような機密情報が山と詰まっているのだろう。どんな内容なのかは気になるけれど、恐ろしくて聞けなかった。
「それで?堂上教官と見事に関節キスした笠原さんは、今どんなお気持ちですか?」
「べ、べべべ別に?どうってことない、けど?」
噴き出すのは免れた代わりに口から零れた紅茶の後を、ゴシゴシと力任せに擦って誤魔化そうとする。しかし頬やら耳やら、いたる所が真っ赤に染まり、最早察するなという方が無理難題であった。
そんな動揺丸わかりの様子に、柴崎の頬が緩くなる。どうしてこんなの可愛らしいのに、だぁれも見向きもしなかったのだろう。
そしてあの朴念仁と来たら、お膳立てはちゃっかりさらってく癖に、肝心な事には腰が引けていて、見ているこっちがヤキモキしてしまうのだ。このイライラを換金出来るなら、きっと一戸建てをも購入出来るだろう。――――言いすぎか。
「あああ、と!あたし、ちょっとジュース買ってくるね!」
「あ、ちょっと……」
しかし柴崎が止めるのも聞かず、さっさとスリッパを履いた郁は次の瞬間には部屋を後にしていた。それを見て、またため息。
傍から見ていたらもう十分通じ合っていると思うのに……。
やっぱり堂上が悪い。そう断言して、冷蔵庫からストックの缶チュウハイを取り出した。











ああ、恥ずかしい。絶対柴崎にはバレている。
火照った頬に手で風を送りながら、ぐしゃぐしゃとどうにもならない己の心を抱えつつ、郁は共用ロビーへのドアを開いた。

なぜ柴崎にバレたら恥ずかしいのだろう――――。
ずいぶん前に、柴崎が堂上を狙うと宣言したせい?
それとも男女交際経験のない自分が異性に気持ちを寄せているのを気づかれたら……恥ずかしいから?

わからない。

恋愛経験なんて通ってみないと分からないのだから、それをネタに柴崎が郁をからかうなんて有り得ない。
有り得ないとわかっているのに。

他人に自分の気持ちを気取られるのが、恥ずかしくもあり、
……怖かった――――。






「なんだ、もう消灯近いぞ」
不意にかけられた声。誰のかなんて、考えなくてもわかってしまって、引きかけた熱が瞬く間に上がった。
「ど、堂上教官、こそッ」
やっと絞り出した声、少し震えていたが、気をつけて聞かなければバレない程度だと思う。
その証拠に、堂上は暫く無言のままじっと郁を眺めたが、結局何も言わずにカップ酒を買った。
「俺は飲み足りなくてな」
「お酒、強いですもんね……」
「お前は?」
「は?」
手招きされて堂上の傍らに呼ばれた。
躊躇いながらも普段通りを心がけつつ踏み出す。ちょうど真横に。
――――やっぱり自分の方が、少し背が高かった。
こっそり落ち込む間にも、そんな郁にはお構いなしの堂上は自動販売機のラインナップを見ながら、何やらひとりでブツブツ呟いている。
「水はまずない、か。オレンジ……は意外と酸味あるんだよな。りんごは」
堂上の口からりんごなどという可愛らしい単語が飛びだした事に、小さく、今度こそ噴き出した。それにつられて視線がこちらを向く。
優しい瞳の色に、心臓がぽこんと弾む。
「りんごも甘いが、――――ポッキーの甘さには敵わんな」
「……!」
ここでそれを持ち出すのか。
耐えられなくなって郁の方から視線を外すと、堂上からは苦笑の気配。ああいけない、本当にどうしようもない部下だ。
しかしそれ以上、堂上からのリアクションはなかった。
硬貨のぶつかり合う音。ピッ、と選択。次いでガコンという、硬い音。
「ほれ、やる」
「え」
押し付けられたペットボトルは、ベリー味の微炭酸。
「これ飲んだら大人しく寝ろ。そんで明日に備えろ」
命令口調なのに優しくて、また心臓が跳ねた。
「はい。笠原、大人しく寝ますね」
「ああ、おやすみ」
「おやすみなさい」
ぺこりと頭を下げて一目散に女子寮のドアまで掛けると、寸前で足を止めて堂上を振り返る。
「――――あの、」
「なんだ?まだなんかあるのか?」
「……」
言おうか言うまいか。
だけれど、結局好奇心が勝った。
「あの。今日のポッキー、ビターチョコってわかりました?」
消灯前のロビーにはほとんど人が居なくて、だから声が響かないように気をつけながら。
「知ってる」
その問いに、堂上はやはり優しく応えてくれた。
「けど、お前からもらったポッキーは、甘かった」
「……甘かった、の?」
郁の呟きに気づいたのかどうか。
踵を返した堂上は、片手を振ると二度と振り返ることなく男子寮のドアに吸い込まれていく。
あとに残された郁は、火照る頬に堂上から貰ったペットボトルを当てながらフラフラと部屋に帰っていったのだった。


――――ねえ、どうしてビターチョコなのに甘かったんですか?








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