クリスマスはロマンチック。 けれど外は稀に見る暴風雪。 せっかくのイベントが台無しである。 「ホワイトクリスマスどころじゃないな、これじゃあ」 「本当、ホワイトアウトクリスマスだよね」 手塚の呟きに乗っかって思ったままを呟けば、自席で点検済みの書類を束ねていた小牧がもれなく噴き出した。妖怪アンテナもかくやと言わんばかりの反応である。 「クリスマスに雪が降ろうが降るまいが、関係ないけどな。それとも雪降りゃ、笠原の仕事の効率が上がるか?」 だったらドカ雪上等だ。 「なんでそうなるんですか、堂上教官?!」 窓際から振り向いた郁は膨れ面。 きっと雪が積もりゃあはしゃくだろう、まさに犬のように。子どもみたいに雪遊びをしたくてウズウズして、そうなると頑張って仕事を早く終わらせようとするのが目に浮かぶ。 ほら、やっぱり雪降りゃ郁の仕事の効率が上がりそうじゃねーか。間違いねえ。 「あたしは子どもでもないし、犬でもないです!」 「どうだか」 鼻先で笑ったやると、いよいよ風船かフグのようだ。 女子供は単純でいい。 雪が降れば勝手にウキウキしているし、チラチラと夜空に雪が舞えばロマンチックだと言ってうっとりする。 ロマンチックだと思うのは恋人がいてこそ。そして今この堂上班に置いて恋人がいる班員は皆無であるのだから、クリスマスがホワイトクリスマスであろうがホワイトアウトクリスマスであろうが関係ないはずなのだが――――。 「……ざまぁみろ」 こっそり落とした呟きは、長年恋人がいないが為の憎まれ口か。はたまたぶつける相手がない上での言いっぱなしか。 しかし出来損ないの方の部下は、こういう時だけ耳ざとく堂上を困ったように睨んでくるのだ。 「世の恋人たちに不謹慎発言です!減点二千点!」 「そんなにか!どっから来たんだ、二千点はッ」 「はらたいらです!」 堂上の眉間にぐっとシワが寄る。 お前、本当は年齢詐称してんじゃねーのか。 「うッさいわ。だいたい雪降ろうがどうでもいいじゃねーか」 「よくないに決まってるじゃないですかッ」 「――――ッ!」 それは何か、変化する夜空を一緒に見上げる誰かがいるからか? 自分でそんな想像をしておいて、自分で少なからずショックを受けた。 それは自分に相手がいないのに、郁にそんな相手がいることを匂わせられたからか。人の好みは他人には測れない、中には物好きもちろんいるだろう。だけれども、 「どうせならみんなで綺麗なクリスマスを迎えた方が、嬉しくないですか?」 「みんな?」 「タスクのみんなとか、堂上班でとか、柴崎とかとです!」 どうせ迎えるクリスマスなら、みんなで一緒に素敵なクリスマスを迎えたい。 その中には、堂上ももれなく入っているらしく――――。 「……アホウ」 「え?」 「なんでもない」 「はぁ」 勝手にその他大勢に入れてくれるな。 そんな事を言われたら独り身で毒づきたくなっていたクリスマスが、ほんの少しだけ愛おしく感じられるのだから現金なもので。 堂上も自分が思っているより、意外と単純だったらしい。 * 「すまんな、せっかくのクリスマスなのにこんなんで」 「え?何がですか?」 すまなそうに堂上が言うところの「こんな」とは、時間が遅くて半分照明の消えた寮の食堂の一角で食べる、コンビニスイーツがささやかなクリスマスケーキだという辺りだろう。 恋人として初めて迎えるクリスマス。本来ならばちょっといいレストランで食事をして、あわよくばちょっといいホテルにでも泊まりたい所だが――――。 図書館にとってクリスマスはただの「年末」と括られて、イベントはどう楽しく過ごすかと考えるどころか、ある種修羅場にも似た過酷な企画週間であり職員にとっては休まる時間などないのが現状なのである。甘くなまっちょろい事など吐かせば、たちまち周囲に睨まれてしまうだろう。 特殊部隊にとっても人が増える年末年始の館内巡回は、常より神経を過敏に尖らせなくてはならないから気の休まる暇もないのだ。 だから外出したくても気力も体力も時間もない結果が、せめてもの「こんなクリスマス」なのである。 まあ大手を振って郁と隣りあい、ケーキの甘さだけじゃない何かに癒されるだけでも今までより格段の進歩だけれど。 「あたしは、堂上教官とこうやって一緒にケーキを食べられるだけで、嬉しいですよ?」 ハニカミながら言うこの可愛らしさに、思わず堂上は俯いた。 いかん、可愛すぎか。健気すぎるし可愛すぎるし、マジでどっかにしけこみたい……。 しかして現実はキスさえもままならない状況に欲ばかりが募っていく。ホテルに泊まったとしても、まだそのような関係を結んでいないから生殺しになるのは必至で、昔ならまだしもこの関係になってからのそれは耐える自信がおおいに揺らいでしまうのだ。 いい歳こいた大人が情けない。情けないが、彼女が可愛すぎるから仕方がない。 郁を想えば想うほど、己を縛る理性の手綱が息苦しくも心地いい――――。 「あ、そう言えばですね。あの、ささやかなんですけど、堂上教官にクリスマスプレゼントです」 恥ずかしそうにスーツのポケットから出された小さな包みに、軽い後悔が湧き上がった。なんでネットでもなんでも注文しなかったか自分は! 「開けてもいいか?」 「もちろんです!」 躊躇いつつも郁の笑顔に押されて包みを開ければ、出てきたのは――――熊のキーホルダー。なぜわざわざ。しかも木彫り風熊のチョイス。 「それはですね、たまたまこの間北海道のアンテナショップに行った時に買ったんです。……ウケ狙いなんですけど、微妙でしたかね?」 微妙と言われれば限りなく微妙。しかしせっかく郁から貰ったものだし、お揃いなんですと郁の分も見せられたら、有り難く貰い受ける意外の選択肢などない。 「ありがとうな。俺からのプレゼントは……」 「なくていいんです!堂上教官が凄く忙しいのわかってるから」 理解のある彼女に頭が下がる。だがそれでは男の矜持が黙ってはおれない。 困った雰囲気が伝わったのだろうか。 「じゃあ……、えと、ちょっと恥ずかしいけど、堂上教官にケーキを食べさせてもらいたいデス……」 それがクリスマスプレゼント代わりって事で。 顔を真っ赤にしながら強請る内容も可愛らしくて、早速お願いを叶えてやると満足そうにケーキを頬張ってくれた。 そしてここで湧き上がってくるのは、年上だろうが関係なく甘えたな男の性である。 「じゃあ、今度は俺が食べさせてもらおうかな」 さらりとオネダリを口に出すと、郁の顔が更にボッと音を立てて染まった。そして超高速で掌をぶんぶんと振って全力で拒否された。 「なんでだ」 「だッてソレめちゃくちゃ恥ずかしいじゃないですか!」 「俺だってあ?んしてやっただろうがッ」 「してあげるのとされるのとでは、前者の方が恥ずかしいんです!」 叫ぶような主張とともに音を立てて立ち上がると、郁は一目散に逃亡をはかったのだ。 なんという逃げ足か! というか――――。 チラチラとこちらに視線を寄越す見知った隊員たち。その眼差しがいたたまれない。 ひとり残された俺の事も考えろよ……。 * 「クリスマス、何か欲しいものありましたか?」 寝際の薄暗闇の中、さり気なさもなくドストレートに聞いてくる妻は、リサーチという言葉を知らないらしい。 今年も例年通り、多忙につきイベントを祝えなかった。いつものようにコンビニスイーツを買ってきて、いつものように食べるだけ。ただそれが、夫婦になったから必ずふたり一緒に出来る事が何より嬉しい。 苦笑しながらないよと答えれば、不満顔が返って来た。 「それじゃあダメ?!あたしが篤さんに、何かを上げたいの」 「いつかみたいな木彫り熊のキーホルダーは勘弁な」 口ではそう言いながら、今ではお互いの自宅の鍵に繋がれている。 「そう言われてもなぁ……」 思案しながら腕の中の華奢な身体を抱きしめれば、郁は身体を捩りながらそっぽを向いた。わかりやすい奴。だがそんな単純で素直な所が可愛いんだが。 「郁こそ欲しいものなかったのか?」 「あたし?ん〜……」 そら見た事か、急に聞かれても返事に困るだろう。 しかしそこは心配ご無用、今回はこちらからキチッとプレゼンを提案する準備が出来ているから。 「そこでだな、郁。俺からクリスマスプレゼントの提案なんだが」 「や、ちょっと待って。なんか嫌な予感しかしないから」 「おいこら」 なんと失礼な。 郁ときたら、可愛さは付き合う前から変わらないくせに、堂上への信用度ときたらジェットコースターのように上がったり下がったりだ。ここで重要なのは、信用と信頼は別物という所である。 「まあ聞けよ」 頭を撫でながら含めると、素直に向かい合わせになる。可愛い。元からだった。 「なんですか?」 「今年のクリスマスプレゼントは、作ろう」 「……何を?」 「だから、子どもを」 その時、布団と隙間から弾丸のように突然飛び出してきた顎狙いの強烈なアッパーを、寸でのところでなんとかかわした。掠った皮一枚が、擦れてじわりと痛む。 「なんでいきなり攻撃してくるかお前は!」 「篤さんが急に変な事言うからでしょーッ!」 子作り宣言をして顎を粉砕されかけるとか、割りにあわねえじゃねーか! 「変な事じゃねえだろ!そろそろ子ども作ってもいい頃合だろがッ」 「だからそう言うのが嫌なの!プレゼントに赤ちゃんとかって、凄く不謹慎なんだから!」 クリスマスプレゼントに子どもを作る。よく考えなくてもちょっと違うのはわかっている。わかってはいるが、そういうきっかけでもないとなかなかタイミングが測れなかったのも事実で。 そういう男の微妙な機微も読んでくれよ。歳も歳だし、何より郁と自分との子どもが見たい衝動が最近物凄く強いのだから。 今度こそ堂上に完全に背を向けた郁は、きっと不可侵の意味を込めて向き合わないのだろう。 やや軽はずみな提案で、思った以上に郁を怒らせた。もしかしたら傷ついたかもしれない。でも堂上としても、出来れば同意してもらいたいのだ。 しばしの沈黙が寝室に重く伸し掛る。息苦しい。こんな提案をしながら寝転がったままもいよいよ不謹慎な気がしてきて、堂上はベッドの上で正座で妻の御機嫌伺いをする。しかし郁は微動だにしない。 痛い程の静寂と溜息と胃が捻じれるほどの後悔を抱えながら早半刻、ようやく郁の肩が深い深いため息によって揺れた。 「……あのね、篤さん」 「はい……」 ゆっくりと起き上がった郁の瞳を縁取るのは清らかな水滴。泣いている。胸が一層軋んだ。 「あたしは、赤ちゃんを授かるのは自然な流れの中がいい。そりゃあ訓練とかあるから、計画しなきゃ後悔する場合があるのもわかってる。――――でもね」 自分よりもひと回り小さな手が、堂上のゴツゴツとした硬い掌を撫でる。柔らかさが違う。温さが。郁と、堂上と。 「そうやって決め事にしちゃったら、もし赤ちゃんを授かっても全力で喜べないかも知れない。そういう後悔は、あたし、したくない」 「……」 まるで小さな子どもに言い聞かせるように。 わかってる。わかってた。でもわかってなかった。 長い夫婦生活のひとコマであるはずのクリスマスに、そんな特別は必要なかったはずだ。 そして子どもを授かる過程はもっと特別なんかじゃない、自然の中の極まれな奇跡なのだ。 「……ごめん」 心の底から掘り起こした後悔は、口の中で砂を含んだかのような不愉快さをもたらす。しかし郁を傷つけた代償ならば、喜んで被ろう。 うん。 小さく頷いて顔を上げた郁は、まだ頼りなかったが笑顔を浮かべていた。嗚呼、そういう所が、やはり全然叶わない。 堪らず彼女を抱きしめた。力など入れられない。いつも強そうに見える郁は本当は、恐ろしく繊細で傷つきやすいから。 ゆっくりと背中に回された掌の温もりに、ようやく安堵の息を解く。まだわだかまりはあるのかもしれない。しかしひとまずは許されたと思いたい。 音もない部屋にまで、深々と外の世界を埋め尽くす雪の降る音が忍んできそうだった。 どうせなら誰にも見えないくらい降ればいい。ホワイトアウトクリスマス。いつかの戯言がこんな時に蘇る。 ただ寄り添っているだけでよかった。このか弱き温もりが、確かに傍らにあると言う事実だけあればそれでよかった。 時計の針が動く音。視線を流せば、クリスマスを僅かに過ぎていた。だがもうそんな事はどうでも良かった。 「寝よっか……」 先に郁が呟いた。 明日も変わらず仕事が待っている。日付を越えた今、寝なくては明日に疲れを残すから。 そうだな。ため息のように言葉を吐き出して、堂上は横になった。 しかし言い出した方の郁は、身体を横たえるどころかぼうっと座り込んだまま堂上を見下ろしている。その瞳に反射した明かりに、どきりとした。 ようやくのそりと動き出した郁は、だけれど寝るどころか横たわる堂上に覆いかぶさったまま、年上の夫を見下ろしている。 郁。 思ったより掠れた声は、音にならずに吐息に解けた。ふたりの吐息が、重なって溶け合う。 その夜、初めて何の隔たりもなく繋げた身体は、熱くて生々しくて、愛おしかった――――。 結果的にクリスマスプレゼントはお互いなしで終わってしまったが、堂上は思いがけぬ贈り物を妻から貰うことになる。 両の腕に抱かさった小さな小さな贈り物。 感極まったまま極度の疲労で横たわる郁と視線を交わらせた。 ――――新しい生命の誕生。 クリスマスなんて特別な日じゃなくていい。 平穏な一日に、格別の贈り物が潜んでいるのだと知った日。 |