何でも屋堂上。

もちろんつけたのは、堂上を頼ってあれやこれやを押し付けてくる諸先輩方。というか、よくもまぁ締切ギリギリまで書類を放置出来るものだ。
活字で読む本の守り手が、書類の一枚二枚も目を通すことが出来ないとか、確実におかしいだろ。
それとも絵本専門か。大人のエ本とかだったらぶちのめす。いや、時たまお世話になる事もあるかもしれないがそんなのは稀で、
「堂上教官」
「わッ」
今、確実に椅子から飛び上がったと思う。
その拍子に屈み気味になっていた郁が非難の声を上げながら僅かに飛び退き、隣りの椅子にぶつかってそのまま膝を折る。そして何をするんだとでも言いたげな胡乱な視線を、椅子に座りながら上目遣いで投げかけてきた。
ソレお互い様だろ、いきなり声を掛けやがって。
おかげで堂上は、恐らく紅くなってしまったであろう耳を手で隠さねばならなかった。
「なにした!」
「なんであたしがやらかした前提ですかッ」
「確率の問題だ!」
「いつまでもみそっかすじゃないですッ」
胸を張って主張したが、その当人が相変わらずレファレンスで助け船に救助されたのはつい先日の話。そして無闇やたらと文字通り胸を張るなと言いたい。言えないけど。

「で、なんだ?どうした?」
こちらも座り直して体制を整えると、当初の目的を思い出したように郁がハッとする。
こいつのこういう、ひとつずつしか処理出来ない単純さを、たまに羨ましいと思った。多分実際そうなったなら酷い後悔と自己嫌悪に陥りそうな気もするが。
「あのですね……」
こちらも座り直した郁は、両膝に乗せた手をモジモジと弄りながら口ごもった。「――実は」
「なんだ」
つっけんどんに言い放つと、それを拾った郁が許しを得たとばかりに満面の笑みで告白してきた――主に残念な方向で。
「実は朝ご飯食べ忘れちゃって、ちょっとお菓子食べてもいいですか?」
「……」
つい十分前に朝の朝礼が終わったばかりだぞ。
だから郁が欲しい応えの代わりに堂上か特大の拳骨を落としたのは言うまでもない……。







陽が暮れる頃には机に積まれていた書類の山もほとんどなくなっていた。

「さっすが堂上教官ですね〜!」
内勤の堂上・小牧とは別に、道場での武道訓練から帰ってきた郁が素直に感嘆の声を上げるも、郁を見咎めた堂上はたちまち不機嫌そうに眉を寄せる。
「お前なぁ……」
「な、なんでしょう?」
堂上の迫力に押されるように後ずさる郁の首に掛けていたタオルを引っつかみ、有無をも言わずワシワシと汗に濡れた髪の毛を乱暴に拭き始めたのだ。自分自身でも拭いていたが、半乾きなのが気になったらしい。

つーか子どもか!

「きょ、教官いいですいいですってばッ」
「馬鹿は風邪ひかないとか、嘘だからな」
「失礼です!何気に失礼ですからソレ!」
「煩い。――ほら、仕舞いだ」
最後にぽんと叩いた掌が優しくて、それ以上文句など言えなくなる。ズルイ。
なんだかんだ言って、堂上は部下の事も広く汲む面倒見のいい上官だと思う。懐は深いし、厳しいがほんの僅かな頑張りも零さず認めて自信に変えてくれる。

何より郁にとっては、堂上が褒めてくれる時にくれる掌が気に入っている。硬くて大きくて温い、安心できる掌。
「……ありがとうございます」
「おう、今度からは気をつけろよ」
どこか満足気だ。そう言えば妹さんがいるんだっけ、つまり世話焼きなお兄さん気質なのだろう。郁にも兄が三人いるからよくわかる。
――でもきっと、実の兄貴たちよりも堂上の方が信頼も安心も上。なぜかなんて説明出来ないけど。だけど不思議と無条件で預けられるんだもん、こんなのって……。
「そっか、店子と旦那みたいな」
「何がだこの阿呆」
「こ、こっちの話ですッ」
思った事がすぐ口から出るの、ちょっと気をつけよう。そして口に出して気づく、店子と旦那の関係も違うなあ。

しかし郁が堂上を絶対的な上官として―― 一時の反発はあれど――尊敬しているのは間違いなく、今はそれだけで十分なのだ。
郁が訓練を終えて帰ってきてから間もないのに、その間にほとんどなかった書類の底が見えてきた。本当に仕事が早い上官だ。
「……堂上教官て、ホントなんでも出来ちゃうんですね」
「なんだそりゃ」
「だって――」
しみじみそう思う。

仕事も出来て、訓練においても小柄のハンディをものともしない身体能力。現場においてもピカイチの判断力で指揮系統を担うエリート班長は、郁からすれば全てを思い通りにこなせる完璧超人か魔法使いか――はたまた王子様か。
けれども少し視線をさ迷わせた後、ひとつ瞬きした堂上は呆れ顔になってばっさりと切り捨てる。「阿呆か」
「言うに事欠いてそれですか!」
「んな事いっとらんで、さっさと日報書きやがれッ」
悪い事などしていないのに一方的に切られた郁は、上官譲りの仏頂面で足音高く自席に戻った。
せっかく褒めたのに。
ささくれた心は、しかし苦手な日報に向かうとたちまち溶けていった。
つまりはその程度の事なのだ。




「お先に失礼します」
一足先に日報を提出した手塚が事務所を出ると、小牧も後に続いた。残るのは日報を書く郁とそれを待つ堂上、それから遅番で仮眠室にまだ移動していない青木一正ぐらいなものだ。
「笠原、まだか」
「もう、ちょっ、とッ」
ガリガリガリ。ボールペンが立てる音が堂上のイライラに聞えて、なお焦る。
「ゆっくりでいい」
エスパーか!「急いで不備があるよりは、丁寧にしっかり書けよ」
「――はい」
おかげでしっかり日報が書けた。別に特別な事を言われたわけじゃないのに、堂上の声掛けでゆとりを持てたのも事実である。
それは自信に変わり、自信が表情を柔らかく綻ばせた。
「やっぱり魔法使いみたい……」
「あ?」
無意識にぽとりと落とした言葉を拾う前に掬われた。
「やッ、なんていうか!なんでも出来ちゃうし、堂上教官がついてるだけで安心出来るって言うか」
「……」
「なんでもないんです忘れてくださいお先に失礼します!」
我ながらアホな事を呟いた上に当の本人に怪訝な顔をされ、居た堪れなくなってひと息で言い切ると、荷物をひっつかんで脱兎のごとく事務所から逃げ出した。
絶対変な奴だと思われている、おかしな顔をしている自信がある、だって――。

だってわけもわからず顔が、熱くて絶対真っ赤だもん。






バタバタと忙しなく遠ざかる足音を聞きながらしばらくぼんやりとしていた堂上だったが、青木に声を掛けられて急いで帰り支度を始めた。
積んであった書類を処理済みにして本来担当だった先輩方の机に戻しながら、意識して郁の言葉を反芻する。

さすが堂上教官ですね
店子と旦那みたいな
ホントなんでも出来ちゃうんですね
魔法使いみたい

――阿呆が。

仕事が出来る事や速いなどは日頃から意識すれば自ずと身につく事ばかり。足りなければ努力すればいい。その積み重ねが明日の自分を作り、自信に変えていくのだから。

「おい、堂上」
「はい、何でしょうか青木一正」
急に呼ばれて振り返ると、ニヤニヤ笑いの先輩と目が合った。悪い予感しかしない。
「顔、帰寮する前に引き締めとけよ」
「……!」
ボッと耳が発火したかのよう。
言いたい事だけ言うと、生温い笑いを顔に貼り付けたまま事務所を後にした。

残るはいよいよ堂上ひとり――……。

仕方ないだろう。
あの日出逢った清廉な背中に恥じない図書隊員でいる為に、あの真白さに追いつく為に己を律して来たのだから。
認められたいアイツに賞賛されれば、頬を緩めるなと言う方が無理だ。

ピシャリと右頬を張る。引き締まったかどうかはわからないが。

郁は堂上を、何でもできる魔法使いと讃えるが、
堂上にしてみれば、こんなにも簡単に大の大人を舞い上がらせる郁の方が魔法使いみたいなやつなんだ――……。






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