これ、オフレコでお願いします……。
初めてのお見合いを控えまして、恋人いない歴歳の数で生きてきた手前ぜひとも成功させたくてですね、神頼みしてみたんです、神社仏閣の中で一番近所の教会に。
そしたらですね、その日の夜のうちに天使がやってきたんです――。





「ご趣味は」
「えっと……飛び蹴り?」
「アホか貴様!!」
場をなごませるつもりで答えたのに、目の前の天使は即座に目を剥くと郁に拳骨を食らわせた。痛い。つか(自称)天使の癖に実体あるんかい。すり抜けてもホラーで怖いけど。
「見合いの席に笑いなどいらん!お前なんの為に俺がわざわざ遣わされたと思ってるんだ成功しなかったら俺が神様に申し訳無さすぎるわ!!」
ここまで一息、息継ぎしなくてもこんな長台詞吐けるなんて、さすが天使!
「感心するところが違う!」
「わ!なんで思ってる事わかったの、あんたエスパー!?」
「俺は天使だッ!!」
大の男が胸を張って堂々と宣言するには、ちっとイタイ台詞だよね?。と思った所で二発目の拳骨が飛んだ。天使の拳骨、痛すぎる……。



この天使だと名乗る男は教会から帰ってきたばかりの郁を突然訪ねてくると、有無をも言わさず見合いの指導をしだした訳のわからない人なのだ。
一方的に天使を名乗られてもそこら辺にいそうなTシャツジーンズの服装だし(今が真冬である事を思えば異常かもしれない)、羽は生えてないしと不審感ありありで観察していたら、いきなりシャツを脱ぎ出し上半身裸になると、異性の免疫力皆無の郁が言葉もなく真っ赤になっている前で溢れそうな程純白の羽を四枚だして見せたのだ。その光景にちょっとだけ、魅せられた。
「神様は教会に逃げこんだいかなる迷える子羊もお見捨てにはならない」
「いや、逃げてないし」
「だからお前の願いを叶えるまで、俺は天界に帰る事が出来ないんだ」
「別に見合い指導とか頼んでないし、いちいち来るなんて天使も暇なんだね?」
「お前みたいなミジンコに神様の御心がはかれるかッ!!」
「ミジンコ!ミジンコって、アンタよりあたしの方が背ぇでかいんだからね!あたしがミジンコだったらアンタは……えぇと、クリオネじゃん!!」
「クリオネはミジンコよりでかい。お前……女子力ない上に頭の中も残念とか可哀想だな……」
「そんな目で見るな――――!!」





見合いの日にちまであと一週間。
その間郁はこの理不尽でたまに優しい天使に指導をされながら、

――気づかぬうちに、恋をする。



  





……あれ、目覚ましの音が聞こえない?

瞑ったままの瞼の裏まで刺激してくる陽光は、すでに日が高い印だ。なのにセットしたはずの目覚ましはうんともすんとも言わない。おかしいじゃないか。
どうにもこうにもその事が気持ち悪くて身体を起こそうと身動ぎしたその刹那、布団ごと薄く開いた視界の向こうが反転し、郁は強かに畳に打ち付けられた。
「いい加減起きろ、このアホウが!!」
おぅ……忘れてた。そう言えば仏頂面で融通の利かない天使が昨日から勝手に住んでいるんだった。
――って言うか!
「なに勝手に乙女の寝顔拝んでんのよ、この変態!!」
「貴様の寝顔見てるぐらいならフン転がしの動向見てる方がマシだコラッ!!」
「フン転がし……!言うに事欠いてフン転がし……!!せめてコガネ虫にしなさいよ、金持ちなんだから!」
「……そのレベルでいいのか。そして腹ぐらい仕舞って寝ろよ」
急に可哀想な顔をして郁を見る天使に、みるみる沸点は急上昇したのは言うまでもない。





基本的に郁が仕事から帰ってくると見合い対策講座が開かれる。
日中郁が不在の間は何をしているのかは不明だが、とりあえず食事はとらないらしい。だけれど帰宅する部屋が出勤前よりも心なしか綺麗になっている気がすると、申し訳ない気分になった。多分天使は何も考えずにやっている事なのだろうが。

一度名前を聞いてみた事がある。
「趣味」
「茶道」
「流派」
「裏鬼門」
「裏千家だろうがアホウ!どこの御所護ってんだ貴様ァ!」
洋式の神の使いが、なぜ和式の陰陽道など知っている。やっぱりエスパー……。
「天使だ!」
ゴイン、といつものように拳骨を落とされながら、涙目混じりに聞いてみた。
「天使天使って言うけど、アンタ名前ぐらいないの?」
「……なぜそんな事を聞く」
「天使、は、アンタの名前じゃなくて、あ?……生き物としての分類じゃない」
「正しくは生き物ではなく、御霊の存在だ」
「どっちでもいいよ。とにかく天使ってのはアンタを分類する時に使うものであって、アンタの名前じゃないじゃん」
名前ひとつ聞くだけで何をムキになっているんだろう。でもそれを教えて貰ったら、少しぐらいは郁にとっても天使にとっても特別なカテゴリにお互いを分類出来るのではないかと思ったからだ。
あいにくそのカテゴリの名前はまだ不明だけど。

なのに――。

「必要ない」

あっさりと。
その物言いが、郁の心の表面にざらりとした痕を残す。
ぼうっとしたまま動かない郁を一瞥し小さく舌打ちをすると、今日はここまでとだけ言葉を残して天使は忽ち跡形もなく姿を消してしまったのだ。

ああ、なんだやっぱり天使って本当なんじゃん……。

どうでもいい事を再確認してみたのは、胸の奥に刺さったかもしれないささくれに気づきたくなかったせいかもしれない。
結局二人を二人だけのカテゴリに分けたかったのは、郁の方だけだったから――……。








「特技」
「裁縫。なんかさ、このやりとりって合言葉みたいだよね」
「つべこべ言ってんな。愛読書」
「東京タワー」
「不倫物の方と勘違いされるからアウト!」
ゴイン!
落ちる拳骨にも慣れてきた。慣れる程沢山の時間をこの憎たらしい天使と過ごしてきた。
――憎たらしいだけじゃない感情に気づいた頃には、もう見合いの日が迫っていただなんて。





恋なら叶わずとも何度もしてきた。年上にも年下にも同級生にも。だけど相手が人間じゃないものに恋したのは初めて。
こんなのってない。自覚した瞬間から叶わないって決まってる恋なら、最初からしたくなかった。どうして好きになっちゃったんだろう、すぐに拳骨はするし口は悪いし、でも努力はきちんと認めてくれる。

――堕ちるのに理由なんていらなかった……。

「顔色悪いぞ、腹の調子でも悪いのか?」
俯き加減を下から覗きこまれて、その近さに鼓動が跳ねた。
「べ、別になんでもないしッ」
「……そうか?」
どうしてそんなに目敏いの。もっと無関心にしててよ。心配なんてしないで。
「明後日はいよいよ見合いの日なんだからな、体調なんぞ崩してくれるなよ」
そうだ。天使は見合いを成功させる為にここに来たのだし、上手くいかないと天界に帰られないと言っていた。じゃあ何?上手くいかなかったら、ずっと天使はここにいてくれるんだろうか?
しかし黒い感情が湧き起こるも、そんなものは一瞬で消えた。
だって天使を失望させてまでここに留まらせるよりも、きちんと成功させてよくやったと誉めてもらいたい気持ちの方が強いから。
それは拳骨が怖いからとかではなくて、一緒に過ごした日々の中で注がれた天使からの信頼を裏切りたくはないから。失望させてまで残るものなど何もない。

「今日の所はそろそろ終わりにするか、あまり夜遅くても身が入らないからな。身体にも悪いし」
「……はい」
郁のしおらしい返事に天使が一瞬だけ目を見張ったが、すぐに目元を緩ませて、大丈夫だと励まされた。
「お前は頑張ってるよ、自信を持て」
そうして優しく頭を撫でてくれた。
その温かさに、泣きそうになってくる。――拳骨をする以外、天使は郁に触れる事などなかった事実に。
もっと触れて欲しい。たくさん優しくして貰いたい……。



「ねぇ?」
「なんだ」
ぼうっとカーテンの隙間から夜空を眺めている天使に声をかける。
何を思っているのだろう。暗くなっても尚空の高みが恋しいか。
「天使は人間をどう思ってるの?」
「藪から棒だな」
「いやさ……なんとなく」
そうだなぁ、と前置きすると、窓に凭れた視線はやはり星空。キラキラと光瞬く空は、優しい月の明るさに包まれていた。
「愚かで、小さくて……でも、愛おしい、な」
噛み締めるように。しかし頑なに郁を見てくれない。そんな天使に胸が痛くなるくらい恋をしてるだなんて、きっと知らないのだろうに。
「またに、そんな人間になってみたい気もするが……」
「なりたいの?なればいいじゃん」
食いつくように返せば、ようやく郁に向けた表情は自嘲するような笑いだった。困ったような顔じゃなくて、笑った顔が見てみたいのに。
「天使が人間になるには墮天するしかない。だが墮天は容易な事じゃないんだ」
「……」
浅はかな思いでは人間にはなれないのだと言った天使の言葉に、諦めろと言われた気がした。
「もう寝ろ。明日は見合い練習のそう仕上げだからな」
「……そうだね」
そんな明日なんか来なければいい。これきり天使と会えなくなるぐらいなら、見合いなんてしないのに。

そんな事を思いながら寝付いた夜――。



翌朝、郁はひとりで起きて部屋を見回した。
いつもなら口喧しく天使が起こしてくれるのに。
その天使は見合いまで1日を残したまま、郁の前から姿を消してしまった……。









「目が赤いわよ、郁。どうしたの?」
「――緊張して寝られなかった……」
連れていかれた美容室で茜色地の振り袖と髪の毛をセットされ、そこで母親はようやく郁のウサギ目に気づいたらしい。
目が赤いのは泣いたから。天使が消えた痛みが胸から溢れて頬を濡らしたから。

そんな悲しみなど関係なく迎えた見合い当日は、郁の心とは裏腹に酷く晴れた吉日であった。





「そう言えば、お相手のお写真見たかしら?」
まるで自分の事のようにそわそわと落ち着きなく話し掛けてくる母親にあいまいな返事を返しながら、郁の心はここにはなかった。
「素敵な方だったでしょう?ちょっとお顔が堅いけれど、きっと誠実な方よ」
今までの恋はなんだったのだろう。そんな疑問を持つ程の喪失感に、胸の内側はどんどんと死んでいく。
「なんでも先月までお仕事の都合で海外に行ってらしたみたいだけど、結婚したら日本に落ち着きたいような事をおっしゃっててね」
どうやって栄養をあげれば蘇るのか、自分でもわからないくらいあの天使に心を持っていかれてしまった。
「郁はちょっとがさつだけど愛嬌はあるんですから、しっかりお相手とお話なさいね」
そんな事を言われても、もうあの憎らしい天使としかお喋りなんて出来ない。
「あ、ほら立って!きちんとご挨拶するのよ」
緩み始めた涙腺もお構いなしに母親に無理矢理立たされて、相手の顔も見ずにお辞儀をした。
「遅れて申し訳ありません。初めまして、堂上篤と申します」

――え?

下を向いたまま目を見張る。鼓動が駆け回る。その忙しさが耳にまで届いた。
その声は先日まで郁の耳に足跡をつけていたあの天使と寸分違わぬもので……。
そろりと頭を上げて堂上の顔を見上げる。
黒い革靴の爪先から闇にも似た濃紺のスーツをかけ登り、鮮やかな水色のストライプネクタイを締めたその上を……。
――嗚呼!
絶句する程の衝撃とはこの事か。

そこにはあの日消えたままの天使が立っていたのだ。

あまりの驚きに言葉も出ない郁に痺れを切らせた母親に小突かれてしどろもどろに自己紹介すると、堂上は口元を綻ばせて郁達に着席を促した。
その間も郁の身体の中では激しい疑問の嵐が吹き荒れていた。
どうしてあの天使が見合い相手としてこの場にいるのか。なぜ相手は天使と同じ顔をしているのだ。声は、仕草は、全てが。
しかし、では天使は本当に堂上と同じ顔をしていたかと言われればわからない。いくら思い返しても記憶はボヤけ、はっきりと思い出せないのだ。なのに、確信を持って堂上と天使は同じ顔だと断言できる矛盾に頭は混乱してきた。
「郁さん、とおっしゃるんですね?まだお若そうですが、ご趣味は」
聞かれて反射的に答える。
「さ、茶道を」
「流派は?」
「裏千家、です……」
本当はお遊び程度の趣味だし、流派なんてわけがわからないのに。
教え込まれた事を実行するのが、郁と天使の最後の絆のような気がして。
「裏千家、ね」
すると堂上は、ふっと苦笑した。そんな表情でさえも同じだなんて、ずるい。
「お前は裏鬼門の方だろ?」
「……!!」
なぜその事を?
「裁縫も指に針刺さない程度に出来りゃいい。愛読書に東京タワーは止めとけ、もっとも浮気なんぞさせんがな」
次々と二人だけの取り決めを口にする堂上に、涙が勝手に溢れてきた。それは何時だったか、郁が『合言葉みたい』だと言った言葉たち。
「生半可な覚悟じゃ堕天は出来ないっつっただろ。だからお前の人生かけて、俺に付き合え、郁」
「今頃……遅いよ、天使!」
「違うな」
郁の訴えを即座に押し退けて、堂上は握りこぶしで小さくテーブルを打つ華奢な手を包む。郁のものよりも一回り大きくて肉厚な掌。
「篤、だ。これからはそう呼べ」
名前の知らない天使に愛しい人の名前がついたこの日、郁は今までで一番輝く笑顔でこの幸せを噛み締めた。

初めて恋が叶った日、それは一生の伴侶に巡り会えた幸福な日――。








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