「お疲れさまです、堂上教官。コーヒーどうぞ!」

「お、おぅ……。ありがとう」
総務部で担当者と一戦交え、ほとほと疲れて帰ってきた堂上が席につくタイミングで出された一杯のコーヒー。
普通であれば素直に感謝して啜るところだが、いかんせん相手は郁である。うっかり思わずシゴキ過ぎて、日頃から「おのれ鬼教官!」と息巻いている部下が満面の笑顔で淹れたコーヒーなど、何かの罠かと勘ぐってしまっても致し方なかろう。

小牧辺りには自業自得とせせら笑われているが、実際多少なりとも記憶に残る女が防衛部を希望してきたら蹴落とすだろう。防衛部の女子部がほぼ後方支援のみを手掛けているとしても、いつ何どき何があるかわからないのが現実だ。
しかもよりにもよって特殊部隊などという最前線に配属された日には、とにかく抗争中でも生き残れるように徹底的に叩かねば気が休まらないだろうが。
この辺り、郁の志しなどまるっと無視して己の安寧の為によるシゴキだと気づかないあたりが、宝箱に蓋をして見て見ぬふりをしている男の哀しさだろう。それは、お互いにとって全く優しくない。

さて問題はコーヒーである。

「どうしました?飲まないんですか?」
小首を傾げて不思議そうに尋ねてくる部下に、まさか怪しすぎて飲めないなどとは言えない。言ったが最後、コイツの事だから資料やパソコンごとデスクをひっくり返しそうだ。どんな怪力女か。
しかしどうやら郁は堂上がコーヒーに口をつけるまで離れないつもりらしい。目を爛々とさせながら、じっとこちらを伺っている。
「……そんなにじっと見られたら、飲むもんも飲めんだろ」
わざと不機嫌そうに言葉を投げつけると、それもそうですね、とあっさり引き下がった。見事な変わり身である。あの執着にも似た視線は何だったのか。
だがしかし、自席に戻ってからも尚こっそりとこちらを見ている気がする。なんだそれ、そんなに気になるのか。
それともこいつはただのコーヒーではないとでも言うのか?
何か思い当たったように、ハッとして堂上が口元を掌で覆う。
よくOLの話で聞くではないか、雑巾の絞り汁で淹れたお茶の話――――……。
想像してから慌てて首をぶんぶんと振る。まさかまさか!そんな漫画のような出来事、実際にあるわけが……。いや、しかし……いやいやいやいや!
だいたい郁がそんな陰気な報復を画策するように見えるだろうか?いや、ない。コイツがやるなら、正面切って全力で当たって砕けるタイプだ。砕けても更に粉々なまま襲ってきて、気管支炎になりそうだが。
マグカップに指を引っ掛ける。同時に喉が鳴った。
これしきの事で関東図書基地図書特殊部隊最年少班長たる自分が負けて溜まるか!死なば諸共、正々堂々と戦い青空を仰ぎながら倒れるもまた一興。散るならば見事に散ってみせるべき!
決意した途端、えも言われぬ力がこみ上げ、力強く柄を持ったかと思えば一気にコーヒーを飲み干した。
カッと見開いた目を血走らせ、まるで鬼のような形相で天井を仰ぎながら堂上は郁の淹れてくれたコーヒーを飲む。この間、思案に七分強、一気飲みに三秒を要した。
「どうでした?」
自分ではこっそり見届けたつもりである郁が頬を真っ赤にさせながら聞いてきた。堂上を放っておくのではなかったのか、自ら声をかけてきては意味がないじゃないか。
郁には偵察のようなデリケートな仕事は絶対回さないと固く誓った堂上だった。

さて問題のコーヒーである。

色はこの上なくコーヒーをしていた。郁の割には実にいい仕事だ。というか共有のコーヒーメーカーで入れているのたから当たり前か。
しかし。しかしその割には、味か違う。
「美味しかったですか?」
椅子ごと勢いよく移動してきた郁に押されて仰け反りつつも、若干引きながら何度も何度も頷いた。
すでに空になったマグカップを見る。底にはまだ斑にコーヒーのカスが残っていた。
確かに大安売りで売られているような安っぽい味ではなく、なんと言うか、こう……苦味とコクが強くて、鼻から抜ける香りもなかなかに個性的だった。癖になりそうな味はまるで――――。
「マンデリンです、わかりました?」
郁の助け船で目を見開き、合点がいったように嗚呼、と声を漏らす。
「コーヒーミルを副隊長に借りて自分で落としてみたんです。結構難しくて、何回も練習したんですよ!」
「なんで……」
日頃は鬼教官と避けて通る堂上に、なぜ郁がそこまでしてくれるのか。
コーヒー豆だって結構する。ミルも扱い慣れていないと手こずるだろうに。恨まれているなら心当たりは大アリだが、こいつにそこまでしてもらう意味がわからない。逆に困惑する。

なのに――――。

「え?だって堂上教官、今日がお誕生日でしょ?」

小首を傾げて不思議そうに、逆になんでと聞かれてしまった。
「……お前、俺の事が嫌いなんじゃないのか」
認めたくないけれど、それが事実だから仕方ない。
ぶすっとしながら呟くと、あ?、と腰に手を当ててため息を吐かれた。
「あのですねぇ、何子どもみたいな事言ってるんですか、小学生ですかイイ歳こいて」
「誰が小学生かッ!」
「アンタが下らない事言うからでしょうがッ」
「お前がそんな珍しい事したら、明日のお天気が心配じゃねーか!」
「槍も金槌も降りません、失礼千万です!」
大激怒させたが、普段が普段だから仕方あるまい。それとも警戒する方が失礼なのか?この図書特殊部隊にいると、何が常識で何が非常識なのか、たまにわからなくなる。
怒り全開で目を釣り上げていた郁も、しばらくするとやはりため息を吐いて眉尻を下げて肩を落とした。見るからに残念そうな様子に、堂上も片眉を器用に上げて様子を伺う。
「いくつになったって、お誕生日って祝ってもらえたら嬉しいじゃないですか。だからあたしも、常に怒鳴ってばっかいて口も悪くて人相も悪くて理不尽で」
「おい、喧嘩売ってんのか」
「売ってませんって!だから、せめてお誕生日くらいはお祝いして上げたら嬉しいかなって思ったんです。すいませんね、余計なお世話でッ」
もういいだろうと言わんばかりに、郁は堂上のマグカップを奪い取った。しかしそれを寸での所で引き止めると、振り返った郁と視線がぶつかる。
最後の方は吐き捨てるように。でももしかしたら涙の気配を含んでいたかもしれない。
堂上はコーヒーが好きだなどと言った覚えはこれっぽっちもない。それでも毎日飲むから。もしかしたらたまに味の濃い薄いぐらいは言ったかもしれない。

それだけなのに。それだけなんだけど――――。

他人の誕生日を祝うだなんて、なんて郁らしいのか。堂上には全くもって思いつかない発想だ。何かしらのプレゼントを贈るのならば、尚のこと。
例えば特別なコーヒーを淹れてみようと思った時、コイツはどんな気持ちでどんな表情で豆を選んでくれたのだろう。
……たぶん、今目の前でふとした衝撃で泣き出しそうな顔ではなかったはずだ。


「――――もう一杯」


気づけば言葉が飛び出していた。

「え?」
「だから、もう一杯。飲みたい。――――淹れてくれないか」
その途端、萎れた花がみるみると生き返ったように郁が笑顔を取り戻すと、嬉しそうに大きく頷いて急いで給湯室まで走っていった。
その後ろ姿を見送りながら、己の胸の中でひっそりと開こうとする幼い蕾に気づかないふりをした。
いつもならば必死になって押し込めて隠そうとするけれど。




あの顔を見たら、少しぐらいは陽にあててもいい気分になった。




誕生日が嬉しい年頃でもないくせに。
だが今年の冬が寒いだけじゃないように思えるのは、きっとアイツのせいなんだろうな……。


ゆっくりと瞼を閉じる。
今はその内側を満たす暗闇に、幾万もの星が輝いていた。





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