その気持ちは唐突に。 「……」 携帯電話を新調した後、早々に後方支援部からカスタマイズされたばかりの物を眺めながら、ふと、メールを打ちたくなった。 寝転んだままかざす平坦な機械。流行りに乗ったわけではないが、郁に勧められて決めたスマートフォン。黒が勝ち気味のガンメタリックの本体にシースルーカバーをつけた、ただの長方形。プッシュボタンがないと落ち着かない自分を一先ず置いといて、画面を起動させた。 画面全体が起動とともに明るく動き出す。そして最初から内蔵してあるアプリ一覧。要は訓練の時に、フォーメーションチェックなどで使うタブレットと同じなのだ。わかっている、わかってはいるのだが――……メールはどこで起動させるんだ? スマートフォンに紙の取扱説明書などなかった、今時はそうなんだと。なんとなればご老人方に勧めるらくらくフォンなど、不親切極まりないじゃないか! もちろんまだご老人の域に達しない堂上であるからして、意地でもなんとかしなくてはならない。 そうだ、小牧なら……いやいやアイツにこんな事で頼ったら、笑いで腹がよじれて役に立たなくなるだろう。しかも微妙に腹が立つという確信もある。 なら手塚は……手塚なら快く手ほどきしてくれそうだ。ついでにアレやコレやと設定もやってくれると思う、基本がいい奴だからな。やってくれるだろうが――――なんとなく嫌だ、止めておこう。年上の矜持という厄介なものがあるんだ……。 「……これか?」 ようやく封筒のメールマークを発見してタップ。するとメーラーが立ち上がって、はてこれからどうすればいいのか。 新規メールを選択、しかし電話帳は――これか。っていうか、わけわかんねー! 「こんな不親切設計、誰が喜ぶんだ」 胸の中で半泣きになる。だが郁にメールを送りたい。早々にメールを送ったら、きっとあいつは、 「買ったばっかりなのにもう操作出来るなんて、さすが堂上教官ですね!」 とか言うんだ。見える、マジで、絶対。そんな単純な事ですぐに感動とかする所も、郁の可愛いと思う部分で。 すでに、なぜ彼女にメールをしたいと思ったのかさえそっちのけで、堂上はどうにかこうにか郁のアドレスを探し出した。 「手間かけさせんなッ」 ひとり部屋の難点は、独り言の頻度が高くなる所である。 とにもかくにもメールの作成に取り掛かった。 タイトルとか、いるか?だいたいにして、今日の門限ギリギリまで会っていたのに。つまりつい先程まで顔を合わせていたのだ。 止めよう、改めて挨拶するのもおかしな気分だし――うん、シンプルイズベストが自分らしい。 「つーか自分で言うな」 ひとりツッコミとか、ホントひとり部屋は危ないな、早くふたり部屋に移って住みたいもんだ。 『もう寝たか?明日も早いから、ちゃんとねれら』送信。 「わッ、アホか!」 操作を間違って、打ち終わる前に送ってしまった。なんたる事か。 しかし返信は即座に返ってきた。 慌てて開けば、 『ねれらって(笑)』 と言うもの。受け取った時に苦笑した彼女の苦笑いが、苦もなく想像出来た。 「――ッ」 想像の中の彼女の可愛さに浸る間もなく、堂上の携帯電話が次なるメールを受信する。また郁だ。 『そう言えば、付き合ってから初めてのメールですね。嬉しいですヽ(*´v`*)ノ』 気づいたか。しかも嬉しいとか可愛い事を素で返してくんな、ニヤけるから。 すかさず堂上も返事を打つが、いかんせん不慣れが先立ってなかなか文章になってくれない。 まかりなりにも図書隊員なのに! しかし郁は、堂上の返信が完了するまで辛抱強く待っていてくれるようだ。穏やかな沈黙が心地いい。 「ん、と……こうして……」 『今日は買い物付き合ってくれて、ありがとn』送信。 「とn、てなんだ!」 思わず叫んでしまった直後に、折り返しのメール。 『とn(笑)可愛い!?(??ε ??)?』 「可愛いのはお前だバカッ」 あまりに恥ずかしくてベッドに突っ伏せば、更に追い打ちをかけるような受信音が鳴り、肩が跳ねる。 恐る恐る、メールアイコンをタップ。 薄目で内容を確認していた堂上は、その一言を二度見した後、どうにもこうにも堪らなくなって布団に顔を押し付けた。湧き上がる甘さとかひとりでいると持て余す衝動とかが分厚い胸の奥からぐるぐると混ざりあい、痛いくらいに突き上げてくるそれに身悶えしてベッドの上でのたうち回る。そのうち無残にも左肩から転げ落ち、しゃがみ込んで今度は激痛に身悶えした。 いや、このぐらいの痛さでなければ郁の攻撃は相殺出来ないんじゃないか? メールにはたった一言、 『堂上教官の全部が大好きです!』 ストレート過ぎてかわす間もなかった。ずどんと伝えられた言葉は、堂上の心臓ごと心を鷲掴みにし、過剰な心臓マッサージで心拍数をかけ登らせる。 今までだって郁が気持ちを伝えてくれる場面は多々あったが、それはあくまで「汲み取って下さい」レベルの、言葉ではなくリアクションによるものがほとんど。恥ずかしがりで、己は女の子らしい仕草や甘え方が似合わないと心底信じている彼女だから、リアクションでも顔を真っ赤にして涙目になりながら訴えてくる。 それはそれで、必死さも仕草も、つまり堂上の為に頑張るやる事なす事全てが可愛いのだが、例えデジタル文字での「大好き」だとしても、その破壊力たるや核弾頭かと思わさられた。彼女の攻撃が殺傷能力高過ぎてツライ! そして、また先を越された。 思い返せば、告白の返事からして口づけで返している。あれは正直、郁からの告白に舞い上がり感情が堪えられなくなった結果なのだが、それにしてもがっつきすぎだろう。 あれからも堂上は言葉よりも本能を優先して入院生活を過ごしてきたように思う。思い出すと恥ずかしい。 おいお前、相手が恋愛初心者だと忘れてなかろうか、と。まあその初心者が懸命に堂上を受け止め応えようとしてくれるものだから、余計力が入った部分もあるが。 だがしかし、やはり郁とて言葉は欲しいだろう。いや、欲しいに決まってる。そして普段気持ちを言葉で伝えられない自分でも、メールでならば告げられるのではないか、と――……。 しかしいざ構えてみると、文字にするのも羞恥が滲む。ただ「好きだ」の一言を打つ事が、こんなにもハードルの高いものだとは。 しばしスマホを前に、腕組みをして悩む。いや、打てよ。何も長文打てと言われたわけでもないのだから、さっさと打てよ、郁が喜ぶから。なのに、どうして――……。 十分が経過した頃、突然着信音が鳴り出して思わず身構えた。すわ、何事か! しかし相手は郁で、慌てて着信許可を押せば、途端にしゃくりあげる声が耳を襲う。 『ど、じょ、きょお、か……ッ、ンッ』 全力で泣いている向こう側をあやすように、こちらも全力であやしにかかる。 「ど、どうした!どっか痛いのか?今日、なんか悪いモンでも食ったか?」 一番に食い物の疑惑が出てくるあたり、申しわけない。 『ぢがいまぶッ!』だろうな、ごめん。 「じゃあどうした?柴崎はそこにはいないのか?」 『じばしゃきはカンケーないですッそうじゃないでふッ』 「じゃあなんだ。……とりあえず深呼吸して落ち着け」 『じゃあなんでしゅぐ返信ぐれなかったんでじゅかー!』 「!」 これはどうやら斜め上に突っ走ってる気がする。そう思う一方で、泣きべそ言葉はどこぞの方言みたいで可愛いな、などと考えてしまうあたり、郁の可愛い探しを無意識にしてしまう堂上である。じゃなくて。 「それは……」 『急に好きとか言っでごめんなしゃいずいませんもう言いませんッ』 「バッ、落ち着け!」 もう言わないとか冗談じゃない! なんとしてもそんな事態は避けたくて、言葉を尽くす前に何を言えばいいのか詰まった。 きっとこういう場面に置いて一番効果があるのが、愛情のこもった囁きなのだろうが――。 「あ……」 『あ?』 嗚呼、言えない。 「――あ、阿呆」 俺が。 『アホって……、アホって!』 「ち、違ッ!それは俺の事で……」 『どーせあたしは阿呆な山猿でごじゃいますよッ、堂上教官のバカッ!』 「郁ッ!待っ……好きだから待てッ」 必死の叫びは無意識に口から転がり、言った本人もが驚いて目が点になった。いや、本心だけど。だがしかし。 携帯電話の向う側も息を飲んだまましばしの沈黙を要したようだ。ややあってから、詰めた呼気が動く気配がした。しかし言葉を音にするにはまだ。 その間堂上はと言えば、呼吸も忘れて郁の様子を全身全霊で探っていた。 なるほど、郁にしても思い切って打ったメールでの告白は、ちょっとの時間も待てないぐらい焦れて心臓に悪かったに違いない。こんな事なら矜持だ云々ぬかす前にさっさと同じ気持ちで嬉しいと伝えればよかった。 『……もっかい、言って?』 やがて発せられた小さな声音に怒気など含まれていない事をかぎとると、ようやく安堵の溜息を解く。もうダメかと思った、どうやっても手を離してやれないのに。 片手で顔を覆い、親指と中指でこめかみを揉みほぐす。それから一言、 「――無理」 『えー!なんでですか!一回言うも二回言うも同じでしょうがッ』 「喧しいわ!三十路の羞恥心考えろ阿呆ッ」 『またアホって言った〜!』 大袈裟に反論する郁だが、その声はすでにじゃれる気配しか感じられない。 それを感じてようやく堂上の口元に笑みが浮かんだ。 「なんべんでも言ってやるわ」 最大級の愛情を込めて。 「だからずっと聞いててくれ、この阿呆」 |