突然の出張、そして突然の暴風雨。いや、台風が来ることはわかってはいたが、まさか予測進路をあざ笑うかの如く出先にぶつかってくるとは思わなかった。

 只今郁と堂上は関東図書基地を離れた先で、全身濡れ倒した上に、急遽宿泊を申し入れた旅館の部屋で途方に暮れている最中だ。






「とりあえず布団は別々に敷いてもらったからな」
 横殴りの雨と風にすっかり冷えきった二人は宿につくと、用意された部屋に度肝を抜かれつつもまずは身体を温めることが先決と、それぞれ大浴場で一息ついた所だ。

 問題はこれからで。

「あの・・・すいません、堂上教官。あたしがちゃんと確認しなかったばっかりに」
「・・・・・・いや。もう過ぎたことだ、今日は早めに寝て明日に備えるぞ」
「はぁ」
 気にするなと言いつつも、腕組みをしながら浴衣で胡座をかく堂上の眉間にはいつも以上に深いしわが刻まれている。それを見た郁はますますシュンとなって肩を落とすのだ。
 本来であれば今日中に帰路につく予定だったのが、予想外の台風で交通経路は完全に麻痺し、駅の観光案内で教えてもらった宿に飛び込んだ。そこで予約を入れた郁の言い間違いか宿側の聞き間違いか、通された部屋は二間続きの和室で。さすがにつき合ってもいない妙齢の男女が同室はまずいだろと他の空きを聞いてみたが、みな暴風雨に考えることは同じだったらしく、この部屋しか空いていないという。

 そんなわけで、せめて襖を隔てた向こうとこちらに布団を敷いてもらった次第である。






「じゃあ、あの・・・おやすみなさい、教官」
「ん。ゆっくり休め」
 ぱたりと閉まった襖を見やりながら、我知らず堂上は深い深いため息を漏らした。
 荷物の中身もびしょ濡れのせいで浴衣を着ている郁は、いつもの制服や戦闘服と違ってなだらかな身体の線が目に痛く、正直早く寝たかった。疲労も勿論ある。しかし身体は疲れているのに神経が高ぶっているのは、きっと郁に対する気持ちの蓋が揺らいでいるせいだ。
 部屋の電気を落としてもそもそと布団の中に潜り込むも、睡魔はなかなかやって来ない。それどころか襖の向こうの僅かな身じろぎや息づかいが気になって、目は冴えるばかり。




 ―しっかりしろ、堂上篤!



 自分を叱咤して寝返りを打った時、不意に襖を控えめに叩く音がして。
「・・・起きてますか?教官」

 仕切で隔たれた向こうから聞こえる声はか細く頼りなく、いつもの快活さがない分、堂上の心をざわつかせる。

「何した?」
「何したって言うか・・・布団、襖にくっつけていいですか?その・・・一人は心細くて」
 柴崎と同室に慣れた郁にとって、初めての場所での孤独は耐え難いのだろう。もしかしたら恐がりなアイツは出もしない幽霊に怯えているのかもしれない。
 いいぞ、と二つ返事で返すと、わたわたとした気配だけで襖の向こう側の表情すらわかってしまいそうな自分に苦笑し、堂上も自分の布団を襖ぎりぎりまでくっつけた。


 どんだけなんだ。蓋をしているつもりになって、その実そんな物は端からなかったのかもしれない。


「教官は、眠れそうですか?」
「世間話をする程度には目は覚めてるな」
「教官と世間話って、あんまり繋がらないかも」
「じゃあどんな話題なら合ってるっていうんだ?」
「え〜っと・・・・・・やっぱり図書業務とか、訓練の話?」
「俺だって仕事を離れれば世間話のひとつやふたつだなぁ」
「そう言えば最近駅前に可愛い雑貨屋さんが出来てですね」
「おいこら。俺がンなメルヘンな店に行ったらホラーだろうが」
「妹さんにまた頼まれたり」
「全力で断る!」
「え〜、意外と似合うと思いますよ?」
「あほぅ、お前の方がよっぽど似合うだろうが」
 言った瞬間、襖の向こうで息を飲む気配を感じた。こんな事ぐらいで動揺するな。
「可愛いもの、好きだろうが」
 そしてそれらに囲まれる郁が可愛いのはすでに実証済みで。
 今、顔が見たいと思った。きっと夜目でもわかるほど頬を真っ赤に染め上げ、大きな瞳を恥ずかしさで潤ませているであろうその顔を。
 戦闘職種の大女がどうした。他の女よりも細い癖に、他の女よりも無垢で純情な癖に。その心根はなによりも清い癖に。
 寝落ちた郁を背負う度に感じる体温と柔らかさ、鼻をくすぐる甘い香りに幾度となく胸が高鳴った。当初確かに感じていた迷惑などいつの間にか使命感にすり替わり、最早誰にもあの役を譲るつもりなどなくなっている。
 触れないように細心の注意を払ってきたはずの努力はあっさりと瓦解して、頼れるのは綱のような頼りない理性のみ。厳重に閉じた箱はその実プレハブのような急拵えの雑なもので、再会したあの面接の時からすでにいろんな物が染み出して、今にも溢れそうだ。
 囚われる気はないとしながらも、それは呆気ない決意だったらしく。今度は郁を捕まえたくてしょうがない。捕まえて、閉じこめて。その目に映すのは堂上だけであれと。



「・・・堂上教官」
 吐息のような、微かな問いかけに返事を返す。
「今から、寝て下さい。てか、寝ぼけて下さい」
「なんでだ」
「だから寝ぼけて!今からあたしが独り言で何か呟いたとしても、それは寝ぼけの中で聞いたって事で綺麗さっぱり忘れて下さい」
「んな都合よくいくか。・・・まぁ、内容にもよる」
 コイツがなにを喋ろうとしているかなど内容がどうであれ、聞き逃す気など毛頭ないが。
「えぇ〜と・・・その、ですね」
 お前独り言の癖に言い淀むのか、と心の中で突っ込む。無意識のだだ漏れなら、どうでもいい事をつらつらと呟ける癖に。だからこそ、素直な気持ちを聞けるともいうのだが。
 あ〜とか、う〜とか。いくつも唸ったあと、急に静かになったものだから襖の向こう側に神経を集中させる。寝落ちたか?
 そんな事を思っていたものだから、突然投げつけられた爆弾を受け取り損ねた。



「・・・好きだと思うんです、教官の事・・・」
「・・・・・・ッ」


 心臓、潰された。そのぐらいの衝撃。


 何の脈絡もなく攻撃された堂上は反射的に跳ね上がり、まじまじと襖を見つめた。いくらそうやっても穴が空く事などないのに。
「・・・ここ、開けていいか?」
「ダメです。今、顔見れない・・・」
「アホウ」
 ぐっと襖に手を掛けた。「俺が見たい」




 すらりと僅かな音を立てて開けたその向こうにこちら側に横向きのまま寝転がっていた郁の、その顔の横に手を突いて上から覆い被さるように見下ろす。
 常ではあり得ない構図。いつもは見上げるばかりの女の顔は酷く弱々しく泣きそうで、空いている方の手でそろりとまろい頬を撫でた。
「きょ・・・」
「なぜ、今なんだ」
「だから、独り言ですッ、寝言です!」
「ンな誘った寝言、聞き逃せるか!」
「・・・ッて、いっつも小牧教官とか手塚とかいて。こんな事わざわざ呼び出してまで言えないし、恥ずかしいし。今なら、顔見えないし襖で区切られてるから、いっかな、て・・・」
 最後の方は涙声で、堂上は溢れて流れる前に目尻のそれを唇で吸い取り舌先で舐め拭った。郁からこぼれ落ちるもの全てが、今や愛しいとはっきり言える。


「・・・煽るな、バカ・・・」
「あお・・・?」




「俺もお前の事が好きだから。もう泣くな」




「嘘・・・」
「嘘言ってどうする。寝言じゃないからな?」
「ホント、に?」
「・・・もういいから、黙れよ」
「ん」
 薄く開いた唇に己の物で蓋をした。何度も何度も重ねあい、ここから想いがこぼれないように。






 もう蓋はない。


 代わりにこの気持ちがどこかへ逃げてしまわないように、口づけで蓋をしよう。







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