あの日、の検閲日の妄想
終業のベルが鳴った途端、郁は勢いよく席を立った。
終業五分前にはすでに勉強道具一式を鞄に詰め込んで、今か今かと姿勢を低くして窓の外を見ているだけだったので、その動きはスムーズだ。
「あ、笠原〜!カラオケ行かなぁ〜い?」
「ごめん、今日ちょっと用事あるっ!」
友達の制止を振り切り、出来うる限りの早歩きでスタスタと廊下を進む。走ってはいけない、学校の規則を律儀に守るあたりが郁の郁たる可愛らしい由縁だとは本人は気づかないが。






夏に部活を引退してからも、郁の放課後は続けて陸上部にあった。
スポーツ推薦枠で何校かのスカウトが来ているが、郁の意向と顧問との話し合いですでに進路校は決定している。そしてスポーツ推薦を受けられるからと言って、その上に胡座をかいていてはいけないのだ。
日々のたゆまぬ努力、それが今までの郁を作ってきたのだし、これからの郁の礎になっていく。

だが今日この日だけは、個人的理由で練習を休んだ。けがでも病気でもなく、ただ一冊の本の為に。

子どもの頃から大好きだった童話の完結巻が十年ぶりに出版されることになったというのだ。その事を知ってどれだけ興奮したかわからない。
しかし気がかりが一つ。
その本の出版を知らせるサイトに載るということは、限りなく良化委員会で厳しく取り締まる「好ましくない」文言が入っているという事。それは出版と同時に良化隊に真っ先に狩られてしまう恐れがあるという事だ。
だが検閲は都心部の大型書店から行われるから、まさかこんな田舎にまでは即日来ないだろう。田舎の、更に小さな個人店に行けば、もしかしたら手に入るかもしれない。




そんな甘い考えを抱きながら、昇降口でもどかしく靴を履き変えている所で声を掛けられた。
隣のクラスの・・・名前は。
「もう帰んのか?今日は走んねーの」
「あ〜、うん。今日は本屋さんに走んなきゃでさ!」
「なんか欲しい本の発売日なんか?・・・・・・もしかして、童話?」
足下に視線を落としていた郁が勢いよく顔を上げたものだから、相手は少し吃驚しながらも笑いながら言う。「やっぱり?」
「やっぱりって・・・・・・あんたも好きなの?あの本」
「小学校の時読んでたんだぜ、これでも文学少年でさ」
「またまた」
郁の記憶によれば、この同級生は中学の頃から野球部だったはずで。でも自分の事を振り返って、それってやっぱり偏見だよね、と思い直した。
すっくと郁が立ち上がっても相手の方がまだ若干高い。野球をやっていただけあって体つきもがっしりしていて、頼りがいがあった。
ホンの少し、血の巡りが早くなってとしても。それはまだ恋と呼ぶにはまだ早い。
「これから買いに行くのか?」
「ん。検閲入って読めなくなるの、ヤじゃん!」
「俺も一緒に買いに行こうかな・・・・・・」
「え?」
頭をかきかき、靴を履き変えている。その様子をぼうっと眺めながら、放課後に男子と一緒に下校など、なんて恋愛レベルの高い事をさせるのだ、いやいや、そういうんじゃないし!などと自分に突っ込みを入れた。
今まで部活で忙しかったのもあるが、男子生徒とタイマンで下校など夢見ることしか出来なかった。―タイマンと出てしまう時点で、郁の恋愛偏差値が見えてくると言うものだが。
もしかしたらちょっといい感じ?相手は体育会系で郁よりも少し背が高くて、顔は・・・正直好みかわからないが。
「あのっ・・・」
「ちょっとぉ〜!」
郁が声を掛けるよりも早く、横から険のある高い声にそれを遮られた。
声の主は小柄でふわふわな髪の毛を豊かに肩に乗せた女子生徒で、やっぱり隣のクラスの子だ。
そして悟る。ああ、やはり自分に恋愛などおこがましいのだと。
「今日は駅前に買い物つき合ってって言ってたじゃん!」
「そだっけ?ごめ、忘れてた」
「昨日の今日で忘れんな、ばかっ」
乱暴な応酬の中でも二人の親密さが伺い知れて、ちょっぴり取り残された気分にさせられる。
またな、と言って一緒に下校する二人の後ろ姿を見ながら、胸に小さなとげが刺さったような痛みを感じた。でもしょうがないよね、こんな可愛くもない足の速さだけが取り柄の大女だもん。もっと身の丈にあった生き方しなきゃ・・・。

緩慢な動きで校門を抜けると、二人とは反対方向に足を向けて歩きだした。





郁の住む街はいわゆる県庁所在地というものだが、その実栄えているのは駅前や中心地のごく一部で、その他はなかなか長閑な田舎だと思う。
それでもなるべく小さな書店をと探すと、結構な街の端っこにまで足を延ばさなければならず、交通手段の限られている高校生が行ける端などたかが知れていた。
バスの停留所を二つ乗り越し、降りてから辺りをきょろきょろと見回す。
確かこの先にも中堅規模の書店があったはずだが、念には念を入れて更に小さな書店を探したい。
だがうろ覚えの記憶力ではいまいちあてにならなくて、少しの間携帯で検索をかけていた時だ。



「すみません、ちょっといいですか?」



低いくせにいやにはっきりと聞こえる声。発声がいい。
声のした方を振り返れば、濃いグレーのスーツをやや窮屈そうに着込んだ大人の男性が立っている。大人と大きく括ったのは、郁にとって年齢がぱっと見で判断がつかないからで。実際は大学生かも知れないし、三十路を過ぎていたとしても納得しただろう。窮屈そうに見えるスーツも、よくよく見れば衣服の上からでもわかるほどの筋肉のせいであり、がっしりとした体格はしかし筋肉太りと言うほどでもなくバランスよくついている。
「なんですか?」
目を合わせようとして、その視線が郁よりもほんの少し低いことに気がつく。姿勢がいいせいか雰囲気のせいか、その人の背が低いと言うことにそこまで気がつかなかった。
「この辺りで書店を探しているんだが、どこか知らないだろうか?」
「本屋さん?・・・・・・もしかして、あのぉ、童話を買いに行くんですか?」
今日書店に用事がある人全てがあの童話に繋がっているとは思わないが、それでも聞いてしまう。それだけあの童話は素敵だから。
「童話?今日はなにかの発売日なのか?」
だが相手は知らなかったようで。心の中でだけ落胆する。そうだよね、そんなに都合がいいとは限らない。
「ううん、なんでもないです!本屋さんですね。この近くなら、そこの角を曲がってしばらく行くと家具屋さんがあるんですけど、その隣にちょっと大きめなのがありますよ」
自分は他の書店に行くけど。
「そうか、ありがとう」
相手は口の端だけ僅かに上げるだけの微笑みだったが、なかなか魅力的な笑顔だ。それまでがどちらかと言えば仏頂面だったからかもしれない。
それじゃあ、ときびすを返そうとした時。
不意に頭の上に大きな手が乗って。
それが数度柔らかく跳ねた。
大きく目を見開く。男の人にそんな事をされた記憶などない。いつも背が大きいのは自分の方で、いつも頭を撫でて慰めるのは自分の方で。
しかしこの人は自分の方がきっと郁よりも小さいのに。



まるで女の子にするように優しく頭を撫でてくれた・・・・・・。



「君は本が好きそうだな」
「っ、て、え・・・・・・と。似合いませんよね?」
「本好きに似合うも似合わないもないと思うが」
先ほどよりも余程甘く、柔らかな表情で彼は小さく笑った。



「君が本を好きだという気持ちが、ずっと続いてくれれば、それでいい」
「・・・・・・っ」



彼の言葉が胸に響く。彼が手を振って去っていったあとも、しばらく郁は立ち尽くしていた。



結局当初行った書店に目当ての童話はなかった。小さすぎて流通が行き届かなかったのか、発売や売り切れの札さえない。店員に聞いてもみたが外れた。
ひとつため息をこぼしながら、しかし郁の胸はドキドキしている。
この近辺で書店を訪ねるならあと一件、先ほどの彼に紹介した所だけで。
もし今行ったら、まだいるかな?しかし顔を覚えていない。覚えているのは少し背が低いことと掌が大きくて温かかったことくらい。それでもまた逢えば、わかるはず。



そんな仄かな期待を胸に持ちつつ向かった先で検閲に出くわすなど予想だにもしなかったが。
まさかそこで運命の王子様となる彼に逢うなどとも思っても見なかった。






すべては運命の予定調和。











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