それはもしかしたら無意識に気づかないようにしていたのかもしれない。
 だけれども一度気にするとどこにいてもソレを感じてしまう。




 例えば玄関で。
 例えばリビングで。
 例えばクローゼットで。
 例えば、寝室で・・・。




「笠原さんどうしたの?顔色冴えないけど」
「小牧教官・・・」
 出勤先の事務室で声を掛けられて一瞬視線が泳ぐ。
 先に出勤してきた堂上は朝一で防衛部との打ち合わせでいないと言っていたのを思い出し細いため息を吐き出すと、それを見咎めた手塚も眉を潜めた。
「お前が悩み事とか、似合わないからやめろ」
「堂上との事で悩み事があるんなら、まだ戻ってこないから先に言っちゃいなよ」
 なにしろ特殊部隊名物のオシドリ漫才夫婦だ、下手に一方が沈んでいると隊全体の調子が狂うと言うもので。特に結婚してもう何年にもなるというのに郁は相変わらず特殊部隊のお姫様で、その郁が目に見えて挙動不審に落ち込んでいると士気にさえ関わってきそうな勢いなのはあながち冗談とは言えないところである。
「でも・・・」
「堂上にも言えない?っていうか、堂上との事が原因?」
「ッ!」
「もし喧嘩でもしてるなら、早めに言っていいんだよ」
 婚約前の一ヶ月に渡る冷戦期間はいつまで経っても語りぐさで、頑なな郁と郁に甘すぎる堂上を語る上では最早欠かせないエピソードになっている。しかし同時に周りにも相当なダメージを与えていたあの一件以来、特殊部隊面々の中でこの二人が仲違いをしそうな兆しが見えたら全力で阻止し、修正を施す方向に持っていくというのは暗黙の了解になっていた。
 身の置きどころに困るような喧嘩をされるよりは、砂糖菓子を無理矢理食わされるような夫婦仲を見せつけられる方がよっぽどマシである。
「お前またなんかやったのか?」
「なんであたしがなんかやらかした前提なのよ!?」
「日頃の行いを胸に手を当てて思い出してみろ」
「失礼なッ、ない胸は余計だっつの!!」
「・・・とりあえず被害妄想か?」
「まぁまぁ、手塚も笠原さんも。そんな事よりまずは堂上との事でしょ。早く話しちゃわないと帰ってくるけど?」
 時計を確認すれば始業時間まで残すところあと十分をきっている。
 ゴクリと唾を飲み込んだ郁は、ようやく観念したように眉間に旦那譲りのしわを寄せて話し始めた。












 最初に気づいたのは洗濯機を回す前。
 色物の選別をしている時に鼻を掠めたかぎなれない香りに首をひねる。
 普段堂上はコロンの類をつけてはいない。香りを身にまとう職業でもないし、唯一は整髪剤の残り香くらいなものだから酷く違和感を覚えた。
 ―不快と言えば不快。
 しかし洗濯をしてしまえば洗剤がそれを綺麗さっぱり洗い流してくれるものだから、その時はそれで終わったと思っていたのに。



 日が開かないうちに同じような香りをリビングで感じてしまったのだ。いつものようにソファに座りながら堂上にもたれていると・・・する、あの香り。
 一度気になれば家中のどこででも香る気がしてどうしようもない。
 完全にプライベートなクローゼットの中やベッドの中で嗅ぎとると、もうダメだ。


 

 まさか、どこかで知らない女性とでも逢っているのだろうか?



 堂上に抱きしめられてもつきまとう香りが郁を苦しめ、堂上を拒絶させる。自分の知らない見知らぬ香りを身にまとう夫にどうしたらいいのかわからない・・・。
 しかしそれを堂上に問いただすことが出来るほど、郁は強くもなく自信がなかった。













「確かに気になるなぁ・・・。でもどんなに疑っても、課業も残業も終わったら、アイツ官舎に直帰してるんだよね」
 言外に浮気の可能性を否定されて押し黙る郁。もちろん何年経っても変わることのない堂上の愛情を疑うのは馬鹿げている。
 あの漆黒の瞳が常に郁だけを写してくれている事を知っていても浮気が一瞬でも頭を掠めてしまうのは、ひとえに郁自身の自信のなさのあらわれでしかないのだ。
「お前はもっと自信持てよ。堂上一正が簡単に心移りするわけないだろ」
「わかってる!わかってるけど・・・・・・」
 どれだけ時間が経とうとも、自分への自信など持てる気がしない。
「ねぇ、笠原さん。一度堂上に聞いてみたら・・・」
「出来ません!!それでもし、他の人の香りだったらッ」
「堂上一正に限って浮気とかはないだろ」
 そんなのわからない。人の心は一つところには留まれないものだから、そしてソレを止める権利は郁にはないと思っている。
「じゃあどんな香りなんだろう?」
 角度を変えて検証しようと小牧は言う。
 例えば女性ではなく仕事で長時間一緒にいる男性もののコロンの香りかもしれないし、意外とキツめの自然臭かもしれない。ひとりでは判断できなくても、三人寄れば何とやらだ。
「・・・そう、ですね・・・。はい、ちょっと思い出してみます・・・」
 そうして香りの特徴をあげ連ねていくうちに、どんどん小牧の顔が机にのめり込んでいく。しかも肩が小刻みに震えているではないか。
 こっちは深刻な話をしているというのに、上戸に入る意味が分からない!
「まじめに聞いてますか、小牧教官ッ!?」
「いや、ごめんごめん、笠原さんッ。っていうか・・・プッ」
「真剣に悩んでるのに〜!!」
「いや、誤解しな、で、ぐふっ!笠原さん・・・それ、それって・・・」
「え!?誰の香りだかわかるんですか?」
 身を乗り出す郁を手で制して、小牧はなんとか呼吸を整えた。


「それは、カレイシュウだね」


「カレーシュー?」
「そ、カレイシュウ」
 聞いた手塚がぶほっとむせた。ソレを怪訝な表情で見やる。
「うち、そんな頻繁にカレー作ってませんが?」
「やッ・・・!かさは、さッ・・・ぐっ、なんて予想通、り・・・!!」
「え?違うんですか??」
「お前・・・それ、漢字で書けよ」
「漢字?」
 まだわからない郁に、手塚が親切丁寧にメモ用紙にさらさらと字面を書き出す。


 『加齢臭』


 ―加齢臭・・・・・・。



「・・・ッ!?」
 ようやく郁が全てを飲み込むのと、堂上が事務所に戻ってきたのは奇しくも同時だった。





 それからというもの、事あるごとに気づかれないように堂上の臭いを嗅ぐ郁の姿が見られたらしい。
 ついでに言うならば堂上の思考をしばらく占めていたのが、手塚がメモに書き出していた「加齢臭」という文字だったという・・・。








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