その手が容赦ない事は知っている。

 拳骨を繰り出す手、間違いを指摘する手、本を愛でる手。







「喋ってる暇があるなら、手を動かせ!」
 今日も今日とて聞き慣れた怒号が飛んだのは、本日堂上教育隊が借りている大会議室だ。
 普段であれば教本を開いて座学の講義とした所を、本日の獲物は針と糸、もっと言えば傍らには各々の訓練服と業務用の制服が積まれている。それを眺めながら男性隊員達はうんうんと唸っているのだが、堂上は全く意にもかえさない。

 ちなみに今日の講義内容は「各自名前付け」という裁縫業務だった。





 自称・貧乏軍隊と己を呼ぶ図書隊だが、その内実はかなり倹約家である。

 人の手で出来る事は人の手で。

 図書館の企画はもちろん、それにかかる準備や諸々を業者に外注するなどとはもってのほかで、自らの手腕を信じて節約の為の努力を日夜惜しまない。掃除ひとつとっても館内館外寮内などはわざわざ割り振りしなくても隊員の業務の一環であると叩き込まれ、疑う余地もない。そんなことを外注して予算を発生させるくらいならば、新しい本を購入した方が何倍も建設的だし図書館としてしっかり機能している証だと思われている。
 そんな図書隊であるからして、各隊員の着用する訓練服並びに業務用制服の名前付けなど一文字いくらの刺繍を発注するなどという概念が端から抜けている。自分のものだ、自分で縫えばいいじゃないか。当たり前だ、仕方なくない。貧乏が悪いわけではないのだ。


 それにしたって。


 のそのそ針仕事をしている男性隊員は、みな一様に黙々と大きな体を縮こませちまちまと針仕事をしている姿は一種異様な光景であった。




「堂上教官!指がつりました」
「つっても死にゃせんわッ」
「堂上教官!目が霞んで手元が見えません」
「お前は内職に疲れたお母さんかッ」
「堂上教官!・・・実は祖父の遺言で針仕事はするなって」
「遺言なんぞに踊らされるな!線香上げてやるから遺言破っとけッ」
「堂上教官!!」
「ッうるさい、いい加減にしろッ!!」
 次々と沸いてくる不満に思わず堂上の声も荒くなる。吐き捨てるように叩きつけた言葉を追って振り返ると、眉間に少ししわを寄せた郁が立っていた。
「なんだ、何した?」
「あたしだとなんかしでかす前提なんですか!」
「確率と日頃の行いのせいだ。・・・なんだ」
「名前!」
「カタコトしかしゃべらないとは、さすが山猿なだけある」
「アホか、うっさいわチビッ!!」
 売り言葉に買い言葉、とっさに噛みついた郁の言葉を覆うように口元を手で隠したがもう遅い。堂上の眉間のしわを見ないように視線だけ明後日の方向にやるが、それも大きな片手で両頬を捕獲されればタコ口のまま観念して目の前の男を睨みつけるしか出来ないではないか。
「お前は図体も態度も、ついでに縫い目もデカいんだろ、どうせッ」
「んなひょとないれふよ!!」
 タコ口のまま抗議の声を上げ出来上がったばかりの縫い口をずいと堂上の目の前に突きつけてやれば、ようやく郁の顎を放して両手で訓練服を受け取る。
「・・・なんだ、まともじゃないか」
 当たり前だ。元々手先の器用な郁は、陸上をやっている時からゼッケンからなにから自分の事は自分で処理してきたので、力はいるがこのぐらいの裁縫はお手のものである。日頃座学では怒られてばかりいるから、こういう時くらいは鬼教官を感心させてみたかった。
 なのに。
「さすがに一応女だったか」
「はぁ!?堂上教官のよりもずっとずっと上手だと思いますけど?」
「これぐらいで調子に乗るなよ。日頃みそっかすなんだ、ひとつぐらいまともに出来ることがあってやっと人並み程度だろうが」
 褒めてもらえると思っていた所に暴言を吐かれて火がついた。ここで黙って引き下がれば女が廃る。
「わかりました!じゃあどっちが上手に名前縫いつけられるか勝負です!!」
 斯くて戦いの火蓋は落とされたのである。




 あてがわれた訓練服も三枚目に取りかかりながら、郁は横目で堂上の動きを時折追っていた。
 やや力の入った感じのする右肩の線から手首まで、一見戦闘服の上からではわかりにくいが筋肉が張りつめている。骨張った手の甲には静脈が何本も浮き、節の太い指が存外小回りを利かせて器用に針を動かしている。その、滑らかさに一瞬目を奪われた瞬間、


「ぁだだあああああぁッ!?」
 おろそかになった手元の針が力任せに左手親指を突き刺し、指先にはみるみると真っ赤な血の玉が出来、弾けて流れた。


「ち、血ぃぃいいいッ!!」
「アホか、貴様!よそ見してるからだッ!!」
 動転した郁の左手をとっさに堂上が掴むと、薄く唇を開いた状態で一時停止に陥ったが、気を取り直したようにすぐにポケットから純白のハンカチを取り出して指を包むと圧迫し始めた。
「痛い痛いバカ教官ッ!!」
「しばらくの辛抱だアホ、大人しくしとけッ!!」
 ぐいぐいと圧迫される左手親指と、大きな手のひらにすっぽりと包まれる華奢な自分の手を捕まれ、照れ隠しの代わりに耳をつんざく悲鳴を上げる。
 いい加減黙れと余裕が出来た左手一本で口を塞がれて、なんとか平静を取り戻そうとするも心臓は未だ全力疾走中だ。
 押さえられた指の強さだとか、その大きさだとか、口を塞いだ手の皮が厚くてタコだらけで・・・熱くて、何もかも委ねてしまえそうなほど逞しくて。でも針を動かす指は繊細な動きをする事を知った。
 全部が全部頭の中でぐるぐるして、郁の頬は知らず染まって。
 叫ぶ様子もないかと手を離し、怪我をした指先を何度も見聞して異常なしと判断した堂上が郁の顔をのぞき込んだその顔に言葉を失うほどに、郁の顔は―。
「・・・ッ、何をしている!作業に戻らんか!!」
 慌てて人だかりに渇を入れ、解散させると自らもひとつ深呼吸してから郁の方を見もしないでぼそりと言葉をこぼす。
「とりあえず医務室言って消毒してもらって来い」
「・・・・・・言われなくてもわかってます」
 郁の方も気まずげにそっぽを向くと、不意に頭の上に大きな掌が乗った。堂上の手だ。
「・・・そんな顔するな」
 いつもなら「なんだその口のきき方は!」と怒号が降ってきそうなものを、柔らかく返されて郁の調子が崩れる。

 頭をなでる手が思いの外優しくて気持ちよくて、しかももっと触っていて欲しいだなんて、あり得ない。
「・・・ッ」
 そんな自分が居たたまれなくて、恥ずかしくて。逃げるように大会議室を出ていったものだから、その後堂上がどんな顔をしていたかだなんて知る由もないし知りたくもない・・・。


 




 その手が容赦ない事は知っている。


 拳骨を繰り出す手、間違いを指摘する手、本を愛でる手。


 でもそれだけじゃないって知ってしまった、魔法の手―――。



※   ※   ※



「あの時さ、」
「ッ小牧!おま、いつの間に・・・!?」
「咥えちゃえばよかったのに、指」
「んなアホな事出来るか!!」
「とかなんとか言っちゃって、一瞬口開いてたのどこのどいつ?」
「〜〜〜〜!」
「あんな顔は二人きりの時に見せてくれたら、十分だしね」
「・・・(誰かこいつを黙らせてくれたら百万払う)」










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