今日はせっかくの公休日で、更に言えば給料日なのに。当然の如く急遽休日出勤を命じられた堂上の眉間のしわは、きっと当社比でも五割増しで増えて深くなっていたと思う…。 昨日の夜、布団の中で次の日の予定を二人して立てていた。 久しぶりに映画でも観に行って、いくつかある行きつけのハーブティーの店でカミツレを飲んで。それから今時期池袋のサンシャイン水族館でバレンタイン企画をやっているから、それを見に行きたいと郁が言うから―…。 そんな計画を指を絡めながら楽しく予定立てしていたのに。 『悪いが、頼む』 玄田隊長だったら文句のひとつでもぶつけてやろうというところを、敵もさることながら緒形副隊長に申し訳なさそうに言われると二つ返事で了解と返す事しか出来なかった。 こんな時、理解のある出来た嫁は決まって笑いながら首を振る。 ―仕方ないよ、篤さんじゃないと出来ない仕事だもん。…あたし?あたしはどうせだから細かい部屋の掃除とかしようかなぁ〜。晩ご飯は何がいい?今日は時間いっぱいあるから、ちょっと手の込んだものでも作っちゃう?あ〜…味はあんまり保障出来ないかも、だけど…。 寂しいのを少しおどけて覆い隠してる事がわかんないとでも思うか、バカ。こっちだって最近残業続きだったし、いい加減郁不足なんだよ、わかれ。 だが年下の愛妻が我慢しているのに年上の堂上が不満を上げ連ねるのはささやかなプライドが邪魔をして、結局むっつりと口を真一文にしたまま玄関を出る事になった。 せっかく郁がネクタイを選んでくれたのに―。 せっかく郁が嫌な顔もせず送り出してくれたのに―。 せめて堂上が出来る事は、せいぜい書類を早く回してさっさと帰る事くらいだ。 堂上の机の上に積まれた書類とバインダーの山を苦々しく睨みつけながら、スーツのジャケットを椅子に引っ掛けて真っ白なワイシャツを腕まくりして気合いを入れた。 結局帰路についたのは普通に定時で上がるよりも僅かに早いくらいの時間になってしまい、外は既にとっぷりと夕焼けに染まっていた―…。 ―あいつ、1日なにやってたんだろうな…。 「今から帰る」とメールを送ると、速攻で返信が帰ってきた。「気をつけて帰ってきてね」 他愛もないそんなやり取りに胸がほっこりとする。 堂上の前を通りかかった先輩がにやにやしながら自席に戻って行ったが気にしない。自分の顔が脂下がっている自覚はあるが、それのどこが悪い。可愛くて仕方ない奥さんとのやりとりに下がらない脂なら売っぱらってしまえ! だいたいこういう甘い事が出来るようになるまでの年月を指折り数えたら、まだ足りないくらいだろ。むしろおおっぴらにノロケたっていいくらいなのだが、そこは郁が恥ずかしがって嫌がるから止めるとしたもんだろう。可愛がって甘やかせたい相手だからこそ、怒らせると後が怖い。 あぁ、だがしかし早く逢いたい。 たかだか数時間しか離れていなかったのに、この渇き具合は異常かもしれないが、郁に餓えている。頭が半ば公休仕様だったせいだ。 「お先に失礼します」 「なんだ堂上、もう上がりかよ」 「俺は元々公休なんですが」 「おぅおぅ、早く帰って嫁を可愛がりたいってか?」 なぜわかった! こういう事には異様に鼻の利く進藤だからかもしれないが、脳内猿状態とか見透かされたら流石に恥ずかしい。 内心の焦りを隠すように一層仏頂面になりながら、上着を着込んだ。 「頼むから子作りは計画的に頼むぞ〜」 「そうだそうだ、あれでも特殊部隊唯一の女性隊員なんだからな!」 「あれでもとか余計なお世話です!!」 「とりあえず計画する時ァ、隊に報告してからな」 アホか、そんな事するか!! 盛大に苦った表情に大爆笑されたもんだから、事務所のドアを思いっきり閉じて蝶番が緩んだとしても、それは仕方のない事だと思ってほしい。 そんな事を言われたせいか―…。 「おかえりなさい、篤さん!」 可愛らしく玄関に駆け寄ってきた郁の姿が・・・―いつも通りのTシャツに短パンの部屋着姿なのだが―身につけるエプロンの効果も相まって、なんだがなめまかしく見えたのは(決して裸エプロンぽいとかは思っていない!!)。 スラリと伸びた手足が酷く美味そうに見えたのは…きっと腹が減ってるせいだ。 おかえりとただいまのキスを交わしながらぎゅっと華奢な身体を抱き込めば、どうしたの?と頬を僅かに染めながら上目遣いで問うてくる。 そんな可愛い顔は堂上を煽るだけだと何度言ってもわからない嫁は、上目遣いの威力も知らないで更に小首まで傾げてきやがる。 「…今日、何やってたんだ?」 「ん〜?今日はね、午後から柴崎が半休だったから一緒に買い物行ってきちゃった!」 煽られた熱が柴崎の名を聞いて一気に下がっていく。 「………聞いてないが」 「言ってないし、急に決まったんだもん」 「だからってなんで柴崎とッ」 「午前中図書館に本借りに行った時決まったの」 お料理の本、と恥ずかしそうに視線を逸らす郁に、あぁ、と呻く。 まだまだ郁と堂上の料理の腕前は発展途上で、特に郁は分量がなかなか覚えられないからとよくレシピ本を借りてくるのだ。 晩飯は手の込んだものを、と言っていたから…しかしそのせいで魔女の搦め手にとられたか。問題は当の本人が無自覚であるというところだ。 「でね、柴崎がせっかくの公休日なんだから変わったコトしなさいって…」 お給料日だしね。 くふふ、と笑う郁は果てしなく可愛いが、その背後で糸を引く柴崎はとんでもなく油断できない事は身をもって知っている。 「とりあえずお風呂入ってさっぱりしてきて!今日は特別にナマだから」 …耳がダンボになったのは許してほしい。 ―今なんておっしゃいましたか? ―ナマとかなんとか聞こえたんだが? ―ナマって…生、だよな? ―生だからって…お前、誘ってんのか? いやいやしかしだ、背後にいるのは柴崎で。絶対堂上の事を罠にはめようとしているに違いない。 ―生だから…例えば? ぐるぐる考えながら風呂から上がると、案の定食卓の上には生、しかも瓶ビールが置かれているのを確認して堂上は小さくガッツポーズを決めた。 ―そらみたことか! 予想していた生ビールを郁がついでくれ、勝ち誇った気分でそれを飲み干す。 食卓には刺身が出ていて…そう、今度は生わさび、だ。 お次は生湯葉で…。 つまり、生尽くし。 THE・ナマ。 ほらな、備えあれば憂いなしとはよく言ったもんだ。 柴崎に唆されて用意したであろう無邪気な郁の繰り出すナマ攻撃に、繊細な男心がダメージなんぞ受けてたまるか!こちとら郁とつきあう前から程度はあれど幾度も煮え湯を飲まされてきたのだ、学習能力はついている。 いい気分で夕食を平らげ、いつものルール通り食器を片づけようとすると、篤さんは今日働いてきたから、と郁が笑顔でスポンジを泡立てる。 なんと出来た嫁であることか。 本来なら丸一日の予定を潰した旦那に文句のひとつでも言ったらいいのにそれもしない。寂しい思いをさせたはずなのに(柴崎と一緒だったから寂しくなかったとかは認めたくない)その片鱗も見せない郁の健気さに……ヤラレた。 「郁……」 そっと後ろから細い腰を抱くと、驚いた郁が慌てて振り返る。 「え?あ、篤さん!?ちょッ、どした…の?」 「……ベッドに連れてきたい」 「はぁ?や、ちょ!酔ってるでしょ!?」 「酔ってない」 「酔っ払いはみんなそぅ…やんッ」 「可愛い声、もっと聞かせろ…」 耳にかかる堂上の息が熱い。心地よい酔いのせいもあるが、それだけではない。 郁の布越しの桃尻に下半身の高ぶりを押しつけ、逃げようとよじる身体をがっちりとホールドする。 ―最初に煽ったのはコイツだから。 そう理由付けて首筋に唇を這わせれば、わかりやすく郁の身体が震え…と同時に水をかけられた。 「………」 「目、醒めた?」 「ここまでする事はないんじゃないか?」 「今日はだめ。てか、今日からだめ」 「なんでだ」 自分でも不機嫌がわかる声音になったとしても仕方なかろう。 愛妻と愛し合いたいと思う旦那が、どういう理由で水をぶっかけられなきゃならんのか是非教えてもらいたい。 「ぁ…〜……だから」 「は?」 「今日から、女の子の日なのッ!!」 「………………………は?」 「だから…生理きちゃったの!!」 一瞬意味を考えて…脱力した。ここまで煽っといてオチがこれとか、どんな罰ゲームだオイ! 「…いつから?」 「だから今日!柴崎と出掛ける前に…」 恥ずかしそうに尻つぼみになる郁の告白を聞きながら、深い深いため息が自然と漏れる。 確か予定では来週だったはずだが…ああ、だがしかし今月は初めて郁が出張に行く機会があって、ずいぶん精神的に疲れたと言っていたからそのせいでホルモンバランスが崩れたのかもしれない。 なにも生理になった郁が悪いのではない。寧ろ今後本格的に子どもを望む上で時期を計るものとしては必要なものだ。 ―だがなぁ〜…、 ちょっとは男の機微を悟れよ。 「…篤さん、ごめんね?」 「郁が悪いんじゃなくて…………ってちょっと待て。柴崎も知って…?」 「うん、知ってるけど」 「今日の晩飯は」 「柴崎オススメ」 今度こそ膝から崩れ落ちた。 あいつ、結婚してからもどんだけ俺らで遊べば気が済むんだ!? 生から始まるナマ尽くし。 最後の〆は郁の「生」理で終了… 「ッて、終われるか、アホゥ!生理明け覚悟してろッ!!」 「え〜!?あたしのせいなの??」 「郁が悪いんじゃない!可愛いのが悪いんだッ!!」 「????」 「つまりお前が悪いッ」 「結局かッ!!」 |