昇任試験の結果も出て落ち着き始めた図書特殊部隊の事務所は、その日もなんら変わる事なく通常運転状態だ。勿論堂上班も本日は内勤で、堆く積まれた書類をやっつけていた時―…。




「堂上いるか〜?」
 ばたんと大きな音を立てて玄田隊長がぐるりと事務所内を見渡せば、堂上が律儀に手を挙げながら立ち上がって応える。その眉間にはまたいつもの丸投げ書類を予想したのか、シワが深々と刻まれた。
「なんでしょうか?」
「お前、午後から病院行ってこい。堂上班、昼から半休やるから」
「はぁ?意味がよく…」



「先月にやった健診で、お前ひっかかったんだよ、肺。影があるっつーから、再検だ」



 玄田の言っているのは、先月図書隊で行った健康診断の事だと理解できる。一応地方行政の端くれである図書隊にも、一年に一度の健康診断は義務づけられているのだ。それにひっかかったという。


「…つーか、それって個人情報じゃないですか!さっさと診断書渡して下さい!!」
「再検の依頼は別口で部隊の方に来るからな。まぁお前達の診断結果は隊としても把握しとくのは当然としたもんだろう」
 そう言うわけだ、と言いながら堂上班分の検査結果の入った封筒を束で置いてさっさと玄田は隊長室へと帰って行く。
残された堂上はやや呆然としながらゆっくりと椅子に腰掛けた。
 今まで健康診断で悪い結果など出た事はなかった。当然だ。身体が資本の戦闘職種がいちいちひっかかってはいられない。いや、肝臓の心配だけはその酒量が酒量で若干あったが、今回は意表をついて肺ときたもんだ。
 知らずため息が漏れていたらしい。あの〜、という控え目な問いかけの声に振り向けば、心配そうな部下二人の顔とかち合った。
「堂上教官、大丈夫ですか?」
「ニ正、顔色が悪いですよ。なんなら今から医務室にでも…」
「いや…大丈夫だ」
 まだ年若い部下達は珍しくスレた所がない分純粋さ故の扱いづらさもあるが、そんなところも特殊部隊の末っ子として可愛いがられてもいる。
 そんな二人の心配顔に背筋が伸びた。―お前コイツらにこんな顔させてどうする?
「大丈夫だ。こういうのは所見ありってだけで、意外となんでもないもんだからな」
 それより、と付け加えながら目の前の書類を分類し始める。
「さっき言った通りうちの班は半休になるらしいから、今のうちにあらかた片づけとかないとな」
 もっとも溜まった書類はきっと午後にもなだれ込む量だから、小牧と手塚は昼からも出てきて消化するのだろう。優秀な部下を持つと楽な面もあるが、さて事務仕事で力を発揮できない方の部下をどうしてくれよう―…。
 最近は笠原もそれなりの速度で書類を捌けるようにはなってきたが、まだまだケアレスミスが多い事を考えると他の二人のように自分のいない間に出勤させて事務をさせるのは危険だ。却って仕事を増やす場面は避けたいが…。
 かと言ってあからさまにアイツだけ分けておくとおおいに拗ねる、絶対拗ねる。お前いくつだって顔で可愛らしく頬を膨らませ―…。

 ―待て今なんて考えた自分。

 だいたいアイツ自身が自分の事を戦闘職種の大女と言っているのだから、可愛らしいとか思ったら…嫌がらないか?つーか何考えてるんだ、お前。笠原は特殊部隊で筋骨隆々な猛者たちに揉まれた立派な図書隊員だぞ。本を守る事を使命とするアイツを侮る事は笠原に対する差別だ。ただこれはアホウでうっかりな部下を心配してるだけで、他意はない…つもりだ。
 例え小牧や特殊部隊のおっさんどもが幼稚な茶々を入れようが、ただ単に部下を慮っているだけなのだと声を大にして言いたい。誰にだ、誰かにだ。

「堂上」
「ぅおッ、と」
 あまりに色々考えていたせいで突然の小牧の呼びかけに思わず変な声を上げてしまった。全く、どこぞのうっかり部下じゃああるまいし…って、もうソレどっか行けッ!
「どうした?」
「いやさ、もう昼だから。俺達一旦上がろうと思うんだけど、堂上どうする?」
「そうだな…受付もあるから、俺は今から外出するか」
「俺と手塚は午後からも出るけど、笠原さんも?」
「それなんだかな…」
「俺考えたんだけどさ、班長が笠原さんの心配しながら再検行くのも気が休まらないと思うから、いっその事ついてってもらったら?」
「はぁ!?」
「ね、笠原さんも。堂上外科なら慣れてるんだけどさ、内科はからきしだから逃げないように見張っててよ」
「アホか貴様ッ!誰が逃げるか!!」
「笠原さんも心配だよね〜、堂上の身体」
「は、はいッ!激しく心配です!!」
 敬礼付きで返事をする笠原の顔は何故か真っ赤だ。なんだソレお前またそんな顔させて。
「子どもじゃあるまいし、一人で行けるわッ」
「まぁまぁ、じゃあお目付役お願いしたよ、笠原さん?」
「はいッ、小牧教官!」
 頼むから勝手に話を進めんなッ!




* * *




 内勤だったために制服から私服に着替えると、寮の共有ロビーで笠原と落ち合う。律儀に小牧の言葉を守るコイツもコイツだが、連れてく自分も大概だな…。
 昼飯を近場のファミレスで済ませ、意外と早く終わった検査結果を待っている間、待合いの椅子で並んで座る。
「お疲れ様でした、堂上教官」
「っても胸のレントゲンと触診だけだしな。帰ったら書類の続きでも片づけるさ」
「いっつも仕事の事ばっかりですね〜」
「うっかりな部下の分も働かにゃならんからな」
 酷い、と小さくひとつ堂上を叩くとその手を突いたまま郁が押し黙るものだから、不信に思った堂上が彼女の顔を覗き込んでどきりとする。
 それは今まで見た事がないような憂いを帯びた女の顔だった。お前どこにそんな顔隠してた。その表情に小さく胸が疼いたのは…気のせいだ。
 どうした、と問いかける声が掠れたのは―もう考えるな!
「だって、もし教官がこのまま入院とかなっちゃったら…」
「アホゥ、勝手に病人扱いすんな。大丈夫だから、心配するな」
「だって〜…」
 思い詰めたような眼差しに、言葉が詰まる。
 待て、何も考えるな。ただコイツは上官の心配をしているだけであって、これが小牧でも同じようにするだろう。だいたいコイツは自分の中の美化した王子様が一番大事なんだろうが。何を浮気なぞこいとるのか、想ったなら一途にソイツだけ想っとけよ…。
 ソイツが昔の自分だってのを棚に上げて好き勝手な事言ってんな、との合いの手は入れてくれるな。しかしそうでもしないと、どうにもこうにも自然と渦巻く自身の認めたくない気持ちが笠原に声をかけたくなってしまう。
「教官がもし病気とかでいなくなっちゃったら、あたしどうすればいいんですか…」
「……」
 間近で鳶色の瞳に見つめられれば、近づいた分だけ心臓が高鳴る。触れるか触れないかの肩の距離が・・・もどかしい。少し手を浮かせれば華奢な手などすっぽりと握り込めるだろう。
 ―ああ、だから。
 どうとでも取れる発言は止めろ。そっちはなんとも思ってなくても、こっちはそんな事言われたらざわつくんだよ、この胸の内が。目も潤ませんな、頬も染めんな、か細い声出すな。いっその事無表情で能面みたいな面で顔突き合わせてくれ。今日は特に病気の疑いかけられて弱ってんだ、そこに無意識に入ってきて柔らかい内面を撫でさすんな。そうでもないと―…。



「笠原…」



 一瞬ここが何処だとか他人の存在だとかが一切まるっと堂上の中で消えていた。



 そしてそれを引き戻したのは診察室からの自分を呼ぶ声で。
「教官、呼んでますよ!」
「…あ、あぁ…」
 危なかった、今一体何をしようとしていたんだ?
 やたらめったら笠原が儚く見えて、守ってやんなきゃいけない気持ちになって…っていうのは気のせいだ!
 ところが堂上を呼んだ看護師が郁の事を配偶者と間違えたばかりに、もう一度堂上の心臓はどきりと音を立てる。―いえ、違います!…今は、まだ…。
 診断結果を聞く前に大きく脱力する堂上だった。
「それでですね、堂上さんの場合なんですが」
「先生、堂上教官の具合はどうなんですか!?」
「アホゥ、お前が詰め寄ってどうするんだ!」
「だって〜、心配なんだもんッ」
「妙齢の女が“もん”とか言うな」
「…あの、いいでしょうか?」
 すいません!と二人して謝って神妙な面持ちで医師の話を聞き始める。
「堂上さんの肺の影なんですがね、これカビですね」
「「はぁ?」」
「いえね、たまにあるんですよね。カビ臭かったり埃っぽい所に長時間いるとですね、稀に肺に入り込むんですよね。たまに人体に影響のある種類もありますが、まぁ大抵は心配ありませんから。お勤めは図書隊?ああそれで」
「…」
 大丈夫ですよ、と太鼓判を押されて診察室を出た二人の表情は言わずもがな微妙だ。
 いくら図書館勤務と言えどそうそう毎日カビ臭い所で仕事をするものではない。だが心当たりならいくらでもあって、確か健康診断を受ける数日前に地下の古い書庫整理を担当していたはずだ。そして勿論いつものように郁に雷が何度も落ちたのは最早デフォルトで、恐らくその時大量に汚れた空気を肺一杯に吸い込んだ結果が今回の原因であろうと推測出来た。




「…え〜と、じゃあ身体に異常はなかったって事ですよ、ね?」
 器用な上目遣いで伺うように見上げてくる郁に若干の怒りを覚えたとしても許されるはずだ。
 いいだけ揺さぶりをかけやがった挙げ句がこれならば、相応の代償を支払ってもらわねば割に合わない。
「おい」
「は、はいぃぃッ!!」
「敬礼すんな、基地じゃないんだ。それよりこの後付き合え」
「え?あ、はぁ」
「こないだ言ってたカミツレ飲める店に連れていけ」
「え〜!?そ、そんな急に…!!」
「なんだ、駄目なのか?」
「いえ、あの。駄目って言うか…心の準備が…」
「ざまぁーみろ」
「え、ざまぁ?なんですかソレ〜!!」


 とりあえず懸案事項は片付いた。
 ならば健康診断で引っかかった原因の詫びと、煽られた礼はきっちり返すとしたもんだろう。笠原の手を逃げないように指を絡めて恋人つなぎにしてみれば、面白いようにコイツの顔が茹だっていく。
 馬鹿が、そう言う反応するから期待するんだろうが。





 この後二人がどうなったかは、また別件の話だ―…。






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