彼女に呼び出されて席に着いた堂上は、そういえば図書隊に入隊してから初めて会う事にようやく気がついた。暢気なものだ、放って置かれる女にしてみればたまったものじゃないだろうが、あいにくと彼女も新社会人になったばかりでこちらもようやく堂上と会う余裕が生まれた頃なのだろう。 元々図書大の同級生だった彼女はカリキュラムの過酷さに耐えきれずに2年の途中で大学を中退し、短大に入りなおした変わり種だ。堂上とは短大に入ってから街中で再会したのがきっかけでつき合うようになった。 小柄で華奢な彼女はこの春一般企業に就職したが、昔の知り合いからよく図書隊の事は聞いているらしい。 「お前にまで話がいってるとか、相当なんだな」 「篤は目立つからよ」 ふふ、と笑う彼女の恨み言のひとつもない優雅に微笑む姿に腑に落ちない何かを感じたが、しかしそれを追求するほど堂上は今彼女に構っている余裕はなかった。 「相手の何が気に入らないのよ?」 「・・・全部だな。本を守りたい崇高な理念には頷いてやってもいいが、行動も覚悟も全然それに伴ってない」 「あなたは理想が高いから・・・もっと気楽に考えられたらいいのにね」 「つーか、アイツの想いが真っ直ぐで強すぎるから、黙ってらんねーんだよ」 ぐっとアルコールを仰ぎながら吐き捨てると、彼女はふぅんと呟きながら箸の先で料理をつつく。 そんな事したらせっかく美味そうなのに勿体ないだろ、と言いかけて口をつぐむ。なぜか一瞬、アイツなら見ているこちらまで笑顔になるような美味そうな顔をして上手に食べるのだろうな、と思ってしまったからだ。郁の見事な食いっぷりは食堂のおばちゃんたちに大人気な程気持ちがいい。 「気になるのね」 「イヤでも視界に入ってくる。・・・まぁ、もう少しで配属も決まるからあとちょっとの辛抱だ」 「業務部?防衛部?」 「・・・確か防衛部希望だったと思うが・・・班が違えばそれほど関わり合いもなくなるだろうさ」 「篤がそんなに執着するとか、小牧君の時みたいね。・・・ううん、それ以上かも」 「大学の時と今とじゃ状況が違うだろ」 彼女と堂上の関係のように・・・。 隣に座る彼女からはそれほど密着している訳でもないのに香水の甘い匂いがして、実は先ほどから鼻がむずがゆい。きっとアイツは香水すら持っているかも怪しいな。こんな甘ったるい匂いの肌にはとてもじゃないが頬をすり寄せる気にもなれない。あの頃のようにもっと素肌のほのかな体臭だけで十分じゃないのか? しばらくご無沙汰だったのも思い出したが、とてもじゃないが今の彼女を抱こうという気にはなれない。覚え立てのガキじゃあるまいし、そこまで猿のようにガッツく時期は過ぎた。 細い指がたばこにのびる。以前は嗜まなかった喫煙はどこで・・・。 つき合うきっかけは今となっては覚えていないが、それでも今よりは好意を持っていたはずなのにそれを思い出す事が出来ない。 「・・・帰るの?」 無意識に上着をたぐり寄せる堂上の仕草に彼女が小首を傾げた。 「明日も訓練だしな」 「・・・最近キスしたの、いつだっけ?」 もう覚えていない。 「・・・したいのか」 「別に」 「キスとか、して欲しくてするもんじゃないだろ」 キスはしたい時にしたい相手とするものだ。少なくとも今は彼女とする気は起きない。 千円札を何枚かテーブルに置くと、彼女もそうね、と返すだけで席を立つ気配もない。 時間ももう遅い、しかし彼女を送る気にはならなかったし、彼女もまだ帰る気もなさそうだ。 春と言っても夜はまだ寒い。店を出ると無意識に襟ぐりをかき集めながら、夜空を見上げるとどんよりと曇っていた。まるでもやもやとして自分の気持ちさえつかめない堂上自身の心境のように・・・。 ※ ※ ※ 「・・・お前、笠原か?」 不意に聞こえた戸惑いの声は聞き覚えのあるそれで、慌てて目元を拭った郁はひとつ呼吸をしてから顔を上げた。 「堂上・・・なんで?」 すでに門限近い時間に基地から近いとは言え、御用達のコンビニを越えたこの公園にまで足を運んでくる隊員などほとんどいないと思っていたのに。 犬猿の仲の同期は相変わらず眉間にしわを寄せて仏頂面で目の前に立ち・・・郁がブランコに腰掛けているせいで珍しく見下ろされていた。 「・・・飲みの帰りだ。お前こそこんなところで女一人とか、何考えてるんだ」 公園の周りは薄暗く人気もほとんどない。園内の街灯も申し訳程度の点滅を繰り返す頼りなさで、まともな女性ならばひとりで夜に来ようとは思わないだろう。・・・だからこそ、来たのに。 「どうした」 「うっさい、放っといてよ。堂上に関係ない」 「関係なくても女一人でこんな暗いところに置いとくわけにはいかんし、門限も近いし・・・お前、泣いてるだろ」 バレていた。 目元は拭ったし顔もうつむきがちにしてあまり見られないようにしたのに。 「何した」 「あたしが何かした前提かッ!」 「お前の事だからな。・・・言いたくないなら理由は聞かんが、話してすっきりすることなら聞いてやる」 「・・・・・・」 どうしてこう言う時に限ってこの男は優しいのだろうか、表情は仏頂面なのに。 だが表情とは裏腹に堂上が優しいのを郁は知っている。いや、知っていた、顔をつき合わせ始めた当初から。だから郁はなんの遠慮もなく堂上に突っかかる事が出来たのだと今ならわかる。 裏表のない優しさだから、却って安心してぶつかっていけたのだ。 だから、郁が口を開くのにそれほど躊躇いはなかった。 「・・・うちね、親が図書隊に入るの、めちゃくちゃ反対してるんだ」 「女性隊員の約七割の親が図書館員になる事に否定的だという調査結果だな」 「ナニソレ」 「図書大入学時の生活環境調査による報告だ。そのせいもあって女性館員は入隊数も少ないし、入隊後の離隊理由も結婚が三割、転職が二割、あとは家庭の事情によるものがほとんどだという」 「そうなんだ〜・・・」 「だから、一応女のお前が親に入隊を反対されていたとしても不思議じゃない」 「一応は余計!!」 ぶぅ、と頬を膨らませて睨みつければ、堂上もふ、と表情を緩めた。ああ、こんな時にその顔は反則だ。もっとすがりつきたくなるじゃないか・・・。 「・・・泣きたいなら見なかった事にしといてやる」 そのまま無造作に頭を寄せられて郁は堂上の上着にすがりつくように顔を埋めさせられたが、上着に染み込む微かに漂う甘い香水の香りに手を突っぱねた。飲みって、女の人と・・・彼女と? しかし結局は男の力に敵うわけもなく、抵抗を失くした郁の頭を堂上が柔らかく包み込んんだ。 「・・・彼女に悪い、こんな恰好」 「構わん。あと五分だ、門限ぎりぎりまではつき合ってやる」 「・・・上から目線だな、テメー」 「人の上着汚しといて何を言う」 「・・・・・・なんとも思わないの」 「ああ、別に」 ぶっきらぼうな言いぐさが心地いいだなんて、相当だ。 確かに泣いているところなど誰にも見られたくなかったからこの公園にひとりで来たのに。 寄り添ってくれる存在がこんなにも嬉しいだなんて。 ゴメンナサイ、カノジョサン・・・。 堂上の彼女への詫びを心の隅に追いやって、嗚咽を止められない郁はそのまま両手でしがみついた。 親からは再三再四帰郷するように、そこで就職するように言われ続けていた。女の子は女の子らしく、親の手元で育って結婚すればいいだなんて母親の言葉は郁にとっては鎖でしかない。反発したから図書隊に入った訳じゃない。郁には郁の入隊しうる確固たる理念があってこの仕事を選んだのだから、それは絶対譲れないのに・・・。 親子という切れない絆で繋がっているが為に、母親の矢のような言葉はかなりの殺傷能力をはらんで郁の心を傷つける。避けても止めてくれはしない、だから逃げてしまう。 次第に疲弊する自分の気持ちはどうすればいい・・・? 「・・・別にどうもしないだろ。笠原は笠原の信念をもってこの仕事選んだんだろが」 「あた、し・・・だだ漏れ・・・」 「人間愚痴を言わんヤツなんざいない。溜めるよりは吐き出しちまえ」 「やだ・・・やだよ、そんなの弱いヤツじゃん」 いやいやと頭を振る郁に、堂上はくっと頭上で笑って答えた。 「弱くてなんぼだろ、お前。強がんないで、仲間を頼れよ」 思いがけない言葉に弾かれたように顔を上げて出会ったのは、柔らかい表情の堂上で。 「・・・タイムリミットだな。ほら」 差し出された手は無骨で硬くて、そして郁の手よりも大きかった。 ぎゅっと握られ立ち上がる。 でも、ぎゅっとされたのは手だけじゃないかも、と火照りそうになる頬を隠しながら思ったのは、誰にも内緒だ・・・。 |