―0930、武蔵境駅集合。
 色気もへったくれもないメールでも、その相手が堂上であれば心拍数が跳ね上がってしまうのも許してほしい。






 長く続いた堂上の見計らい権限行使に対する査問会がようやく終了したのは先々週の事、すでに郁と堂上の交際期間は5ヶ月を迎えていた。季節は冬である。
 つき合い始め特有の甘い二人であるかというとそうではなく、査問期間中に査問対象者たる堂上と現場に居合わせた郁の交際が明るみに出れば心証が悪いというのが小牧と柴崎の言で。そのおかげで二人の逢瀬は専ら偶然を装ったコンビニの行き帰りか携帯での通話とメールがせいぜいという、中学生も真っ青な清い交際を続けていた。
 そして今や別々の班で公休日もずれる中、ようやく初デートの約束を取り付けたのが先週の事、それから今日まで指折り数えながら可愛い彼女(はーと)を目指して柴崎に指導願ったのは恥ずかしいから誰にも秘密だ。



 ―なのに、なのに!
 息を弾ませながら外出用の華奢な時計に視線を落とすと、約束の時間はゆうに越えていて。急いでいるのに履き慣れないスカートが脚にまとわり、踵のあるブーツが郁の歩みを阻む。
 ―頼むから居て・・・!
 祈りを込めて角を曲がるが、探す人物を視界に捕らえる事は出来なかった。平日のまだ早い時間に人はまばらで、見つける事などたやすいはずなのに。
 肩で息をしながら力なく間近の壁にもたれた。襲ってくるのは疲労感だけではなく、その思いが涙を押し上げそうになる。
 初デートに盛大に遅刻してくる女だもん、しょうがないよね・・・。
 ぐすん、と鼻が鳴った時、
「・・・郁、か?」
 聞きたかった声が思いがけないほど近くで聞こえて周りを見回すと、すぐ背後に探し人が立っていて。
「ど、どこ行ってたんだよぉ」
「どこって・・・まだ来ないかと思って、先に切符買ってた」
「探したッ」
「女はこういう時遅れてくるもんだろが」
「男女交際の一般常識をあたしに聞くなッ!」
 逆ギレに近いていで怒るのは照れ隠しだというのはバレているだろうが、こっちはそのぐらいしたいんだ。
 こちらもお出かけ仕様のスタイリッシュな堂上の格好良さに惑わされそうになりながらぐっと詰め寄ると、堂上は顔を横に逸して眉根を寄せている。
 この日のために柴崎と選んだのはリボン付き黒ニットに白とベージュの膝丈ボーダースカート、オフホワイトのコートにブラウンの膝丈ブーツを合わせ、ちょっぴり大人っぽい印象のものを選んだのは、あどけなさの残る郁の雰囲気を引き締める効果を狙ったから。
 ―でも、やっぱり似合わないんだ、こんな女の子仕様の格好・・・。
「んなわけあるか」
「・・・ん?」
「相変わらずのだだ漏れ。ただちょっと・・・可愛すぎて照れただけ」
 視線を逸らせたままの堂上はぶっきらぼうに言うが、耳の赤さが気持ちを雄弁に物語っていて。
「・・・!」
 こっちまで頬に血が上るのを感じて俯くと、不意に右手を包まれた。骨ばった長い指が郁のそれを一本一本確かめるようになぞり、絡まる。
「やっと捕まえた」
「ど、じょ・・・」
「やっと触れられた」
 声に滲む喜色にささやかな胸が高鳴ったのは、彼女としては当然だと思う。





 雑貨店を冷やかし郁の行きつけの喫茶店で昼食を食べ、ポップコーンを分けあいながらアクション映画を観た。映画が終わって館内が明るくなる直前、掠めるようなキスにいたずらっぽく笑う堂上。ずっと絡めたままの指先から広がる幸福感に身体の内側から染まっていく感覚は悪くない。むしろ気持ちよくて。
 ―ずっとこのまま繋いでいたいって言ったら、どんな顔をするんだろう?
 夢に描いたようなデートもすでに終盤で、日が暮れかけた道にはそれなりに人が増えている。その流れに乗りながら交わす会話もだいぶ緊張の色が抜けてきた。
 少しは可愛い彼女(はーと)になれたかな?
 堂上はひとつ苦笑いすると、ブーツのせいで些か高くなった郁の耳に甘い声を吹き込む。
 「それ以上可愛くなられたら、困る」
 その言葉に首まで染まり上がるのを感じながら今度から踵のない靴を履こうと決意した時、人込みの中から悲鳴が聞こえた。
「・・・どこ!?」
「あっちだな」
 こんな時でも冷静な堂上は的確に現場を探し出す。
 地面にへたり込んだ初老の女性の視線の先には顔を隠すように帽子を目深に被った男が女物の鞄を乱暴に振り回しながら逃げる後ろ姿が見えた。
「待てッ!!」
「ばッ・・・郁!」
 堂上の制止する声を振り切って指が離れた刹那、郁の自慢の脚はトップスピードに乗って弾丸のように飛び出した。
 前方は逃げた男のおかげで障害物も飛び出てくる人影もない。しかし予想以上に男の脚が速いのとブーツの不安定さのおかげでなかなか追いつけないでいた。
 おかげで追いつめた頃には、逆に人気のない路地に誘い込まれる顛末に舌打ちする。背後も男の一味に塞がれた。3対1、いくら郁が戦闘職種と言えども体格のいい成人男性相手では分が悪い。
 ―さてどうするか・・・。
「なかなか度胸あるねーちゃんだな」
「見ろよ、いい脚してんなぁ・・・」
 無遠慮な視線に負けないように背筋をぴんと伸ばす。こんな奴らに負けるもんか。
 その時、隙を探すように油断なく辺りに視線を這わせていたからか、それに気づけた。
 曲がり角の壁から一瞬見えた手。確信はない、だがすぐに一番信頼できる手だとわかる。堂上の、無骨で優しい暖かい手。逆光でよく見えない郁とは違い、きっとあちらからは郁の事がよく見えている事だろう。だから一つ頷く・・・―大丈夫。
 郁の頷きを受けて堂上の指が訓練中に使う指サインで指示を出してきた。了解。
「どこ見てんだ?余裕だな」
 にやにや笑いを浮かべながら一人が近づいて来た。その手が郁の肩に触れる一瞬前、そのまま懐に入りこみ思いっきり反動をつけて身体を跳ね上げるとドッという鈍い音と共に男を仰向けに倒す。身体を持ち上げたときに一瞬左足首に痛みが走ったが今はそんな事を言ってはいられない。
「この・・・ッ!!」
 逆上した残りの二人が慌てて郁に掴みかかろうとする一歩手前でその手は空しく泳ぎ、あっと言う間に地面に沈んだ。堂上が背後からそれぞれの急所に苛烈な一撃をくれてやったものだから、逆らえずに崩れ落ちたのだ。
 尚も反撃しようと試みるも、堂上のただならぬ殺気に男たちは脚をもつれさせながら逃げていった。
 終わってみれば息さえ乱れない出来事だったが、堂上の視線は厳しい。座れと促されて有無をも言わさず郁の痛めた足首を検分し始める。―ああ、バレてた。
「・・・どうして一人で飛び出した」
「目の前で困ってる人が居たら当たり前でしょ!?」
 自分が手伝える事なら手を貸したいと思うのがそんなに悪い事か。
 食ってかかる郁に負けじと堂上が睨んでくる。
「なぜ俺と連携をとろうとしない」
「・・・あたしが走った方が、早いと思った」
「お前一人で何が出来るんだ?」
「でもあたし、戦闘職種だし!」
「お前は女だ」
「こんな大女・・・」
 だから、とがしがし髪をかきむしりながら堂上が吼えた。
「テメェの大事な女心配して悪いか!!」
「・・・!」
 怒鳴られて身を竦めたらそのまま抱き締められた。衣服越しに合わせた身体伝いに堂上の鼓動が駆け足なのがわかる。それほど激しい動きではなかったはずなのに・・・そこまで考えて言われた事を反芻する。―「俺の大事な女」。
「頼むから!お前が戦闘職種だって前に、俺が護ってやりたい女だってわかれよ・・・」
 抱きしめるというよりもしがみつくようにまわされた腕が痛い。噛みしめるような言葉に、胸が軋む。
「ごめん・・・ごめんなさいッ!!」
「ぐッ!?」
思いっきり頭を振って謝ったものだから、ゴツッと鈍い音を伴った容赦ない頭突きが堂上の顎を襲い一瞬前後不覚に陥る。
 ぎゅうっと堂上に腕をまわせば、逞しくて頼りになるとばかり思っていた背中がこの時ばかりは支えなくてはと思わされた。
 ―ああ、そうだ。なにも一人で頑張って「堂上の可愛い彼女」にならなくてもいいんだ。この人も同じ、いつだって一人で立ち続けられる訳じゃない。
「好きだから。あたし、堂上の事大好きだから、一緒に頑張ってきたい!」
 突然の宣言に最初目を丸くした堂上もやっと眉間のしわを解くと、そうか、と嬉しそうに郁と額を合わせ不意打ちに柔らかい唇を奪う。
「ちょッ・・・堂上!?」
「お前目の前にして、我慢とか無理だろ」
 しれっとのたまう堂上に膝蹴りを食らわせたのは、当然照れ隠しだ。

 人と人は支えあって生きていく。
 その言葉を胸に刻んだ初デートの日・・・。



※  ※  ※



「お前、責任とれ」
「なんの?どうやって?」
「一晩俺の不安とつき合え」
「・・・意味わかんないし。外泊届け出してないし」
「ナニもしないから」
「(下着まで気を使えって柴崎の言葉に素直に従って、正解・・・?)」
「・・・俺はいつでも準備できてるけどな」





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