「じゃあ、また明日」 「・・・ん。寝坊すんなよ?」 そう言いながら絡めていた指を解く瞬間が一番嫌い。 今日の終了確認であり明日への切り替えの筈なのに。 それでも毎日繰り返す。 「昇任祝い、何が欲しい?」 「郁」 「アホか!」 振り回した拳を笑いながら厚い胸で受け止める堂上の余裕っぷりがシャクに障る。 「そこの夫婦漫才、やるなら課業後にしろッ。独身隊員の目の毒だ!」 「「してませんッ!!」」 堂上と郁の抗議もどこ吹く風で、がはがは笑いながら玄田は隊長室に消えていった。 ここは泣く子も黙る関東図書基地特殊部隊庁舎、その事務室である。 査問会以降問題児扱いされた堂上ならびに郁は玄田の「愉快そう」の一言で、その後特殊部隊に引っ張られた。ついでに表向きは品行方正な小牧も一緒で、まるでお徳用セットの叩き売りで防衛部からの転属となったのだ。 もちろん堂上、小牧は図書大卒の主席次席ということもあって最初から目されていたらしいが、郁などは想定外で。難しい事は語らない玄田の代わりに副隊長の緒形の言によれば、女子の視座としての選出らしいがよくわからない。が、もともと身体能力の高さも教育隊時から目をつけられていたらしく、女性にしか出来ない業務を任せられる存在としての期待もそれとなくかけられていたらしい。 斯くして男所帯の特殊部隊に配属された三人であったが、周りはふざけはするが一様に大人な先輩方に可愛い末っ子と娘のように揉まれる毎日を過ごして早2年を数えた。 郁と堂上の交際もだだ漏れなもので、先輩たちのからかいの的になるのは致し方ない事だしもう諦めた。 「で、何か欲しい物ないの?」 「お前こそ何かないのか。俺と郁のとじゃ意味合いが違うだろ」 改めて課業後に基地近所の喫茶店で祝杯というカモミールティーを二人でこつりとカップを合わせることで祝った。 郁が言うのは秋の昇任人事で堂上が二正に昇任した事を指している。更に堂上が言うのは郁の士長昇任の事だが、それはどうでもいいという風で。 「あたしが、堂上に、お祝いあげたいの!」 「しかしだなぁ〜・・・」 図書大を卒業した時点で三正の階級を持つ堂上は、図書隊制度で以降は考課のみの評価を重ねていくだけなのに対し、郁は実技と苦手な筆記をクリアせねばならずかなりの苦労と迷惑を回りにかけまくっての士長昇進である。 自分の昇進祝いと言われれば何回か分の公休を付き合ってくれればそれでいいし、堂上としては郁の方こそ大いに祝うべきだと思うのだが。 「じゃあ考えとくから。先にお前の昇任祝いだ」 すると暫く押し黙ったままの郁だったが、おずおずと内緒話をするように耳元に唇を寄せてきた。 「んと、ね。お祝いって言うか、提案なんだけど・・・」 「なんだ、言ってみろよ」 可愛らしい仕草のおかげで近づいた頬にキスをしたい衝動を堪えつつ先を促すと、少し言い淀んだ郁だったがやがて顔を真っ赤にしながら堂上の理性を揺るがす凶悪な上目遣いで堂上の忍耐力を揺さぶってくる。・・・くそっ。 「へ、部屋を借りたいかな、なんて・・・」 小悪魔の攻撃に耐えながらこっそり息を整えなんとか平静を保つと、表面上はつらっとしながら、ああ、と返した。 「今隊員の間で流行ってるやつか」 「うん。班こそ違うけど毎日顔合わせてるからいいかなって思ってたけど・・・どっか近くに部屋借りたら、もっと一緒にいれるかな〜、なんて・・・えへッ」 だから!そんな可愛い顔をこんな人の多いところで見せるなよ!! 若い隊員の間では近場に部屋を借り、お互い家賃を折半して家具家電を揃えて時間と公休を気にせず過ごすのがただの外泊とはひと味違っていいのだとブームになっていると聞く。 「いっつも外泊ん時さ、堂上がお金持っちゃうじゃん。アレ、凄く申し訳なくて」 「その分身体で払ってもらってるから問題ない」 ドフッと堂上のわき腹に郁の左フックが入るがそれも問題ない。なんの為に身体を鍛えていると思っている。 「とにかく一緒にお金を出したいの!!」 力強い郁の宣言により、思い立ったが吉日、善は急げとばかりに堂上が事務能力をいかんなく発揮したおかげでその3日後には無事納得の物件が見つかった。 お試しという事で家具付きのマンスリーを借りることにしたが、細々としたものは更に買い足して。少しずつ整っていく仮想空間に郁の胸の高まりは最高潮だ。 「堂上、ありがとう!!」 満面の笑顔でぎゅうっとしがみついてくる郁の頭を撫でながら、堂上がニヤリと笑ったのには幸い気づかれなかったようだ。 「え〜と。お邪魔します?」 「郁、そこはとりあえずただいまにしとけ」 初入居の日、二人で課業後に夕食をファミレスで済ませた後、途中のスーパーで軽く食料と日用品を買い足してから訪れた二人の為の部屋の前。 堂上がお揃いの鍵で玄関を開けて二人して中に入ると、慣れない部屋に落ち着かなくてどきどきしてしまう。 堂上に引かれてリビングに上がると、家具付きとはいえ自分たちで揃えた調度もいくらかあり、それがなんだか気恥ずかしい。 「なかなかなもんだな」 「う、うん!あ、そだ、今お茶入れるね!」 「急がなくていい」 落ち着かなさを身体を動かすことで紛らわせようとした郁の手首を掴むと、ぐいっと引き寄せて背は小さいが広い胸の中に華奢な身体を抱き込んだ。香水をつける習慣がなくても甘い花のような香りを漂わせる郁の首元に顔を埋め、胸一杯にそれを満たす。 幸福な香りとはこんな具合かもしれない。 「堂じょ・・・」 最後まで名前を呼び終わらないうちに、それは相手の舌に絡めとられた。 「・・・なぁ」 「ん〜?」 「お前さ、いつんなったら俺の名前呼ぶんだよ」 「呼んでんじゃん、堂上って」 「じゃなくて。下の名前」 「・・・・・・恥ずかしいし」 「やることやっといて今更だろ」 「それとこれとは・・・ア・・・ちょ」 「呼ぶまで離してやらん」 「・・・呼ばなくても・・・離してくれないじゃん」 離さなくてもいいけどね、という小さな呟きは熱い吐息とともに閨の中に溶けていった。 隣りあって台所に立ち、ジャガイモと人参の皮を剥く。今日は昼にカレーを多めに作って晩ご飯まで保たせれば門限近くまでこの部屋に居られる。 当番も決めた。課業後に部屋を使う場合は先に上がれた方が食事を作り、そうでない方が茶碗を洗う。掃除は分担して一緒に、寮でもあるそれはお手の物だがいかんせん料理ばかりはそうではない。 「痛ッ」 「見せてみろ」 手先が器用なはずの郁も包丁ばかりは専門外で。それは堂上も同じだから、シンクの中には不格好選手権が開けるくらい不器用に皮を剥かれた野菜たちがごろごろしている。 血が滲む細い指を躊躇いもせず口にくわえた堂上に、郁の心音はだだ上がりだ。 「止まった、か・・・?」 見聞するように傷跡を確認すると、くるりと郁の身体を回して背中をぽんとひとつ。 「後は俺がやっておく」 「でも・・・」 「じゃあ味付けン時頼む」 味付けってカレールー入れるだけじゃん、と思いつつも堂上の優しさに甘えることにした。 その日のカレーは可もなく不可もなく極当たり前のカレーだったが、なんだかちょっぴり甘い気がしたのは気のせいだけではないと思う。 そうして和やかに、時には喧嘩もしたが、二人の一ヶ月は至極順調に過ごせていたと思う。少なくとも郁は。 だからいつものようにリビングのソファで雑誌を読みながらした会話も、普段の延長線上でしかなかったのだ。 「ね、そろそろマンスリーの契約更新だけど」 「・・・ああ、もうそんな時期だったか」 ラグに寝転がってニュース番組を見ていた堂上は、視線も動かさないで郁に返す。何気ない言葉のキャッチボール。 その中で、突然異物が投げ込まれる。 「・・・次、更新しなくてもいいか?」 急に投げ込まれた言葉に返す返事を取りこぼした。 ―今、なんて? 「考えてたんだが、外泊してる時とあまり変わらん気がしてきた」 変わるじゃないの。食事の支度も掃除も洗濯も、非日常の、宿泊ならしなくていい事をわざわざするこの生活は明らかに違いすぎるじゃない。 思った以上に投げつけられた言葉の威力がありすぎて、息をするのも一瞬忘れた。 ―それって、もう終わらせたいと思ってるの・・・? 喉がカラカラする。ひきつるから呼吸が苦しい。乾いてると思うのに涙ならたぶん止まらないほど溢れてきそうな予感に、たまらず立ち上がってダウンコートをひっつかんだ。 「それでな・・・・・・郁?」 ようやく様子がおかしいと思い始めた堂上が上半身を起こして郁の姿を探すが、重い玄関のドアがバタンと鳴っただけで求める姿はどこにも探せなかった。 そして突然夢から醒めたように、現実が襲ってくる――。 |