「今度さ、堂上結婚するんだって」
「堂上って・・・あぁ、あのちょっと背の低い人だよね?」
「ぶっ。・・・うん、そう。彼女の方が男前で背が高いけど、構わないんだって」
「・・・・・・そう」
 俺の言葉をどう捉えたかはわからない。
 だがそう言ったきり、彼女――毬江はやや逡巡した後に、再びコーヒーメーカーをセットし始める。 






 小牧の公休前夜は決まって毬江の住むマンションに外泊をする。もちろん毬江の都合の悪い時は大人しく堂上と部屋呑みをするのだが、大抵彼女のマンションに入り浸っていた。
 特殊部隊隊員でもある小牧よりもふた回り身体の小さな毬江は、しかし小牧よりも十も年上の会社員だ。


 元々家が近所同士で幼なじみの二人だったが、年上の毬江が社会人三年目で一人暮らしを始めると、細々と続いていた小牧と毬江の繋がりもそこで一端途切れてしまった。それから更に三年、小牧が図書大に入学して先輩方に連れて行かれた居酒屋で毬江と再会した事に、運命を感じたのは小牧だけではないと信じている。
 当時毬江には彼氏とおぼしき男がいたが、会う度に打撲傷のようなものをこさえている彼女を見るともう抑えられなかった。
 

『この人を傷つけるなら、代わりに俺を殴ればいい!だけど今後一切彼女の回りをうろついてみろ、殺すから』


 見た目は優男風だが、戦闘職種だけが持ち合わせる殺伐とした殺気に相手の男は気圧されて、あっけなく毬江に別れを投げつけた。



 そして小牧はその時から毬江を護ると決めたのだ。幼い頃から毬江に抱いてきた淡い恋心は幾度となく打ち砕かれたが、それでも諦めきれなかった。
 毬江だけが唯一の女だと信じているから。



 そして関係が進んで男女の仲になり、小牧が図書大を卒業した時に思い切って結婚を切り出した事がある。小牧よりも年上の毬江はすでに三十路の坂を登り始めていたし、学生時代に貯めた貯金と図書隊に就職することで得る収入があれば貧乏ではあるが毬江ひとりを食わせていく事ぐらい出来るとの算段もあった。
 しかし毬江ははんなりと微笑むとゆっくり首を横に振り、結婚の意思がない事を小牧に当たり障りのない言葉で伝えたのだ。
 


 なぜ彼女は自分との生活を望んでいないのだろうか・・・。


 
 沸いた疑問は褪せることなく、今も常に頭から離れてはくれない。小さな掌は包むように優しく頬を撫でてくるくせに、肝心の心を明け渡してくれない焦燥感。ジレて焦がれてやっと手に入った毬江は、だが最後の最後で小牧を突っぱね続けた。その理由はわかっている。





 慣れた手つきで朝食の支度をする毬江の傍らに立ちながら、小牧も冷蔵庫から卵を四つ出して目玉焼きを作る。
「ベーコンも入れてね」 
 クスクス笑いで茶々を入れる毬江に、短く了解して再び冷蔵庫の中を漁る。
 一方毬江は味噌汁の準備をする。昨晩から水に浸していた昆布を取り出し小鍋に火をかけた。具は小牧の好きなトマトとレタス、ちょっと変わった中身だが、熱が加わると甘みが出て好きなのだと言う。

 公休日朝、小牧が外泊した日のいつも通りの朝。
 しかし今朝は、確かにいつもと違う雰囲気が漂っていた。その口火を切ったのは小牧で、それを引きずっているのは毬江だ。

「その・・・堂上君の彼女さんって、どんな子?」
「いい子だよ」
 茶碗を食器棚からだして目玉焼きとベーコン、水切りしたレタスにトマトを添える。
「明るくて素直で、ちょっと男気あるのが玉に瑕だけどね」
「いくつ?」
 炊き立てのご飯と味噌汁を盛って毬江が食卓テーブルに持っていく。コーヒーと昨夜のおかずの残り、作り置きの総菜を両手いっぱいに持ちながら小牧がその後に続いた。
「同い年で同期なんだ。そして女だてらに特殊部隊所属」
 彩られた朝食の席。差し込む朝日。向かい合う小牧と毬江・・・。
「・・・凄いのね、その子」
「凄いっちゃ凄いかもしれないけど、堂上だって凄いよ。もう溺愛しちゃっててイタいくらい」
「幸せなんだ」
「うん。笠原さんの方が堂上より背が高いけど、そんなの気にならないくらいだよ」
「・・・・・・」


 
「毬江さん、結婚しよう」



 なんの脈絡もなく突然言い出すと、毬江は目も合わせずに首を振る。
「・・・からかわないで」
「からかってなんかいない。俺の気持ちはあの日からずっと変わっていない」
「幹久君はまだ若いからいい。でも私は随分年上なのよ?先に年を取ってダメになってくの」
「だからなに?そんな事で毬江さんを選ばないくらいなら、ずっとあなたに焦がれたりはしなかった!」
 一体どれだけの年月をかけて毬江を愛してきたか小牧自身にもわからないくらい。
 気がつけば毬江のいる生活が当たり前になった。笑顔を向けられればそれだけで一日中幸福で、手を繋げば甘い疼きが全身に広がった。何度手を伸ばして毬江の傍らに立ちたいと願ったか。その度に打ちのめされてきたのはやはり年齢の壁だったかもしれない。

 だが今小牧はしっかりとその手を掴んでいる。華奢な手は包み込むだけで折れてしまいそうな頼りなさで、もっと早くに護ればよかったと後悔した。

「年の差がなに?そんな事、俺を拒絶する理由になんかならない。それでも俺を拒むって言うなら、いっそ殺してよ」
 毬江のいる生活に慣らされた今を捨てなくてはならないのであれば、いっそないほうがマシだ。
「馬鹿な事言わないで!!」
 珍しく声を荒げた毬江に小牧は少し目を丸くしたが、すぐに目を細めて小さな拳を作った毬江の左手を包み込んだ。
「かなり本気なんだけど?俺を可哀想だと思うんなら結婚してよ、毬江さん」
「・・・脅し?」
「心の底からそう思ってるだけなんだけどねぇ〜」
 おどけて笑う小牧の顔をしばらくのぞき込んだ後、ふ、と口元を綻ばせた毬江がいかにも仕方ないという態で肩をすくめた。
「堂上んトコみたいに拘る事全部飛び越えちゃって。そしたら俺、ちゃんと毬江さんの事受け止めるから」
「・・・私がおばさんになっても、ずっと好きでいてくれる?」
「毬江さんならいくつになってもミニスカが似合う可愛いおばさんになれるよ」
「ミニスカなんて履いた事ないじゃない」
「水着でもいいな」
「バカ」
「でも一番可愛い所は俺のためだけにとっておいてよ」
「・・・仕方ないないなぁ・・・」
 眉を寄せてわざとしかめ面にしようとしたのにどうしても口角が上がってしまい、毬江の不機嫌顔は失敗した。もう取り繕う事の方が難しい。

「こんなに変わったお味噌汁を幹久君の為に作ってあげられるのは、私だけよ?」
「うん、お願いします」

 包んでいた手を解き指を絡ませなおして、そしていつもと同じ朝を迎えよう。

 やっと心まで繋がった手は、何があってももう離さないから。



※  ※  ※



「郁から聞いたぞ。結婚するんだってな、小牧。おめでとう」
「うん、ありがとう。結構君んトコの、破天荒で男前な奥さんのおかげで毬江さんが折れてくれた所あるし、感謝してるよ」
「・・・褒められてる気がしないんだが」
「あと嫁バカな堂上のおかげかも」
「一言余計だッ!」





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