「いらっしゃいませ」

 ドアに取り付けた小さくレトロな銅鐘が可愛らしい音を立てて来客を知らせると、本日何度目かの決まり文句を機械的に口にした堂上は客に悟られないようにこっそりとため息をこぼす。
 独立したのだから仕方のない事だがこの店ではスタッフの手塚と堂上しか手がないわけで、自然一人当たりの負担も大きい。もっともこんなに忙しいのは開店一週間ぐらいで、前の店から馴染みの客が遊びに来るお祭り期間だけだ。それ以降は落ち着いていられるだろうから、とりあえずこんなところで弱音は吐いていられない。
 重くなる足を無理矢理にでも動かして店のドアの方を振り向けば、そこには一人の少女が仁王立ちに立ち尽くしていた。いや、少女と言うには手足が成長しすぎて成人女性の平均よりもやや高い背丈だが、童顔よりの顔立ちと頑なで潔癖な雰囲気が彼女を少女と認識させたのかもしれない。

「・・・いらっしゃいませ」
 一瞬来客を観察してしまった気まずさを取り繕う為、自分に今の立場を思い出すように放った声はやや掠れてしまった。
「どのようになさいますか?」

 堂上の美容室は開店したばかりで、まだ客の予約をもらうような盛況さではない。従って今日は一見さん飛び込み客も懐深く受け入れているという寸法だ。

 雰囲気が少女の来客はスポーティな出で立ちで、少年じみた格好が年齢を一層不詳に仕立てている。髪の長さは肩に掛かるぐらい。柔らかそうな栗毛は見た目にも触り心地が良さそうで、美容師心をなかなかくすぐる髪質だ。
 表情が堅いままの彼女は顔面蒼白一歩手前と言った感じで、ちょっと危なっかしい。保護欲をかき立てられた。

「申し訳ありません、今日の営業はそろそろ・・・」
「手塚。・・・いいんですよ。今日最後のお客様になっていただけますか?」
 生真面目が売りの唯一のスタッフが、営業時間を理由に無碍に断ろうとしたのを止める。
何となく。何となく彼女を帰したくなくて、代わりにマニュアル通りにしか動けない手塚に上がるよう指示した。
「あの・・・いきなり予約もなしにすいません。・・・カット、お願いします」
「構いません。今日が開店初日なんで、新規のお客様は大歓迎ですよ」
 長年培ってきた接客用の笑顔を引っ張りだして革張りの椅子を勧めた。
 しばらく立ち尽くしていた彼女はようやく、まるで絞首台にでも向かうような面もちでゆっくりと歩き出す。歩いても姿勢が崩れない。背筋がピンとのびた佇まいは綺麗だが、だからこそ容易に侵しがたい何かを放っていた。
 ぴりぴりしている。張りつめた雰囲気は一触即発で、なにかが彼女に起こったのであろう事が伺い知れた。
「どのぐらいカットしますか?え〜と・・・俺は堂上と言います。君は?」
「・・・笠原、です」
「では笠原さん。どのくらいまでカットされますか?」
 笠原と名乗った彼女はしばし押し黙る。その間に鳶色の大きな瞳があれよあれよと潤みだし、しまいには大粒の涙をボロボロこぼすほどに至った。

 ああ、これは・・・。

 鏡の中で向き合う彼女は、きっと失恋をしたばかりなのだろう。女性が髪を切る理由は、気分転換と心機一転のどちらかだといつだか先輩が言っていた。随分極論だが、もしそれが真実であればとてもじゃないが今の状態は気分転換とかけ離れている。

「あたし・・・あたしッ!」

 むせび泣き始めた彼女の両肩に手を置いて、何度か落ち着かせるようにぽんぽんと手を跳ねさせた。華奢な身体は今にも崩れ落ちそうだったから、出来る限り優しく。
「・・・何も言わなくてもいい。任せてくれるか?」
 喋るのもままならない様子の彼女は嗚咽を堪えながら頭を上下させて了解の意を伝えてきた。

 ―よし、任せられた。君は本日最後の客だ。気持ちよく帰れるように魔法をかけてあげよう。

 予想通り柔らかな髪の毛に使い慣れたハサミが小気味よい音を立て、不要になった髪の毛とともに彼女の悲しみを切り落としていった。





「さぁどうかな?」
 彼女に似合う髪型はあまり考えなくてもすんなりとイメージ出来た為にさほど時間はかからなかった。
 肩にかかっていた長さをサイドは耳の下まで短くし、後ろの襟足はやや長めに。どちらかというと童顔の可愛らしい顔立ちを囲むようにシャギーを入れて軽やかさを出してみた。
 堂上としてはいい仕事をしたつもりである。

 彼女は瞑っていた目を開けると、一瞬目を見張って何度か瞬きを繰り返した後に鏡の中の堂上に視線をくれた。
「・・・あたし?」
「笠原さんじゃなかったら、君は誰だ?」
 苦笑気味に返すと、ぺたぺたと己の顔を掌で検分する様子が小動物を連想させて、実は腹の中で笑ったのは内緒だ。
「すごい。・・・すごいですね!あたしじゃないみたい!」
「気に入ってもらえたか?」
「はい!・・・あの、あたし・・・実は自分を変えたかったの」
 しょんぼりと肩を縮こませて身体を小さくする姿を見て、なんだからしくないと思った。

 ―きっとこの子には笑顔が似合うだろうに、それが見てみたい。

「・・・笑って」
「え?」
「笑ってみればいい。じゃないときちんと髪型が似合っているかわからないから」
「・・・」

 彼女はどうしたらいいのかわからないようだ、まるで笑い方を忘れてしまったかのように。
 ―ああ、こんな時本当の魔法使いだったのならば簡単に笑顔を与えてやれるのに。
今まで髪を切ってきた客たちはみんながみんな満足に笑えていなかったと思う。取りこぼしのないように、余すことなくこの手で変わっていく人たちを笑顔にしたい。それが堂上の叶いそうで叶わない夢だった。

 目の前の笠原と言う女性はまさにその第一歩だ。彼女を笑わせられなくて、何のために今まで修行してきたというのだろう。


「君は今、生まれ変わったんだ」
 堂上の手によって。この無骨な太い指で、可憐に。
「その瞬間に立ち会った、俺は最初の人間だな」
「・・・!」

 美容師という奴はいつでもそうだ。客の変身した一番最初の目撃者となる。
 だからもう、辛いことは切り落とした髪の毛とともに忘れてしまえ。今君は生まれ変わり、堂上は幸福な目撃者の権利を手に入れた。

「堂上さんって・・・」
 大きな鳶色の瞳が愉快そうに細められ、丸さを残した頬が上気して艶を持つ。
「凄いロマンチスト!」



 満面の笑みは輝いていた。魔法はかけられた、変身終了だ。やっぱり笑顔の方が似合っている。
 ―ああ、だが。



「・・・ほっとけ」

 耳が熱を持った。
 魔法をかけられたのは、堂上の方かもしれない。




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