「笠原、恋しちゃってんのね」 「アンタはエスパーか、柴崎ッ!」 大学の学食でもそもそと大好物のはずのプリンを上の空で咀嚼する、郁の背後から親友の柴崎が声をかけてきた。 学部は違うが高校の時からのつき合いなので、それなりに気心の知れた間柄だが・・・。 「まさかあたし、まただだ漏れ!?」 「ううん。でもそれだけ上の空で心ここにあらずって顔してたらわかりそうなもんじゃない、笠原なら?あ、その髪型凄く似合ってるわよ」 「こ、恋とか違うしッ!!」 そんなんじゃないと言い張るも、観察眼鋭い親友の目は誤魔化せないらしい。 「なに、また野球部の先輩?」 何の気なしに以前聞き出した想い人の名前をあげると、一瞬サッと青ざめたかと思いきやみるみる頬から朱の色が広がって緩みそうな表情を必至で堪えているという感じで。 なんだその百面相、面白いじゃないの。 何かがあったと柴崎の中のアンテナが僅かな隙も逃さないとばかりに全力受信の構えをとる。 柴崎にとっての郁は親友以上のかけがえのない存在で、もしまかり間違って郁に肉体的・精神的危害を加える輩が現れたのであれば全力で叩き潰しにかかるつもりだ。 ―情報屋なめんな。 「・・・また振られたの?」 可能性のひとつをあげる。 郁は柴崎から見ると恐ろしいほど乙女で純情で可愛らしいのに、男の好みは何も知ろうとしない無知で愚かな男どもばかり。結果男性平均と変わらない長身の郁の外見だけを判断し、不躾で無神経な暴言を吐いてはよく郁を傷つけるのだ。 その度に深く落ち込む郁を今まで何度も見てきた。郁の、好きになったら突っ走って告白して玉砕パターンは本人にとっても近しい人間にとっても辛い行動力でしかない。 願わくば、次の恋が叶いますように。 そしてどうやら、すでに次の恋には落ちつつあるらしい。 「・・・先輩には、振られちゃった」 振られたその足でふらりと入った美容室で髪を切った。ただそれだけ。 その人の低い声が身体に染みるほど優しいとか、髪の毛を梳く指が気持ちいいとか、そういうのは関係ないからッ。そんでもって 「笑って」 「その瞬間に立ち会った、俺は最初の人間だな」 とかなんとか言われちゃった日にはもうッ、もうッ・・・! 「・・・王子様かも知れない」 「アンタ馬鹿?」 「馬鹿ってッ」 呆れたようにこれ見よがしなため息をついて柴崎は頬杖をつく。 「あのね〜、接客業の人間がリップサービスも出来ないでどうするの?そんなのに引っかかるアンタが悪い」 「〜〜〜ッ」 弱り目にたたり目、確かに振られたばかりの郁の心は弱っていて堂上の言葉は容易に染み込んだけれど、それをただの接客テクニックと切って捨てられるのもしゃくだ。 「でも?アンタの髪型見たら腕は確からしいし?ちょっと見に行くぐらいはしてもいいかな〜?」 「い、行くの!?」 「気になるもん。笠原を手玉にとった悪徳美容師、この柴崎さんが見極めてあげるわよ!」 や〜め〜て〜!と頭をブンブン振る郁を無視して、柴崎はさっとさ行くわよ、とすでに腰を上げている・・・。 「いらっしゃいま・・・あれ?」 「なんだ、悪徳美容師って堂上さんだった?」 「悪徳?なんだそれは。相変わらず柴崎さんは容赦ないな」 「え?え?え?」 会った瞬間から柴崎と堂上の間で交わされる軽口に郁の目が点になってしまう。 「あ〜、ごめんごめん。堂上さんが前勤めてた店・・・トランザールっていうだけど、あたしそこに通ってたから」 「柴崎さんにはご贔屓にしてもらってましたよ」 なるほど。美容に全力を注ぐ柴崎のことだ、美容院にも郁には想像もつかないペースでケアだなんだと通っていて、店の常連になればこんな軽口もたたける程仲良くなれるのかも知れない。 「それにしてもスタッフの彼、仏頂面をもうちょっとどうにかした方がいいんじゃないですか?」 ―そうか・・・。 「まぁそこはおいおい…。腕は確かですから」 「・・・笠原?」 柴崎と知り合いだというだけで郁の恋は芽吹く前に摘まれてしまったようだ。 郁はこの親友以上に女らしい女を知らない。小柄で美人で気もついて、ちょっぴり小悪魔だけどそれも魅力に拍車をかける素敵なスパイスにしかならない。 そんな彼女と軽口を叩けるほど仲がいい人に、自分が女として見られる自信などなかった・・・。 「あ、あたし部活あるから帰っていい?ほら、大会近いし」 「え〜?せっかく来たんだもん、トリートメントぐらいしようよ〜。アンタ陸上で髪の毛日焼けしっぱなしじゃない」 「でも一回ぐらいじゃ意味ないじゃん」 「通えば?」 「お金ないよ、貧乏学生なんだから」 少なくとも、女として羨ましいほど魅力に溢れた柴崎と、胸をトキメかせた堂上が一緒にいるのを見続けているのは辛い。逃げ出したい足をなんとかつなぎ止めているというのに。 「じゃあ笠原さん、うちでカットモデルしないか?」 そんな郁に堂上が思いも寄らない提案をするものだから、思わずぽかんと口を開けてしまう。 「・・・カットモデル?」 カットモデルってあれですが、こんなヘアスタイル提案します的なやつですか。 「ああ。うちはまだ開店したばかりだからモデルにツテがなくて。よかったらカットモデルになって貰えれば、毎回のトリートメントもつけるぞ」 この前髪の毛を触った時も痛みが気になってたんだ、と言われて恥ずかしさで頬に血が上る。まるで女としての欠落を指摘されたようで・・・。 「それだけ部活頑張ってるんだろ?でもせっかく綺麗な髪なんだから」 ―褒められた。初めて、異性から。 それだけで郁の心はどきりと跳ねる。何これ、今までと全然違う。 「あ、じゃああたしもカットモデルやってあげてもいいですよ?」 「・・・なんで上から目線なんだ、柴崎さんは」 「お客様だから?」 ふふふふ、と笑いながら柴崎は郁の腕をとってぎゅうっと絡みついた。途端に堂上の眉間のしわがなぜが深くなって、郁は小首を傾げるしかない。 ――あのね。 結局トリートメントをしてもらって帰る道すがら、やはり郁の腕にしがみついたままの柴崎が耳を貸せとばかりに口を寄せてきた。 ――あの悪徳美容師、あたしの超オススメ優良物件よ? 頑張んなさい、とひとつ背中を叩かれた。その檄が思いの外痛くて顔をしかめてしまったけれど、背中を後押しされた郁の恋は、少しずつ歩き始める・・・。 |