客足も落ち着いてきた堂上の店も、それなりに固定客が出来てきて営業状況も上々だ。スタッフの手塚も最初は危なっかしい手つきだったが、もともと器用で頭のいい奴だからペースが掴めてくれば上手く立ち回れるようになってきた。あとはもう少し客の感情に寄り添えればいいのだが・・・。

「堂上君、堂上君。この娘、今度紹介してよ」
 鏡の前に座りながらカットモデルの冊子を指さすのは女性雑誌編集記者の折口だ。前の店からのご贔屓の彼女は実はこの店舗のオーナー・玄田を紹介してくれた、堂上にとっては頭の上がらない人物でもある。
「この・・・髪の長い方ですか?」
「違う違う、こっちの短い方。柴崎さんはもううちの専属だもん」
 確かに見目だけはいい柴崎の事、読者モデルくらいやってそうだ。しかしそうなるとあとのカットモデルは一人しかいなくて・・・
 ―無意識に眉間にしわが寄った。
「あ、もしかして堂上君の彼女だったり?」
「ちがッ・・・!!な、なに馬鹿な事言ってるんですか!?」
「あ〜怪しい〜」
「・・・いい大人が人をからかわないで下さい」
「いい大人じゃないも〜ん、悪い大人だも〜ん」
「折口さんッ」
 いちいち打てば響くような反応をするものだから、ついからかいたくなるのをいい加減わかればいいものを。そこが堂上の素直で可愛い所だと、年上の折口にしてみれば思う。

「折口さん、あんまり言うとこいつ仕事にならなくなるからそろそろ勘弁してやってくださいよ」
「お前は俺の親父か、小牧ッ!!」
 我が家のように待合いのソファに腰掛けて雑誌をめくっているのは堂上の幼なじみで、隣で小物屋(堂上に言わせたら、女が好きそうな小まい物がごちゃごちゃとしているからそういう認識)を経営しているが、暇になるとちょいちょい休憩をしにくる小牧だ。勝手にコーヒーも淹れてしまうし、喫茶店かなにかと勘違いしているのではないか。ちなみに高校を卒業したばかりの可愛らしい幼妻がいる。

「お前、また店はいいのか」
「スタッフも毬江ちゃんもいるから大丈夫だよ。ほら、亭主元気で留守がいいって言うでしょ?」
 使い方間違ってんだろ、との悪態は腹の中だけで吐いておく。言ったが最後、倍以上になって返ってくる事は長いつきあいの中で織り込み済みだ。
「小牧君も知り合い?」
「それが紹介してくれないんですよ」
「紹介もなにも、ただの客だろ」
「ただの客になにガード堅くなってるんだよ。女子大生ならうちのお得意さんにもなるんだからな」
「・・・」
 堂上がおし黙ったタイミングでドアベルが軽やかな音を立てて来客を告げ、接客業の面々が思わず顔を上げると、一気に視線を集めた客はびっくりして固まってしまった。
「あの・・・なに?」
 どぎまぎして立ち尽くす郁の後ろから小柄な柴崎がひょこりと顔を出し、見知った顔に満面の笑みをこぼす。
「あ、折口さん」
「あら、麻子ちゃん!・・・じゃあ麻子ちゃんのお友達なのね、こちら」
「笠原?ええ、高校からの同級生で同じ大学に通ってますけど」
 急に話題にあげられた郁は、なぜ自分の事を話されているのかわからなくてひたすらおろおろするが、行動の素早い折口に手をとられて更に飛び上がる。
「初めまして。雑誌の編集を生業にしている折口と申します」
 そつなく名刺を差し出し、
「ところでうちの雑誌でモデルやってみない?」
「モ、モ、モ、モデルゥ〜??」
「笠原さん背が高くてホントのモデルさんみたいだし、実際会ったら凄くキュートだわ!ぜひうちに欲しいの」
「いやいやいや、でもあたしなんてただ背が高いだけで身体の凹凸ないし、陸上で日焼け酷いし・・・可愛くなんて、ないし・・・」 
 自分に自信の持てない郁は伏し目がちにぶんぶんと頭を振るって、その評価を全否定する。大体折口の言をまともに信じるなら、今までの全戦全敗の恋愛戦歴はどうしてくれる。

「笠原さん!」
 困惑する郁の手を折口から奪うように横からぐっと掠めとったのは堂上で、見れば眉間のしわは割り箸が挟めそうなくらい大変な事になっている。
「あんまり時間ないんだろう?さっさと髪の毛やっちまうぞ!」
「うぇ?あ、は、はぁ・・・」
「手塚!柴崎さんの頭頼む」
「了解しました」
「ちょっと、人の頭をカツラみたいに言うのやめて貰えます?」
 柴崎の不満も無視してぐいぐいと郁の手を引っ張ると、いつもの革張りの椅子まで来てしばらく立ち止まった堂上は、決まり悪げに自分よりも背の高い郁を下からのぞき込む。
「・・・悪かったな、話の途中で連れ出して」
 狭い店内だ。少し離れたとは言え、きっと普通の音量ならば聞こえてしまうと思ったから、耳元に口を寄せてぼそぼそとしゃべった。形のよい耳が途端に刷毛で塗ったかのようにサッと朱に染まり、それを見るだけで堂上の胸のうちは少しずつ収まってくる。
「え、と・・・。あ、あたしも困ってたから、助かりましたけど・・・・・・手・・・・・・」
「手?」
 なんのことだか気づかなかった堂上だが、とっさに握った右手に自分以外の温もりを感じて慌てて放した。
「す、すまない!ちょっと・・・勢いで」
「気にしてないから!」
 ―寧ろ嬉しい、だなんて。今の郁が口に出す勇気はまだない。
 真っ赤に熟れた顔を隠すように両手で覆ったものだから、まぁ落ち着けと言いながら郁の頭をぽんぽんと気安く触る堂上の頬も心なしか染まっているのを郁には見られなくてすんだ。

「とりあえず座ろうか?」
 椅子に座る時、必ず堂上は手を差し伸べる。一人でも座れるのに。でもその何の気なしの女の子扱いが嬉しくて、郁も毎回恥ずかしそうにしながら無骨な掌に、それよりも幾分華奢な自分の手を乗せるのだ。
 座れば堂上とは鏡越しの見つめあい。でもそれがいい。
 柔らかな髪の毛に太い指が差し込まれて絡まる。堂上の指に頭皮をマッサージされるのは気持ちよくて好きだ。変な声がたまに出そうなくらいに、その度に真っ赤になって堪えるけど。
 ―ううん、マッサージが気持ちいいんじゃない。
 堂上の指だから、気持ちいい・・・。

 そしてその時の顔を直接見られるのなら、鏡越しの視線の方がいくらかはマシな気がした。



「・・・あれ何?小牧君」
「見事に俺の物ですね、折口さん」
「お姫様に手を出しちゃったら火傷しそうね」
「あれでまだつき合ってないっていうんだから、どんだけですよ」
「出会って二ヶ月?・・・何やってんだか」

 そんな内緒話をされながらニヤニヤと見物されているなどとは知る由もない二人だった。





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