梅雨もようやく明けて夏の日差しが戻ってくる頃、大学も長い夏期休暇に入り郁は陸上、柴崎はモデルの仕事に忙しくてなかなか揃って堂上の店を訪れる事が難しくなっていた。 郁としては日差しに晒されっぱなしの髪のケアをしに行きたいのは山々なのだが、まだ一人では行く勇気がない。 以前はあんなに猪突猛進で気になったらとことんアタックする自分だったのに、堂上に対する想いは今までとはちょっぴり違う。なんというか・・・大切にしたい。ここで一気に告白して散るよりも、もっと堂上の事が知りたい。たくさん喋りたい。たくさん・・・ ―触れてもらいたい。 自然と足が向かったのは堂上の店で、でも今日が定休日なのは知っている。知っているから一人でも来れた。 勇気のない郁は外からただ様子をうかがう事しか出来なくて。なんだかストーカーだよねコレ、と思った時に急に声をかけられ飛び跳ねた。 「笠原さんだよね?」 「小牧さん!」 堂上の店付近をうろつけば隣の店の主に見つかるのは道理で、あははは、と郁は顔を赤くしながら頭をかく。不審人物に見られなかった・・・よね? 「堂上んトコは今日休みだよ」 「みたいです、ね・・・」 ―知ってました、実は知ってて寄ってみたんですとは言えない。 「用事がないならうちに寄ってかない?女の子がほわほわなるような夢の国だよ!」 ほわほわって何だ。でも真っ向笑顔で言われると、そうなんだ〜と思ってしまうから不思議で、まんまと謎の「ほわほわ」気分に惹かれた郁は、吸い込まれるように小牧の店へと入ってみるのだった。 ―ほわほわ。 なるほど、と郁は一人納得する。店内は上から下まで可愛らしい小物と日用雑貨とフリフリの服とで溢れていて、可愛いもの好きにはたまらなくテンションの上がる店だ。 かく言う郁もその一人で。日頃は大女で似合わないからと遠ざけていたが、本心では埋もれて暮らしたいほど好きな可愛らしい物たちに囲まれて、ただ今心拍数が世界レベルのマラソンランナー並に走っていると思う。過言ではない。 「こここ、これ!なかなか見つからなかったんですよぉ!!」 「ああ、ももイルカね。流行もひと昔前だったし、メーカーの在庫も少なくなってきてるらしいしね」 「凄い、小牧さん!なんでこんなにたくさん幻の可愛いものシリーズがあるんですか!?」 「それはね、俺の奥さんも可愛いもの好きだからだよ」 そう言って奥の方から呼んだのは、小柄でピンクのフリフリエプロンを身につけた愛らしい女性で。というか、女の子で。 「え、え、え?お、奥さんなんですか!?」 「この春高校卒業したばかり。毬江ちゃんっていうんだ、よろしくね笠原さん」 「高校って・・・小牧さん、まさか淫行・・・」 「・・・夫婦だから。笠原さん」 一瞬可愛らしい雰囲気に不釣り合いな鋭利な視線で刺された郁は、心の中で吐血しながら、しかし羨ましかった。 ―年の差があってもこんなに寄り添える、それはどうやったら出来るのだろうか? 年上、のくだりで一瞬堂上の顔が思い浮かんだがすぐに打ち消した。まだ何も言っていない、何も始まっていないのに郁の勝手で想像にはめ込んでしまうのはいけない事のような気がしたから。 「・・・堂上ならきっと店でカットの練習してるけど?」 「って、なんか呟いてましたか、あたし!?」 「いや?でも顔見ればわかるでしょ。今の笠原さん、もの凄く可愛い顔してたよ」 ふわりと微笑まれれば、いつものようにそんな事はないとは反論できなかった。 ―そんなに自然に言われちゃったら・・・少しは信じてみようと思うじゃないか。 「行ってみたら?ちょうどお昼だし、一緒にご飯食べてきたら?」 「ご迷惑ですよ!!」 「そうかな?でも一人で飯食うよりは、二人の方が美味しいから」 行っておいでよ。背中を押してくれる小牧の言葉に乗る事にしたのは、気の迷いか勢いか。 押しなれたブルーグレイのドアに鍵は・・・かかっていない。奥から薄明かりが漏れていて、それに誘われるようにゆっくりと腕に力を込める。 ―カランコロン。 「おじゃましま、す・・・」 定休日に押し掛ける後ろめたさから呟くような音量で言ったのに、BGMの流れていない店内には予想以上に響いてどきりとした。 だが堂上はいない。代わりに淡いライト光を浴びた生首がこちらを向いていて、驚いたがとっさに叫ばないように己の口を塞いだ郁は自分を褒めてやりたい。 よくよく見ればカットの練習用の人形だったからだ。 わかっていても一度飛び跳ねた心臓はなかなか治まってくれない。大きく深呼吸しながら壁にもたれてずるずると座り込んだタイミングで声がかかった。 「誰かいるのか?」 そう言いながらスタッフルームから出てきたのは予想に反して手塚で、郁は一気に脱力した。 ―なんでアンタがでてくんのよぉ〜・・・。 「アンタ、今日定休日だぞ」 「知ってる、知ってます!でも小牧さんがいるよって教えてくれたから、ちょっと覗いてみただけだもん!!」 自然と声がでかくなったのは八つ当たりだ。手塚が悪いんじゃないのはわかってる、けれどこうして発散しないと泣き出してしまいそうだから。 そしてそれぐらい堂上に逢いたかったのだと、今更になって気がついた。 ―ヤバい、あたし真面目に恋してる。しかも超ド級のヤツ・・・。 「どうした?」 更に奥から聞こえたのは一番聞きたかった声。聞いた途端身体に声が染み渡って、郁の体温が少し上がった気がした。 「・・・笠原さん?」 「堂上さん・・・」 堂上はいつものスマートに洗練された格好ではなくて、ラフなジーンズと黒い無地のTシャツという出で立ちだ。手塚はいつも通りのきっちりした服なのを見ると、堂上のあれは営業用の格好なのだとわかる。 ひとつ、普段の堂上を知れた気がして気分が高揚した。 「どうした?」 驚きつつも綻んだような表情の堂上に小牧の事を話すと、腕組みをして苦笑した。 「なるほど。俺たちはカットの練習でな、そろそろ昼飯食いに行こうと思ったんだが」 よかったら一緒に行かないかと聞かれて二つ返事で答えた。もちろん行かない選択肢などあり得ない。 答えてからやはり迷惑かもとへの字眉で悩むと、温かい手がぽんぽんと郁の頭の上を跳ねた。気にするな、と。 思いもかけない機会に恵まれて、素の堂上を知れるかも知れない。それだけで郁を高揚させるには十分だった。 |