「あたしを心配させた責任を取りなさい」 堂上と何があったかを問いつめられた翌々日、朝っぱらから柴崎の電話で起こされて渋々出かける用意をする。 用件は何も言わなかったが、待ち合わせは新宿駅に1000、服装は何でもいい、とりあえす待ち合わせに遅れないようにと。 それなのになぜ自分は今、甘い花柄プリントのシフォンワンピースと、それに似合いの靴を履かされているのかがわからない。 「やっぱり背があると見栄えるわね〜」 「柴崎ッ!?」 ようやく会えた親友は甘さ控えめなベージュのカシュクールワンピースで、大人の女の雰囲気だ。 「モデルがひとり病欠んなっちゃったからあんたに頼んだの。ほら、笠原背が高いから」 そうだ、新宿駅で柴崎の代わりに折口に捕まり、連れてこられたこのホテルで突然欠員の出たモデルの代わりにやれと言われて・・・。 「背は高くても見てくれ悪いんだからダメでしょ!ってかこんな甘めのワンピとか似合わないし!!」 「見てくれに自信ないんなら、がっちりヘアメイクの人に作ってもらえばいいのよ。ほら、ここ入って!」 嵐のようにまくし立てる柴崎に、グイグイ押されてまた違う小部屋につんのめって入った。 「って、わッ!」 「あんまり時間ないんで手短にお願いしま〜す」 「・・・・・・わかった」 背後でばたんとドアが閉められる。それはいい、でもちょっと待て。 ―今、ずっと聞きたかった声が聞こえなかった? バッと音が出そうなぐらい勢いよく顔を上げると、目の前には見たことのある・・・否、忘れられない広い背中。こちらに背を向けたまま台で作業しているが、顔を見なくても誰かわかってしまった。 「・・・堂上さん」 たまらず呼びかけるとゆっくり半身だけ振り向いた堂上は一瞬目を見開いて、すぐに眉間に深いしわを刻み込む。 きっと似合わないくせにこんな格好して呆れられたんだ。そう思うと久しぶりに逢った喜びよりも居たたまれなさの方が勝って俯いてしまう。が、手首をぐっと捕まれて狼狽えるままに椅子に座らされた。 「あのッ・・・」 「時間がないんだろ?まずは髪巻いてその間に顔作っちまう。・・・目、つぶって」 「・・・はい」 接客中の柔らかい表情とは打って変わって仏頂面なのは、きっとあの日の事を怒っているからだろう。膝蹴り食らわすような女が相手だ、仕方ない。 さすがに手慣れた手つきで次々とカーラーが巻かれると、今度は肌にひやりとした感触が頬にきた。ほぼすっぴんできた郁の白い肌があっと言う間に華やいでいくのを感じながら、しかし気持ちは反比例してどんどん落ちていく。 筋違いは承知だが泣きそうだ。 「口、少し開けて」 目を瞑ったまま言われた通りに薄く唇を開ければ落とされる紅。ただ口紅を塗られることが恥ずかしい。 ぱらぱらとカーラーが外されて髪の毛が整えられる。髪の毛に差し込まれる指の感触が、切ない・・・。 「目、開けて」 「・・・」 「どうした?」 「・・・開けられない」 「なぜ」 「・・・堂上さんの顔、見られない」 今目を開けたら涙がこぼれそうだもの。 すると一層不機嫌な声で、「アホウ」 「アホって!」 「俺が見たい、じゃダメだよな・・・」 「・・・!」 そんな言い方反則だ。でもあがらえない、郁だって許されるのなら鏡越しで十分だから堂上を見てみたいのだから。 ―恐る恐る目を開けると、目の前の鏡の中の堂上は相変わらず眉間にしわを寄せた難しい表情をしていた。 やっぱり・・・。 「ごめんなさい・・・」 鏡越しであっても潤んだ上目遣いで、しかもいつもは薄化粧の彼女がきっちりとメイクをして似合いの柔らかで甘いテイストの衣装を身につけて自分を見つめているのはかなりの破壊力だ。 彼女を傷つけた罪悪感でこの一ヶ月、心臓が潰れる思いをした堂上は、金的をくらった後遺症もあり仕事ぶりも散々で手塚にまで心配される程だった。小牧に勘ぐられた挙げ句どこぞの女王様ぶった柴崎から取引を持ちかけられたのが昨日の事。 折口と知り合いだったのも手伝って女性雑誌の臨時ヘアメイクにさせられて今に至る。 急展開だったが郁に逢えるのであればどんな伝を頼ってでもよかった。そして逢いたくて仕方なかった彼女は目の前にいて。 髪の毛をイジる手が密かに震えていた事に気づかれなかっただろうか?口紅を塗る時、生唾を飲み込んだのを聞かれなかっただろうか。それぐらい彼女を大事にしたいのに。 なぜあの時、衝動のままに口づけてしまったのだろう。 雨に濡れた服はもちろん下着までをも透かし、濡れた髪の毛と走った事で上気した頬、潤んだ瞳で見つめられた途端、理性なんて簡単に吹き飛んだ。 何度も可愛らしい唇を貪り尽くして我に返った瞬間、狼狽えた堂上が郁に金的を食らったのは自業自得だと思う。 「謝るのは俺の方だ。すまない、あんな事して」 「だって、あたしも膝蹴りとか。あり得ないですよね・・・」 「無理矢理したのは俺だから、なにされても仕方ない」 「でも!・・・あ、あたしも嬉しかった、から」 囁く音量で今何を言った? 都合のいいように自分の耳が捏造したのかと疑ってしまうが、迷っているうちに鏡越しだったはずの郁の瞳がきちんと堂上を捕らえる。 ―ああ、やはりこの瞳には逆らえない。 「あたし・・・あたし、堂上さんが好きです」 「・・・!」 薄々わかってはいた。それでも肝心の一歩を踏み出せなかったのは、郁が客だとか学生や年下だからとかいう理由で。それらのどうでもいい事を自分の中でさも重大であるかのように正当化させて躊躇いを作ってたのは自分自身なのに。 彼女はそれを軽々と飛び越えてくる。 「迷惑なのはわかってるんです!でも、なんかこぉ・・・もやっとし続けるのが嫌で。ばっさり切り捨てて下さいッ!!」 「捨てるくらいなら、拾うに決まってんだろ」 「・・・!?」 ああ、泣きそうな程感情が高ぶっているのに男前な彼女が可愛い。年上の沽券とか我慢とか背の低さとか色々なものを一気に粉砕された堂上は、心の赴くままに力一杯彼女を抱きしめた。 「どど、ど、堂上、さんッ!?」 「バカ、アホ、勝手に迷惑だとか決めつけんな。こっちの気も知らんで」 「なんですか!きゅ、急に!!」 「可愛いから抱きしめた、悪いか」 「かわ・・・?」 「・・・俺も好きなんだ」 「は?」 「俺も、笠原さんが好きだ」 「・・・・・・!」 「もっと早く伝えればよかった」 愛しさを込めて髪の毛を梳けば、うっとりとしていた郁が突然はっとする。今度はなんだ。 「あたし・・・心が狭いから、堂上さんが例えお客さんにでもこうやってするの、嫌かも・・・」 なんて可愛らしい嫉妬。たまらず笑うと子供のように頬を膨らませて抗議してくる。逆効果だと気づかないのか? 「こんな事するのは」 髪に絡ませた指に力を込めて、後頭部を引き寄せて。 「あ・・・」 抗議の言葉も唇で吸い取る。触れるだけのキスなのに、あの日したものよりも何倍も甘い。 「お前だけだ」 「〜〜〜!!」 「髪伸びたな。明日店に来いよ?」 その後の撮影で折口に、「口紅はげてるわ、程々にして」と言われた嫌味は甘んじて受け止めておく。 ※ ※ ※ 「あれ?」 店先で水を撒きながら見知った姿を発見した小牧は、いつもの笑顔で声をかける。「こんにちは、笠原さん。今日、定休日だよ?」 「こんにちは、小牧さん。わかってますよ〜っだ!」 おどけて小さく舌を出す郁の手にはピンクのももイルカストラップがぶら下がるシルバーの鍵があり、慣れた様子で定休日で閉まっているはずのドアを開けた。 「昨日は組合の付き合いでだいぶ遅かったみたいだから、まだ寝てるんじゃない?」 「そうかもしれませんね。じゃあ起きる前に何かご飯作っておこうかな」 そう言って郁は、幸福な時間の待つ堂上の部屋へと消えて行った。 |