動揺していないと言い張るにはあまりにも漏れ出てしまった心情を回収するのに、しばし堂上は苦労した。










「一五三番、笠原郁です」
前の面接者の評価を書き込んでいた最中の堂上の頭をどつく程大きな声に思わず顔を上げて、そうして堂上はそのままの状態で固まってしまった。
目の前の椅子に座る気の早い面接者は呼び出し係りが行く前にすでに面接室に到着していたようで、そのやる気は認めよう。

だがお前は不採用だ。

顔を見た瞬間堂上の中で彼女の面接の行く末は決まった。
いくらやる気があっても、女子では珍しく希望の少ない防衛部を志していたとしても。



笠原郁。



五年越しに知った秘密の宝物の名前。
堂上がその清廉で真っ直ぐな背中に惹かれ行使した見計らい権限。図書を助ける為ではなく、少女の背中を守るために使った見計らいのせいで堂上は査問にかけられた。その間堂上を支えてくれたのは、よそよそしい彼女でもなく疎遠になる友人達でもなく、ただ一人記憶の中にしかいないあの少女。
冷静であれ、真摯であれという信条を自分の中に築き貫くのはあまりに孤独で、密かに心の拠り所にしていたあの少女が。


「あたし・・・図書隊の王子様に憧れてこの職務を希望しました・・・」
呆然とした声とともに鳶色の目はひたと堂上を見据えていた。大きな目を更に見張り、頬を染めて夢見るような表情。
「高校三年生の時に地元の書店に良化検閲が入って、」
話始めてもその視線は動かず、じっと堂上を見つめていた。
見つめられればこちらも気恥ずかしくて思わず俯くも、横の小牧がすでに上戸に入ってしまい、彼女が堂上しか見ないものだから当時の査問を知る上官連中もにやにやと面白おかしそうにこちらを伺う気配がして、居心地が悪い事この上ない。
堂上との出会いにかなりの脚色もつけながら朗々と語りきった彼女は、最初から最後まで面接が終わる間ずっと堂上を見ていたようで、どうも頭を下げた旋毛の辺りがチリチリする。
「あれは合格させんと仕方あるまい。堂上、お前の班な」
「な・・・ッ!?」
面白がった玄田の差し金がなければ、郁の筆記試験はかなり際どかったとは後から知った。










「おはようございます、堂上教官!」
今日も清々しい声が上がるも、堂上のテンションは地の底まで落ち込んでいく。朝からこれなのだから、業務が終わる頃には地球の裏側まで突き抜けて、また朝になっているかもしれない。エンドレスかよ、くそったれ。
「用もないのに名前を呼ぶな、慣れ慣れしい」
「そんな事言わないで下さい!あたし、あの時の王子様が堂上教官だってわかってめちゃくちゃやる気出してるんですからね!!」
「他に迷惑が行く前に止めろ。目障りだ。消えろ」
堂上の心の支えだった清廉な背中の少女は消えた。
代わりに居座るのはやかましくて向こう見ず、そして堂上に夢中なんですと宣言するただ賑やかなだけの女。
確かに教育隊での実技の成績は男子を抜いてピカイチだった、その分座学は壊滅的だったが。だがそれだけの女がなぜ特殊部隊に引き抜かれる。ましてや。
「同じ班だから消えるのは無理です!ずっと堂上教官と一緒です」
にこりと人懐こい笑顔を堂上に向けると、堂上の不機嫌も何のそので郁は特殊部隊の事務室に入った。


そう、同じ特殊部隊、そして同じ堂上班なのだ。
同時に教育隊から抜擢された手塚はまともなのに。まともすぎて面白味がないのに、その分郁が騒がしく事務室内を盛り上げていく。
特殊部隊名物野外訓練で『熊殺し』の二つ名をつけられるも堂上とお揃いだと喜び、初めての抗争では奪われかけた図書を守るために銃弾の中を駆け抜けた。
先輩連中もそんな郁が可愛いのか菓子という餌を与えては一緒に悪巧みを始めるわ、あいつがいるせいで図書特殊部隊の威厳が激しく損なわれてきた気がする。

「堂上、この前頼んだ書類出来てるか?」
「ご自分でやって下さい!!」
バンと机に叩きつけながらキシシと引き笑いする上官を睨みつけた。
そう、まぁ前から書類の押しつけや雑用を任されたり飲み会の手配から後片付けまでをやらされてはいたが、それでも特殊部隊としての矜持は捨てていなかった筈だ。
「堂上君?。ちょっと泡のでる麦茶買ってきてくんね?か」
「まだ課業中ですよ!!」
「笠原?、このチョコお前にやるな」
「わ?い!ありがとうございますッ」
「おい、笠原いい加減にしろよ!!」

全く頭が痛い。最近偏頭痛が酷くなったのはきっとこいつのせいだそうに違いない絶対そうだ。

眉間のしわをこれ以上ないくらい深くした堂上の後ろの席で、今度は何やら手塚と郁が小声で話し合いをしている。
この二人も当初は犬猿の仲だったが、なかなかどうして先の抗争後から何かとつるんでいる。お互いを理解し合えたかといえばそうではないらしいが、少なくとも手塚の方に歩み寄る気配が見えたのはいい事なのに。
―なんでこんなに胸の辺りがムカムカするんだ?
昼に食べたフライが油っぽかったか?なにか食い合わせが悪かったのか?それにしたって急にこんな・・・。
ぐるぐるとする頭を支えながら書類を片付けていると、背中で郁が吠えた。
「だから、あたしはあんたとつき合う気なんてこれっぽっちもないんだってば!!」
「・・・ッ」
お前らここをどこと勘違いしている。そして今は課業中なんだぞ!
もちろん堂上の心の声など届くはずもなく、手塚は手塚で苛立ったように顔をしかめている。
いやいや、そこは普通戸惑うトコだろ。仮にも交際を申し込んだのに突っぱねられたら悲しいモンだろが。
しかし当の二人は今にも取っ組み合いの喧嘩でも始めそうな雰囲気で、そんな様子を外野のおっさん達がにやにや顔で見物しているのだから堪らない。
おい、誰か止めろよ。
「俺だってな、堂上二正と小牧二正がお前と仲良くして欲しそうだったから仕方なく・・・」
「仕方なく交際申し込むとか舐めてんのか!」
「もっと二正達の事考えて行動しろよ!お前とわかりあえないとお二人に迷惑がかかるんだぞ!!」
手塚、お前間違ってる。激しく間違ってるぞ。
その証拠に小牧なぞ、さっきから椅子の上に座っていられなくて床に腹を抱えて転がっているじゃないか。
しかし郁の発言も手塚の更に上をいくものだった。

「だいたいあたしは堂上教官の物なんだから、手塚とつき合うわけにゃいかないのよ!!」

おぉー!!
事務所内に歓声が上がり、堂上は思わず郁に拳骨を落とした。
「アホか貴様!!」
「ッだぁ!?」
「誤解を与えるような発言すんな!!」
「だってだって、ずっと言ってるじゃないですか!あたしは堂上教官の事が好きだって!!」
「ぐっ・・・!」
「お前、堂上二正がこんなに迷惑してるのに気づかないのか!」
「なによ手塚のくせに。二正二正って・・・まさかアンタ、堂上教官の事・・・?」
「馬鹿か!馬鹿だ馬鹿だとは思ってたが心底馬鹿だな!!」
「うっさい、ホモ塚!堂上教官に触んないでよ、ホモが移ったらどうしてくれんのよ!!」
「あ?、そろそろお前達止めないか?小牧が瀕死の状態だから勘弁してやれ」
ようやく緒形副隊長の投げ込んだタオルによって、言い合いは一時休戦と相成った。
こんな馬鹿な日々が、なんでもない日々が続くと思っていた。

―思っていたんだ・・・。










「告別式会場で稲峰指令が不審者に拉致された。―笠原も一緒だ」
一瞬何を言われたのかわからなかった。
前を見ているのに視界は真っ白で、頭の中には何の言葉も響かない。うまく呼吸が出来ないのは息をするのを忘れていたせいだと、変に自分が空虚なのは全ての情報を咀嚼しきれなくて拒絶したせいだと。
皆が自分を見ている。小牧に力付くで座らされて、そして自分の動揺にようやく気づいた。

 
犯人からの電話を玄田の傍らで聞きながら、堂上は細く息を吐く。思ったよりも元気そうで・・・例え空元気だったとしても、少し、安心した。
「堂上!救出作戦の指揮はお前に一任する。人員装備、好きに編成して出動待機に入れ!」
本来ならば特殊部隊の末席班長が作戦指揮を執ることなど烏滸がましいのに。玄田の計らいに感謝すると敬礼で応えて堂上は会議室を後にした。










「いいわよ行くわよ!店長さん警察呼んで!あたし万引きしたから!盗った本と一緒に警察行くから!」

今でもあの時の凛とした声に背筋が伸びる。
公衆の面前で受ける恥辱に竦みながらも、ただ一冊の本を守る為に立ちはだかる華奢な背中は眩しくて。同時に己の保身を恥じた。
その場で唯一本を守る権限を与えられた自分に対し、彼女が持っているのはただ一つの小さな勇気のみ。
その姿に惹かれ、受け止めた事に後悔などはなかった。



それから五年、様々な場面で心の支えにしていた清廉な少女は当時の面影を残したまま少し大人になって堂上の目の前に現れた。
お互いひと目でわかった。わかったのに、先に目を逸らしたのは堂上の方だ。
郁はあの時の堂上の姿を胸に焼き付け、あの時の堂上のような図書隊員になりたいと熱弁を振るう。
やめろ、やめてくれ。あれは図書隊員としては間違った姿なのに、その間違った道をお前にも歩ませたくはないのに。しかも防衛部などもし万が一何かあった時、両親になんと申し開きすればいいのだ。


堂上の後悔も困惑もあざ笑うかのように図書隊に入隊した郁は、玄田の差し金で堂上の教育隊に配属された。
男でも逃げ出したくなるようなキツい訓練を課し、泣き出してもいいから罵倒を浴びせた。なのに郁はどこまでも食らいつき、堂上に懐き。

―堂上教官の事が、好きなんです。

何かの拍子に言われて、頭の中が真っ白になった。
こんなにも理不尽にシゴかれてそれが出てくるとか、こいつはマゾか。
―お前馬鹿か。
―高校生だったあの時から忘れられなくて、ずっと好きだったんです。
頬を染めて、正しく恋する乙女の顔で郁は感情をぶつけてくる。
―ああ、だが残念だったな。あの時の図書隊員はもういない、ここにいる堂上篤図書二等正は別人なんだ。
―それでも同じ堂上教官には変わりありません。
真っ直ぐな目で、あの時と同じ目で射抜かれた堂上の心の隅に、僅かな影がかかった。

―じゃあ俺になら、何されても文句は言わないんだな?

不意に吐息が掛かる程近くなった堂上の顔に一瞬困惑した表情を浮かべる郁だったが、ぎゅっと目を瞑ると、
―笠原色々と初めてなんで、優しくして下さい。
と震える声で堂上の戦闘服を握りしめた。
―アホか。
そう吐き捨てて堂上は早足でその場から逃げ出した事もあった。


―アホか。
何も疑う事なく、あの間違いだらけだった頃の堂上が好きだという純情すぎる郁に。
少しは使える図書隊員になった今よりも、昔の馬鹿だった自分に嫉妬する己に。
憤りは自然郁への苛烈な教育に反映され、その度に苦い何かを飲み下す。その繰り返し。
早く逃げ出しちまえ。そして間違った図書隊員を追いかけてきた間違った憧れを捨てちまえ。
そう何度も願った。



しかし願った事はこんな事じゃない。



生命の危険を脅かすほどの抗争。下手をすれば『日野の悪夢』以来の危険な作戦に、それだけの覚悟を見いだせない奴を、死なせたくない女を連れていくわけにはいかなかった。
戦力外というのはただのこじつけで、その裏にある堂上の気持ちなど悟られてはならない。
そのしっぺ返しで拉致に巻き込まれたと言うのであれば、それを取り返すのは堂上の役目だ。

だから。だから、後生だから―・・・。










犯人は速やかに制圧され、同行していた警察に引き渡された。
無事救出された郁は、駆けつけた特殊部隊の面々に小突かれ労われながら堂上の前に押し出された。もちろんわざとである。
そこで初めて、堂上はようやく郁と視線を合わせた。自分よりも少し高い位置にある、鳶色の瞳。
口の端に血が滲んでいる。殴られた痕か、腹の中がカッと燃え上がったがそれも一瞬の事で、親指の腹で血の痕を拭ってやる。
「無事・・・」
か、と最後の言葉を口に出す前に、胸に振動が走った。衝撃に多々良を踏むが、それくらいで揺らぐ程やわではない。揺らいだのは、心の方。
「・・・来てくれると、思ってた」
胸の中で震える郁の体温に、気持ちが少しずつ凪いでいく。温かい。だが震える声の細さに、反射的に華奢な身体を抱きしめていた。
「!!」
初めて触れた背中は思ったよりも薄くて、神々しささえ感じていた清廉な背中を持つ彼女は、堂上が思っていたよりもずっとただの女で。
あの時の高校生を勝手に神格化していたのは堂上も同じだったのだと気づかされる。

結局はお互い自分の中の相手を勝手に偶像化していたにすぎなかったのだ。



「あの・・・」
おずおずとした声に弾かれて慌てて手を離した。
真っ赤な顔をした部下は、恥ずかしそうに視線をさまよわせている。その初々に若干揺らぎながら、無事ならよかったなどと口の中で呟くと。
阿呆な部下はぱっと顔を輝かせて、やはり阿呆な事を聞いてきた。
「絆されましたか!?」
「絆されるか、阿呆!!」

ゴツ、と容赦なく落ちる拳骨。
それを見て生温く笑う面々。
いつも通りの、いつもの光景。





それでも二人はまだ、ここから始まったばかり―。





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