「お?い、堂上。嫁がお前の事呼んでたぞ」
からかい混じりのその呼称に堂上の眉間の皺が一層深くなる。
「嫁って誰の事ですか?俺はまだ嫁とった覚えはないんですが」
またまた。
「笠原と言やぁお前の嫁だろ。もう相手の親公認なんだから、貰ってやれよ男らしく」
「男らしいの使い方間違ってますよ!」



親公認はやや間違っている。正しくは先日武蔵野第一図書館に娘の仕事ぶりを偵察しにきた笠原の両親に郁が堂上を売り込み、親も(しかも父親が。母親は図書隊に就職した事自体良しとはしていない)どこをどうしたらそうなったのか堂上の事をいたく気に入った雰囲気になって上機嫌で帰っていったというのが事の顛末で、間違っても結婚を前提にした仲にはなってなどいないと大声で叫びたい。誰にだ、誰かにだ。
そう、郁と堂上の関係はただの上官と部下というだけのものであり、それ以上であってはならない。ようやく得た特殊部隊の紅一点に手を出したなどとあらぬ噂が立とうものなら、堂上の立場だってなかり危ういと言う事をあいつは果たして理解しているのだろうか?恐らく理解していない。理解していたらあの鳥頭もちったぁまともに業務を覚えられるだろうに。
しかしおふざけの大好きな特殊部隊の面々は、郁を堂上の「嫁」と呼ぶ事にしたらしい。郁も満更ではない様子なのが苦々しいが。そして手塚は頑なにソレを認めない堂上の唯一の仲間だった。

「で、なんですか?」
「いやだから嫁がな、どの資料持ってけばいいかわからない上に資料の雪崩に埋まっちまったらしくて」
「なんですって!?」
特殊部隊庁舎の資料室と言えば、あまりの男所帯過ぎて分類も曖昧、片づけも大ざっぱでうず高く積み上げられた資料にわずかでも刺激を与えれば忽ち紙の束が凶器に変わり埋められてしまうという、ちょっとしたジェンガ気分に浸れる愉快な個室となっている。しかも紙は意外に肌を切るものだから、殺傷能力もなかなかとくれば立ち入る者は限られてくるのだ。
堂上も何度か片づけを試みたものだが、三日かけて片づけたものが一日でジャングル化したのを見てさすがに匙をなげた。
なぜわざわざそんなところへ行く。だいたい堂上が頼んだ資料はそことは別の安全圏にあるのに。
とりあえず救出か、とため息をこぼす堂上の後ろ姿に小牧は苦笑した。全く素直じゃないんだから。



「だいたいお前はもう少し人の話を聞けよ!」
「すみま・・・せん」
額の切り傷にペタリと絆創膏を貼られた郁は小動物のようにしゅんと小さくなりながら堂上の手当を受けていた。
かすり傷だ舐めとけば治ると言い張る郁を事務所の隅に無理矢理座らせて絆創膏を貼る様子は、本人たちは気づいていなくとも十分甘酸っぱい雰囲気を醸し出していた。主人と嫁と言われても文句は言えない。
ほんのりと頬を染めながら上目遣いで堂上を覗き見しながら、その真剣な眼差しにうっとりしている事に気づかれないように郁は細いため息をついた。
近くて遠い距離。触れたいのに勇気がなくて触れられない。だから言葉で気持ちを伝えるのに、堂上にとってそれは煩わしい言葉なのだろうと思うと・・・少し悲しい。

まぁ手ひどく突っぱねられないだけマシか。

堂上と郁の微妙な距離。それは郁の超ポジティブな思考が織りなす奇跡の関係なのかもしれない。










「ねえ、そこの彼女!」

郁の下手なナンパから始まった毬江との縁。それから堂上班の雑談の中にしばしば彼女の話題が登場するようになったのは、郁にとって毬江は可愛らしい女の子の全て要素を持った憧れのような存在だからかもしれない。

「毬江ちゃんて、なんかこぅ・・・ピンクって感じですよね!」
「なんだそのピンクって」
「え?。可愛いし、恋する乙女って感じじゃないですか堂上教官」
「恋って、なぁ・・・」
「じゃあ堂上は赤かな。こう見えて熱血だしね」
「あ?わかりますわかります!そういう所も素敵なんです!」
「うるさい、黙れお前は」
「手塚はブルー・・・いやいや、三枚目路線のグリーンかな」
「戦隊モノかよッ」
「でもって小牧教官はブラック!」
「・・・腹黒って言葉もあるしね」
「そそそそ、そういうつもりじゃないです小牧教官!!なんていうか、誰にも影響受けなさそうじゃないですか、小牧教官は。だから絶対色かなぁ?って・・・」
「笠原の癖に絶対色なんて言葉を知ってたのか」
「舐めんな手塚」
「じゃあ笠原さんは、さしずめイエローって所かな。明るい笑顔でみんなを元気づけるから」
「そ、そんな事お世辞言ったって何も出ませんよ!」
真っ赤になって否定する郁をぼんやりと眺めながら、しかし堂上は心の中だけで一人ごちる。

堂上の中で郁のイメージカラーは、断然白だ。
癖のない真っ直ぐな性格、清廉な心、まっさらな笑顔。何者にも染まっていない純真な部分を見せつけられてきた。だから・・・例えば他の色に染まってしまったらどんな女になるのだろうか?
そこまで考えて、部下の事を考えるラインを逸脱している事に気づいて顔をしかめた。

「堂上教官、堂上教官」
「なんだ」
毬江が来館した知らせを受けて小牧が席を外したのを見計らって、郁が小声で堂上に内緒話を仕掛けてきた。
「毬江ちゃんと小牧教官ってつき合ってるんですか?」
ぎしりと固まってしまった堂上とは対照的に目をきらきらと輝かせながら郁が迫ってくるものだから、慌てて身体を引いて距離を取った。
「十歳年下だぞ、そう言う事を思いつく方が信じられんわ」
「堂上教官・・・オッサン?」
グサリと刺さった。
「女の子甘く見ちゃダメですよ?」
「・・・・・・俺の知った事か」
心の中でざっくり刺された傷を隠しつつ吐き捨てた。内なる動揺を悟られるのが怖くて目を反らす。すると躊躇うように口ごもりながら、それでも思い切って切り出した。
「相手が高校生でも・・・」
伺うような上目遣いの奥が常とは違い、弱々しく揺れている。まるで。まるで心の中を覗いているような気分にさせられて。
「大人の男が揺らいじゃう事だって・・・ありますよね?」
縋るような視線に出逢って動けなくなった。鳶色の誘惑。
今でも脳裏に浮かぶのは清廉なあの女子高生の後ろ姿。その姿に今の郁の姿が重なる。
部下としての成長を見せる郁。堂上へと向けられる気持ちが果たして上官を尊敬する部下の気持ちなのか、女としてかつて惚れた相手に向けている気持ちなのか。
「・・・お前はくだらん事を言ってる暇があったら、仕事の一つでも覚えろ!」
「いだだだだだだ!?」
―普通うら若き乙女の顔面わしづかみとかあり得ません!あ、でも堂上教官、背の割に掌大きいんです・・・イダッ!!
馬鹿な事を言う口を顔ごと塞いで、それでも減らない無駄口を黙らせる為に拳骨を落として。
溢れ出そうな何かに無理矢理蓋をして、その時はやりすごす事に成功した。










―そして堂上班でも話題の毬江に関連して小牧への人権侵害容疑がかけられたのは間もなくの事だ。

毬江は信頼する小牧に新しい作者の開拓を依頼しただけで、小牧も毬江の好きそうな本を薦めた。その本のヒロインが難聴であるというだけで、レファレンスの配慮が足りないと周りが囃し立てたのをメディア良化委員会に掬われる形で査問会に小牧が連行されるという事態にまで発展したのだ。

家族には知らせないで。

暗に込められた小牧の願いに、しかし郁は憤った。
「好きな男が窮地に陥ってるのに、そんなの知らないで耐えられる女なんかいる訳ないでしょ!?そんなの知りたいし・・・あたしだったら助けに行きます!!」
目尻に涙さえ浮かべて。
その言葉は一体誰を想ってのものか。
出かけた言葉を寸での所で飲み込んだ。ソレは思っていた以上に苦くて、自然と表情が険しくなる。理由など考えるな、郁の言葉に傷つく心など持ち合わせていないはずだから。
「小牧は俺に知らせるなと言ったんだ!彼女も含めてだ!」
冷静さなど吹き飛んだ。かつての熱さが頭に血を上らせて堂上を感情的にさせる。
「勝手に決めつけないで!!」
「なんだと?」
「あたしだったら我慢出来ない!ずっと知らされないまま好きな人が傷つくぐらいなら、一緒に戦います!!」
それは、郁が入隊してきて以来初めての反発だったかもしれない。郁にとっていつも堂上の言葉は絶対で、だから高をくくっていた。それが。
「何も言ってないうちから好きな人を諦めなきゃいけなくなるかもしれないなんて、周りがそんな事させちゃだめなんです!!」
「・・・ッうるさい!お前は口出すな!!」
言葉で言い返せない分、いつもの罵倒が出た。その幼稚さに自分でも恥ずかしくなってその場から逃げ出したから、後はなんと言われているかはわからない。しかしそれを振り切ってでも逃げ出したかった。

自分の知らない間に想う相手が危険な目に遭っていたら、堪らないに決まってる。目の前でだってハラハラするのに、知らない所でだなんて。
宛もなく訓練速度で歩き回っていたら、いつの間にか庁舎裏に来ていた。無意識に逃げていたのかもしれない。
苦しい息は歩き詰めたからか、気持ちのせいか。
想う相手には何事もなく平穏に過ごして欲しかった。だがアイツはそれを良しとしないで、何かあるならばその片棒を担ぐという、一緒に。アイツはそういう女だ。
だからこそ向けられる気持ちに困惑する。押しつける相手を間違えていないかと。幻想の三正はもういないのに。
深いため息は濃い錆色となって地面に落ちた。









手塚がどこからか得た情報により小牧が監禁されている場所が割れ、柴崎と郁が毬江に小牧の事を知らせたおかげで突入は思いがけず大所帯になった。
建物には見張りから警護からご丁寧に良化委員がごっそりと張り付き、いかにも何かをやっているという雰囲気だ。
「柴崎、毬江ちゃん、あたしにくっついててね」
相手は武装こそしていないが油断は禁物だ。出来るだけ穏便に済ませたいが、相手もそうは言っていられないだろう。なにせ図書隊を叩く事であれば手段を選ばず行使したい相手だ。
まるで二人を守る郁はおとぎ話の王子様のように勇ましく、そんな事を僅かでも思ってしまった自分に辟易した。
斥候に出た手塚がこちらを向いて合図を出す。二手に分かれて滑らかに移動すると、良化委員を引きつける役目の班が予定通りに背嚢から食器類を取り出して思い切り地面に投げつけた。
「なんだ!?」
音に反応した敵の隙をついて郁達が建物の中に進入すると、今度は堂上が先行してひとつひとつの部屋をあらためていく。
「・・・堂上教官!」
「ああ」
その部屋は幾人もの人間が一斉に声を荒げて部屋の中央に座らされている小牧を責め立てていた。すでに怒号だ。これを四六時中四日も渡ってやられた小牧の精神状態が心配で、補聴器越しにも聞こえる汚い言葉の数々に毬江はそっと拳に力を込めた。
「カウント」
怒りを抑えた堂上の声に頷いて、郁は背嚢を開いた。



けたたましいガラスの割れる音に何事が起きたかと一瞬水を打った室内も、すぐに勢いを取り戻そうと声が上がる。それをも押さえ込むように次々とガラスや陶器の割れる音が響き渡り、さすがの良化委員も口を噤んだ。
「・・・もういい!」
堂上に突っ込まれてようやく郁は食器を投げつける手を止めた。
「騒がしくて失敬」
玄田が皮肉混じりに良化委員を睨みつけ、毬江が自分の言葉で自分の気持ちを語った事で勝負は見えた。

予期せぬ事は、全てが終わったと図書隊の面々が引き上げている時に起こった。
「お前を騒音罪で訴えてやる!!」
「はぁ!?」
苦し紛れの良化委員の発言に目を丸くした郁の反応が一瞬遅れ、気づいた時には乱暴に床に押さえつけらる。
「ちょっ、アンタ達・・・ッ」
「うるさい!!」
振り上げた拳を寸での所でかわしたが頬を掠って赤みが滲む。
それを見てカッとなった堂上は力任せに郁を押さえつける良化委員を引き起こすと、肩をあらん限りの力で押し退けた。拳を振るいたい所を堪えたのは、偏に図書隊員としての立場を忘れなかっただけの自制だ。
「・・・・・・失せろ」
低く唸ると、良化委員は腰を抜かしそうになりながらバラバラと退散していった。
最後の一人が出ていくと、郁を立たせようと腕をとるが郁はぼうっとして動こうとしない。頬の色が内出血とは違う色をしている事には気づかないフリをして。
「立てるか」
「・・・・・・はい」
掴んだ腕はやはり細く、特殊部隊と言えどやはり男とは違う生き物なのだと思い知らされる。
「頬」
「ぁ」
「女が傷を作るな」
触れた頬が熱いのは、こいつの熱さかそれとも。
動揺しているのはどっちだ。揺らいでいるのは郁の瞳か堂上の心か、わからない。ただ至近距離で交わす視線の強さに慄いた。
「あた、あたしは特殊部隊所属の笠原郁です!戦闘職種が女とか・・・関係ありません」
関係ないなんて言うな。そんなに細いのに、女なのに。

お前の言うところの、恋の色に染まった顔をしている癖に。

「・・・・・・俺が気になるんだよ」
言い捨てると郁を置いて歩きだした。
顔を見られたくない、きっと今情けない顔をしているだろうから。
まっさらなお前を誰がその色に染め上げた?女として花開こうとする、今まさにそんな瞬間。
不意によぎった思考にぶんぶんと強く頭を振った。
そんなの認める訳にはいかない。

堂上の色だという赤と郁の色である白を混ぜたら、淡い桃色になるなどと・・・・・・。





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