「堂上副隊長、オジサンくさ〜い」 「煩い!オヤジなんだから放っとけッ」 口ではそう言いつつも、耳まで赤くした堂上は早足に庁舎への道を急ぐ。 きっちり身支度したつもりだったのが、顎の死角になる所に無精髭を見つけられた。しかもよりにもよって郁に。 最近残業続きでちょっと掠れ目になって見えにくかっただけだ。老眼とかじゃねーし。少し目を細めて書類を離さないと読めないだけで、別に年のせいじゃねーしッ。 「無理しなくたっていいんですよ〜。うちの父も堂上副隊長ぐらいの頃に老眼鏡掛け始めてたし」 「お前の親父さんと一緒にすんな!つか、いくつなんだ親父さんは」 「ん〜と、……この間五十五で覚えやすいね、って」 「俺はまだ四十代だ!」 「今年入隊したあたしから見れば、ほとんど変わりませ〜ん」 「……ッ」 衝撃だ。実際に攻撃を受けるよりも、精神的ダメージの方が響き方が違う。 よろりとふらついた所で前方に腐れ縁の同期を見つけた。同い年の癖に遥かに若く見える小牧は、昔と変わらぬ笑顔を貼り付けたまま。後ろには郁の同期、新入隊員の手塚が控えめに付いていた。 「相変わらず仲良しだね、熊殺し仲間の笠原さんと堂上は」 「何言ってんですか小牧教官は!こんなオジサンと仲間なわけないですよッ」 「おい、笠原!」 「ん〜、手厳しいね。堂上がオジサンなら、同い年の俺もオジサンって事になっちまう」 「あ……」 全然困っていない様子の小牧だが、郁の方は己の一方的な暴言に気づいたらしい。口を手で押さえると、小さく謝罪の言葉を漏らした。ただし、小牧にだけ。 郁にしてみれば小牧は新人訓練期間からの上官で、要所要所でフォローしてくれた厳しくも優しい人なのだ。 対する堂上と言えば、異例の新人から図書特殊部隊抜擢後に郁がついた直属の上官なのだが、とにかく鬼のように怒る。常に怒っているし、すぐ手は出るし、親にもされた事のない初ゲンコツを落としてくれたのは紛れもなくこのクソ上官だった。チクショウ。 なので仲がいいとかは目の錯覚、間違ってもそんな事はありえないしあってはならない事だと思っている。むしろ仲良くとか罰ゲーム、人類みな兄弟とか上辺だけですから! なので三十代四十代の先輩方を気のいい兄貴分と思って和んでいる郁にとって、堂上はにこりともしない唯一の天敵ポジションなのである。 しかし女性の視座を取り入れる為に配属された全国初の女性図書特殊部隊員である郁の扱いは難しいようで、一先ずはどこの班にも属さず堂上直属の待遇を与えられている。もちろん有事の際にはどこかの班に組み込まれ出動しなくてはならず、その場合は小牧班として手塚とバディを組む事になっている。幸いな事に配属から1ヶ月、未だ抗争の機会は巡ってきていない――……。 ※ 「なぁ〜んでそんなに堂上一正の事が嫌いなのかしらね、笠原は」 パタパタと風呂上りのスキンケアを施しながら柴崎が問うと、夜食のお菓子を頬張って幸せ顔だった郁の顔が途端に険しくなる。 「だってさ、あの人すぐゲンコツするんだもん!」 「そりゃあアンタがヘマするからでしょう」 「だからって普通さ、うら若き乙女にゲンコツかますか!?」 「山猿しか発見出来ません、軍曹!」 「う、ウルサイッ!とにかく、親にもぶたれた事ないのよ、アタシッ」 「つまりハジメテを奪われたのね……。赤飯買ってこなきゃ」 「全然祝い事じゃねーし、語弊ありまくりだしソレ!」 はあはあ肩で息をしながら全力で否定する郁に、ようやく作業を終えた柴崎が追討ちをかけた。 「いいじゃないの、そんなに嫌がんなくたって堂上一正はアンタのお守りで手一杯だから、他に女なんか作んないわよ」 「ちょっと待て。なんだその言い方」 「いーじゃなぁ〜い、堂上一正。エリート集団の副隊長で独身、背は低めだけど中年太り知らずの筋肉質だし、厳ついけどそこが渋くて素敵ね」 「え〜、柴崎ってあんなのが好み?」 「めちゃくちゃタイプ。オトナの男臭さが堪んないわ〜」 あれでうっとり出来る柴崎が信じられない。自分の親の方が年齢的に絶対近いはずのカタブツに、間違ってもトキメキなんか起こらない。起こるわけがないのに。 うふふ、と笑って柴崎はゆっくりと首を振った。その顔が、同性でもどきりとする程色っぽい。 「男は四十代からよ。三十代で道が分かれて、四十代でイイ男かダメな男かに分かれるの。堂上一正は間違いなく、イイ男の方」 「……またまた、ヨイショしたって、」 「お子ちゃまにはわかんないかもね〜。アンタが興味無いんなら、アタシ、狙っちゃおうかな〜」 妖艶、とはこういう事を言うのか。 柴崎が見ている先はここにいない堂上のはずなのに、郁の鼓動も刺激された気がする。頬が熱を持って、耳の奥からこれは尋常ではないとシグナルが煩いくらい鳴っている。ドクドクドク、これは毒だ。 どうしようどうしよう、柴崎から視線が外せない――。 ぶっ、 危うい均衡を先に破ったのは柴崎だった。柴崎から始めて、彼女が畳んだ。 途端に身体中の力が抜けた。冗談ではなく。 「ほ〜んと笠原って、初心くて可愛い」 「――へ?」 つまりは遊ばれたという事か? ぐちゃぐちゃになった頭を抱えてテーブルに突っ伏すと、頭の上を小さな手が軽やかに弾んだ。 「ま、色事に迷ったらまずはこの柴崎さんの所に相談に来なさ〜い」 「……そのうちね……」 反撃の余力もなくそのままベッドに寝転がると、歯ぐらい磨けと柴崎に蹴られた。 今風の彼女なのに、妙な所で世話焼きだ。そこも柴崎のいい所なのだけれど。 そして長いため息を吐き出した。鳩尾が沈む。吸って、また漲る。 ――アタシ、狙っちゃおうかな〜…… 目をつぶった郁の頭の中に木霊したのは、なぜか関係ないと断じたはずの柴崎の言葉だった……。 |