「いくぞーーーッ!」 フル装備での塀掛け上がりダッシュで景気付けの大声。相当気合いの入った隊員らしい。言わずもがなの郁である。 重い装備をものともせずに自分の背ほどもある壁を乗り越える姿を遠目で見ながら、厳しい顔つきの堂上を小牧が小突いた。 「笠原さん、変に気合い入ってるね。なんか言ってあげたの?」 「知らん」 ぶっきらぼうな同期に肩をすくめる。 「昨日散々家に来て、ダラダラ自分の不甲斐なさとか愚痴ってた人間とは思えないなぁ・・・」 「だから昨日はすまんかったって。毬江ちゃんにも謝っといてくれ」 「少なくとも俺はそこまでフォローしてあげるほど優しくはないからね。堂上なら人がいいから面倒見ちゃうんでしょ?」 「…………」 「あの日の抗争だって、モニターで確認して慌ててるトコにたまたま隊長が戻ったらソッコー指揮権渡して出てっちゃうしね。この心配性親父」 無言は肯定の証。仏頂面は照れ隠し。本当にこの男は昔からひとつも変わらない。 いや、丸くなってきたと同時に生来の負けん気が蘇ってきた気がする。二十代三十代の頃は自分を律する事にかけてはピカイチだったのに、年を取ると自制が緩んで入隊時の血気盛んさが戻りつつあるように思う。 それがいいのか悪いのか。 せいぜい堂上二号と揶揄される郁と一緒に暴走しない事を祈るしかなかった。 ※ 「お前、変わったな」 庁舎の資料室で積み重なった書類の整理をしている時、口火を切ったのは手塚の方だった。 勿論仕事中である。だから極力下げられた音量は、しかしきちんと郁の耳にも届いた。というか、それだけ近くで作業をしていたのもあるが。 「何よ、藪から棒に気持ち悪い」 返す声音も囁きに近い。 「キモ……ッ。もっと他に言葉を知らないのかよ」 「手塚が先に変な事言ったからでしょ」 「むしろ褒めたんじゃねーか」 「どこが?お前変わったな、じゃどこを褒めてるんだかわかんないっつーの!」 郁の同期は頭がいいが、頭の固さは彼が尊敬する鬼上官に酷く似ている。むしろ頭の中が固まっている。筋肉脳とはこれいかに。 語彙力が少ないのか表現下手なのか、しかしそこは相手の気持ちを汲んでやる場面だというのは一緒に職種部隊に配属されて三ヶ月も経てばわかってきた。不器用でおぼっちゃんで、そして憎めない奴。 「悪かったよ」 それからちょっぴり素直だ。 「変わったってのは、お前の意識の事」 「意識」 復唱して首を傾げる。その時止まってしまった手を見咎めた堂上から、すかさず指導が入った。 「何をごちゃごちゃ呟いとる!手を動かせ笠原」 「は〜い」 おざなりな返事を返しながらファイルを入れ替える。重い冊子に腕がぷるぷると悲鳴を上げた。 「意識ってのは…………、あ〜、うん。そうかも」 特殊部隊に配属されて初めて体験した抗争。その時の数々の失敗が、郁に決意と覚悟を促した。 それは一朝一夕でどうにかなるものではないけれど、意識をするかしないかで行動の意味が、得るものが違ってくるだろう。周りから見て少しでも変わったと思わせているのなら、それは成功しつつあるのだ。 「最近リクエストも早くこなせるようになってきたし、いい傾向なんじゃないか?」 「ホント?そう思う?」 「俺にはまだ全ッ然かなわないがな」 「ぐッ」 上げておいて突き落とす。こういうやつだよな、手塚って。 そもそも郁はこの同期が嫌いなわけではない。好きでもないが。 頭はいい。仕事も出来る。ただし性格に難あり。なのに女受けがいい不思議。みんな目に特殊フィルターでもかかっているのだろうか。でも。 僅かに上にある整った顔を見上げた。見上げなくてはならないのだ。そう、背が高い。 防衛部の中にいれば女性の平均身長よりも高い男性隊員はいるものの、圧倒的に見上げる対象は以外と少ない。憧れはなかなか解消されないもので、その一点において手塚は郁の夢を叶えてくれる希少な存在だった。いやいやいや、だけどそんなの理由にならないから。 「なんだ、俺の顔に何かついてるのか?」 「……目と鼻と、口は黙れ」 「……喧嘩売ってんのか?」 「そんな安売りしてないっつーの」 「貴様らいい加減にしろッ」 とうとう堂上の雷が落ちてようやく口を噤む。 不満を吐き出すほど子どもではないが、しかし資料整理がひと段落して休憩している時に小牧が落とした爆弾に対しては噴出を止められなかった。 「君たちさ、そんなに仲いいならいっそつき合っちゃえばいいんじゃない?」 「はぁぁあああ!?」 「こ、小牧一正ッ、それは命令だとしても承服しかねます!!」 新人ふたりに全力で反対されたが、小牧は腰に手を当てながら諭すように言い連ねる。 「せっかく同期として入ったんだし、仲良くする近道だと思うんだけど。お互いの事をよく知れば、今後のバディも組みやすいんじゃないかな」 「小牧」 堂上が窘めるように横槍を入れたが、そんな事などおかまいなしだ。 確かにバディを組む場合、階級や年齢を考慮する部分はある。 郁とてこの先いつまでも堂上の直属と言うわけにもいかず、ゆくゆくはどこかの班に吸収されるだろう。そうなれば同期のいる小牧班に組み込まれるのは自然な流れである。 だがしかし、それとこれとは別問題だと思うのだが。 「どうせ堂上副隊長もそう思ってるくせにクソオヤジ」 「クソオヤジだけ聞こえたぞ、笠原」 「幻聴ですね、耳に虫詰まってんじゃないですか?」 「アホか笠原。堂上副隊長をなんだと思ってるんだ!」 「ゴリラ」 「おまッ!小牧、ウケてないでなんとかしろコイツら!」 「……むりぃ、くッ……」 「とにかく、そんなんでつき合うとか絶対ありえないから!」 そう宣言すると、郁は資料室を飛び出して図書館に向かった。 残された面々は何とも言えない表情で顔を見合わせる。手塚は渋面、小牧は呆れ顔。そして堂上は少しだけ眉を寄せて。 後にした資料室の中からひっそりと聞こえたため息は、一体誰のものだったのか。一目散の逃げ出した郁には知る事など出来なかった。 |