『急げ』 小牧のハンドサインを読みながら、身体を低くして壁伝いに素早く移動する。 おかしなものだ。これから侵入しようとしているのは、図書基地なのだから。 『止まれ』 青木の示す音のない命令に従って足を止めた。 伺った先には予想通り良化隊が数人張り付いている。 図書館正門の奥、固く閉ざして普段は使われない消防隊出入口にすら二班程度の良化隊員が武装して出入りを塞いでいた。更にその奥の正面詰所前には車両までも配置されている。 しかし侵入するのであれば、やはり消防隊出入口だというのが小牧と班員の出した答えだった。すぐこそには防衛部員が配属されている前面道路監視塔もあって、援軍も期待できるのもある。そこから特殊部隊庁舎までが最短、とにかく敷地内に入ってしまえばなんとでもなるから。 しばらく敵を観察していた青木が人差し指と親指で相手の所持武器を示す。―――ピストル。さすがにそれ以上の武器は持っていないらしい。 こちらは二班合わせて十人に対し、相手は十三。肉弾戦にもっていって五分か。 振り向いた小牧は不敵な笑みを浮かべた。なんとも言えない、悪巧みを抱えた笑に苦笑が漏れる。 『突撃』 青木の指示に応えるように、軍靴が固いアスファルトを蹴った。 『 堂上、まだ行けそうか』 忙しい呼気の合間を割くように、インカムから隊長の声が聞こえた。 壁に背中と体重を預けてようやく立っているのだ、大丈夫かと聞かれれば返答に困るところで。しかも右太股の古傷がズキズキと悲鳴を上げていやがる。筋肉の一部を断裂させた古傷は、時々こうやって堂上自身を苦しめるのだ。 長年愛用しているクロノグラフで時間を確認して――――ダレ始めていた気持ちを再び結び直す。 「なんとか」 弱音など吐けるか。遊撃を任され気を吐き続ける堂上の背中があるから、他の隊員達も苦しさを乗り越えて踏ん張れるというものなのに。 戦場でものを言うのは圧倒的な戦闘能力ではない、最後に繋がる勝利への執着だ。それがあるのとないのとでは雲泥の差である。 その事を、言葉ではなく姿勢で示すのが一番効果的なのだと気づいたから、堂上は苦しくても背中に背負うの。 『 今どこにいる』 「通用口前です」 『そのまま食堂行ってくれ。塀の外から物欲しそうにしてる連中が何か仕掛けてきそうだ』 「了解」 現在地から食堂横まですぐの距離、少し呼吸を整えてから速やかに移動する。さっきよりも体重をかける度に疼きが増す右太股に拳をくれて、堂上は顔を歪ませた。あと二十分だ、男なら我慢しろと己に言い聞かせる。 確か食堂の方には宇田川班がいたはずだ。消音器のせいでどれだけ激しい攻防が繰り広げられているのかわからないが、次々と聞こえるコンクリートの欠ける音を聞くだに相当なのだろう。 短機銃を持ち直す。 深呼吸ひとつ。角からチラリと戦況を覗けば、塀の外から撃ち込まれる狂ったような銃の乱射に、図書隊が防戦一方を余儀なくされていた。それだって防護盾頼り、いつまでもつかは時間との戦いである。 反射的に飛び出しそうになって、寸でのところで踏みとどまった。 ――――案件は脳まで持ってけ! アイツに対して口酸っぱく繰り返した言葉を、今は自分に向かって投げつける。嫌だな、やっぱり似てるんじゃねえか。 しかし今この場に郁はいない。飛び出そうとする手を掴んで呼び戻す代わりに、己をより冷静にする為に刹那の時間、目をつぶって余計な思考を頭から追い出す。必要なのは現状を見極める冷静な目と的確な判断力。 相手は車両を利用して塀を乗り越えようとしているようだ。銃撃班と侵入班が連携を取り切れていないのは、恐らく抗争終了時間が迫ってきたせいだろう。 慌てろ慌てろ、こちらはその隙をつく。 インカムで屋上の狙撃班と宇田川に一報入れ、ハンドサインで指示を出す。切り込みの瞬間、反撃のタイミング、そして狙撃での援護指示。 全ては一瞬の動きが勝負だ。 無意識に右太股の古傷を撫でる。たぶんそろそろ限界だ、年甲斐もなく動き回るのにも限度がある。 せめて、せめて郁や手塚くらい若ければ、やれる事が山ほどあっただろうに。しかしそれは所詮無いものねだりで、この歳まで重ねてきた積み重ねが今の堂上を作ってきたのだから悲観などしない。 ただ少しだけ――――。 堂上副隊長 おじさんくさい ――――いつまでも子ども扱いしないで下さい! 例えばもう少し歳が近かったら、あんな事も言われなかったのだろうか。 堂上自身が、もう少しだけ真っ直ぐ郁に向き合えたのだろうか――――。 僅かな時間の間に郁と過した短くも濃い期間が瞬く間に次々と蘇る。まるで走馬灯のようではないか。となればこれから死ぬのか自分は。 まだ死ねるわけがない。 奥多摩から帰ってきていない隊員達の報告も聞いていないんだ。 だから、 一切の余計な思考を締め出した堂上は、意を決して短機銃を構えたまま突撃を開始した。 |