やっちゃった!
やっちまった!!

「も……、口から心臓出ちゃいそうッ」
思わず叫んだ柔剣道場で、手塚の白い目が突き刺さる。
「お前……、心臓に毛が生えてるから、絡まってなかなか出てこないと思うぞ」
「例え話だコルァッ!」
「!!」
八つ当たりの右正拳突きがモロに脇腹を殴打してしまったのは、郁のせいではなくて反射神経の鈍い手塚のせいだと主張したい。








恋愛方面に置ける郁の猪突猛進ぶりは今に始まった事ではない。
学生時代から当たっては砕け続けて早幾年月。その都度再生を繰り返すメンタルは、強くなって行くどころか逆に脆くなって次第にぶつかるのを止めた。誰だって壊れるのは怖い。それが重なれば、そのうち恋をする事すら諦める。


それが昨日までの郁。
いや違う。正確には、図書隊に入るまでの自分。


恋なんかしない。それよりも大好きな本をたくさんの人に読んで欲しくて、その環境を守る為に戦う。走って、身体を鍛えて、戦う術を身に付けた。惚れたはれたに現を抜かしている暇などないのだ。
なのにいつの間にか、堂上の存在が当たり前のように郁の中にあった。隣りで本の扱いを教えてくれて、戦う背中を見せてくれた。
憧れなのかもしれない。尊敬なのかもしれない。
定かでない気持ちは、だから気のせいだと心の隅に押しやった。押しやったのに……やっぱり、たぶん「好き」なのだと思う。そうなったらもうダメだ、いても立ってもいられない。
ゆっくりと育てていく段階は、気づくともうすでに過ぎていた。一緒にいるとどうしても目で追ってしまう。近くにいたら熱を感じようとする。なのに堂上がこちらを見ただけで、目をそらしてしまう。なのに頭を撫でて欲しくなる矛盾。
「あああああ!」
「……笠原さん、大丈夫?」
ちょっぴり小牧に心配されながら、その日は堂上と顔を合わすことなく帰寮して一日を終えた。


ちなみに柴崎に事の顛末を報告すると、真顔で分け目チョップを食らった後、力一杯抱き締められた。珍しく口数少ない柴崎だったけれど、彼女からは優しい香りがして心が落ち着いた。










「堂上?今日は休みだけど」
翌日の小牧の言葉に、郁が崩れ落ちたのも無理はない。
ああ、そう言えばシフト表に書いてあったよね。確認しろよ自分!いや、いない方がいいのかな。もう、わけわかんない……。
「昨日からおかしいけど大丈夫?」
「だ、大丈夫……です」
よろよろと机に持たれながら、もう一度巡回路の確認をする。今日の郁のバディは小牧、珍しい組み合わせだが、やる事は変わらない。
そのまま巡回に出ると、しばらくして小牧が思い出したように口を開いた。
「そう言えばさ、昨日の堂上もおかしかったんだよね」
「副隊長が、ですか……?」
「うん。凄いしかめっ面でうちに来るのはいつもの事なんだけどね、うちの子と遊び始めたらもっと顔怖くなっちゃってさ」
「はぁ」
「おかげで夜泣きが酷くてさ?。あれ何、軽い育児妨害?訴えてもいいレベルだよね」
いや、いくらなんでもそれはどうだろう。
いつもと変わらぬ笑顔のまま呟くのが逆に怖いが、でもさ、と続ける小牧につられて隣りを見上げる。
「堂上は、本当は子ども好きなんだよね」
「……」
「子ども好きな気に悪いヤツはいないって言うし、だからまあ、真面目すぎて面倒臭いヤツだけど、根気よく付き合ってあげてよ」
「……ん?」
なぜその流れでそこに着地する?
もしかして、昨日の事を知ってるのだろうか。
しかし確認するのが怖すぎて、そのまま曖昧な笑いを浮かべながら巡回路に戻ったその時――――。


カツカツカツ

図書館に不釣り合いなヒール音を響かせながら、ひとりの小柄な女性が真っ直ぐと小牧目掛けて歩いてくるではないか。
郁も小牧の細君を見知っているが、彼女ではない。だが小牧とは顔見知りらしく、気づいた班長が手を上げてその女性迎える。
「やあ、久しぶり」
かなり親しいのか。郁も思わず彼女をじっくり見てしまう。
黒髪で凛とした雰囲気の女性は、ふ、と笑うと小牧から郁に視線を移した。ドキリとする。
「アンタが笠原?」
いきなり乱暴に切りつけられて目を見張る。初対面でこんな事をされた経験などなかった。
「ねぇ、聞いてんの?」
「た、確かに私が笠原です、けど」
及び腰になりながらも、相手は館内にいる限り一応は利用者だ。威圧しない程度に背筋を伸ばし、姿勢を正す。
「何か御用でしょうか?」
対する女性は郁を上から下まで舐めまわすように視線を這わせると、大きな目を細めて郁を睨みつけて言った。
「アンタさ、篤にちょっかいかけるの止めてくれない?」


頭が真っ白になった。
ただひとつ、ぼんやりと相手の正体を思う。



――もしかして、堂上の別れた元妻なのではないかと……。



その時、何も考えられない郁の頭にただひとつ堂上の声だけが響いた。
「笠原!」
「堂上副隊長……」
私服の堂上が訓練速度とまでは行かない速さてやって来る。
呼吸が荒いのは、肋骨に障っているからだろう。珍しく肩で息をしながら足早にやってくると、強引に彼女の肩を掴んで郁から引き離した。
「お前、コイツに何言った!」
「べっつに?」
遠慮のない言葉。それだけで堂上とこの女性との仲が知れるというもので。その様子を見るだけで胸が痛くなった。
小牧が郁の前に一歩出た。
「込み入った話になりそう?堂上」
「ああ、小牧か……。すまん、少し笠原を借りてもいいか?」
「俺はいいけど……、笠原さん?」
「あたしは……」
胸の前できゅっと拳を作る。
別れていても、まだこんなに仲がいいんだもの。そこに割って入れる訳がない。やっぱり堂上の気持ちも配慮しないで告白なんて、するんじゃなかった。
いつもの事だ。この拳の中に堂上への気持ちを閉じ込めて、何も見ないフリをしてまた頑張ろう。少し泣いちゃうかもしれないけれど、時間が経てばきっと――――。
「もういいッ」
「わ、」
むっつりと眉間にシワを寄せた堂上は実力行使に出る。即ち無理矢理郁の腕を掴むと、そのまままズルズルと引きずって行ったのだ。
「ちょッ、あたし今勤務中……!」
「うっさいわボケ!今日の俺は利用者なんだから、ちったぁ融通利かせろッ」
論理が無茶苦茶である。いつもの堂上であれば、そんな利用者は説諭対象としてしょっぴきかねないのに。
「笠原さん、今から一時間休憩ね」
「意地悪してごめんね、笠原さ?ん」
背中で残したふたりの声を聞きながら、なんとも言えない気分のまま肌寒くなってきた館庭のベンチまで引きずられて行った。







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