Bloody Memory 4


The breaking world



 自分がひどく狭い世界に閉じ込められていることに気がついていた。
 けれど、アノ頃の俺にとっては……それは逃れようがないほど広く強固な世界であることも確かだった。
 だがその世界は……砕けた。
 たったひとりの化物の手によって。



 路地裏を曲がった途端、足が止まった。
 狭い路地裏に充満する……むせかえるような血の匂い。
 闇にも鮮やかな、赤。
 ギラギラと光る二つの瞳が、弾かれたように俺の方へと振りかえる。
 そして次の瞬間、ソレは俺の目の前にいた。
 首根っこを掴まれ、壁へと叩きつけられる。激しい痛みに、息が止まる。
「運の悪いヤツだ……」
 目に飛び込んできたのは、夜目にも輝くように光る白い肌。
 夜に溶けこむような黒い髪。
 そして、獣のようにギラつく瞳を持った……若い男。
 男の手が無造作に何かを投げ捨てた。
 それが千切られた人間の一部だと気がついたのは、僅かにさしこむ光に照らされたからだ。
 ふと、このあたりで奇妙な連続殺人事件が起きていたことを思い出していた。
 死体無き、殺人。
 残されているのは大量の血のみの、犠牲者の見つからない殺人事件。
 その事件の犯人が目の前の男のことだと、なぜかすぐにわかった。
「テメェの運の無さを恨むんだな」
 首を掴んでいた男の手に力が込められる。
 一瞬で酸素は塞き止められ、視界がかすんでいく。
 だが……そのとき俺が感じていたのは、紛れもない安堵だった。
 ようやくこの薄汚い世界から解き放たれるという、喜びだった。
 男の手が不意に止まった。
 支えを失った体はだらしくなく崩れ落ち、体は心と裏腹に勝手に酸素を求めて喘ぐ。
 男はひどく奇妙な表情を浮かべ、じっとそんな俺を見下ろしていた。
「なぜ、抵抗しない?」
 俺をさっきまで殺そうとしたヤツが、一体何を聞いているのか。
 それともこいつはサドなのか?
 だから獲物が抵抗しないと面白くないとでもいうのか?
「抵抗しても、殺すんだろ?」
 出たのは掠れてはいたが……自分でも不思議なほど落ちついた声。
 どうせ……遅かれ早かれ、死ぬ。
 今殺されなくても、俺の時間はそう残っちゃいないはずだ。
 年を食った俺には、ペドとしての売りがなくなった。それにつれてビデオの売上も落ちている。
 なによりも金が好きなあの二人は、きっとそれが許せない。
 近いうちに、俺は最後のビデオに出演させられるだろう。
 スナッフに……自らの死を晒すビデオに。
「……殺さないの?」
 どうせなら、楽に殺して欲しい。
 一瞬で、この命を絶って欲しい。
 スナッフにはそれを望めない。
 散々長引かされ、苦しめられる。そのためのスナッフだ。
「おまえは殺されたいのか?」
 俺は、素直に頷いた。
 自らの死でしか、この世界からは逃れられない。
 でも自分から死を選ぶ勇気もない。
 選べない。
 何故ならば……この俺の命すら、俺のモノではなかったから。
 再び、男のしなやかな白い手が俺の首に絡みつく。
 俺は安堵のため息を吐きつつ、笑っていた。
 それなのに、男の手は動かない。
「……オモシロイな、おまえ」
 男が嗤う。
 それは酷く冷たく……だが不思議と暖かな笑みだった。
「気に入った」
 男の手が、俺の首から離れていく。
 なぁ、なんで止めるんだよ。
 止めないでくれよ……いっそこの首をへし折ってくれよ。
 なぁ。
「おまえみたいな死にたがりは、初めてだ」
 男の手が、俺の手を掴んで引きずり起こす。
 その手がひどく冷たいことに今更ながら気がついた。
「おまえ、俺のモノになれ」
 別に、誰が俺の所有者になろうと構わなかった。
 俺を閉じ込める世界は、それぐらいで壊れるとは思えないほど強固だった。
 だから、俺は頷いた。



 だがそれが間違いであったことを俺はすぐに知ることになる。
 俺の世界が……ホントはひどく狭く、脆かったことに。



 血が飛び散る。
 床も、壁も、どこもかしこも血で赤く染まっている。
 ビデオの打ち合わせに偶然きていたヤツラも、ダッドも、マァムも血まみれだった。
 男の手は軽々と体を引き千切り、壊していく。
 男は、人間ではなかった。
 その白い肌を汚す大量の血が……床に転がる引き千切られた体の一部が、吸血鬼と存在が御伽噺ではなく現実であることを告げている。
 俺は壁際に座り込み、その光景をただ眺めていた。
 キレイだった。
 床にわだかまる血も、壁に飛び散った血も、何もかもがひどく鮮やかでキレイに見えた。
 今までは生臭さしか感じなかった血の匂いが、ひどく甘く感じていた。
 壊れた人形のように、バラバラになっていく人間の体。
 もう、物でしかないソレ。
 もとはダッドとマァムであったモノ。
 それを見ている内に、俺がひどく愚かであったことに気がついた。
 どうして……どうして彼らに愛されたいなどと思っていたのだろうか。
 彼らは俺のことなど、ちっとも愛してなんかいなかったのに。
 それどころかタダの金儲けの道具としか思っていなかったのに。
 もしかしたら……いつか愛してくれるかもしれないなどと、その手で抱きしめてくれるかもしれないなどと、愚かなことを信じていたのだろうか。
 縋りついていたのだろうか。
 そんなこと、決して有り得るワケがなかったのに。
 鮮やかな赤が、俺の視界を埋め尽くしていく。
 俺の全身を染め上げていく。
 同じくらい全身を血に染めた男がゆっくりと振りかえった。
 俺に向かって差し伸べられた……赤く染まったその手のひら。
「これで……おまえは自由だ」
 俺は、その手を取った。
 新しい所有者であるその手をとり、うやうやしく口付けた。
 口の中に広がった血は……ひどく甘かった。



 世界が壊れていく音を、俺は確かに聞いた。

なぜか不定期連載中のスカッド過去話です
今回は一応、フロストとの出会いなんてモノを書いてみました。
もし前の作品との矛盾を見つけた人は……見逃してやってください(笑)

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